2020年4月27日(月)
日限り日記

 [食材宅配]
 今日は生協の宅配第一回目。
 基本は一週間に一度の注文、翌週の配達、翌々週の代金引落しというサイクルになる。
 あらかじめ大判100ページ1000種類はあろうかという商品見本パンフレットが届くのでそれを見て注文する。食品は生、冷蔵、冷凍があるから一週間一度の配達でまかなえる。下着や化粧品はもちろん、爪楊枝まである
 見本のパンフレットは良く出来ているが実物ではないから間違うこともある。我が家では第一回目にお米2キロ注文するところを5キロに間違え、餃子10個を40個に間違えた。
 見本紙は紙かスマホのディスプレーである。注文した品物はスマホで一覧で見られ、配達の時間もスマホで教えて貰える。宅配料金は別途取られるが、宅配事業には膨大な管理費がかかっているだろう。しかしスーパーと違って店舗は要らないし商品を並べる人もレジも要らない。業態が大分違うが肝心の商品の鮮度や質はどうだろうか、それはまだ分からない。
 コロナウイルス感染予防のため買い物の外出を止めて宅配を頼むことにしたのだが、面積の広い中国ではコロナウイルス騒ぎの前から宅配が盛んだった。コロナウイルス以降ますます盛んになったが、宅配業者との接触を避けるために恐る恐るフェンス越しに商品の受け渡しが行われているという。確かに宅配業者は多くの人と密に接する。中国人は不潔な環境にあるから身を守る警戒心が強いが我々は案外無警戒である。今後注意しなければならない。
 正常に戻ればやはり毎日実物を見て買いたいという気持ちが戻るかも知れない。でも重いものは宅配が良いとなるだろう。
 

  校庭に立たされてゐるチューリップ
 
 
 
 

2020年4月25日(土)
日限り日記

 「黒い森」
 宮本輝「流転の海」第一巻が面白かったので、二巻を手配したが時間がかかる模様。来るまで宮本の「泥の河」「螢川」を読んだ。
 娘が「流転の海」は第一巻が一番良く、だんだんパワーがなくなってつまらなくいくというつまらない情報を流してくれた。たしかに「泥の河」「螢川」も剛毅な父親と弱い息子の物語という点で共通の物語ではある。
 まあしかし、楽しみにして第二巻以降を読み繋ごう。
 俳句の句会はスカイプやyou tubeによるオンラインの句会になる模様だが、遠隔会議の経験もなく不安なので参加しない。
 朝日カルチャーセンター4月の「一億人の俳句会」は休止となり長谷川櫂先生の書面の選考結果が送られて来た。
 二句のうち1句が入選「小学校同級生から木の芽和」。同級生の名前はみどりちゃんで実話である。みどりちゃんからそのとき送られて来た手紙も大切に保管してある。
 後の一句「父逝きしシュヴァルツヴァルト木の芽雨」はただの報告という評。その通りだが私にとってはどうしても残しておきたかった痛切な報告。
 私は小学校1年生で欧州に行く父を見送りそのまま5年生のとき死別した。宮本輝の父子とは違い深い思い出も葛藤も少ないが、第二次大戦のため4年間帰国できずに一人南独の「黒い森」で客死した父を想うと胸苦しくなる。
 
 
 父逝きしシュヴァルツヴァルト木の芽雨
 
 
 
 
 

2020年4月23日(木)
日限り日記

 [日本の感染症医療]
 日本は医療後進国だとは思いたくないが、今回のコロナウイルス感染症で分かったことは、日本は感染症に関しては後進国だと言うことだ。おそらく自国の感染症は統御されていると思って医者にとっては人気のない研究科目になっていたのではないか。日本の感染症学者は、WHOとか後進国で活躍をしている人が多いことでも分かる。日本人の特徴である「追随と増長」から先進国に追いついたのでもうこれでいいという増長があったのではないと思いたい。
 もっとも今回のコロナウイルス対策で抜群の能力を発揮した韓国は、隣国の化学兵器による侵略に日常的に対峙しているので普通の国とは違うという話であるが。
 そこに新型感染症が出たので我が国としては対応する人材、機材が不足して間に合わないのだ。
 出来るだけ発症を抑えて医療側の体制を整える時間を稼ぐという状況になっているのだと思う。
 うまくいくことを願うばかりだ。
 
