2019年10月30日(水)
日限り日記

  [俳句を選ぶ]
 2019年の角川俳句賞が二名に決まった。そのうちの一人が私の属している俳句結社の人で同じ句会に出ていて面識もあるので嬉しかった。
 応募総数567篇から編集部が39篇を選び選考委員が決定する。その選考の過程が雑誌「俳句」に載っていた。
 選考委員は、仁平勝、正木ゆう子、小澤實、岸本尚毅。この現在の俳句界の第一線にいる人たちが自分の信念のもとに真剣に選考するのだが、彼らがどういう基準で選ぶのか、選ばないのかを選考委員の発言から書き出してみる。
 [選んだ理由]
 (季語)
 ・季語の本意と自分の気持ちがかみ合っている
 ・季語の大胆、軽妙、うまい取り合わせ
 ・季語を丁寧にゆったりと詠む
 (対象の見方)
 ・良く見届けている
 ・新鮮
 ・素直、シンプル、しなやか
 ・発見がある
 ・しっかりした見方がある
 ・面白いところに目を付けている
 ・独特の眼、独特の詠み方である
 ・自然の細部を見て、図太く、重たい
 (詠む技術)
 ・省略が巧い
 ・俳句に類想があるのは仕方がないが、類想を巧く通り抜けてやって行く
 ・俳諧と描写がうまく重なっている
 ・のびのびと詠む
 ・十七音をゆったり使う
 ・マイナーな動詞(壊す)を生き生きと使う
 ・素朴で下手っぽい言葉が俳諧になっている
 ・説明の言葉を使いこなす
 ・心を込めて詠んでいる
 ・勢いを持って自然と向き合う
 ・詠み尽くされたところを巧く詠む
 ・矛盾が生まれているところに詩がある
 ・叙景でありながら叙情がある
 ・俳諧性がある
 ・押し出してくる力
 ・ドラマティック
 ・生活、見たもの、感覚と俳句が直結している
 ・しっかり詠んでいる
 
 [選ばなかった理由]
 (季語)
 ・季語が実よりも虚に傾いている(百合の角度で記帳するなど)
 ・季語の説明に終わっている
 (見方)
 ・類想感
 ・新味がない
 (表現)
 ・理屈っぽい
 ・滑っている句
 ・比喩を抑えた方が良い
 ・無理な比喩
 ・パターン
 ・言い過ぎ
 ・主体がなにかが曖昧である
 ・散文的である
 ・特殊な言葉を使う
 ・言葉で言いおおせてしまっている
 
 (選考委員間の違いに対するお互いの考え)
 ・選者の価値観の違いは仕方がない
 ・同じところを、そこがだめという選者とそこが良いという選者がいるのも仕方がない
 ・拙いと思うところを評価する選者がいるのも仕方がない
 ・好みの問題
 
 俳諧性、滑っている、言い過ぎているなど個々の俳句を付けないと批評の意味が分からないだろう。俳句は短いから批評の言葉も短く感覚的でそれだけでは分からないが、俳句をやっている者同士では符牒のように理解できる。俳句の世界は言葉のギャングのシンジケートのようなものと言えよう。
  
