2020年1月29日(水)
日限り日記

 [俳句は入門できる]
 俳句の善し悪しは選者によって違う。
 高浜虚子時代は、善し悪しは虚子が選ぶかどうかにかかっていたが虚子のあとは指導者が乱立して指導者の数だけ俳句の善し悪しの基準も増えた。
 毎週日曜日のNHKの俳句の番組を見ていてもそう思う。選ばれる句は選者によってが実に異なる。
 私としては番組の今の選者の中では、長嶋有の選らんだ俳句が新鮮だし面白い。ほかの選者にはない句が選ばれる。多分長嶋有好みの投句がなされるのだろうけれども。
 ということで長嶋有の句集「春のお辞儀」を買って読んだが、これがつまらなかった。面白い感じ方をする人、面白いことを面白がる人、面白がらせようと努める人である(池田澄子)ことは分かったが、どうだ面白いだろうと言われているような句ばかりだ。選者としては人の選ばないような選び方をするので面白いが、作者としては目立ちたがりすぎるということか。
 俳句は所詮「わざわざ作る」のだが、わざわざ人の気がつかないところを探し回って作るばかりでは、読み手が疲れてしまう。
 しかし今回「俳句は入門できる」という長嶋有の本が出たので買ってみた。立ち読みして「俳句は一人でも出来る仕組みだ」という一行に惹かれて買ったと言って良い。
 私はいまやささやかな知的競争である「句会」の競争にさえも疲れて、一人で作って楽しめるかという問題意識から先週は「日曜俳句入門」という投句だけで俳句を楽しむ本を買った。「俳句は入門できる」を買ったのも同じ心境からである。
 しかしこの本は得るところはなかった。
 わずかに
 ・こんなの詩ではないという言葉は嘘。詩はその人が詩だと見なしたものはすべて詩。
 ・俳句はわざわざ作るもの
 ・俳句は一人で作って楽しめるが、バッティングセンターでボールを打つ楽しみでしかない
 などが気になったフレーズ。
 選ぶ句は相変わらずよい。
  凧ひとつ浮かぶ小さな村の上(飯田龍太)
  切れ凧のなほ頭を立てて流さるる(鷲谷七菜子)
  降りてくる凧の目玉の勇ましき(山科誠)
  
  
 
 

2020年1月24日(金)
日限り日記

  [関羽の死]
 関羽が死んだ。
 今吉川英治三国志全十巻の第九巻を読んでいる。ここに至って遂に関羽が死を迎えた。いずれ死ぬことは分かっていたが、関羽のいない三国志をこの先読み続けるべきかどうか、気力が萎えようとしている。
 三国志に登場する劉備、曹操、孫権、張飛、袁紹(えんしょう)、孔明などのなかで、私が一番好きなのは関羽である。2メートルを超える大男で兵一万に匹敵し、(ひげ)が美しいので美髯公(びぜんこう)と呼ばれた。単純でおだてに乗りやすい欠点はあったが、信義を守る英雄だった。
 守屋洋の「三国志の人物学」では「劉備に仕えた義将」と張飛とまとめて書かれているが、まとめて記されるような人物ではないはずだ。
 吉川英治は「ひとたびその荊州(けいしゅう)の足場を失ってはさすがの関羽も、その末路の惨、老来の戦い疲れ、描くにも忍びないものがある。全土の戦雲今やたけなわなる折りにこの大将星が燿として麦城の草に落命するのを境として、三国の大戦史は、これまでを前三国志と呼ぶべくこれから先を後三国志といってよかろうと思う」と書いている。何よりも関羽に対する敬意の表れと言っていいだろう。
 関羽を捕らえた呉の大将呂蒙(りょもう)陳寿(ちんじゅ)の記述(原書「三国志」)によれば「初めは勇にはやって殺戮をこととするだけの武将にすぎなかったが、のちに苦心努力してよくそれらの欠点を克服した。もはや単なる武弁ではなく国士の器というべきである」。
 吉川の三国志でも呂蒙は荊州を奪ったあと温かく民や関羽軍の家族を保護した。そういう人物ならば関羽が敗れるのもいたしかたないと読者に思わせてから吉川(元は陳寿かも知れないが)は関羽の首を刎ねた。
 仕方がない、勇をふるってあと一巻を読み継ぐことにする。
 後三国志は吉川によれば「劉備玄徳の遺孤を奉じて五丈原頭に倒れる日まで忠涙義血に生涯した諸葛孔明が中心となる」と言う。
 諸葛孔明はあまり好きではないが残り一巻先に進むことにしよう。
 
