2020年7月30日(木)
日限り日記

 [スピーカー]
 デスクトップパソコンを使っているが、テレビもそうだが薄型になるとどうしてもスピーカーも薄くなるので音が貧弱になる。そこで評判を調べてYAMAHAのスピーカーを付けて使ってきた。
 今度中国語学校の夏休にオンライン遠隔方式により映画の台詞の聴き取り勉強をするという講座が出来た。コロナ対策のためだが、夏は暑いしこれなら私でもやれるかも知れない。
 試しに教材になる「親愛的新年好」をYOUTUBEで見てみたが台詞が全く聞き取れない。語学力不足が原因だが、人間の声がスピーカーに籠もってしまうように感じられた。パソコンのイコライザーで調整してみたが今ひとつである。
 ネットで調べてみたらYAMAHAのこの機種は音楽を聴くにはすごくいいが人間の声はクリアに聞こえないから語学勉強には向かないという評価が見つかった。そこでいろいろ試して台詞のはっきりするlogicoolのスピーカーに変えてみた。
 人間の声ははっきりしてきたが、これで聞き取れないのは語学力の問題であることが一層はっきりした。
 それだからこそ勉強するのだが、今年の夏休みに恥をかくべきかどうか決めかねている。
  
 
 夏籠りや疫病神のせいにして
 
 
 
 

2020年7月25日(土)
日限り日記

 [zoom俳句教室]
 午後初めてzoomでの遠隔俳句教室に参加した。
 映っているのは先生だけで何人参加しているのか分からない。教室のときよりも先生の独演会の様相は強くなる。教室なら句に不明なところがあると先生が直接本人に質すこともあるが、zoomではそうはいかない。講評が終わって質問をどうぞと言われてもキーボードを叩いて質問することになるので難しい。
 コロナ感染症の状況に鑑み、しばらくは教室ではなく遠隔授業方式でいくとのこと。東京圏ばかりでなく広く全国から参加できるという利点があるとのこと。
 私としてもそろそろ引き時かなと思っていたが、遠隔授業方式ならもう少し続けられそうだ。
 もっとも今日の講評で私の句だと分かった後に先生にこの句の作者は前から教室にいる人だと言われてしまった。俳句入門教室だから長くいるのがいいとは限らない。もうあなたはこの教室にいる必要がありません、と言われて辞めた人は2010年この教室が開かれて以来一人だけいる。
 私は到底そういう卒業は出来そうにない
 
  
   炎天へ走り高跳び反り返る
   
   
   
   
   

2020年7月21日(火)
日限り日記

 [羊頭狗肉]
 最近はもっぱら電気シェーバーで髭を剃る。
 3年ほど前にそれまでの国産の3枚刃からやや高級な5枚刃に変えたのだがどうもしっくりこない。髭が濃いいのでバリバリと剃って(刈って)欲しいのだが洗練されているというか当たりが柔らかい。
 そこで今回もっと原始的なものを求めてみた。ドイツ製の入門機であまり機能はついてなくただバリバリと剃ってくれそうな素朴な感じのする機械である。
 ネットで注文したのは3250という機種で、届いた箱にも3250with clean&charge system(3250,洗浄充電機及び洗浄剤付)と書いてあるのだが、開けてみたら3050と書いた機種が出てきた。
 販売店の電話は相変わらず繋がらない。そこでメーカーに問い合わせたところ、決して間違いではないという。生産打ち切りになった3050の評判が良かったので、品番名と付属品を変えて限定販売をした。
 3250も3050も同じものだから安心して使ってくれと言うことだった。それならそれでも良いかと了承した、安心したのではなく面倒になってこれ以上の追求は止めたということ。
 夏本番前なのに暑い日が続くことでもあるし。
 
 
  佐久の鯉東御(とうみ)の巨峰そして風
 
 
 

2020年7月18日(土)
日限り日記

 [プロムナード]
 日経夕刊の「プロムナード」今期の執筆者は、小山田浩子、北大路公子、佐々木閑、春風亭一之輔、麿赤兒、神田茜、とり・みきである。誰一人として今まで聞いたことのある人はいない。でも一巡して安心した。面白い。執筆者を発掘する日経の眼力に驚く。
「プロムナード」は知らない執筆者の方が面白い。知っている人は面白くない。例えば「前立腺歌日記」の四元康祐。アメリカ、ヨーロッパに永く滞在し最近帰国した詩人には期待が大きかった。実際に長く住んだ人にしか書けないヨーロッパ論で、内容が濃かったが濃い話を面白く書いて欲しいと思った。
 日経の夕刊はこの「プロムナード」と、最後のページの「こころの玉手箱」、それと今は朝井まかての連載小説「秘密の花壇」があるので十分堪能する。朝刊しか取らない娘に勧めているのだが娘は朝刊の最後のページの「私の履歴書」と文化面が好きだからそれで良いと言う。一点重点で記事を書くスポーツ欄を含めて一般紙としても面白い新聞だと思います、日経は。
 
 
 紫陽花のいつまで咲けといふのやら
 
 
 
 

