2020年6月28日(日)
日限り日記

 [やるべきこと]
 1. 犬柘植の垣根のカット
 2. 笹征伐、根が深く大変、どうしたら良いのだろう
 3. スズラン掘り起こし(笹に侵入されたのでやり直し)
 4. ジャーマンアイリス掘り起こし(これも笹にやられた。これを機会に石灰で土をアルカリ性にしないといけないらしいがこれは大変)
 5. 芝に肥料遣り
 6. 笹へ除草剤を試す、うっかり植木の犬柘植やアベリアを枯らしてしまわないように。
 7. 水道栓パッキング取り替え、6カ所、部品は調達済み

 8. 「家の人びと」完成。今原稿を親戚に読んでもらっている。
 9. 句集作成、直近に良い句がないので心が怯んでいるが。
 10. パソコン買い換えを検討する(23.5インチから27インチ、サービスのよい富士通からデザインのよいHPへ)。
 11. スマホを買い換える(秋発売のペン入力の出来るものへ)
 12. 本を読む
    ・「経済学を味わう」
    ・「世界経済図説」

   小さな庭だが、庭仕事多し。今日は雨で出来ない。
   
   
     梅雨空や雲のカタログいつも晴れ

 
 

2020年6月26日(金)
日限り日記

 [経済学を味わう]
 「経済学を味わう」を読んでいる。これは東大1,2年生に人気の授業という副題がある。中を見ると、市場の力(公共経済学)、国民所得と配分(マクロ経済学)、世界の貧困削減に挑む(開発経済学)などいわゆる近代経済学一色である。いやもう近代経済学とは言わないのかも知れない。
 今から70年ほど前、私たちも同じ時期に「経済学」の基礎を学んだ。そのときの先生は「経済原論」が相原茂、「経済学史」が玉野井芳郎だった。いずれもマルクス経済学だと思う。いや当時は、一橋大学には中山伊知郎以下近代経済学の学徒が集まり始めていたが、ほかの大学ではマルクス経済学一色だったと思う。東大では「近経」は3.4年の経済専門課程に木村健康、古谷弘などがいるだけだった。
 相原や玉野井の講義はとても面白かった。資本、労働、利潤、搾取などマルクス経済学の用語が当時の若者の社会体制批判に心地よく響いたのだと思う。しかし、当時は高度成長の出発点にあったから、マルクス経済学では世の中の経済活動は説明できないし、世の中を進歩させることはできないと思えた。そこで中山伊知郎の著書やサミュエルソンの教科書を読み、3,4年なってからは、学部は違ったが木村健康の近代経済学の授業を取ったりした。
 今「経済学を味わう」読んで、経済学はより実践的になってきたと感じる。だけどこれで若者の持つ格差感、日本社会のガラパゴス感などを解析払拭できるだろうか。かつてのマルクス経済学が持っていた社会的不公平への熱い義憤が感じられない。経済学が技術に終わって良いのか。
 
 
 昼顔の女盛りをちょん切りぬ 
 
 
 
 

2020年6月23日(火)
日限り日記

 [皐月職人]
 大学同級生7名による句会もネットになっている。5句の投句を一覧にして配るだけで、投票はしないで各人感想をメールで述べ合う方式。句会のハラハラドキドキ感に慣れた者にとっては気の抜けた句会だが、やってみると、個人別に並べられた俳句を、作者の人物論と合わせて論じ合う趣もあり、これもありかと思う。
 コロナ籠もりを俳句によって救われたというオタクもいるが、相変わらず締め切り直前に作る者など様々。
 今回の兼題は「コロナウイルス関連」。どんな句がでるかと思ったら面白い句もいくつかでた。
 
  鳥帰るコロナ籠もりの窓高く
  二メートルあけて結べり鯉幟
 
 など。
 私は次の句を出したが「皐月職人」を皐月躑躅(サツキツツジ)を扱う植木屋と考えた人と「五月人形」を作る職人と考える人が出た。自分勝手な造語はいけない。反省しました。
 

  コロナ戦皐月職人凱旋す
  
  
 

