2020年2月28日(金)
日限り日記

 [緊迫の17日間-その2]
 昭和の大戦争時代、軍は兵器を強化するために軍需産業に対して高品質で安く大量に生産する体制を確立することを要望していた。このため軍需物資を作る工場に監督将校を常駐させるなどをしていた。
 ある民間会社ではこのような軍の要望に応えて、航空機用のアルミニウム製品(航空機用板材、プロペラやエンジンの鍛造品)の大量生産技術を導入するためにドイツに技術者を派遣することになった。
 私の父はアルミニウムの鍛造の技術者で、当時航空機の金属プロペラの開発に取り組んでいた。
 彼は社命でドイツに4ヶ月の出張を命じられた。目的はアルミニウム鍛造技術の取得と3000トンクラスの大型鍛造機械の購入である。
 昭和16年5月20日栃木県の工場発、29日日本統治下の満州国大連発、6月2日満州里でシベリア鉄道へ、6月5日シベリア鉄道クラスノヤルスク駅(一人で息子の誕生日を祝う)、6月8日モスクワ駅、6月10日ベルリン着。
 ドイツが日本に対して6月22日ソ連に向けて開戦宣言をすることを6月5日に通報してきたことは全く知らない。
 つまり、それを知った陸軍技術視察団が一斉に引き上げたかあるいは引き上げようとしているその時期のベルリンへ何も知らされていない民間技術者はのこのこと入っていったのだ。そして入国12日後に独ソ戦が勃発し、シベリア鉄道が閉鎖されて帰国できなくなった。
 民間技術者は軍の要望により渡独したのであるが、もちろん軍の命令ではなくあくまで企業の判断ではある。しかしその後も彼らは「在独日本帝国大使館付陸軍武官事務所」の管轄下に入って、知り得た知識を会社とともに軍にも報告している。そのような民間会社の人間に危機管理のための情報は全く与えられていなかった。それが官民の関係の実態であった。
 会社社長は開戦を知ってうろたえる技術者に、踏みとどまって落ち着いて初期の目標を果たすようにという訓令を打った。
 帰国不能の間、空爆による住居環境や食糧事情の悪化もあり父は結核を発病して、遂に帰国できなかった。
 
 
  黒き森から揚羽蝶(ひんがし)
 
 
 

2020年2月26日(水)
日限り日記

 [緊迫の17日間-その1]
 山内昌之、細谷雄一編「日本近現代史講座」第8章「南進と対米開戦」(森山優)によれば、ドイツは1941年6月22日にソ連への攻撃を開始したが、その情報は6月5日に同盟国日本にもたらされた。
 ドイツは不可侵条約を破棄して戦争に入ったのだが、当時ヨーロッパではその可能性についてマスメディアもいろいろ報道をしていた。しかし、軍事強国ドイツといえどもすでに始まっていたイギリスとの戦争と同時にソ連と戦うことはないだろうというのが大方の見方だった。しかしその見立ては間違った。
 日本に対する事前情報は誰から誰にもたらされたのか。そして受け取った日本政府はどのようにこの情報を取り扱ったのか、あるいは活用したのか。もし漏れたら世界の秩序が一変する第一級の情報である。当時も国際諜報活動が活発な時代だったから17日間秘匿は厳重を極めたはずだ。しかし、秘匿するだけで使わなかったら情報の価値がない。
 この疑問は公開された情報を調べれば明らかになるかも知れないが、今私にその力は残されていない。
 
 ところで、吉村昭「深海の使者」によれば、昭和16年2月、日本からドイツに陸海軍軍事視察団が続々と入国した。陸軍側は山下奉文中将、海軍側は野村直邦中将を団長として陸海軍技術権威者40数名によって構成された大視察だった。彼らはそこで驚くべき兵器技術(例えば電波探信儀・レーダー)を目の当たりにした。
 (中略)
 (6月に入って)陸軍側の視察団は独ソ開戦切迫の気配が濃くソ連との国境が閉ざされることをおそれ、団長山下以下団員は予定を早めてシベリア鉄道で帰国の途についた。19名の海軍側視察団は同コースをたどろうとしたが、6月22日ドイツ軍がソ連領内に侵入を開始してその望みを絶たれた。
 かれらはやむなく、イタリアの双発機に便乗、ブラジルに赴いて二班に分かれて帰国した。
 
