2020年10月27日(火)
日限り日記

 [転倒]
 朝散歩中公園のブランコの支柱にぶら下がってストレッチをしていた。その脇を通りすごそうとした妻が、支柱の根元に足を引っかけて、すってんころりと転んでしまった。まあ蛙の四つん這いみたいな格好ですね。ズドンという音が重かったので公園にいた人が思わず振り向いたほどだ。
 さいわいに土の地面だったから、妻は両手と右の頬とを少し腫らしたぐらいで済んだ。
 妻は元々転びやすい。少し外股で歩くせいか転ばないまでもしばしば何かにつっかえるそうだ。いつかパリの大通りを地元の人に倣って信号を無視して渡ったときもセンターラインの少し高くなっているところに足を引っかけて前向き四つん這いに転んだことがあってこのときは肝を潰した。
 公園で転んでから僅か3日後、今度は家の前を掃き掃除をしているときに踏み石に足を引っかけてまた転んだ。今度は相手がコンクリートだったから左手と右膝から出血したほか、膝の内出血がひどかったので外科病院に行ったほどだ。転びやすいとはいえこう頻度が多くなれば要注意だろう。
 五木寛之の「生き抜くヒント」(週刊新潮)によれば我が国での高齢者の転倒・骨折・転倒死の数は平成30年で9803人で交通事故死の3倍以上だそうだ。
 年を取るのは自分一人だけではない。妻も年を取る。連れ合いが年を取って困っているのを見ると自分のことのように辛い。老人に年を取るスピードが速く感じられるのはこのせいではないか。
 
 
 天高し飛雁孤雲に近寄りぬ
 
 
 
 

2020年10月23日(金)
日限り日記

 [マスク]
 香典を送るために郵便局に行ったが局員3名がよそよそしい。
 客は3人ぐらいいたか。その中の一人は郵便局から出ようとしている私から逃げるように遠ざかろうとした。
 そこで初めて私はマスクをしていないことに気がついた。
 このようなミスは初めてではあるが大いに恥ずかしかった。
 孔子は「七十にして心の欲するとことに従いて(のり)()えず」と言っており私も自分なりに大体そうなっているかと思っていたが、マスクをせよというような臨時の矩はうっかり忘れてしまう。臨時ではあっても大切な矩なのに情けない。
 マスクをしてくださいと注意して欲しかったが、強面の老人に対してはなかなか言えないでしょうね。

 
 
   新豆腐の笛へ連れ出るマスクして
 
 
 
 

2020年10月16日(金)
日限り日記

 [引継書]
 会社員時代の書類は少しずつ廃棄している。書類を減らすのは簡単だが、書類が減ると記憶も減るという関係があるのが分かったので簡単には減らせない。
 廃棄する一番最後になると思われる書類は,多分「引き継ぎ書類」だ。役職に長という名前がついてからの引き継ぎ書類が7冊ある。自分だけが分かる自己採点の成績表でもある、多分大甘の。
 引継書を書くのは苦痛にならなかった。後を濁して飛び立つ鳥だったときもあったろうが、なにはともかくきれいにさっぱり離れたかったのだと思う。
 今書いているのは最後の引継書、つまりこの世のエンディングノートである。
 書くのは嫌いではないと言ったがが、今までの引継書と違って楽しい気持ちはしない。きれいさっぱりという感じもしない。
 この世の引継書で引き継ぎできるのは銀行の口座などで,自分自身は誰にも引き継ぎできない。
 

  夜寒かな椎間板の隙間減り
 
 
 
 

2020年10月13日(火)
日限り日記

 「絶望を希望に変える経済学」(原題は「Good Economics for Hard Times」
  アビジット・V・バナジー&エステル・デュフロ著)
 経済学は活力の尽きることのない世界を想定している。しかし実際の経済というものはどこでも硬直的である。労働者が自由に移るものではない。
 政策によって実現したことがいかに多かったかを過小評価すべきでない。政策というのは強力だ。政府には大きな善を成し遂げる力がある一方で、深刻な害をもたらす力もある。
 悪い経済学は富裕層への減税を支持し、貧乏人は怠け者だと断じて不平等の拡大と無気力の蔓延を招いた。
 貿易は万人にとって良いことで、あらゆる国で成長が加速するというのも間違った、証拠のない考えである。
 移民を受け入れると必ず社会を破壊するという主張が目下のところ勝利を収めているが裏付ける証拠はない。
 無条件給付プログラム(UBI)が消費や怠け者に繋がるとは言えない。
 UBIは実行が容易な政策手段であり、複雑な給付プログラムを実行する能力に欠けている国に向いている。だが、欧米や日本にはこれは当てはまらない。
 