2020年7月16日(木)
日限り日記

 [友人との電話]
 久し振りに友人に電話をした。特に用事があったわけではないが。
 のっけから、どちら様ですか、と聞かれて不安になった。以前ならば、もしもしの声ですぐ分かる仲だったのに。
 話したのは、健康状態、仲間内の様子、最近読んだ本(彼は多和田葉子)、俳句の様子などだった。特に用事はないと言ったが、実は今後俳句をどうするか考えを聞いておきたい友達なのだ。
 彼らの句会は3月から6月まで休んで7月から再開したが、主宰が高齢なのでコロナを怖がっていて気勢が上がらない。それでも昨日は葛飾柴又へ吟行にゆき、山本亭で芭蕉門下の鈴木松什の話を聞いた。俳句は自分は今まで通りずるずる続けるつもりだが家族から句集は出しても読まないと言われているので出さない、と彼。
 僕は、句会は遠隔句会になって今迄とは違った形で盛んになっているが僕は面倒なので参加していない。俳句を続けるべきかどうか迷っている。家人にホームページに残している句数は多すぎるので何句か選んで紙に残していってと言われているが、最近俳句に力が入っておらず良い句がないので句集を作る気力が湧かない。句集は全盛期でないと作れないと分かったが手遅れ感あり。句集らしきものを作ったとしても家人向けの限定版で君のような達人には進呈しない、と言った。
 滑舌が悪くなり家人から普通に話したのでは他人は聞き取れないわよと注意されている。この電話でも君に何度か聞き返されたので改めて家人の言うとおりだと思い知った、と言った。
 彼は、実は耳が遠くなって補聴器を付けていると言った。
 電話での息づかいでさえお互いに相手の考えが分かるような関係だったが、それは遙か遠いものになった。
 
 
 友人に誰何(すいか)されたる晩夏かな
 
 
 
 
 

2020年7月13日(月)
日限り日記

 [古くて新しい香り]
 昨日ネットで買ったものが続々到着する。
 1.「合理的にあり得ない」柚月裕子。
 妙な題名だが本に飽きたときの柚月頼み。
昨日の新聞で井上荒野が韓国ドラマにはまっているがそれは「物語爆弾」が視聴者の意に沿って気持ちよく仕掛けられているからだという話をしていたが、柚月裕子は主人公は多分こういう行動を取るだろうという読者の願望を裏切らない。それだけなら予定調和に終わってしまうが、柚月はその上でさらに一歩突き進むのが素晴らしい。
 2.芝生の除草剤
全く芝生の中のカタバミには参る。除草剤を買っただけでは(使わなければ)カタバミは征伐できないのだけれど何もしないよりはせめて買うだけでも。
 3.電動生け垣バリカンの替え刃
19年前のものだが、マキタは替え刃を用意している。本体は、音とか振動が改善されているようだが軽量化は実現出来ていない。それなら今のでも大して問題はないので刃を替えて使うことにした。うまく替えられれば良いが。小学生時代失敗を重ねたことにより、長じてからはこの種のことで失敗したことはない。
4.妻のローション
 結局初心に返って一番入門的な化粧水が良いのですとのこと。
 
 
  香水や古くて新しき香り
 
 
 

2020年7月10日(金)
日限り日記

 [昔の辰吾]
 読みたい本はきりなくあるが、見たい映画もきりなくある。そして最近ではそれがBSプレミアムなどのテレビで見られる。時間を無駄にしないためには何を見るか、事前の情報が大切だ。
 映画ではないが20年前のテレビ劇「愛していると言ってくれ」もよかった。主演をした豊川悦司、常盤貴子の今の対談が同時に放映されたが、主演の豊川が聴力障害者で話が出来ない役だったからこそ豊川がよかったのだとあらためて思った。
 2,3日前見た相米慎二の「翔んだカップル」も面白かった。こちらも現在の鶴見辰吾がビデオ対談で出てきて、当時はなにも考えないで演技したが今思うとこうやればよかったと思うシーンが沢山あると言っていたが、冗談でしょう、1980年のこの映画の辰吾が圧倒的に良い。これが初主演だという薬師丸ひろ子はその後の方が良くなったと思ったが。
 他人様の批判ばかりをしていては申し訳ない。私も高校1年生の時から付けている日記があって時々必要があって読み返すが、字も内容も思っていたよりずっと良い。映画の鑑賞文も書いているが今よりはるかに深く観ている。
 とすると15歳からの6,70年間は何だったのだろう。
 何かこれをやりたいと思うことがはっきりしている人はそれに向かっての挑戦の過程であったはずだ。平凡に組織に属したのでそれなりに上を目指したがそれが本当にやりたかったことだったのだろうか。この期に及んでも残る人生自分は何をやるべきか思案している有様だ。
 昔の自分を思ったよりよかったなど言っているのは進歩がない証。鶴見辰吾が今ならもっとうまくやれると言っているのは、当否はさておきむしろあっぱれと言うべきかも知れない。
 
 
  炎天をイカロスならん飛翔体
 
 
 

