2019年11月26日(火)
日限り日記

 [クラス会句会]
 年に4回の大学クラスメートの句会。参加者6名、欠席投句1名。
 句暦20年の人もいればこの句会のためにのみ句を作る人もいる。
 20名のクラス会で誘っても最大10名しか集まらなかった(3名はその後逝去した)から、俳句を作るということだけでも得がたい人々。
 
 今日の私の得票は6票で良くも悪くもない。
 提出した5句中点の入らなかった句は2句。
 「栗毬にしなふ天井鼠寺」
 鼠を寄せ付けないために天井に栗毬を載せたり、鼠の穴に栗毬を詰めたりするのは昔よくやったこと。
 「毬栗に鼠の忍ぶ妻戸かな 召波 (春泥発句集)」
 しかし、何のことか分からなかったという者が多かった。分かったとしても「しなふ「は大袈裟だろうとのこと。
 
 「濁流を見やりし林檎弟より」
 見やりしが分からないとのこと、ごもっとも。これは木の上の方に付いている林檎を詠んだもの。今年信州は千曲川氾濫などで林檎が被害を受けた。しかし被害を受けなかったところの林檎は豊作であった由。
 なお農家には天災をうけたときのための「収入保険」なるものがあることを知った。この保険には国の支援もある。加入要件や保険金を受ける要件やら非常に厳しい由。世の中は天災被害といえども単純ではない。保険会社は損失が出れば翌年国のお墨付きを得て一斉に料率を上げる結構な商売、と言う声があった。メンバーには損害保険会社の役員もいたが逝去していないので欠席裁判。反論もあるはず。
 
  
  林檎豊作濁流の隣村 
  
  
  
 

2019年11月23日(土)
日限り日記

「愛と欲望の三国志」
 三国志オタクから始まったと言っている箱崎みどり著、とても面白かった。しかし表題は全く内容と異なる。より正確に言えば「日本の中の三国志」か。
 陳寿の史書「三国志」が書かれたのは陳寿の生存した233-297年。羅貫中の物語「三国志演義」の刊行は1522年。
 「三国志」は、「日本書紀」(720年)、「万葉集」、「太平記」の中にも登場し、「三国志演義」は特に江戸時代には歌舞伎、浄瑠璃、小説などいろいろな形に変えて世の中に浸透し、知らぬ人なし三国志であった由。劉備と孔明が交わる春画もあったそうだ。
 諸葛孔明は忠義の人として明治時代の国定教科書に載った。また日中戦争時代も三国志ブームだった。吉川英治の「三国志」が書かれたのはこの時代だった。
 ちなみに従軍した兵士たちには中国の雄大さに感心したり中国人の家族と自分の家族を重ね合わせたりして中国人に憎しみをもてない兵士がいたとのこと。吉川英治も中国を訪問して中国に対する理解の必要性を痛感して帰ったとのこと。
 日本の中での浸透ぶりは分かったが、これは日本固有の現象なのか、漢字文化圏の台湾、朝鮮半島、ベトナムではどうだったのか気になった。
 この本によれば、「三国志」の入り方は子ども向けの「三国志」から入り、吉川英治、柴田錬三郎、陳舜臣の「三国志」へ進むのがよかろうとのこと。

 私は中国語の青少年向けの「三国演義」を読んだ後は、井波律子「三国志演義」「カラー絵図判三国志」「ムック本三国志」「三国志地図」「中国歴史地図絵巻」などを読み、読んでいないが手元に中国語「三国志選」(陳寿の「三国志」の原文の一部)がある。
 この本によれば日本の「三国志」は吉川英治、柴田錬三郎、宮城野昌光、北方謙三などのものすべて、「三国志」と「三国演義」を読みこなし、作者なりの史観に立って創作されているという。
 「三国志」の最後は、中国語版を読むのではなく、吉川英治でという気にさせられた。
 
   星落秋風五丈ヶ原
   丞相(じょうしょう)(諸葛孔明)病篤かりき     土井晩翠
  
  
  
  
 