2020年6月21日(日)
日限り日記

 [ハイパーインフレーション]
 第二次大戦後の日本は、激しいインフレーションとなった。
戦前基準で東京小売物価指数を見ると、昭和9年から11年を1として、昭和16年1.72、20年3.08、21年18.93、22年50.99、23年149.6、24年243.4、26年309.5などとなっている。
 昭和20年対比で昭和26年の物価指数は100倍というハイパーインフレーションになっている。私の父は昭和20年に死亡したが、インフレ直前に支払われた父の退職金は月単位で価値が少なくなり、二年後には生活の足しにならなくなっていた。家父長になった祖父は家の維持に絶望的になった時期があったようだ。
 大半の経済評論家は、今のような国債依存度が歳入の56%を占め、国債の既発行額がGDPの二倍近いような世界でも異常といえる財政運営をしていると、いつとは言えないが必ずインフレーションが来る。この状態でひとたびインフレ―ションが来るとハイパーインフレーションになるのを統御することは出来ない、と言っている。
 私達が老後のために用意してきた資金はあっという間に紙くずになるのである。
 一方、人びとが政府を信頼し続けること、人びとが経済に成長期待を一切抱かないことという条件下でのみ、インフレを起こさないで国債を発行し続けることが出来るという人もいる。とてもあり得るとは思えない条件(一人あたりGDPが韓国の下になって良いですか)だが、例えそうだとしてもこのような国民の消極姿勢に国の経済の行方をつなぎ止めるとは如何にも情けないことである。
 現状の国の財政が危機的状態にあること、脱却するためには過大な国債依存から身の程に合った財政に戻す必要があること、そのことが日本を再び力強く成長させていく唯一の道であることを国民に説き、政権の二つや三つは潰れても仕方がないという覚悟で国を正常化させる総理大臣が次の総理としては必要なのではないか。
 そんな総理大臣はいないというなら日本は転覆する。
 
 
 葉隠れを打ち落とされし実梅かな
 
 
 

2020年6月19日(金)
日限り日記

 [日本のコロナ経済対策と今後の財政再建]
 BSフジプライムムニュースで、片山さつき自民党総務会長代理、藤巻健史経済評論家、小幡績慶應大学大学院准教授がコロナ後の財政について論じていた。議論の中から私に関心がるところを拾いだしてみる((  )内は私見)、
1. 今はコロナ禍による経済の落ち込みをいかに建て直すかが焦眉の急で、財政再建を論じることは経済再建の意気込みに水を差すことになるので論じないほうが良い(片山さつき・・・・こういう知ったかぶりが問題を先送りさせるのでないか)。
2. 国債の発行残高が1100兆という巨大なものになっている。単年度新規国債発行額が90兆円で予算の歳入の56%が国債である。安倍政権になってから8年間で国債残高が180兆増えている。この20年間にアメリカでさえ名目GNPが3倍になっているのに日本は1.2倍である。
3. なぜそうなったかと言えば、国が財政・金融で手を差し伸べて問題を後に先送りにしているからである。
4. 財政再建をするためには、消費税30%は必要であるが、これを公約に掲げたら政党は選挙で惨敗する。つまり国民に借金を自分たちの世代で解消しようという気持ちがない(政党がいい顔をして問題提起をしていないだけではないか、国民は心配していると思う)。
5. 国民に経済成長は追い求めなくても今程度の生活が出来れば良いという気持ちがある。しかし、今の生活は国債で借り入れをしているから成り立っているので、仮に国債を発行しなければ年金や医療費をカットする必要が出てきて生活が苦しくなる。そうなれば経済成長を求めて税収を上げ生活を良くする以外になくなる。今は借金をして良い生活をしているに過ぎない。
6. このままでいけばどうなるか。
・国民が税金などで返済するには額が大きすぎてできない。
・国または日本銀行が破産する(今アルゼンチン政府がやっている国債債権者との交渉がそれか)
・ハイパーインフレになって国の借金は実質的に少なくなるが、国民の財産はおおいに毀傷する。
7. コロナ時の緊急対策は別として、国が余計な支援をしない方が良い。経済成長は民間の力によるしかない。国が財政支援をすればこれに安んじて成長しなければならないという切迫感を損なうことになる。日本の経済力低下の原因は国の温かい支援策にあると思う。
 以上は主に藤巻、小幡の意見で、片山は政治主導でいろいろなスキームを用意してあげれば経済成長が出来るがいまは緊急対策に全力を挙げるべきだという問題先送りの政治家の一人に過ぎなかった。
 