 
  山茱萸(さんしゆゆ)の花のかかれり美髯公
  
  
  
  
 

2020年1月21日(火)
日限り日記

  [大学入試センター試験問題]
 大学入試センター試験問題を解いてみた。
 手に負えそうなのは国語、英語のみ。
 国語は4題あって、初めの2題が現代国語、あと古文、漢文が一題ずつである。
 問題は全部で35問、現代文が20問で多い。採点は4題等しく50点ずつだから読まされる文章量も少なくてかつ問題が少ない漢文や古文から始めた方が効率が良い(一問8点などと単価が高いから間違うと失う点も多いが)。
 漢文は去年は杜甫といえども本当に心情を表すときには韻を踏まなかったという素晴らしい内容のある問題だったが、今年は漢詩でつまらなかった。
 現代文は今年は河野哲也「境界の現象学」からと原民喜「翳」からである。論理的な文章と文学的な文章からの出題ということになろうか。現代国語の問題は、古文、漢文に比べて読まされる文章の量が二倍から三倍ある。まあ実にだらだらと書いている。だらだらと長い文章を根気よく読む能力を試しているのか。
 論理的な文章は良いとしても、文学的な文章はときどき入試にふさわしい文章か疑わせるものがある。今年の原民喜の文章は、主人公が名前を変えて登場したり時間が前後するので分かりにくい。分かりにくくすることで文学的香りが増すとも思えない。問題はまるで判じ物を解かせるような問題だ。国語力とはなにか、問題を作る側に誤りがある。
 日本語は明晰に簡潔に書くことを良しとしないといけないのではないか。少なくとも入試の問題に採用される文章がだらだらと長い文章では、こういう文章が良い文章だと青年に錯覚させてしまう。
 我々の時代で言えば、大江健三郎でなく、石原慎太郎の文章を良しとしないといけない(両者とも一時代前の大岡昇平などに比べれば悪文家だと思うがそのうちでは)。
 自分で採点した結果あまり点が良くなかった腹いせもあるでしょうが。
 

  老人も解いてゐるなり大試験
 
 
 

2020年1月19日(日)
日限り日記

  [アシュケナージ引退]
 朝刊にヴラディーミル・アシュケナージ(82)がすべての演奏活動から引退するという記事が載っていた。右手の不調が原因とのこと。
 手元にあるCDを見ると、ショパン(名曲集、ノクターン)、ラフマニノフ(ピアノ協奏曲2.3.4番)、ベートーヴェン(ピアノ協奏曲3番、ピアノソナタ)、ブラームス(ピアノ協奏曲1番)などがある。バックハウス、リヒテル、アラウ、アルゲリッチ、ツィマーマン、ポリーニ、ポゴレリチなどもあるが、アシュケナージが多い。
 ピアノ演奏や指揮を聞きに行ったこともある。ピアニストとしては洗練された技巧と奇をてらわない素直な演奏で安心して聞けるし、指揮者としても人を驚かすような演奏はしないがこれこそが曲の正しい解釈なのだと思わせる。外見も小柄で飾らない人で、いつか指揮台に上がろうとして躓いて楽団員に助けられたときのはにかんだ少年のような顔が忘れられない。
 結局何か聴こうとするとアシュケナージになる。その中で特に何と言われれば、ショパンのノクターン1番、19番、20番。
 そのアシュケナージが遂に引退するのか。
 彼を越えるピアニストは過去にも未来にも私にはいない。
 改めて我が人生も引導を渡された思いだ。
  
  
  霜酒やアシュケナージの夜想曲
  
  
  
 