 この本はあらゆる主張あるいは反論が、必ず実証データに基づいているというところに特徴がある。だからとても説得的だし分かりやすい。
 原題が「辛いときの良い経済学」とあるように現在の自由主義経済のもとで生じた格差を解消するため、政府は自信を持って富裕層から弱者、不利益を被った人たちに積極的に富を再配分すべきだという立場の論である。
 自由主義経済を越えた新しい経済の枠組みを提唱するものではない。
 ちなみに日本には向かないとされたUBIが国民給付金という形で一律10万円支給された。給付プログラムが出来なかったというよりは、政治家の点取りに使われた悪い経済学ではなかったか。
 
 
 天高し身長二センチ縮まりて
 
 
 

2020年10月9日(金)
日限り日記

 [中国本の製本・装幀]
 最近中国で発刊された書籍を二冊買った。
 一つは閻連科の「她们」(河南文芸出版社)2020年5月出版 46.80元。もう一つは莫言の「晩熟的人」(人民文芸出版社)2020年8月出版 59.00元。
 [她们]はソフトカバー280ページ。「晩熟的人」はハードカバー370ページ。中国の本は装幀や製本がやっと先進国に近づいてきたことをうかがわせる。今回のでは「她们」の装幀は魅力的だ。
 今手元にある本で一番古いのは莫言の「豊乳肥臀」(中国工人出版社(2003年9月)だが、背の糊こそはがれないものの、表紙裏表紙がお粗末で今にも切れそうである。
 一国の文化のレベルは本の装幀・製本を見れば分かるとかねがね思っていたが、中国は着実に進歩している。しかし「晩熟的人」のように、カバーはなかなかいいデザインなのだがこれを外すとなかはあまりに味気なく、背の糊のつけ方も乱暴だというレベルにあるものもある。日本円で3900円もする本なのにお粗末だ。私の見るところでは北京にある出版会社は遅れている。
 それにしても中国は本が安い。「她们」日本円換算730 円(日本の書店では3600円で売る)、[晩熟的人]日本円換算920円(日本の書店では3900円)。なぜなのだろう。
 
 
 雨を待ち華やいで散る金木犀
 
 
 

2020年10月7日(水)
日限り日記

 [家族じまい]
 2013年に直木賞を受賞した桜木紫乃の「ホテルローヤル」は「ホテルローヤル」を利用する客の生き様や、ラブホテルを経営する野心家の父の高揚と没落を娘の目を通して書いたもの。
 今回中央公論文芸賞を受賞した同じ作家の「家族じまい」は、5篇ともに老いて認知症を患う父母と子どもの物語である。
 「ホテルローヤル」は、私は血気盛んな父側に立って読む力あったが、あれから7年読者である私は老いた父母側に立って読むことになる。
 この作品に共通しているのは、ベタベタと干渉しない母娘関係、それと認知症になった父母の間でお互いを思いやる心、子どもや姉妹の助け合う心である。特に父母の間でお互いに思いやる心があるのが救いだ。もっとも5篇のうち一篇は夫が認知症の妻を残して逃げ去ろうとする話だがきれいごとだけでは済まされないということなのでしょうね。
 認知症は人生の最後に待ち受ける試練でだれも予測できない。記憶が散じ人間としての役割を終える過程とはいえ時に長い時間に及ぶので本人はもとより配偶者、子どもに様々な苦しみをあたえる。
 しかしそれは人間として自然に起こることなのだから、自若として受け止め生活することが出来ないか。この小説はそう問うているような気がする。
 この本を読んで思ったのだが、認知症になると周りがいろいろ記憶を取り戻させようとする。それは本当にいいことなのだろうか。本人は、記憶を必要とする世界から記憶を必要としない世界へ移ってしまってもう戻れないのではないか。戻そうとすれば苦しみを与えることになる。異次元の世界に住む人の心の内を思いやり、温かく生活することこそが必要なのではないだろうか。
 お互いに心をおおらかにして今活きていることを喜べるようにしたいと思った。
 