2020年7月7日(火)
日限り日記

 [塩分]
 コロナウイルス感染予防のため毎日の食材は生協の宅配を使うようになった。一週間に一度の配達だから当然冷凍食品が含まれる。
 しかし、この3ヶ月使ってみて分かったことは冷凍食品は塩っ辛いというのが我々夫婦の感じである。感じだけかと思ったがここに昨日食べた有名食品会社の「かに焼売」の栄養成分表示があるので見てみると、一個(30g)当たり食塩相当量0.36gとある。
 老人の健康のためには1日あたり食塩量は4g前後に抑えるのが良いとされている。「かに焼売」一個0.36gは多すぎるのではないか。
 冷凍保存技術のためにそれだけの食塩量が必要なのだろうか。メーカーに聞いてみたがそうではなく、美味しさのためらしい。レタスを巻いたり鍋に使うことで塩辛さがなくなるのだという。健康のためにという判断はないのかについては返事が貰えなかった。
 日本人は食塩を採りすぎると言われているが、そのことが冷凍食品にも反映されている。
 このままではウイルス感染予防は出来ても食塩を取り過ぎて健康を損なってしまうかも知れない。
 

 大神(おおみわ)の一の鳥居へ大西日
 
 
 
 

2020年7月5日(日)
日限り日記

 [経済学を味わう]
 「経済学を味わう」(東大一・二年生に大人気の授業)を読了。
 経済学とは経済学者が10人集まれば11通りの答えがあるほど千差万別なのだそうだ。要は読者が何を期待しているかによるだろう。
 最近の経済学は市場に任せておいたのでは十分でない、人びとを幸福にするためには政府が介入しないとだめだという点では共通している。しかしそれでは達成すべき幸福な社会とはどういう社会だろうかとなると当然ながらいろいろ考えが異なる。
 この本でいう経済学とは、世の中の因果関係、相関関係を解きほぐそうとする試み、と見た。データ分析や計量経済学と言ったところで数式が頻出する。現状を解析する技術は進んだが、移民問題やデリバティブのように現状の経済も複雑さを増している。なかなか追いついていけない感じだ。
 面白かったとは言えず、ためになったとも言えなかった、1年かかって学ぶ授業を10日ぐらいで「読み通す」というのが図々しい企てだったろうが。国の財政問題は、経済学の埒外にあるらしいのも期待とずれていた。まあ期末試験を受ければ赤点だったでしょうね。
 一番よかったことは、もう少し踏み込んで経済学を「読んで」みようかという気になったことである。
 とりあえずアジット・V・バナジー&エステル・デュフロの「絶望を希望に代える経済学」(社会の重大問題(貿易戦争、格差社会、移民、環境破壊など)をどう解決するか)を購入した。
 
 
  梅雨出水山を崩してたぢろぎぬ
  
 
 

2020年7月3日(金)
日限り日記

 [仏は猫背]
 狭い家で妻とすれ違うたびに背が小さくなったと冷やかされる。
 病院に身長計があったので測ってみたら、178.5センチ、つまり最高期より1.5センチ縮んでいる。それだけだと思いたいが実は測定するときに背中を伸ばさないと測定器にぴったり背中が着かないというのが分かった。つまり普段はずっと猫背になっているのだろう。一番楽な姿勢で測れば3センチぐらい縮んでいるかも知れない。猫背でしかも胸が薄くなりお腹が太る。これは大変だ。
 
 寒椿仏も少し猫背なり      岩淵喜代子
 
 グラジオラス仏像どれも腹太し
 
 
 

2020年7月1日(水)
日限り日記

 [問題は解けたのですが]
 働き方改革のせいか、コロナ対策のせいか「お客様サービスセンター」の電話が掛かりにくくなっている。
 新しく購入したパソコンキーボードに不具合が生じたので購入した販売会社の相談センターに電話したがまず繋がらない。電話予約制度というのがあるが月曜日に予約すると先方から掛かってくるのが金曜日である。とても待てない。
 販売店の保証書をよく読むとパソコン類はメーカーのサービスセンターに問い合わせよとあるのでキーボードメーカーのお客様サービスセンターに電話をしたが、よく聞き取れない日本語の関門が二つあり、やがて技術スタッフに繋ぎますと言った後は、ただいま電話が混み合っております、というメッセージが流れるばかりだった。
 これを2日ほど繰り返した。
 自分でやれることはネットの検索で同じ症状の対策を探すことだ。
 こちらの方はどうしてこんなに親切に教えてくれるかと疑うばかりに事例と解決方法が掲示されている。精粗いろいろな情報を組み合わせれば解決案が浮かぶかも知れない。今回も一応これでいいのかという方法をやってみて、不都合は起こらなくなった。
 ベストの解決案ではないかも知れないという不安は残るが、正しいかどうかは別として機能すれば良しとするのがブラックボックス多きデジタル社会を平穏に生きる術なのかも知れない。
 高校時代の数学の時間に、問題は解けたのですが説明は出来ませんと言って教師に失笑されたこと思い出した。
 
 
 アナログもデジタルもみな夏霞