 
   秋出水言葉の世界打ちのめす




2019年10月28日(月)
日限り日記

 [ワールドカップラグビーの観衆を観察する]
 午後1時新横浜に行ったら外国人に溢れていた。ニージーランド対イングランドの試合は午後5時キックオフなのだから4時間も前である。街を通るとファストフッド店などがビアホールとなって人が道路に溢れている。客のほとんどが黒いTシャツに必勝の鉢巻きをしたニュージーランドの応援団で、イングランドの白地のTシャツは混じっている程度。
 ニュージーランドから来た応援団は身長は180センチの私並みだが、体重は100キロ級ではないか。ニュージーランドの人がみなそうだとは思えないから、ラグビーファンはやはり体格のいい人が多いのだろう。
 Tシャツもニュージーランドのものは売っているがイングランドのものは売っていない。場外の応援に関する限り、ニュージーランドの圧勝である。
 人波の歩調に合わせて新横浜競技場に近づいてみたが、競技場300メートル手前の橋の手前が改札口になっていて競技場に近づけない。改札口の手前の公園の中に大きな臨時の建物が建っていて料理服姿の人が沢山いたので何かと聞いたら、招待状を持っている客を接待する場所だという。ラグビー界も国際シンジケートのようなものなのか。
 ラグビーの試合は次の試合までかなりの日数に空きがあるから応援団はその間に日本を見物したに違いない。これだけの多分これがなければ来なかったような人たちが日本に来てくれるのも有り難いことだ。
 ラグビー関係者はワールドカップを日本で開催する夢を長い間持っていたというが、実際に応援団を見てその気持ちが分かった。世界中のラグビー愛好者に日本を見て欲しいのだ。
 また、ノーサイドという言葉があるようにあれだけの肉弾戦をやりながら試合が済めばきれいに分かれる。相撲の礼に始まり礼に終わると同じように、肉弾戦であればあるほど試合後の分かれが大切なのだろう。ラグビーとはそういうスポーツなのだということをワールドカップを通じてラグビー関係者は日本の人々に知ってもらいたかったこともあるのだろう。
 帰ってテレビを見たら、イングランドが終始優勢で、ニュージーランドはワールドカップ史上初めてイングランドの敗れたとのこと。私は熱狂的な応援団を見たせいか熱が入って最初から最後まで試合に集中して見たが評判に聞いていたニュージーランドの素早い攻撃は片鱗も見ることが出来なかった。ニュージーランドの大応援団はさぞかし歯がゆい気がしたであろう。少し同情した。
 
 
 ラガーらのスクラムを押す大応援
 
 
 
 

2019年10月26日(土)
日限り日記

 [初冬の街]
 久し振りに天気が良かったので外出。横浜西口。
 ヨドバシカメラでスマホGalaxy note10を見る。魅力はあるがサイズが大きすぎる。ペンがついているのが特徴だが、この使い方は販売員に聞くよりもutubeの動画を見る方がよく分かりそうなので家でもう少し検討しよう。ただペンでメモ書きが出来る機能に12万円を出すか。
 ほかのスマホは今持っているGalaxy s8+と大同小異で魅力なし。スマホは外出してこそ必要だが家に籠もりがちな私にとっては必要度が落ちているが、ただ端末としては年々面白い機能が付加されるので見逃せない。
 高島屋の資生堂パーラーで我慢して少し待ってエビフライのサンドイッチ。食堂はいつも老人で混んでいる。
 知り合いのお祝いに商品券を買う。商品券は現金でなければ買えませんと言われて慌てて財布を見る。すっかりクレジット払いに慣れてしまっている。紳士用品で新聞に出でていた35万円のカシミアニットジャケットとはどんなものであるかを見る。
 青山のHERNOのアウターがこのデパートに並んでいるのを初めて知ったが場所は狭く先客があり商品に触れなかった。かっこよさそうだが、しかし、このダウンコートを着てどこに行くというのか。
 東急ハンズでアルミテープなど雨戸の修理部品を買う。
 
 帰ってから職人となって、かなづち、ノコギリ、カンナ、ドライバー、紙ヤスリ、オイルなどを用意して、雨戸の戸車交換と調整を行う。特注の雨戸は重く戸車が壊れやすいし、年々木部に食い込んで雨戸が下がってしまうのを調整する。腕は落ちていない。築40年で雨戸のレール下の木部にも腐食が見られるようになってきた。
 家と自分の身体とどちらが早くくたばるだろう。
 
  道具出し雨戸直しや空のあを
  
  
   
 