 
 散り際の楊貴妃桜愚図愚図と
 



2020年4月21日(火)
日限り日記

 
 [一律10万円]
 政治問題はいわば一方通行のこのページにはふさわしくないと考えて避けているが一言言いたい。
 安倍首相が全国民一律10万円支給することに政策を転換したのには唖然とした。公明党や自民党に突き上げられて決めた決定のプロセスと財源の議論なき内容に不信感を持った。12兆円かかるとのこと。東日本大震災復興税では所得税の2.1%増を財源にして25年掛けて10兆円を捻出したが、財源の裏付けなしにこんな巨額のばらまきを、あたふたと朝令暮改で決めて良いのか。
 コロナウイルス感染症によって本当に生活に困っている人がいるのだからこのような人に集中し支援を行うべきなのである。方法が難しいとのことだが必ず出来るはずである。本来はこういうときこそ赤字国債を出して思わざる不況に巻き込まれた人々をきちんと救うことこそ政治なのだが、我が国の慢性赤字財政が本当に必要なときに力が出せないほど病んでいるのが口惜しい。これは財政の専門家を標榜していた宮沢内閣以来の政治の責任ではあるが。しかし、その中でもやれるだけのことをしなければならない。
 高額所得者や現在働いていない老人にまで10万円を支給するのは何の名分があるのか。外出制限に協力してくれたお礼とか消費刺激のためとか言われているが、それは次の段階の話である。閣僚がそろって受け取らないことを申し合わせたりするのは制度が歪んでいるからだ。
 結局自分が国民にいい顔をしたいためではないか。今まで森友問題にしろ桜をみる会にしろ宰相としての倫理観が決定的に欠けると思っていたが,政策の大綱は正しいと思っていたし外交など体当たりで頑張っているので当面安倍以外はいないと思って支持してきた。しかしこのような浮き足だったプロセスで、ばらまき政治、点取り政治をするならば支持するわけには行かなくなる。
 同じような案を提案しようとしていた野党も同罪であるが、野党が点取りに走るのは仕方がない。政治家はまず報酬も50%カットし300億円の政党助成金も返上すべきである。
 私は10万円はコロナウイルス対策医療基金が出来れば寄付する。ばらまきを可能にしている国債は以降買わないことにする。安倍内閣には右往左往することなくいまの重要な局面を全力で乗り切って欲しいと願うばかりだ。
 
 
 花一束流転の海を越へて来し
 
 
 
 
 
 

2020年4月18日(土)
日限り日記

 [テレビ電話]
 子供から顔を見ると安心だからと誘われて android,ios共通で使えるgoogle duoをインストールしてスマホでのテレビ電話を始めてみた。外国にいるわけでもないし要らないと思っていたが実際に顔を見て話すとそれなりに良い。どちらかというと話しが軟らかくなる。小学生の孫が祖父母と話したがるのも悪くない。
  wifiを利用しているので料金は只だそうだ。
 今日は駅前まで散歩。鴨居駅北口の狭いエレベーターはコロナウイルスが危険なので3階はあろうかという高い階段をゆっくりではあるが歩いて上った。やれば出来るのだ。何年ぶりだろう。
 今日の良い言葉。
 「化粧とは一本線を引くだけで内から大丈夫という魔法がかかるまじない」(安藤桃子)
 「こんなにも桜ありしか花どきの筑波の山はあはきくれなゐ」(栗田幸一 長谷川櫂選「四季」より)
 「全編に明るい諦めが満ちわたっている」(映画「八月の鯨」の感想 長谷川櫂)
 「海を呑み海に呑まるる鯨かな」(三玉一郎 「古志」連句より)
 


 人を呑み花のごとくにコロナ菌
 
 