 私はかねて子供たちが将来の自分たちの年金について不安を話すたびに日本国を信じなくて誰を信じるのか、と言ってきた。しかしあまりに国債依存度の高い財政運営に内心強い不安を感じている。今回の議論からは、時期は分からないがやがて確実に財政は破綻するかハイパーインフレになると思わざるをえなかった。そして、それでも国を信ぜよとは言えないかも知れないと思った。
 
 
  コロナ菌払はん早苗強く揺れ
 
 
 
 

2020年6月17日(水)
日限り日記

 [コロナ危機対策費用]
 コロナウイルスの感染拡大で経済活動が収縮している。国際通貨基金は世界経済見通しで2020年の世界成長率を-3%と予測し1930年代の世界大恐慌以来の景気後退になると警告している。
 このため各国とも大型の財政出動と金融緩和を打ち出している。日本では一律現金給付、休業補償や資金繰り支援などなど。支援は与野党の提案競争になっているほか、国の間の競争になっていて、安倍首相は世界でも誇るべき支援の額であると胸をはっている。
 財政赤字が急増しても支援すべきことはやむを得ないのは確かだが、それでもこの財政の負担をどうするのか全く議論されないというのは不安である。将来こういう負担をしてもらいますよ、と言えば単純な支援策拡大競争に走らないかも知れず、支出についてももっと厳しい管理を行うべきだという議論も出てくるのではないか。
 東日本大震災では18兆円の復興費のうち11兆円が個人所得税増、個人住民税増、法人税増など復興特別税すなわち増税で賄われた。今回のコロナ対策費用は50兆円を超すと言われているがこれを誰がどう負担するのか。増税するとしたらいつからか(つまりあくまで現世代で負担することの宣言)、所得税なのか消費税なのか全く議論しなくて良いのか。
 本来負担という嫌なことでも言うべき責任があるのが財政当局なのだが、いまは森友問題の文書改ざんでほとんどの国民の不信を買っている財務省は到底発言できるような情況にない。学者やマスコミでもあまり聞かない。牽制がないから与野党とも人気のとれる支出増の話ばかりしている。少しでも制限的なことを言おうものなら国民の敵になってしまう雰囲気だ。
 多分毎年の予算で恒常的赤字の解消策が等閑に付されているから、コロナ危機の対策費も巨大な赤字の一部にしか感じられていないのではないか。しかしそれで良いわけがない。一つ一つ解決していくべきである。
 巨大な財政赤字があってその解消策が論じられないこと、成長率が1%台と先進国にあっても低いこと、一人あたりGNPが低いこと、日米安全保障条約の下で自立した防衛力を持ち合わせていないことなど、日本はあまり楽しくない国になろうとしている。
 厳しい現状を説明し国を正しい道に乗せる指導者が待望される。
 
 
  半夏雨ソーシアル・ディスタンスにも倦みて
 
 
 
 
 

2020年6月14日(日)
日限り日記

 [ドナウの旅人]
 宮本輝「ドナウの旅人」上下読了。
 昭和58年から60年にかけての朝日新聞連載小説で長編。
 既婚の50歳の女が17歳若い男と出奔。ドナウに沿った長旅で最後は黒海に至る。小説によれば沿岸の共産圏の国は生活が貧しく庶民に明るさがない。宮本は事前に綿密な取材旅行をしたというから当時宮本が受けた印象であろう。
 私は同じ頃ハンガリーまでは行ったがその先のルーマニア、ブルガリアは行ったことがない。ハンガリーではドナウ川の船でトカイワインを飲みパブリカソースのビーフシチューを食べて遊覧したが川から見える立派な建物は皆王政時代のもので、社会主義国家になってからのものは貧弱だった。車もボディの鉄板ががたつき排煙をまき散らす東ドイツ製の旧式なトラバントばかりだったが、今はヨーロッパの先進車製造国になっている。
 今ルーマニア、ブルガリアはどうなっているのだろう。
 
