2020年8月29日(土)
日限り日記

 [百囀」
 大石悦子句集「百囀」を読んだ。
 私の高校・大学の友人の会社の同僚の奥さんとのこと、すなわちほぼ同世代。
 手元にある名句集の類いの本を見ても大石悦子の句は実に沢山採用されている。どれも素晴らしい句ばかりだ。
 経歴を見ると16歳から作句をしているようで、キャリアから来る巧みさを感じる。弱者への応援歌(福田甲子雄)もある。
 特徴は言葉の豊富さにある。
 今回句集の題名の「百囀」は自分の造語らしい。今回も分からないで字引を引いた字が多かった。負喧(ふけん)、滑莧(すべりひゆ)は季語だから知らない方が悪いかも知らないが、誄(るい、しのびごと)、潺潺(せんせん)、魑魅(すだま)、靉靆(あいたい)などなど。ほかの言葉では表せない格調がでることは確かだが。
 「百囀」ではいいと思った句は357句中52句と少なかった。日頃はあまりいいと思わない小川軽舟の「朝晩」が360句中86句良かったのに比べて少ない。
 言葉の技巧によっているのに閉口したかも知れない。
 兄、妹と亡くなられたことに加えて、知り合いの追悼句が多かった。
 いいと思った句を五つ。


  女正月(めしょうがつ)鯛の目玉を執念く吸ひ
  負喧(ふけん)してうまうま老いぬわれながら
  鯉老いて春の野川の真中ゆく
  海を見に行つたきりなる秋の蝶
  本売つて知性おとろふ滑莧(すべりひゆ)


 

2020年8月27日(木)
日限り日記

 [破局]
 8月11日のこの欄で、今年芥川賞を受賞した遠野遥の「破局」を面白かったと書いたら、若いですねと言われてしまった。
 そこで、最近の芥川賞受賞作家で二冊目を読んだ人がいるのか、受賞者一覧で当たってみた。
 すると、2000年以降20年間で田中慎弥、楊逸、金原ひとみ、町田康ぐらいしかおらず、1999年以前の多和田葉子、辻原登、高樹のぶ子、宮本輝、古くは大江健三郎、石原慎太郎などに比べればはるかに少ないことが分かった。
 やはり一時的に面白いと思っても(思ったふりをしても)、若い人の作品には読み続けるほどの共感はできないといことであろうか。
 でも一応受賞作品を読もうとするのは、私は昔は良かったとは思わず、今が一番良いと思う人間なので、なるべく若い人の考えを支持してあげたい(というか付いていきたい)と思っているからだと思う。
 ところが俳句の方は、最近の若い人の俳句は、さっぱり分からないのがあって閉口しています。
 
 
  老婆かな馴れし小雀突き放す
 
 
 
 

2020年8月23日(日)
日限り日記

 [戦争の俳句]
 今月の句会の兼題は「戦争関係」だった。
 戦争関係の句は詠み手の世代によって違いが出る。我々のメンバーは50代の人はまれで70代80代の女性が多い。
 句に直接取り上げられた題材を記してみると
 
 深海の潜水艦イ52号に父が見つかった
 焼け野原に(あかざ)を摘む
 空と海とに従兄弟散る
 ほろ島を立つ引き揚げ船
 軍靴の伯父
 ロシア語を覚えし父
 我が沖縄戦
 青大将も我が血肉になる
 機銃掃射する顔
 嬰の口を塞ぐ
 六人でゲートルの父を見送る
 などなど。
 それぞれに重い物語がある。
 体験したことが全て俳句になるわけではないが、戦争関係の句となると文学性よりは実体験の中でこれだけは自分の手で書き残しておきたいという句が多くなるように思う。
 その結果説明が多すぎて勢い季語がなくなってしまったのを指摘された句が多かった。ほかの場面では季語を入れ忘れるというような間違いをする人でない人までもが。
 皆あの戦争では口惜しい思いをしているのだ。
 特に女性には、男の中の馬鹿な男どもが始めて、終結の時期も失した戦争で大切な人を奪われた、という思いがあるのではないか。

 
 
  いまもする戦争の音夏句会
 
 
 