2019年10月24日(木)
日限り日記

 [即位礼正殿の儀」
 即位礼正殿の儀が行われテレビ局が終日報道した。
 なかなかない儀式だし外国の賓客も来たので天気が良ければと思っていたが残念ながら雨だった。しかしお昼頃は皇居の上に青空が覗いたようで良かった。
 日本的な様式や服装が見られてとても良かった。しかし、式のやり方についてはいろいろ考えさせられた。このやり方が今日本人の大多数の望むやり方だとすれば私の考え方は少し離れている。
 高御座に立つ天皇に対して総理大臣が下から万歳を三唱するなど憲法の主権在民、象徴天皇制に照らして少し君主制的であると思った。今回即位礼正殿を契機に恩赦が行われたことも同じような理由で疑問に思う。
 私がおそらく大多数の人に比べて旧憲法への警戒感が強いのは、私が小学校までは立憲君主国の憲法の下で教育を受け、中学校から一転して立憲民主国の憲法の下で教育を受けたからであろう。いわゆる戦後民主主義の奔流の下で育ったものに共通する政治観があると思う。
 また、NHKの報道で、天皇皇后が全国各地を訪問されたことを報道しお人柄について語らせたのもやり過ぎだと思う。握手をされて涙が出たという声があるからと言って新天皇がこれに応え続けるのも大変である。国民に寄り添うというのはこういうやり方ばかりではないはずだ。
 平成天皇が父たる昭和天皇の戦争への関与を償う行動をされた(私の個人的な印象)のは自然なことだと思う。しかし令和天皇は平成天皇のやりかたに縛られることなく、国際活動などご自分に合ったやり方で象徴天皇の役割を果たされれば良いと思う。まあ追々そうなって行くとは思うが。
 しかし天皇と国民の距離はその時々の国民が決めることだ。老人の言うことではない。
 
  十月の賢所の幟かな
  
  
 

2019年10月22日(火)
日限り日記

 [本の棚卸し]
 男がドラマー、女がバイオリニストのご近所の男女ペアに頼まれて、当番制のゴミネットを代わって出す。今日はどちらで演奏活動か。
 本の貸借対照表作って見る。
 
 今読んでいる本
 (毎日少しずつ読むことにしている本)
 ・「一日1ページ読むだけで身につく世界の教養365」(翻訳本) 案外に面白い。
・「1000句を楽しむ(宮坂静生)」この程度の解釈で良いのかと疑いもするが安心もする。
 ・「漢文法基礎(加地伸行)」 読了にずいぶん掛かっているが、まだ新鮮である。
・「論語」原文(二回目)   これを読みながら果てるのかという気がする。異国の本という気はしない。
 (集中的に読んでいる本)
 ・「柿本人麻呂」(多田一臣)
 
 読もうとして買った本
 ・「古代日中関係史」(河上麻由子)
 ・「経済学者たちの日米開戦」(牧野邦昭)
 ・「日本近現代史講義」(山内昌之、細谷雄一)
 ・「古典日本語の世界(二)文字とことばのダイナミックス」
 
 長谷川櫂は、日本の文語文法を学ぼうとしたら、文法書で学ぶ必要はなく「伊勢物語」を読めば良い、と言っていた。文語文法を学ぶ必要性は今はないが、気になるアドバイス。
 
 集中して読む本の場合、三日かせいぜい一週間で読了したい。一番の問題は、長時間読書に集中できないこと。老化のせいとインターネットのせい。インターネットは刻々ニュース、メールが入ってくるので、つい見に行きたくなり読書を妨げる。
 集中しようとしたらパソコンのある書斎を離れて居間に移らないといけないが、そうするとそこを根城にしている妻がいる。
 
 隣家よりバイオリンの音花八つ手
 
 
 
 