2019年11月21日(木)
日限り日記

 「1日1ページ読むだけで身につく世界の教養365」
 世界で大分売れているらしい。本屋で見たら面白しそうなので買って読んでみた。
 これがなかなか手強かった。曜日毎に「歴史」「文学」「芸術」「科学」「音楽」「哲学」「宗教」の七分野に別れて1ページほど書かれている。ということは一分野52講ということか。特に私の場合は「科学」「哲学」「宗教」などが弱いようだ。
 たとえば、「宗教」ではトーラー、カバラ、ハシディズム、「視覚芸術」ネフェルトイティの胸像、ハギア・ソフィア、「科学」エラトステネス、超新星、ミルグラムの服従実験などは聞いたこともないような項目である。
 もっとも、聞いたことはあっても正確には分からないとか、ある程度分かっていても深くは知らないなどを選べば、かなりの数になる。かなり分かっている項目などはごくごく少ない。
 しかし、全く聞いたことのない項目と、名前だけは知っている項目とでは私の脳裏では大きな差がある。名前を聞いたことがあれば少しほっとし、知らないと不安になる。
 ということは、教養とは何か、教養が身についているとはどういうことなのか、思惟の深みに陥ってしまう。
 簡単に言えば、名前を知っているぐらいの教養でも全く知らないよりはすこしは面白い生活が出来るということか。教養というのは言葉でいう単語みたいなもので、知らないよりは知っている方が深く考え深く表現できるということか。
 
 
  富士の雪富士の心の色したる
  
  
  

2019年11月18日(月)
日限り日記

  [中国人作家]
 久し振りに中国人作家の話が新聞に載っていた。劉慈欣と閻連科である。
 私は中国人作家では莫言、閻連科、余華の小説が好きでそれぞれ何冊か読んでいる。ほかに残雪や陳浩基なども読んだが多くない。外国人の作品を原語で読む場合選択に失敗すると大きな時間の無駄になるので選択は慎重を要する。前に上げた3人なら間違いはない。
 最近中国人の作家の活動は目を見張るものがある(ノーベル賞を取った莫言は最近なりを潜めているが)。台湾が口火を切ったが今は大陸に及んでいる。劉慈欣の「三体」は世界中で2900万部、日本だけでも13万部売れているとのこと。はっきり言って私には日本人作家よりもずっと面白い。さすがに国土が広く、西遊記、三国志演義、聊斎志異などの物語を生む国だと思うことが多い。それと日本の小説は、途中の話の運びの経過の中で、行き違いが生じて(伝える手紙が届かなかった、仲介人が握りつぶしたなどで)ハラハラさせられるが、中国の小説ではこのような道草はない。伝わる情報はちゃんと伝わってその上でなお問題が生じるというように真っ向勝負である。
 さて、劉慈欣も閻連科も大の日本好きである。劉慈欣は今回初来日だが、今まで「新世紀エヴァンゲリオン」「AKIRA」を楽しみ、小松左京の「日本沈没」に衝撃を受けたとのこと。
 彼の言葉「良い作品を書くことは難しいですが、読者が読み終わった後に、空に浮かぶ星を見上げたくなる作品を書きたい」。
 閻連科は1958年河南省の農村に生まれ高校を中退後軍隊に入隊し、戦争に送られるかも知れないという恐怖を常に持っていた。「金銭が大きな力を持ち、腐敗が問題になっている中国の現実を書く」。創作の極意を「人間の真情、社会の真実を書くのが小説だ」と言い切っている(「読売新聞」)。
 どう見ても日本の作家よりもスケールが大きい。それは中国の社会が大きな問題を抱えながら、大きく変化しているからだろう。作家にとって表現の自由がないということがむしろ制約をかいくぐる力となって、作品に表れていると思う。
 
 
  莫言潜む山東省の枯葎
  
  
  
  
 
 

2019年11月15日(金)
日限り日記

[同期会]
 会社入社同期会、銀座6丁目。
 入社45名中26名生19名逝去。昨年死亡1名。14名出席。
 1970年以降経済指標(TOPIX.PER,経済成長率、経常利益、物価など)をグラフ化してフォローしている者、太極拳歴15年の者、肝臓癌の大病を克服した者、教会の会計をやっている者、ボートを漕ぎ続けている者、テニスを続けている者、俳句をやっている者、語学(英語、中国語)の勉強を続けている者、男子専科の料理教室で9000メニュー作った者、ゴルフを続けているのは1名。
 14名に共通しているのはみなよく歩いていること。歩いているから元気なのか元気だから歩いているのか。
 出席した人の近況もさまざまだが、欠席した人の理由のほうはもっと様々である。
 「幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」(「アンナ・カレーニナ」)
 欠席した人が不幸だと言っているわけではありませんが。

 私が話したこと
・昼飯作りを始めた。今のところメニューはチャーハンのみ。
・滑舌が悪くなったから気をつけないと聞き取れないと妻に言われているが聞き取れますか。
・俳句は、大学クラス会俳句と長谷川櫂教室のみ。
・中国語は三国志の連続テレビ劇にはまっている。手元スピーカーを買ったが台詞が聞き取れないのはテレビのスピーカーのせいではなく聴き取り能力の問題と判明。
・「ようこそ正太郎館へ」のアクセス回数近況。

 新橋駅近くの瀬戸内物産店で明日の昼飯のための讃岐うどんを買う。


秋天の同期会老い重くれる
 
 
 
 