 「深海の使者」から推測すると、6月5日にもたらされた情報は、なんらかのかたちで陸軍の山下奉文中将には伝えられたに違いない(著者吉村昭が言及していないのは執筆された昭和48年当時この情報がまだ公開されていなかったからであろう)。山下はその後に起こった太平洋戦争でもシンガポールを陥落させた将軍であるなど陸軍のいわば中心的役割を果たしていた超重要人物であった。ドイツは山下がベルリンに滞在していることを知ってそのために日本に事前に機密情報を教えたと言えないこともないのではないか。海軍は蚊帳の外だった。
 というのが私の推測である。

 

   足上げて学徒出陣薄氷
 
 
 
 

2020年2月24日(月)
日限り日記

 [新型ウイルス性肺炎]
 毎月新宿で行われる俳句教室を欠席。新型ウイルス性肺炎警戒のため。
 政府や都は不要不急の会やイベントは中止と言っている。カルチャーセンターの講義は不要不急のものばかりだから、不要不急で休講としては、経営が成り立たなくなるのだろう、各自気をつけて出席してくださいという達しである。最善の策は自衛して欠席するしかない。
 3月の大学のクラス会句会、4月のクラス会総会はともに延期と連絡が来る。予想以上に皆の、特に老人の警戒心を呼んでいる。
 
 柚月裕子「臨床真理」読了。
 正義感溢れる臨床心理士佐久間美帆の活躍。
「虎狼の血」「最後の証人」「検事の本懐」「検事の死命」「あしたの君へ」などの検事ものやヤクザもの家裁調査官ものと違って知的障害者対するセクシャルハラスメントの事件であり読み続けるのが辛かった。
 この本は「このミステリーがすごい」大賞を取ったとのことで、物語の進め方はこの著者特有の義憤と正義感の通ったものだったが、ただただ対象が辛い対象であっただけに、私は好まなかった。
 

 大穴を残し柘植垣繕ひぬ 
 
   
 
 

2020年2月21日(金)
日限り日記

 [ダイソン掃除機]
 ダイソンのスティック型掃除機が届いた。
 我が家にはコード式の掃除機のほかに、スティック型のコードレス掃除機があるが、コードレスは埃は吸うが少し体積のあるゴミは吸い取らない。ダイソンはコードレスでも吸い取り力があることは分かっていたが、妻が使うには重すぎるのと値段が高すぎるので買えなかった。
 今回日本規格と称する40%軽いものが期日限定で割安で買えることになったのでこの機会に購入した。
 使ってみるとやはりなかなかの優れものだ。埃・ゴミをよく吸引する、部品の組み立て分解が簡単である、マニユアルガ分かりやすい(10ページでほとんどが絵表示)。取り付けねじなどは付いていないなど無駄なところがない。購入後の電話やネットでの相談もやりやすい。なによりも新しいテクノロジーを使ったコードレス掃除機の先駆者でありながら先頭を走り続けているところがいい。難点はやはりまだ重いところ。
 家電製品はかつては開発も生産も日本がトップランナーだったが、パソコン、スマホ、掃除機、羽なし扇風機など品質を別にすれば新規性では海外品の方が魅力がある。
 出来るなら日本発の製品を買いたいが魅力のある製品がない。残念だし心配だ。特許の出願件数や研究論文がすくないなどと同根の問題点である。
 
   五十年(ひいな)作りし背中かな
 
 
 

2020年2月19日(水)
日限り日記

[Y病院循環器科]
 突発性心房細動の持病の状態を定期的に診てもらっている。今回の受診で
「この病気に関して、あなたの希望が「現状で様子を見る」ということであれば、この病院ではやることがないので今後診ない。当院は重篤や緊急性の高い患者を診る病院だから。
 様子見なら町の医者にかかって欲しい。カテーテルアブレーションをするとかペースメーカーを付けるとか必要なときに来てください」
 と言われてしまった。
 理由は分かるが見捨てられた感もある。
 「突発的な発症にしろ発症すれば不安だし苦しいのだから、現状で様子を見るという選択をした患者を診て、より的確な発症予防法や治療法を編み出すのも、立派な先進的な診療ではないのか。
 派手な手術をすることだけが最善の方法とは言えないだろう」
 と言いたかったが、いつ世話にならないとは限らない医者には言えない。
 
 Y病院にかかってから20年、主治医の交代は8人、この間病院の性格に変わりはない。20年かかってきて現在転院を申し渡されたのは、私がもうどうなっても仕方がない高齢者になったからではないか。
 もっと若い人のための病院でありたいというならそれも仕方がないか。
 重篤や緊急性の高い人あるいは将来のある若い人を優先すべきという考えを理解する公共精神と大病院の管理の下で人生を全うしたいという自分の我が儘とが交錯する。
 