 

  皇帝の建てし建物夏灯
 
 
 
 
 

2020年6月12日(金)
日限り日記

 [独ソ戦]
 「独ソ戦](大木毅)読了。ヒットラーが絶滅戦争と規定したこの戦争は、従来の勝ち負けを決め負けた方は降伏をして地域の一部を譲渡するという戦争とは違った様相を呈した。相手を絶滅させ領土を全部奪い取る戦。戦死者はドイツ800万人、ソ連1000万人とも言われており、太平洋戦争の日本の戦死者が300万人と言われるのに比べても壮絶な殲滅戦争だったことが分かる。
 私がこの本で関心を持ったのは、いつからこの独ソ戦が準備されたかという点、なぜドイツの選ばれた将校達がヒットラーという兵士上がりの軍人に戦争指導ばかりか戦略指導までを壟断されたのかという点。
 本によれば、ドイツが英国に対して圧倒的に勝っていればソ連がヒットラーに組みして独日伊ソの四カ国枢軸同盟になる可能性もあった。ヒットラーは英国を降伏させることが出来なかったためソ連の領土獲得に方針を転じた。
 ソ連のスターリンはもともと対英不信感を持っていたが、米英に着かざるをえなかった、ということらしい。
 ヒットラーが何かするらしいと言うことは1940年から言われていたがスターリンはヒトラーが独ソ戦に踏み切った報を聞いてもなお信じなかったという。
 ナポレオンもヒットラーもロシアに攻め入って惨敗した。ヨーロッパ人にはロシアは与しやすいと見えるのか。エルミタージュ美術館を見ても外観はヨーロッパの建築のもの真似だし中の美術品もヨーロッパの画家のものばかりである。文化を低く見られるばかりでなく戦力さえも一枚下に見られていたのか。
 しかし事実はどちらも兵站が伸びすぎて戦力の補充が続かなかったことに尽きる。現地調達は現地国の協力なしには出来ない。なぜこのようなことが分からなかったのか、戦争はいつも楽観的な仮設で始められる。
 日本政府にも様々の情報がもたらされており、今ではヒットラーが独ソ不可侵条約を破棄することは明らかだったのに日本政府は信用しなかったという説が一般的だが、当時に戻ってみればスターリンでさえ驚愕したと言うことだから事前に予知することは難しかったということかも知れない。
 そう思いたいのは、私の父は社命を帯びて独ソ戦開戦の一ヶ月前、1941年5月ドイツに向けて日本を出発していたからである。
 本を読んだ結論は、人類は今後いつでも戦争を起こしうるということである。
 それにしても難解でかつ遠いヨーロッパの出来事に過ぎないこの「独ソ戦」が一時期日本の本の売り上げベストテンに入ったというのだから日本人の好奇心に驚く。
 
 
 五島列島けんけん跳びに走り梅雨
 
 
 

2020年6月10日(水)
日限り日記

 [愛していると言ってくれ]
 日曜日の午後は25年ぶりに再放映されている「愛していると言ってくれ」を見る。主演は常磐貴子と豊川悦司、北川悦吏子の脚本、ドリカム中村正人の音楽。耳の聞こえない画家と女優志願の女性の愛の物語。常盤貴子の一途さが良い。ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」が良い。全12話らしいが2時から5時まで3話ずつを二回だから6話まで見る。長いCMの時間は庭で雑草を取ってやり過ごす豪華な日曜の昼下がり。
 