2019年11月13日(水)
日限り日記

 [手元スピーカー]
 この6月に買い換えたテレビは、薄型テレビの弱点である音の貧弱な点を改善したという売り込みである。そのためスピーカーは前面と上部に合計15個付いている。
 しかし最近ドラマの台詞が聞き取りにくいことに気がついた。特に聞き取りにくい台詞は日常会話のまま早口で話すような作りをしているドラマと外国語ドラマである。
 原因はテレビから座っているテーブルまで5メートル離れていることか。日常会話でも5メートル離れては聞きにくいかも知れない。それと、我が方の聴力の衰えにあると思う。
 サウンドバーというスピーカーを大型にした装置にしてはどうかと思い立ち、量販店でメーカー派遣の店員に相談してみた。しかし彼は、テレビの音声調整の設定を見直すことで解決できるはずだ、なにせ15個のスピーカーが付いているのだからサウンドバーより音が良いはずだから生かさないのはもったいないと言う。
 設定をいじったが解決しない。試しに手持ちのパソコン用スピーカーをテレビのイヤホンジャックに付けてみたら台詞がはっきりする。しかし有線なので部屋に電線を引き回すことになり使いにくい。
 いろいろネットで調べてみたら、無線でテレビの音を手許ではっきり聞く専用のスピーカーシステムが出ていることが分かった。そこで早速購入してみた。テレビと手元スピーカーを同時に鳴らすことが出来るから普段はテレビのスピーカーで聞き、ドラマの台詞は手元スピーカーを付加して聞く。
 どうやらこれで解決した。
 しかし、今はまっている連続テレビドラマ「三国志」の中国語の台詞が聞き取れないのは、スピーカーのせいでなく語学力のせいであることもはっきりした。
 
 
  祝賀御列皇后の眼に涙
  
  
 

2019年11月11日(月)
日限り日記

 [セメント打ち]
 天気が良かったのでかねて懸案の外の玄関階段周りの穴の補修をセメントを練ってやってみた。成功か失敗かはセメントが乾いてからのこと。
 結局穴が塞げたのは成功だったが、もう少しきれいにやれたはずだった。セメント作業はいつも目的達成と出来映えの間に開きがある。滅多にやらない作業で蓄積ができないし、水作業なので早くおわらせたいと気がせくのが原因か。
 
 あたふたとセメントを打つ小春かな
 
 
  

2019年11月9日(土)
日限り日記

 [中国テレビ劇]
 魏の司馬仲達を主人公にした連続テレビ劇「軍師聯盟」が毎週一回2時間合計80時間放映中であるが、また新しく毎日1時間ものの三国志(SECRET OF THREE KINGDOMS、50時間)が始まった。いずれも中国語発音日本語字幕付き。
 両方とも極めつきで面白いが、台詞はほとんど聞き取れない。15年間習っているし2級の資格も取っているというのに。
 英語の映画も聞き取れないが中国語ほもっと聞き取れない。中国語は習近平の挨拶も聞き取れない。原稿を見れば難なく理解できるのだが。
 中国語はつくづく同音異義が多いと思う。中国人は四声で聞き分けるがこちらはそうはいかない。日本人の中にも達人はいるが、こういう人は大体現地で生活をしたことのある人だ。
 なにか劇の台詞を聞き取る術があるかも知れないと思い中国人の先生に聞いてみたが、まあ中国語古文は難しいから(いや現代文も聞き取れないのです)学校に真面目に通って”問難解疑”(wennanjieyi)してくださいとのこと。仕方がない、まずは何度も「軍師聯盟」を聴いて自習をしてみるか。
 かと言ってヒアリングはそんなに重要ではない。私の場合小説を読み通すための読解力が第一だ(とひがんでみる)。
 
 
 ラガーらの去りし球場雁の列
 
 
 

2019年11月6日(水)
日限り日記

 [老犬の聴覚]
 二軒隣のご近所に柴犬もどきの犬がいる。かなり老犬で眼はしょぼついているしよたよたと歩き、名前を読んでも知らんぷりである(まるで自分みたいだ)。一家ではご主人だけが犬の世話をして、奥さんや同居の娘さんは一切世話をしない。奥さんは犬は嫌いなのだが旦那が飼うというので飼っていると公言している。
 ご主人は朝6時に車を運転して家を出て夕方5時半頃車で帰ってくる。それから必ず犬の散歩をする。散歩に連れ出そうとすると、犬は喜んでほとんど喉を痛めるのではないかと思わせるような、鳴くとも泣くともとれるような切ない声を出す。
 昨日の夕方ご近所の前を通ったときに犬がその声を出したので見るとご主人は帰っていない。早く帰って欲しいと鳴いているのかと思って歩いていたら2,3分後ご主人の車が角を曲がって帰ってきた。
 犬が鳴いたときご主人の車は犬のいる家から2分としても500メートル(少なく見積もっても200メートル)は離れていたはずだ。あのとき犬にはご主人の車の音がはっきり聞こえたに違いない。
 その老犬がにわかに偉く見えた。
 