2019年10月20日(日)
日限り日記

 [金子兜太戦後俳句日記]
 一億人の俳句入門教室、新宿で。
 先立っていつもの通り「ブックファースト」へ。
 見た本、「金子兜太戦後俳句日記」「日本近現代史講義(山内昌之、細谷雄一」「古典日本語の世界(二)文字とことばのダイナミックス(東大教養学部国文・漢文学部会)」「世界史とつなげて学ぶ 中国全史」など。
 「古典日本語の世界(二)」は前著「古典日本語の世界 漢字がつくる日本語」(2007年出版)が面白かったので手にした。このような続編が出ていることを知らなかった。本屋巡りのご褒美みたいなもので、早速ネットで買うことにした。
 日本語がどのように成り立ってきたかは、いま東大教養学部の必修科目になっているらしい。とても良いことだと思う。
 「金子兜太戦後俳句日記」は4部作のうちの1部だが9000円もする。とりあえず長谷川櫂の解説を立ち読みする。
 それによると、日記は兜太37才(1957年)から97才(2017年)の61年間の日記。彼は以前トラック島に中尉として駐留していたときにも日記を付けていたが、引き揚げてきたときに焼却してしまい彼はこれを悔やんでいたとのこと。
 なぜ37才から日記を付け始めたかは、日銀に復帰してから労働組合の活動を行い日銀当局からにらまれ32才の頃左遷された。そのことから今後は俳句で生きようと決めて4年後から日記を付け始めた(立ち読みだから間違いはあります)。
 1957年というと私が社会人になる頃だが、組織によって違うとは思うが労働運動をやったからといって会社に冷遇されることはなかったと思う。むしろそのことが評価されることさえもあった。組合活動のやり方、つまり本人の考え方によったのではなかったかと思う。
 職場で順調に職位を伸ばした人とそうでなかった人とでは俳句が違ってくる。金子兜太の場合は、順調に職位を伸ばすことが出来なかったために彼らしい俳句が生まれたが、むしろ日銀で成功するよりも彼にとって幸せだったのではないか。同じようなことは人生には沢山ある。
 この「金子兜太戦後俳句日記」になぜ「俳句日記」という名前がついたのか、立ち読みした限りでは分からなかった。別に個々の俳句が日記に関連付けたれているわけではない。55才定年退職までの銀行員生活の日記が俳句だけだとは思えないから俳句に関する部分だけをとりだしたということか。
 金子兜太の俳句は素晴らしいものがあるが、この本は私にとっては大枚をはたいて読むほどのことはないと思った。
 ちなみに私は1950年から日記を付けているから今年で69年になる。
 俳句教室の兼題は栗、二句とも落選。
   ひねられて子規の頭の栗きんとん
 は自分としては発見したと思ったが、先生には、「子規の頭」では当たり前すぎる、はっとした感じがしない、と言われた。分かって貰えるかなと思っていたのは気が小さいことだった。もっと精進しないといけない。
 
   ひねられて子規の頭の栗きんとん
 
 
 
 
 

2019年10月18日(金)
日限り日記

 [韓国問題]
 「日韓請求権問題」は、協定の原典に当たらないと正確なことは分からないが、一応文藝春秋10月号の橋下徹、舛添要一の対談が分かりやすい。これによれば、
 1. 1965年の日韓基本条約・日韓請求権協定で日本は無償3億ドル、有償2億ドルの融資を行い韓国は対日請求権を一切放棄した。
 2. これは政府どうしの約束で国民個人の請求権を消滅させることは出来ない。
 3. 日本政府は無償の3億ドルについてすべて徴用工などの個人の請求への支払いに充てるべきだと韓国政府に主張してきたが、韓国政府はインフラ整備などに使ってしまった。日本政府はお金の使い方まで確認すべきだったのにそうしなかった。
 4. 日本政府はきちんと配分しなかったのは韓国政府が悪いという考えである。
 5. 日本政府が韓国に渡した金が何のための金だったのか曖昧にしたことが問題だが、元徴用工たちの請求先は韓国政府であるべきである(橋下、桝添の意見)。
 6. 対韓輸出規制は経済報復というのが見え見えなのに、安全保障上の懸念によるとしている。喧嘩の仕方としては拙劣。
 