2020年8月20日(木)
日限り日記

 [オンライン個人レッスン]
 オンラインにより中国言個人レッスンを再開した。今日のところはとりあえず「論語」誦読1時間。
 Zoomによるオンラインの会は講演会形式のいわば一方通行のものには参加したことがあるが、個人レッスンという双方向のものは初めてだったから論語の予習以外にzoomの事前勉強もした。
 先生は既に複数の生徒にzoomで教室を開いている。そのせいもあって思ったよりも順調にレッスンを受けることが出来た。
 数人の集まりだと発言が錯綜するので手を挙げて指名されてから発言をするという決まりがあるそうだが、一対一の個人レッスンでは相手の発言中に声を出しても何ら問題ない。教室での授業とあまり変わらない。
 語学の場合困るのは字を示す必要があるときだがそれはチャットを使えばいい。資料を共通して使う方法もある。
 パソコンにあらかじめ付いているものよりも遥に見やすく聞きやすいというネット情報に乗せられて、webカメラ、マイク、スピーカー・イヤホンを用意したが、大きな違いはないようだった
 今日の先生との授業は3年ぶりである。握手やハグは出来ないが(もっとも教室での授業でもハグは躱されることが多いが)心は通じ合えた。
 コロナウイルス感染予防や熱中症予防(それと高齢)のためにも電車通学は出来ないがオンラインなら授業を受けられる。これで語学学生としての寿命が少し延びたかもしれない。
 
 
    たまのをの咲いて再び論語かな
 
 
 
 
 

2020年8月18日(火)
日限り日記

 [ペンタスの虫]
 花屋でペンタスの苗を買ってきて二つの鉢に植えた。ところが植えてまもなく、芋虫が2匹ペンタスの葉を食べ始めた。苗に芋虫の卵が着いていたのではないか。
 花も楽しみたいので虫はつまんで袋に入れて近所の空き地の草むらに放した。
 ところが翌日別の鉢にもう一匹見つかった。妻は今度は虫にペンタスをあげようとその鉢を垣根の日陰に移動した。
 そして妻は毎朝挨拶がてら観察をした。鉢の中にキャベツなども置いてきた。
 芋虫は鉢から出ずに鉢の中でさなぎになったようだ。日陰とは言え暑いので妻は毎日水を掛けてやっていた。
 
 芋虫のキャベツ2枚で足る一世(ひとよ)
 
 ある朝さなぎは蝶蝶になったらしく抜け殻だけが残っていた。
 妻の観察によるとやがて一頭の蝶蝶が現れてさなぎの抜け殻のある鉢の縁にとまった後妻の回りにまとわりつきはじめた。
 
 
 芋虫を()でて蝶蝶にさせし妻
 蝶蝶のまとはりつくも(えにし)あり
 

2020年8月14日(金)
日限り日記

 「政者正也」
 論語は古語だから現代語に翻訳してもよく分からない文章がある。
 例えば「政者正也」(顔淵)。読み下し文では「政なる者は正なり」と読まれるがどういう意味か分かりますか。この文の下に「子帥以正、孰敢不正」という文が続くが。
 注釈書の訳を原文に忠実なものから意訳に及ぶものまで順に書いてみる。
 
 「政とは正です」(金谷 治 1963年出版)
 「政とは正です」(井波律子 2016年出版)
 「「政」の字の意味は「正」であります」(加地伸行 2009年出版)
 「政治とは正義のことです」(宮崎市定 2000年出版)
 「単刀直入に言うと、政治とは正義そのものです」(高橋源一郎 作家 2019年出版)
 「人の不正をただして正しきに帰せしむるが政なり」(安井小太郎 明治時代の出版、祖父が使っていた本)
 
 注釈者は翻訳方針として原文通り翻訳するか意訳するかのどちらかを選んでいるのだろうが、金谷訳や井波訳では読んだだけでは分からない。
 
 後文の「子帥以正、孰敢不正」を宮崎訳で書いておく。
 「貴方が身をもって先んじて正義を行えば、どこに不正をあえてするものがありましょうか」
 
 現首相はいい面もあるが論語の教えるところからみれば問題点が多い。首相は優れた倫理感を持ってさえいればいいというわけではないだろうが、「人柄が信用できない」という批判が多いのは、国民の倫理観が健全であることを示していると思う。
 
 
  しはぶきも地を這ふ戦没慰霊祭
 
 
 
 