 
 なほ太る力ありけり更衣


2020年6月7日(日)
日限り日記

 [アンソーシャル ディスタンス]
 金原ひとみ「アンソーシャル ディスタンス」(新潮6月号)を読む。
 面白かった。
 金原ひとみはなぜ面白いのだろう。
 リストカットとか自殺願望とかの主人公を登場させる、というかそもそも本人がそういう人らしい。一般社会から外れた弱い人間が弱い人間を書く、柔らかな人間が柔らかな人間を書く。
 文体も「・・・この世界が生きるに値する可能性を純粋に考えられているところが愛おしくて嫌いだ」「・・・とぼとぼと歩いている彼が大嫌いで好きだ」とかという表現をする。正しく分からないが分かる。
 この小説は「嫌だけれどもそつなくこなしてしまう」幸希と、「七転八倒しながらこれまで生きてきた」沙南の物語。はじめから二人の間に出来た赤子を掻爬した場面から始まる。
 世の中はコロナウイルス感染症で外出制限がかかっていて不自由な生活を強いられている。彼らは親からも認められていない。そういう窮屈な中にあっても二人はコロナが拡大を続ける東京の町で助け合って生きていこうとする。
 私が金原の小説で良いなと思っているのは性の描写なのである。実に自然で温かくて男女に分け隔てがなくていい。この小説でも惹かれるものがあった。人間はそのようにして死なずに生きていくのだと感得させられた。
 文学とは何だろうとか難しく考えることはすまい。人生はこうだから楽しいのだと感じる人がいればいいのではないか。
 
 
  コロナ禍中「独ソ戦」読む夏暑し
 
 
 
 
 

2020年6月5日(金)
日限り日記

 [誕生日]
 誕生日に当たって血族の寿命を調べてみた。
 対象は死亡しているもので3親等以内。最遠の死亡者は父系の曾祖父で明治41年、最近の死亡者は姉で平成27年。
 結果は、男子8名平均年令60.1歳。戦死者3名を除く5名平均年令77.6歳、最長寿者は85歳。
 女子は10名平均年令82.2歳、最長寿者は95歳。
 戦死者を除いていずれも日本の平均に近いと思う。
 戦死者には春秋に富む20台の者が二人いる。改めて彼らの無念を思う。
 
 
  ヒルガオの盛りを過ぎし誕生日
 
 
 
 

2020年6月3日(水)
日限り日記

 「約束の冬」
 宮本輝「約束の冬」読了。「10年後の12月5日僕が26歳になったときに岡山県の地図で示した場所で会いましょう、そこでは蜘蛛が空を飛ぶがみられるはずです。そこで僕はあなたに結婚を申し込む」という手紙を受け取った女と手紙を出した男の物語だが、むしろ男の父親の物語である。
 若い男女の話は面白いが、実業家の父親の話は、わざとらしい。
 宮本輝は「流転の海」第1巻で感銘を受けてから、「流転の海」9巻、「泥の河」「螢川」「道頓堀川」と読んできた。特徴は人情小説とも言える心に沁みる物語にあると思う。ただ長編小説の場合本筋の流れほかに些細な物語を付けすぎる。人間群の構成する人情物語になってはいるが、中途半端な支流の多い物語になっている。この「約束の冬」でももう少し本筋を掘り下げて欲しいと思った(沢山の賞を受けている作家に生意気なことを言って申し訳ありません)。
 そろそろ宮本輝は卒業しても思っていたが、今日ネットで「ドナウの旅人」を立ち読みした結果購入することにしてしまった。宮本魔術の虜になっております。
 
 
 老木の生死構はず若芽かな
 
 

2020年6月1日(月)
日限り日記

 [鳥の恋]
  朝7時散歩中に3メートル先公園の手すりで雀が交尾しているのを目のあたりにした。
  合計3分ぐらいか。雄はその間中大きく見せるためか相手を射止めた悦びのためか羽根も身体も震わせている。雌は身を固くして雄の乗るのを待っている。
  人のことなど全く気にしていない。雀といえども恋は盲目、無警戒。
  雄は瞬時交尾しては雌の身体から手すりに飛び移り、すすぐまた雌の背中に乗って交尾する。雌は雄が乗るとすぐに尾を片側に寄せて身(臀)を開く。交わること十数度、生殖に必要な回数なのか、悦びを求めて何回も交わるのか。最後は雌が雄を手すりに残して3メートルぐらい離れた木の枝まで飛んでしばらく高く鳴き続ける。天啓への感謝か、悦びか、お礼か、焦らしか、言い訳か、雌一般に共通したしぐさかも。
  翌日からカメラを持って通ることにしたが、雀は影も形もありませんでした。
 
 
 なんとまあ雀交はる十五回