2020年1月17日(金)
日限り日記

 [様々な三国志]
 連続テレビ劇「三国志(Secret of Three Kingdoms)」全54回が終了。
 後漢末期の献帝は双子の兄弟の兄であり、弟は司馬家で司馬懿と一緒に成長した。やがて兄が病死したが、皇后は漢王朝を断絶させないため兄の命令によりそっくりの弟を皇帝に成り変わらせる。それがSecretだという物語。
 魏の曹操は献帝の成り変わりに不審を抱きつつ漢王朝にまれな優れた皇帝として利用する。弟献帝は実力者曹操と結んで殺戮のない平和な時代を築こうとする。
 曹操の死後曹丕が魏公となるが父の威光に欠ける。しかし献帝は民の生活の安定を望み、戦を嫌い皇帝の位を曹丕に譲る。
 史実と重なるところは残すから、皇后伏寿が父伏完が曹操に反逆した廉に連座して処刑されるとか、司馬懿が曹操曹丕の親子に仕えながらやがて魏を滅ぼすということは生かされる。
 しかし物語としては、伏寿は毒薬を力を殺ぐ薬を服用していたため、生き返って弟献帝と穏やかな老後を暮らすということになる。
 物語であるため先が読みにくく伏寿役のレジーナ・ワン(万茜)が美しく可愛かったこともありハラハラしながら54回を堪能した。目的の中国語の聞きとり練習はほとんど出来なかったが。
 ちなみに触発されて読んでいる吉川英治の三国志は今第6巻(全10巻)だが、これも史実を曲げることはしていないがかなりの部分は吉川英治創作の物語らしい。この中にこのような記述があった。
 「原書三国志の辞句を借りれば、この勇将(趙雲のこと)が涙を流して(肝脳地にまみるとも、このご恩は報じ難し)と再拝して諸人の中へ退がったと誌してある」。
 しかし編集部の注書きに「ここでの原書三国志は、湖南文山「通俗三国志」を指す」とある。
 三国志も様々である。

 

  魏呉蜀の境どこまで薄氷
  
  
  
  
  
  
 

2020年1月11日(土)
日限り日記

 [スマホで健康管理]
 このところ病院へ定期検診に行ったときに計ると血圧が160などということがある。
 家で計ると120ぐらいでむしろ低いと思っていたのですが、と答えて家で健康管理の資料に当たってみたが、記録として残っていない。
 そこで最近まで入っていたジムで入退場時に血圧や体重を量っていたことを思い出して、ジムのある横浜医科学センターに見せて貰えるか聞いたところ、1年以上前のデータは規約で廃棄することになっているので残っていないという。
 やむなく家の資料を繰ってみたら、2005年のジムのデータの写しが出てきた。何かの理由で貰ったに違いない。
 データによれば採取回数は6月から10月までで9回、血圧の平均は106―54mmHg、脈拍数は56回、体重は72.2㎏。15年前だから現在と比べて血圧で20mmHg、体重で5㎏違いがある。この変化が普通であるかどうかは分からないが。
 人頼みではだめなことが分かったので、自分でデータを残すことにして、ちょうど古くなったので血圧計と体重計を一新した。新しい機械は測定するとデータが自動的にスマホに転送されて過去からのデータも一覧で見ることが出来る。
 何のためにそんなことをするのか。
 自分で出来るものは自分で身体を制御したいからである。
 この程度であれば、血圧(下げる)も体重(減らす)も脈搏(増やす)も歩けばより良い値になるのでは。管理すればさしあたって現状よりも悪化させないことは出来る。
 
 
  なほ朱に染まりて妻の初湯かな
 
 
 

2020年1月7日(火)
日限り日記

[今年の計画] 
まあ、年計と言っても去年のものをコピー・アンド・ペーストし手直しをするぐらいのものだが。
1. 定期検診の病院を東京の大学病院から近所の手軽な病院へ変える。
2. 原稿の出来ている「家の歴史」の印刷。
3. 俳句:もう少し作句に力を入れる。結社の機関誌の掲載句を増やす(目標句数は非公開)。カルチャーセンターの俳句教室頻回入選。
句集はまず自薦200句、300句を選んでみるか。
  心構え:「たゆまず作って結果に頓着しないこと。人の良い句を読むこと。それこそが俳句の心であって、これはプロの俳人も同じである」(正木ゆう子)
4. 中国語:「論語」完読したのであと何を読むか。個人レッスン再開したいが時間を約束するには健康不安があるし、好きな先生に老醜を曝したくないという気持ちもある。
5. 万葉集:人麻呂歌集
6. 国内外小旅行(アンコールワット、台湾、高千穂)、海外は妻のことを考えても無理かも知れない。
7. ホームページ充実
. 田舎の墓地をどうするかは後世に委ねると決めていたがもう一度考える。
. 読みたい本:デモクラシーの宿命(猪木武徳)、世界地図を読み直す(北岡伸一)、ノースライト(横山秀夫)、曹操、卑劣なる聖人(王暁石石石)、月々変わるが。
10.眷属の中の男性ではもはや最長寿となっている。女性では母と祖母に並び、曾祖母に一歳劣る。今や健康に長生きすることこそが人生の目的になっているのか。
 
   添書きを幾たびも読む年賀状
 
 
 
 