2020年4月16日(木)
日限り日記

 [ノコギリ]
家には二種類のノコギリがある。一つは定番のノコギリ型をしたノコギリで、刃渡りは24センチ、両側に粗い目と細かい目が付いているやつだ。主に板の縦引き横引に使っている。
 もう一つは工作用の刃渡り15センチで刃は細かい目。Silky miniと書いてある。小さい割には良く切れるが工作用専用である。
 最近20本ぐらいある庭の垣根の柘植の木が枯れるようになってしまった。これからの若芽の時期に枯れ枝が混じるのは面白くない。柘植は切ると大きな穴が開きがちだが、2,3年我慢すれば枝が伸びてきて穴を埋めてくれるだろう。
 そこでネットで剪定、枝打ち用のノコギリを調べてみるとありました、家のノコギリとは違った専用ノコギリが。本当は実物を見た方が良いのだがコロナウイルスで外出禁止令が出ているので仕方がない、ネットで注文しました、silkyめばえ刃渡り24センチ。稼働率から言うとせいぜい一年2回か3回だろうが、苦手な庭仕事を専用道具で楽しくやってのけたい。
 ところで柘植はなぜ枯れるのか。枯れ防止策はないのか。ネットで調べると同じことで悩んでいる人は沢山いる。回答は樹齢、土壌(強酸性)、葉の密集、害虫など。要するに手の打ちようはないということのようだ。
 
 
 枯れ枝を呑み込む柘植の若芽かな
 
 
 
 

2020年4月14日(火)
日限り日記

 [カーヴァーズ・ダズン]
 「カーヴァーズ・ダズン」(レイモンド・カーヴァー傑作選)を読んだ。短編の名手と言われる人の作品だけに面白かった。
 ただ、12篇ともはじめに訳者の村上春樹の解説が1ページ付いているのが鬱陶しい。それが実に良い解説であるだけに出来れば終わりに付けて欲しいところだ。読む前から村上流の読後感を強いられているような気がする。親切すぎるのだ、村上春樹の小説の運びのように。もっとも本来は「村上個人選・レイモンド・カーヴァー傑作集」にしたかったように個人的色彩が強いことを特徴にしているのだから、仕方がないことかも知れない。
 なかでは、チエホフの臨終を書いた「使い走り」、父親のことを書いた「父の肖像」が良かった。「父の肖像」は中国の作家閻連科が父親のことを書いた「我与父輩」(父を想う)に比べてどうだろう。「我与父輩」では子供の家を作るために河原から石を運びつづける父親が書かれている。カーヴァーの父は仕事を探してアーカンソーからワシントンに歩いたり車に便乗させてもらってやってくる。貧乏から這い上がれない父、アルコール中毒で死んでいく父。
 小説の優劣とは別に東洋人とアメリカ人の家族主義と個人主義の違いまで考えさせられた。両方とも読み返してみたくなる素晴らしい小説(またはエッセイ)だ。
 
 
 アイリスの花びらレイ・カーヴァーの断編
 
 
 
 
 

2020年4月12日(日)
日限り日記

 [コロナウイルスとグローバリズム]
 家を西に向かって歩き鴨居大橋に乗って横浜線をまたぎ鶴見川の南堤に出た。このあたりの堤防や河川敷はいつもより家族連れが多いように思えた。今はコロナウイルス感染予防のためデパートや映画館、近所のららぽーとなど軒並み休みになっているからこうなるのか。しかし、この方が自然のように思えた。
 「グロ-バリズムの「復讐」が始まった」と題して佐伯啓思京都大学名誉教授は「今回の新型コロナウイルスで京都の町は静かに落ち着いた雰囲気だ。河川敷で臨時休校になった子供たちが楽しそうに遊んでいるのを見て「良い光景を見た」と言っている知人がいる」と述べている。
 彼は、このところの騒ぎはドタバタ喜劇を見せられているようだ。マスコミは何かと政府を批判するがその批判はあまりにも場当たりだ。今回の新型ウイルスはグローバリズムの完成形。グローバル経済が如何に脆いかを晒した。インバウンドもあまりにも急ぎすぎた、とも述べている。
 結論としては、新型ウイルスで「グローバリズム」がストップした現在の方がむしろ日常=正常な世界なのではないかと述べている(文藝春秋5月号)。
 この意見を朝日新聞は「異論」のすすめとして紹介しているし、コロナは一時のものであり克服されたら今まで通りグロ-バル化をすすめていかなければならないという意見の方が主流である。
 ところで現在社会は信用で経済が膨らみ、会議や委員会で時間が膨らみ、宴会や接待で遊びが膨らんでいる。不要不急の外出を止めようという政府の要請で今さらながら不要不急の仕事がいかに多いか、今の社会は沢山の虚業でなりたっているかを思い知らされた。
 効率化などは誰も望んでいない。個人は自分の欲望が満足されればそれで良いと思い、学者や経済人は自由競争を経て自然に世の中は調和されていくと思っている。
 それが自由主義だろうが、膨張した社会、膨張した自由主義を可能にしているのが借金漬けの財政だとすれば、決して自然の成り行きに任せているとは言えない。むしろ不自然な刺激によって成り立っている社会なのである。
 デモクラシーというのは統制主義強権主義に対して時間がかかり高く付くというのも目の当たりにした。そしてやがてこのデモクラシーも崩壊する可能性があり得るとも思った。
 