2020年8月11日(火)
日限り日記

 [芥川賞作品]
 文藝春秋9月号に芥川賞作品が載っている。この号が面白いのは、選考委員の声が聞けるからだ。小説の読み方の一端に触れることが出来る。
 遠野遥の「破局」を評価している選考委員は平野啓一郎、小川洋子、堀江敏幸か。平野の「他者への共感能力を欠き、肉体的欲望以外は、自律的に他律的ともいうべき主人公の造形」「文体には力があり物語の進展とともにいよいよ冴えてくる」、小川の「彼は肉体を通じて自己と関わるときだけ確信を味わえる。肉体を離れた途端意識のよりどころを失い絶えず外部の視線を気にして自問を繰り返すようになる。もしかして恐ろしいほどに普遍的な小説なのかも知れない」、堀江の「ゴールまでの距離感のしっかりしている作品」「徹底的して自慰的な主人公の自前のマナー厳守には笑いを誘われる」という感想には共通したものがある。
 私もこの「破局」は面白いと思った。その面白さを、このように捉えて表現する力が自分にあるかどうかどうか。多分ない。それは作家でもある選考委員が自分の作品でいかに表現しようかと苦しんでいるからこそであろうか。苦しんでいる者だけに与えられる他者を称賛する言葉。
 
 
 桔梗の蕾は明日に膨らんで
 

2020年8月8日(土)
日限り日記

 [少年と犬]
 多聞という名の迷い犬が主人公。この犬は元は岩手釜石市の女主人に飼われていたが、東北東関東大地震で主人公が亡くなったため迷い犬になった。拾ってくれる飼い主が死んでしまうのでつぎつぎに飼い主が変わる。いつも南か南西の方を気にしていてどんどん南の方の人に拾われる。
 途中多聞を拾ってくれた人は、泥棒であったり、仲の悪い夫婦であったり、娼婦であったり癖はあるが多聞によって心をやすめられる人でもあった。
 最後に飼われたのは熊本の発達障害のある子の家である。
 この家は昔釜石に住んでいたが、津波に遭い子供が海恐怖症になったので熊本に移ってきたのだった。
 そしてこの少年は釜石にいたときに多聞と遊び友達だった。
 やがて熊本も地震に襲われる。多聞は崩落する家の屋根から少年をかばって死ぬ。
 
 馳星周は昔「「不夜城」を読んで破天荒な主人公の生き方が活写されているのにおおいに驚いたことがある。この「少年と犬」は直木賞をとった作品だが、ここのところの直木賞受賞作品の中でも波乱の少ない比較的おとなしい作品のように思えた。しかし多聞も拾った人も優しい心の持ち主でしんみりした読後感を残した。
 
 
  芋虫を愛でてさなぎにさせし妻
 
 
 
 

2020年8月5日(水)
日限り日記

 [ホームページ作成技術]
 このホームページでは「日限り日記」は一月単位でまとめているので、月に一度新しい月のページを加える。
 最近ホームページソフトでフレームページ(左右のページを一ページで表示して関連付ける)を作ろうとすると「フレームはウエブ標準から削除された。今後ブラウザで動作しなくなる可能性がある」という警告が出るようになってしまった。
 このことについてホームページソフトの制作会社であるジャストシステムに問い合わせをした。
 フレームページがあまり使われないという時代の変化に合わせた改訂である。対策はテンプレートを使えばいい、テンプレートを使えレスポンシーブという機能が加わってホームページがスマホからもきれいに見えるという利点もある。最近ホームページはパソコンよりもスマホで見る人の方が増えているから変更を前向きに捉えて欲しい、とのこと。
 今使っているクラシック版よりも、sp版の方が簡単だ、今のホームページを作り替えるために閑な時に勉強しておいたらどうかという提案。
 2006年ホームページを作ったときから同じ技術に寄りかかってきたが、その技術に足をすくわれるのか。やれやれやっかいな新しい問題が出てきてしまった。
 
 
   核兵器禁止を言はぬ被爆国
   
   
   
   
 
 
 

2020年8月2日(日)
日限り日記

 [中国語先生へ]
 ご無沙汰しておりますがお変わりありませんか。
 さて今学校ではオンライン授業を始めていると聞きました。
 私は突発的に発症する持病があり、予約して個人授業に通うのは難しくなってきたのですが、オンラインなら授業を受けられそうです。
 一度自習で勉強し終わった論語をまた第一章から先生について勉強できれば素晴らしいと思っています。
 私が使ったのは
 ・論語誦読本(中華書局)
 ・論語注釈及解釈(インターネット)
 で、今回もこれを使いたいと思います。
 できれば1週間に1時間勉強したいと思いますが、体力によっては2週間に1度になるかも知れません。
 また、持病が起こった場合突然その日になって授業が受けられなくなったり、途中で打ち切ることになるかも知れませんがその点はあらかじめお許しください。
 
 私の事情を申し上げましたが、先生のご都合なりお考えをお聞かせください。
 
 
  暫くは悟らぬつもり夏籠り