2020年1月4日(土)
日限り日記

 [読初めは三国志]
 今テレビではBS放送で三国志「軍師同盟」と「三国志(SECRET OF THREE KINGDOM)」が放映されている。「軍師聯盟」の方は毎週水曜日に2回2時間、「三国志」の方は月曜日から金曜日まで1時間ずつで、それぞれ80回、50回の放映である。
 内容は全く異なる。「軍師聯盟」の方は初めの頃は曹操と司馬懿(しばい)の物語だった。司馬懿は自分で足の骨を折っても曹操に仕官するのを免れようとする。司馬懿は一方後継としては三男の曹植(そうしょく)でなく、二男の曹丕(そうひ)に継がせようする(長男は謀殺された)。現在はすでに曹操は死んでいて、後を継いだ曹丕と司馬懿の物語になっている。
 司馬懿は長らえて結局孫の司馬炎(しばえん)魏呉蜀(ぎごしょく)三国を統一した西晋(せいしん)の王朝を作ったことが歴史的にはっきりしてりから、テレビの物語もその線上で見ることができる。
 「三国志(SECRET OF THRE KINGDOM)」は、漢王朝の末期の物語である。漢の献帝(けんてい)が若くして病死したが献帝の皇后(伏寿)は漢王朝を長らえさせるため死を隠して双子の弟に献帝になりすまさせる。
 弟皇帝は魏の実力者曹操と袁紹(えんしょう)を見比べて、漢王朝のためには曹操とお互いを利用し合うのが良いと判断する。曹操は替え玉と知ったからには皇帝として認めることは出来ない。自分が皇帝になりたい野心があるからなおのことである。
 皇帝替え玉は歴史にはない物語なのでずいぶんハラハラさせられる。歴史上は父親(董承(とうしょう))の曹操のへの反逆が露見したため娘の皇后伏寿も曹操によって斬首させられるので、これから物語でもそういうことになるのだろう。皇后を演じるレジーナ・ワン(萬茜飾)のファンになってしまったので、見続けるのが辛いが。
 はじめは中国語のヒアリング勉強のために見ていたが、今は物語にはまってしまって、吉川英治の「三国志全10巻」を求めたほどだ。
 ちなみに横山光輝の漫画「三国志」も面白いらしい。この漫画の中国語版(台湾出版)が東方書店のホームページに出ていたので求めようと思ったが、無断版権使用らしく日本の書店としては台湾に注文できないという。中古市場にも出ていないので今のところ入手は諦めている。
 漫画の台詞が語学の勉強にとても良いのは、鄭問(じゃんうぇん)の「東周英雄伝」で分かっているので求められないのは残念だが致し方ない。
 よその国の物語より自国のとも思うが、古事記、日本書紀を通読した現在ほかにあるだろうか。
 
 
  読初めは吉川三国志第五巻
  
  
  

2020年1月2日(木)
日限り日記

 [不易流行]
 近所の杉山神社に初詣。夜中には長い列ができるらしいが、昼間も30人ぐらいは並ぶ。
 
 大晦日は紅白歌合戦を見た。
 その年を代表する歌は一新している。もはや昔風の演歌は石川さゆりの「津軽海峡冬景色」ぐらいで、五木ひろし、氷川きよしの演歌は新しい演歌になっている。
 俳句は日経新聞の俳句の総括で去年の代表句として関悦史が上げた俳句が
 六月に生まれて鈴をよく拾ふ
 鰯雲朝は早くも夜を待つ
 
 であり、分からない俳句が主流になる気配がする。
 小川軽舟の
 駅弁を家に食ひつつ日の永き
 のような俳句は現在の俳人には到底できない俳句と関悦史に言われてしまっているように、5年前の俳句とは明らかに違っている。
 もっとも芭蕉はそれまでの俳句を革新した革命者であったし、今や伝統俳句の骨格をなす存在の高浜虚子は世に出た当時はそれまでの俳句を革新した人だったそうだ。当時の人には分かりにくい俳句であったかも知れない。
 初詣に行っても、ネクタイや革靴を履いた人はいない。ダウンコート、ジーパン、スニーカーである。
 時代は生活、文芸などすべての面で大きくうねりながら変わっている。
 このような時代にあって老人は二つの選択ができる。すなわち今までと同じマイペースで生きるのか、時代の変化に合わせて生きるのか。
 私は、できるならば今までの自分を失わないようにしながら、自らが骨董品になることなく、時代の変化にも付いて行きたい、不易流行で行きたいと思っているのだが、浅学非才にして虫の良い生き方が果たして可能か。
  

 あらたまのつぎつぎ出来る波頭

 
 今年もどうかホームページをよろしくお願いいたします。