 
  初蝶や蝶の命のいかばかり
  
  
  
  
 

2020年4月10日(金)
日限り日記

 [老いてこそ生き甲斐]
 石原慎太郎「老いてこそ生き甲斐」を読む。
 自分のみならず家族の自慢が多いがこれは織り込み済み。内容にかなり重複があるが、
 「老いに対する立ち向かい術は、まず何よりも慨嘆しないことです。つまり自分には必ず明日があり、さらにまたその翌日もあるのだと自覚して、その日何をするのかを積極的に考え、その日の計画を立てて臨むことです。老いのもたらす怠惰のままに行き当たりばったりに過ごすことは、人生の無駄な消費でしかありはしない。
 どんなことでも計画を立てて、それをこなしていくことでささやかなりともの達成感が生き甲斐を育むのです。」
 に付箋を付けた。
 まあ、これは老人であろうと若人であろうと共通の真理だろうが。
 彼は昔は国会議員の青嵐会にあっていわば昭和の「尊皇攘夷」派であろうが、昭和天皇に対して、焼け跡を歩き回る姿が尊大で悲痛な表情が覗われなかったことに屈辱と心外を感じたと記している。「これからは敢えて太平の世を開きたい」というこの男のために身内が戦死したことを悲しんでいる。我々の時代の者に多い感情であるが、いまその感情をストレートに言えない雰囲気があるなかで石原は言ってのける。これが彼が我々の世代のヒーローである所以だ。
 このヒーローは、大江健三郎や村上春樹が国際的なクレジットを勝ち得ていることに比較して小説家としての自分の立ち位置に焦りを感じているが、それも運命と言っている。政治家として両道を歩んだことを言い訳にしていない。
 我々の世代のヒーローであるが故に二世代前の大岡昇平(明治42年生まれ23歳差)に比肩せざるを得ない。大岡もまた晩年情報発信(「成城だより」)の多い作家だった。
 結論は、少なくとも知識人としてはかなわないなというのが私の感想だ。知的水準で我々の世代が彼の世代にかなわないという謂である。
 
 
 小手毬を下るあたりの洋菓子屋
 
 
 
 

2020年4月7日(火)
日限り日記

 [古典日本語の世界]
 古代日本人はどういう言葉を話していたのであろうか。漢字という書く手段が導入されたとき、表記の仕方は時代や階層ごとに「漢文」「万葉仮名」「片仮名交じり漢字文」「漢字片仮名交じり文」「和漢混淆文」「平仮名・片仮名文」「日本式漢文」などがどのように使われてきたのか。いろいろ疑問が湧いてくる。
 いままでいくつかの本を読んだが、今回は「古典日本語の世界(一)」に続いて「古典日本語の世界(二)」を読んでみた。この本は東大教養学部国文・漢文学部会の編になるものであり東大教養学部の教科書として使われているものである。
 大和言葉や文章表記の問題は漢文学、国文学の共同作業によらなければ神髄に迫れない。日本は、文字も言葉も中国の大きな影響にあるのだということを、大学教養学部の必修科目で学ぶことは以前にはなかったことである。そうなってみれば素晴らしいことだと思う。
 漢字が導入されて以降の書き言葉の表記方法の時代的変遷についてはこの本で大体述べられている。源氏物語のようなカナ文字文学を生みながら、意外につい最近明治時代まで日本式漢文に傍点や音訓を付す文が使われていたことを知る。
 積年の疑問の、話し言葉としての大和言葉が、どのように話されていたのかは今回も分からなかった。どだい記録がない時代のものだから分かるはずがないのだが。
 