 元徴用工問題の解決方法は、橋下は日本にある韓国企業の資産を差し押さえる、桝添は日韓両政府と訴えられている日本企業で財団を作るというように両者で異なる。長くなるから省略する。
 
 このように、かなり問題は複雑である。日本政府は国民に対して韓国政府が従来解決済みとしていた問題を新政権になってから再燃焼させていると宣伝している。また、対韓輸出規制は安全保障上の懸念と説明しているだけである。
 簡単に解決できない問題だけにもう少し丁寧に説明すべきではないか。
 
  
  萩の花今年は不作早く刈る
  
  
 
 

2019年10月16日(水)
日限り日記

 [水を治める]
 台風19号の河川氾濫は相当の広さになっている。茨城では那珂川およびその支流の氾濫による損害がひどいようだ。茨城は前回小貝川の氾濫で常総市が大きな被害を受けたばかりである。故郷の災害に胸が痛む。
 那珂川については仕事の関係で常磐線や国道4号線、常磐自動車道を何回も行き来して見てきた。また大洗水族館の屋上から河口の様子を見た。満々たる水を流している様子にいつも豊かな気持ちにさせられた。
 しかし同時に危ない川だなという気持ちを拭い去れなかった。過去何度か大きな水害をもたらした川にしては河川敷も狭く丸裸のような無防備な気がしたからである。
 もとより水戸付近を通った一人の通行人に過ぎず川の全貌を見たわけでもないし、どのように治水事業がおこなわれているのかも知らない。
 ネットで調べてみると平成28年に「国土交通省関東地方整備局」が書いた「那珂川直轄河川改修事業」(再評価)という報告書がある。
 これによると改修事業の内容は・堤防の整備・河道掘削・橋梁架け替え・洪水調整容量の確保などである。特に力を入れているのが堤防の整備でることがわかる。洪水調整容量の確保では、下境遊水池、大場遊水池の完成をとりあえずの目標にしている。費用対効果では総便益1883億円、総費用が734億円となっている。そして今後の対応方針としては、「引き続き事業を継続することが妥当と考えます」となっている。
 那珂川の改修事業をみてこれが日本の治水の現状なのであろうと思った。つまり対処療法なのである。極端に言うと、堤防を強化し、河川を掘削することが中心である。
 徳川家康が江戸に入ったあと、度重なる洪水を予防するため伊奈忠次、忠治らによる利根川東遷事業が始められた。今の利根川、江戸川、荒川などの水路が作られ治水が始まった。
 このような大事業がなされないいま、今回のような100年に一度レベルの雨量があればどんな対策を打っても防ぎきれなかったかも知れない。しかしもっと小規模の雨量であっても堤防を強化するぐらいではなく、最低遊水池の強化、拡大が必要なのではないか。
  私の住んでいる横浜の鶴見川には横浜国際競技場周辺にまことに大きな多目的遊水池がある。平時の鶴見川に比べれば大きすぎるぐらいの場所であるが、しかし何度かそれが役に立っているのを眼のあたりにした。

 昔中国では堯・舜・禹(ぎょう・しゅん・う)という名君主がいたがこれは治水能力によって前の君主が後継に指名した君主である。そのぐらい黄河その他の川の治水は民衆にとって重大だったし難しかった。
 地勢的に災害多発国である今の日本では、地方自治体の長は治水を第一の公約として掲げそれによって住民は選ぶべきではないか。教育も介護も大切だが住まいが水没しては何ごとも始まらない。
 もっとも「那珂川直轄河川改修事業」報告書の中で茨城県と栃木県が「是非事業を進めていただくようお願いします」と国にお願いしている。直轄河川だからそうなるのだとしても地方自治体は国の直轄河川であってもすべてを国に任せるのではなく、現地の住民を守る立場から治水の計画を積極的に主導すべきではないか。また災害多発国の政党は治水政策を公約にして思い切った案を作り選挙をしてほしいと思う。古代中国の君主や徳川家康がそうだったように、治水の実行責任は総理大臣である。今の治水政策は発生する災害に対して余りに弱々しい。