 
  雀化し(はまぐり)となり息速く
(注、「雀蛤となる」は秋の季語)
  
  
  

2020年2月14日(金)
日限り日記

 「今週の週刊誌」
 私たちの時代で経営者教育が出来る人は、松下電器を創業した松下幸之助だった。本では「松翁論語」「経営の物差し」「自分の幸せは自分で作れ」など。 経営者の条件として欠かせないのは「経営が好きだということである。経営が好きでない人は、絶対に経営者になれない。かりになったとしても成功しない」というのが私にとっては最大の指針だった。
 つぎには京セラや第二電電を創業した稲森和夫。「心を高める、経営を伸ばす「「成功への情熱」。その肝は「人間として何が正しいのか」「原理原則に基づいて経営する」。
 最近丹羽宇一郎が「社長って何だ!」を出版したらしい。それを新聞広告で見て不思議な感じを持った。創業者ではないが中興の祖のような際だった実績を上げた人だったのだろうか。本の題名から言って社長の仕事の紹介のようだが、章立てを見るとあるべき社長像を述べているようでもある。
 今週の週刊新潮の「私の読書日記」でRIZAPグループの瀬戸社長がこの本を取り上げて「丹羽さんの「私心、私欲を捨てよ」という言葉を読んで「常に自問自答しながらビジネスを進めなければならないと襟を正した」と書いている。

 若い人は書いた人が誰かではなく、どういう言葉であるかで評価しているということであろうか。
 ところで私たちの会社の同期会はこの20年ぐらい銀座7丁目の「サンミ高松」という店で年一回の総会を開いている。別にこの店でなくても良いのだがなんとなくこの店を離れがたい。値段は安いのだがフルコースを食べさせるし味も良いと思う。なによりボーイの給仕マナーが良い。
 今週の週刊文春で田原総一朗が「サンミ高松は客とのコミュニケーションを大切にするお店。我が儘も聞いてくれる。ほっとするお店」と褒めている。我々が選び、長い間代えていないのもそういうことであったかと改めて認識した。
 
 
  確定申告e-taxといふご印籠
 
 
 

2020年2月11日(火)
日限り日記

 [名訳]
  最近読んだ本:芥川賞受賞作「背高泡立草」。面白くなくて読了できなかった。前回の「むらさきのスカートの女」も面白くなかったが読了はした。純文学とは何だろう。
 「呼吸法による癒やし」(ラリー・ローゼンバーグ)、これは新聞で正木ゆう子が紹介していたので読み始めたが、良い本かも。
 呼吸法については、前に臨済宗の住職であり精神科の医者でもある川野泰周がマインドフルネスについて書いた「心の整え方」を読んだが、「呼吸による癒やし」はブッダの瞑想法に基づく本である。
 「日本近現代史講義」(中公新書)。特定の歴史観やイデオロギーに偏らず実証を旨とする、とあるので読んだが、14人の論者が分担しているのでダブりがある。日中関係などがダブりの典型。しかも実証によると言いながら、論者によりかなり内容が異なる。歴史は歴史観から完全に自由になれるのか。
 「一億三千人のための「論語」教室」(高橋源一郎)。これはやりすぎでかえって面白くない。「論語」は金谷治訳注(岩波文庫)はさすがに古くなったが、せいぜい伊波律子「完訳論語」(岩波書店)ぐらいが良いのではないか。
 もっとも高橋源一郎となれば、読む前からこのようなくだけた解説になるのは覚悟の上だけれども。
 
 かつて于武陵の「勧酒」
・・・・・
 花発多風雨  (ひら)いて風雨多し
 人生足別離  人生別離足る
 
  を、井伏鱒二は

 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 
 と訳し、この名(迷)訳があるからこそ知られるようになったが。
 
  
  啓蟄や土のものみな空目指す
 
 
 

2020年2月7日(金)
日限り日記

 [無料税務相談]
 新型肺炎で騒々しい。こんなときよりにもよって3ヶ月ごとの検診にウイルスの沢山いそうな病院に行くのはどうかなと迷ったが最終的には冬にはあたたかな日和らしかったので出かけた。
 泌尿器科担当ドクターはいつの間にか助教授になっていた。漢方薬牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)は効果がないからと断ったところ、3ヶ月飲まなければ効果は出ないと言われた。あまり薬は飲みたくない。1日13回、夜間3回、一回100CCで我慢することにするがどうかと聞いたら、助教授に、済みません、と言われてしまった。
 この次はアボルブを勧めたいとのこと。ホルモン剤を飲んで体調を変えるのはいやだ。まあ多分飲まないでしょう。
 