 
 竹の文字石の文字読む日永かな
 
 
 
 
 

2020年4月3日(金)
日限り日記

 [呼吸による癒やし]
 「呼吸による癒やし 実践ヴィパッサナー瞑想」(ラリー・ローゼンバーグ)を読んだ。2001年に第一版が出版されてから2017年まで18版を重ねている。
 
 何のための呼吸による癒やしなのか。
 「ストレスリダクションプログラムとして」
 「生命力がよみがえる健康法として」
 「呼吸をとおして宇宙の命とむすばれるため」
 「透き通った智慧が私たちの心に輝くために」
 
 出息入息に関する気づきでは16の考察がある。
 (身体に関して)
 1.「息を長く吸う」と知り、「息を長く吐く」と知る
 2.「息を短く吸う」と知り、「息を短く吐く」と知る
 3.「全身を感じながら息を吸おう。全身を感じながら息を吐こう」
 4.「全身を静めながら息を吸おう。全身を静めながら息を吐こう」
 (感受に関して)
 5.「喜悦を感じながら息を吸おう。喜悦を感じながら息を吐こう」
 6.「楽を感じながら息を吸おう。楽を感じながら息を吐こう」
 7.「心のプロセスを感じながら息を吸おう。心のプロセスを感じながら息を吐こう」
 8.「心のプロセスを静めながら息を吸おう。心のプロセスを静めながら息を吐こう」
 (心に関して)
 9.「心を感じながら息を吸おう。心を感じながら息を吐こう」
 10.「心を喜ばせながら息を吸おう。心を喜ばせながら息を吐こう」
 11.「心を安定させながら息を吸おう。心を安定させながら息を吐こう」
 12.「心を解放させながら息を吸おう。心を解放させながら息を吐こう」
 (智慧にかんして)
 13.「無常であることに意識を集中させながら息を吸おう。・・・・息を吐こう」
 14.「色あせてゆくことに意識を集中させながら息を吸おう。・・・・息を吐こう」
 15.「消滅に意識を集中させながら息を吸おう。・・・・息を吐こう」
 16.「手放すことに意識を集中させながら息を吸おう。・・・・息を吸おう」
 
 このほかに
 気づきの四つの基礎
 目覚めを支える七つの要素
 明知と解放
 等が紹介されている。
 
 何のための呼吸による癒やしなのか、またそのための出息入息16の考察は、大いに感じ入るものがあった。
 
 
  どこの家にもブタ公園の花びら
  
  
 
 

2020年4月1日(水)
日限り日記

 [企業の内部留保]
 この前までは企業の内部留保が厚すぎる、もっと賃上げをして吐き出させるべきだという声が、世間特に国会野党内で強かった。私は内部留保は私企業が将来の雇用を守ろうとするいわば国の社会資本の一部を代行するものだと思っているがそう言う人はいなかった。言っても分かって貰えないから言うだけ無駄だからだ。もちろん現役の経営者や労働組合の幹部などは分かっていることだが。
 今回のようにコロナウイルスショックで企業の操業が急速に落ちて赤字決算を強いられるとき、誰が企業を守ってくれるだろう、誰が従業員の雇用を守ってくれるだろう。民間では企業自身しかない。
 内部留保がなければ時間を稼げないから、業績の落ち込み即雇用の縮小、人員削減となってしまう。内部留保は個々の企業の私的雇用保障積立資金なのである。業績の変動幅よりも雇用の変動幅をできる限り少なくしなければならないが、それを可能にするのが内部留保なのである。国はそれによって雇用助成金を出さないで済んでいる。そんなことは経営者は分かっているから無責任な評論家や代議士の脅しなどに乗らない。そして今それが機能しているのである。 
 関電みたいなとんでもない不道徳な経営者がいるから世間から信用して貰えないが、経営のことは経営者に任せよ、ということである。
 
 花蘂に樹齢の証あるごとし