 秋出水(あきでみず)堯舜禹湯文武周公(ぎょうしゅんうとうぶんぶしゅうこう)
 
 


2019年10月14日(月)
日限り日記

 [キャッシュレス支払い]
 ファミリーマートでスマホを使ってPayPayで初めて買い物をした。レジに並ぶときにあらかじめPayPayを起動して支払い画面を出しておくことが必要。別にTポイントがつくのでTポイントカードの提示が必要。ややこしい。
 次いでセブンイレブンでスマホを使ってd払いをやってみる。やり方はPayPayと同じ。
 スマホを使ったキャッシュレス払いができたのが良かったのか悪かったのか、つまりそれだけ間違えて支払ったり、思いがけないツケが回ってきたり、スマホを落としたり、悪用されるリスクは増えることになる。
 妻が毎日食料品の購入をしているスーパーは、いままで現金で支払っていたがクレジット払いの方がポイントが有利だと言われてクレジット払いにした。本はヨドバシカメラクレジットカードで10%引きで買う。
 今行っている店で現金でなければいけないのは床屋と果物屋だけだ。しかしお札の真贋に信用のおけない国なら別だが、現金払いからキャッシュレスにすることでどれだけの意味があるのか。クレジット払いにはポイント増のインセンティブがついているので利用しないと損をする感じになるので一応対応を整えたが、クレジット払いを政府が促進するというのが腑に落ちない。賢い官僚の考えたことだからクレジット会社の利益ではなく国民の利益を考えやっていることだと思うが、中国や韓国に比べてキャシュレス払いが少ないという理由では納得できない。
 消費税増税の痛税感の目くらましでやるとすれば、ある種変わり者の変わった案を採用したのではないか。正道ではない。
 
 台風千年経験なき強さ
 
 
 

2019年10月12日(土)
日限り日記

 [台風前日]
 旧職場同窓会、東京八重洲口にて。
 大型台風が来るという予報があるが、前日の今日は大丈夫だろうということで決行となった。家から便利な新幹線に乗り東京駅に近づいたときに、明日の新幹線運行中止により今日移動しようという人でプラットホームが混んでいる。このため1号車から4号車ぐらいの出口からは降りられない、前の方の出口から降りるように、と車内アナウンスがあった。
 実際に降りてみるとホームも階段も改札口も人に溢れていた。念のため2時間後の8時を過ぎたら空くだろうかと駅員に聞いてみたら分からないという。
 宴会の場所は、いつものと変わらない賑やかさだった。
 最高85才から62才まで40年近く前に同じ職場で働いた仲間。一番若いのが現役なので最近の会社の状況を聞く。この1年の皆さんの状況を聞く。時間の過ごし方は人それぞれ。私的には80才で50坪の畑を耕し、ジャガイモ、トマト(大型は難しい)、茄子、タマネギなどを栽培している人に感心する。もはや鍬は振るえないのでスコップで耕すのだそうだ。昔私の祖父はジャガイモを種作りからやっていた(失敗することが多かったが)が、友人は種は買うのだという。
 本好きでいつも良書を推薦してくれる友人は、眼の具合が悪く読書は困難だという。体重は私以外の人は増えない。やはり私は間食がいけない。
 夜8時半東京駅八重洲口新幹線口は人に溢れていた。駅の場内放送によればホームへの入場制限が行われているらしい。やむなく在来線で帰宅した。人は危機を予測して行動し二次的な危機を巻き起こす。
 
 台風前日人の渦巻く首都の駅
 
 
 
 