  老犬の吠えてをるなり月の音
 
 
 
 

2019年11月4日(月)
日限り日記

 [古文中国語の文法を日本語で]
 2015年3月に始めて2019年2月4年がかりで論語502章を中国語で読んだのだが、一番情けなかったのは原文を読んだだけでは意味をつかめなかったことである。中国語の現代文訳を読んで古文の構造を理解し、日本語の訳を読んで意味をつかむという作業を繰り返したが、最初から最後までほとんど進歩がなかった。
 それはなぜかというと中国語古文の文法が理解できなかったからである。
 そのため中国人先生の中国古文の文法の講義を聴いたが、講義の内容が良くなかった。本当に体系的な文法があるのだろうか、要は単語を勝手に並べているのではないか、習うよりも慣れろなのだろうかと疑った。
 今回この10月に何年かかかって「漢文法基礎(加地伸行)」を読了した。これは著者が高校生を対象にZ会の機関誌に書いた原稿をとりまとめたものである。「気骨ある受験生、中国古典を最高の友人にしたい人に送る本格派入門書」とある。
 この本は本来は中国語古典を返り点や送り仮名を付けながら日本語訓読で読む方法を教える本である。
 しかし本に引用されている文章は「論語」「孟子」「漢詩」などの中国古典である。すなわちこの「漢文法基礎」は訓読の方法を教える本であると同時に、古典中国語を中国語で読むための文法書でもあるのである。例えばこの本には「ただ」の漢字「惟」「唯」「只」「但」「止」「直」の違いや、主語、述語、目的語、修飾語、前置詞が本来の場所から飛んで使われている場合の例の説明などがある。いずれも中国語古文を読む場合に読者を悩ます問題の解決である。
 この本は600ページにわたる本であり、若い大学受験生ならともかく高齢者には覚えるだけでも大変である。しかしこの本を読んで今まで抱いていたいくつかの悩みが分かったような気がした。
 実は現在中国語の現代小説は世界に出て行けるだけの面白い作品を輩出し始めた。それを読むことも魅力ではあるが、いまはもう一度「論語」を読み直すという誘惑にも駆られている。
 「漢文法基礎」を勉強した今、こんどは少し原典を見て意味をつかめるかも知れない。それも読み直す楽しみの一つである。
 
 小春日や論語素読を声出して
 
 
 

2019年11月2日(土)
日限り日記

 「正倉院展」
 東京国立博物館「正倉院の世界」へ。
 11時半頃に着いたが入場するのに80分待ちだった。幸い小春日和であたたかく、暑すぎる太陽は博物館が貸し出している日傘で防いで持ちこたえた。
 入場人数をコントロールしている割には中も混んでいて、間近まで近づけないものもあった。展示品の目玉の「螺鈿(らでん)紫檀五絃琵琶(したんごげんびわ)」は20分待ちの列を作らされた。
 116点の展示品の中では、この「琵琶」のほかに「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」「伎楽面(ぎがくめん) 酔胡王(すいこおう)」「黄熟香(おうじゅくこう)」「国家珍宝張」などが良かったし面白かった。
 正倉院の宝物は9000点あるそうだ。唐や海外から遣唐使などが持ち帰ったものが多いが、9000点のうち9割が国産の宝物であるという。
 唐の宝物がどうして日本にもたらされたかというとこれは唐の皇帝が権力を示すための宝物を外交に使ったためだという。
 正倉院展を見ることは古代海外で作られた至宝の美しさに触れるとともに、それが1300年の歳月無事に保存されてきた日本人の美を保存する心と技術に触れるということであるが、同時に日本国の歴史を知ることでもある。
 私は光明皇后が756年に東大寺に宝物を納められたときに財産目録として書かれた「国家珍宝張」に注目した。この「珍宝帳」は美しい紙に実に美しく分かりやすい字で書かれているが、宝物を貴重な財産として残し伝えたことが素晴らしい。
 9割の日本製の宝物は聖武天皇の御世などまだ天皇の権威が確立していなかった時代に、天皇が部下や地方の豪族に下賜するために配下の職人に作らせたものだという(「天皇が創った至宝、正倉院宝物が伝える日本誕生(NHK)」)。
 そのお手本は渡来の宝物である。
 文化は先進文化の追随に始まる。それはいささかもおかしなことではないが、先進文化への敬意を忘れれば増長になり傲慢になる。
 正倉院展を見てそう感じた。
 
 
 珍宝に千三百年後の小春かな