 
  道あれば道に傾き萩の花
 
 
 
 

2020年10月5日(月)
日限り日記

 「アベノミックス後」
 吉川洋氏が10月3日の読売新聞に「アベノミックス後」という論文を寄せている。
 要約すると
 1. 2012年10~12月期から2019年10月~12月期までの7年間の実質国内総生産成長率は年率平均0.9%、個人消費の平均成長率は0.04%。同時期の米国の消費は平均2.7%、EUでも1.4%の増加。日本の消費ゼロ成長は先進諸国の中で際立って悪い。
 2. 企業が保有する現金・預金は今年の6月で224兆円。アベノミックスの進められていた間に74兆円増加。
 3. 国の借金である長期債務残高は2013年3月末の731兆円から2021年3月末には993兆円まで膨らむ見通し。
 4. 日経平均株価は2012年12月25日10,080円、2020年9月15日23,451円と2.3倍に上昇。
 それでも多くの人がこの時代を評価するとしているのは「日本人の経済・社会に対する期待値が下がってしまった」からではないかと吉川は述べている。
 吉川は最大の課題として社会保障制度の綻びを繕うことと述べている。年金・医療・介護など社会保障給付の総額は120兆円を超えたのに保険料収入は70兆円余にとどまる。不足分を補う原資となる税収が足りないから財政赤字に直結する。
 2017年の債務残高の対国内総生産比234.5%は主要先進諸国で最悪の水準である。
 吉川は一国の盛衰は、政治がどれだけ将来を見通せるかにかかっている、と結んでいる。
 
 歴代内閣は、経済成長なくして財政再建なし、という一見分かりやすいかけ声で、債務残高をどんどん増やしてきた。
 それならばどのような成長戦略があるのか。
 アビジット・V・バナジー&エステル・デュフロは「絶望を希望に変える経済学」のなかで、数多くの研究報告によれば
「高度成長をどのように実現するかという問いに対する専門家の答えは、わからないというものだった」

 と述べている。なぜわからないのか、その理由を読むと納得させられて、むしろこうすれば成長すると言っている学者が嘘っぽく見えるほどだ。
 政治がどれだけ将来を見通せるかにかかっていると吉川は言っているが、安倍内閣は日本経済は三本の矢で必す成長軌道に乗ると言っていたが実現しなかった。菅内閣はすでに発足時点から将来を見通したメッセージを発していない。堅実な内閣かも知れないが目的に向かって引っ張って行く内閣ではない。
 私は日本経済停滞の原因はまさに「日本人の経済・社会に対する期待値、さらには自分に対する期待値が下がってしまった」ことにあるのではないか、と思う。それならそれを打ち破るにはどうしたらいいのか。
 
 
  無花果(いちじく)豊乳肥臀(ほうにゅうひでん)を尊める
 
 
 
 
 

2020年10月1日(木)
日限り日記

 [檀家制度]
 しばらく体調不良でごろごろしていた。
 午後天気も気分が良かったので近所の真言宗高野山派のお寺に行く。
 ここは瀟洒なお寺で、家に近いことでもあるし宗派も同じなので自分の葬式を行うにはいいところだと思ったので様子を聞きに。
 結論は、檀家かお墓を買ってくれる将来の檀家ならばここで葬儀を行うことができるがそれ以外の者は出来ないと断られた。
 檀家はどこか、戒名はと聞かれたので、檀家は茨城だがお坊さんと檀家づきあいはない、戒名は自分で案を作ったので見てもらうつもりといったら、基本的に戒名はお寺が檀家に授けるものだと言われてしまった。
 お寺の運営は少しは近代化されているかと思ったが、檀家制度や戒名付与制度も変わっていないようだった。従来の制度を守りながら時代に沿って変えることも出来そうに思うのだが。例えばゴルフ場のメンバー制とビジター制のように。
 となると葬儀社に頼んで葬儀の場所をしつらえ,宗派の坊さんを呼んでもらうことになるのだろう。戒名は誰に頼むのか。
 あとは葬儀執行人に任せるほかありません。
 
 
 寺で採れた秋の茄子を渡されし