 コロナウイルスのことは忘れて病院の十一階にある帝国ホテルでパンケーキを食べる。家の近所の星乃珈琲に比べて味も形も上品なだけか。新国立競技場も神宮の森も美しかった。
 新宿御苑に向かったら、道路の入口にこの先の「税理士会館」で確定申告の税務相談を受けるという看板があった。
 今年は妻の臨時収入の税務申告の手伝いをしてあげなければならない。ちょうど良い機会なので、昼休みの待ち時間があったが、疑問に思うことを聞いてみることにして御苑のベンチで急遽質問案を作る。
 とたんにドキドキして頻脈100に襲われる。ほっておいても大丈夫な洞性頻脈と見なしてほっておく。30分ぐらいで収束した。なんだやっぱりほっておいて大丈夫なのだ、しかしこんな簡単なことでガタガタするやわな俺の心臓だなあ、と自らを軽蔑する。
 税務相談は資料を持っていないので限界はあったが疑問点のいくつかは解消した。
 
  立春の水に溶け出す水仙花
 
 

2020年2月4日(火)
日限り日記

 [LED電気照明灯]
 室内の天井シーリング蛍光灯の照明が壊れたので交換した。今は同じような形状では蛍光灯照明はなく全てLED照明になるとのこと。
 パナソニックの工事説明書は素人向けに懇切に書かれている。それによると取り外しも取り付けも簡単だが万一天井の強度が足らなかったり、天井を壊してしまうことになっては大変なので、取り付けは電気屋にやってもらった。旧照明の取り外しは自分でやってみた。
 電気屋は耐久強度を点検したりソケットのボルトを締めたりしたので標準の取り付け費2基2500円のほかに1100円いただきますといった。
 簡単に取り外し取り付けが出来ることで器具の交換が進むため器具製造会社はいいだろうが、電気屋の仕事はなくなる。電気屋にとって厳しい時代になっている。
 蛍光灯からLEDへ換えて良くなった点はよく分からない。明るさとか色がリモコンで変えられるなどは必要のない機能だ。
 ただひとつ良かったのは軽くなったことである。同じ明るさの照明器具が蛍光灯で3.4㎏のものが1.6㎏へ軽くなっている。昔の器具がこんなに重くこんな方法で天井につられていたかと知って驚いた。頭にでも落ちたら大変なことになるとことだった。
 
 立春や暗記せよとて六百句
 
 
 

2020年2月2日(日)
日限り日記

 [吉川三国志]
 吉川英治の「三国志」10巻を読了。
 面白かった。三国志と三国志演義を元に、吉川が自由に三国志を書いたことがよく分かった。吉川の編集創作の趣意はいろいろな場面で書かれているが、やはり第九巻で関羽の死(黄巾の乱184年、関羽の死219年)前を前三国志、死んだ後を後三国志と分類したことと、諸葛孔明の死(234年)を以て吉川三国志を終わりにした構成が光っている。関羽以降の人物は駆け引きが強すぎるし、諸葛孔明亡き後の人物はあまりに小物過ぎる。
 第一巻から第九巻までは曹操と関羽だろう。政治家・武将・軍師としての曹操、大豪傑の関羽。第九巻の前半から第十巻は諸葛孔明。諸葛孔明は妖怪変化、魔術師のごとき活躍さえする。それは劉備から託された凡庸な劉禅を支えるためにはやむを得ないところではあったかも知れないが、私には少し出来すぎではないかと思われ、好きになれなかった。
 先に東京国立博物館で開かれた大三国志展で「晋平呉天下太平」(晋呉を平らげ天下太平)という一行の碑が残されていることを知った。すなわち西暦280年魏呉蜀ともに滅び西晋が起こったことで三国の歴史は終わりとなった。
 この魏呉蜀滅亡の推移(蜀の滅亡263年、魏から晋へ265年)を知りたいという読者の思いはある。これに答えるため、吉川は篇外余録を書いている。これが誠に簡易して要を得た余録で、この余録を書くために、諸葛孔明が死ぬまでの三国志を延々と語ってきたかと思わせるほど出来映えである。三国志の一部とするには少し概説であり過ぎるのは確かだが余録も吉川の立派な三国志である。結局こういう構成で良いのだろう
 構成を含めて堪能した。
 史実を知るため陳寿の「正史三国志」を読もうかと思い魏書第一巻を購入したが、私が本当に読みたかったのは史実ではなく吉川三国志であったかも知れない。
 
 魏呉蜀の境はいづこ薄氷