2019年10月8日(火)
日限り日記

 [往生際]
 セントラルリーグのCSでベイスターズがタイガースに敗れた。ラミレス監督の監督ぶりにつてはさすがと思わせるところがあるがピッチャー交代(これこそ監督の重要な仕事だが)は合点がいかないことがあった。大打者必ずしも投手交代に長けておらずか。
 そのラミレスがまた1年監督をするようだ。4年間経ってこれからはあまり変わり映えしないであろうチームをまた応援するはめになるのか、安倍政権を選ばざるを得ないように。もっとも、試合の前日に対戦相手の監督と酒を飲んでそれを自慢して記事にするような元監督に戻らないだけ良かったとするか。
 さて「図書」10月号に「癌になって考えたこと」(長谷川櫂)という文章が載っている。冷静に自分を見つめる俳人の文章である。
 そのなかに正岡子規が27歳の時に喀血して医者から脊髄カリエスと言われたときの心境が書かれている。
 「余は驚きたり。(略)医師に対していふべき言葉の五秒間おくれたるなり」(虚子宛ての手紙)
 長谷川はそれに対してこう言っている。「しかし皮膚癌になってみると、「医師に対していふべき言葉の五秒間おくれたるなり」という子規の言葉が私には嘘っぽい演技のように思える」。彼は「死という人生の期限が、癌の宣告でいくらかはっきりしたくらいのことだ」と言っている。
 
 さて自分ならどうだろう。子規よりも長谷川よりもかなり高齢者で日本の男子の平均年令を超えている自分にとっては、癌になったとしても思わぬハプニングでさえない。来るべきものが来たと平然と受け入れられると思うが、実際はなってみないと分からない。
 現実に突発性不整脈になったときの自分の感情は大体次のようなものだ。
 1. やれやれこれでしばらく寝ていなければならない(1時間で治ることもあるが)。
 2. 今回も今まで通り薬を飲んで治るのかな。
 3. 治らなかったらどうしようか。医師は不整脈に慣れて自然な生活が出来る人が大半だと言うけれども、心不全になるという人もいるとも言う。心不全になるのは厄介だ。
 4. 脳梗塞になって身体が不随意になるなら、死んだ方が良い。
 などなど実に往生際の悪い世迷い言である。とても自分を平然と見るまでには行っていない。


    故郷の菊母の菊と名付けたり
 


 

2019年10月3日(木)
日限り日記

 [句集「朝晩」]
 小川軽舟の新句集「朝晩」をネットで買う。
 まあネットでなければ買い得ない本。本屋で中身を読めばこれに2900円の価値があるかと思ってしまう(句集は売れないので、買うのは慈善活動だとは分かっていますが)。もちろん大結社「鷹」の主宰だから小川俳句の信奉者は沢山いるが、私は普段は余り好きではない。ただそうは言ってもなかにキラッと輝く秀句(私にとって)があるから見過ごせない。
 私の心に残っている小川の秀句と言えば
  死ぬときは箸置くやうに草の花
  名山に正面ありぬ干蒲団
  肘あげて能面つけぬ秋の風
  など本当に良い句だと思う。
 さて今回の「朝晩」は、作者の説明によれば単身赴任という項が初めにあるように日々の暮らしの中での俳句が多いとのこと。
  チャーハンは強火で攻めよ卒業す
 
 私自身が良いと思う句を選んでみたら全体360句に対して86句あった。これは句集の中では多い方だと思う。普段は好きではないと言いながらやはり私にとって魅力的な作家なのだ。
 私の第一位は
  あかあかと除夜の駅ある怒濤かな
 
 ところが驚いたことに、私が選んだ86句の中に、小川自身が自薦で選んだ12句が一つもない。そればかりでなく自薦12句は私には到底良いとは思えない。
 実はこれが最近の私の悩みなのである。
 最近の若い俳句作家の作品には私が全く理解できない作品が多い。それだけなら問題ない(詩人の中村稔は最近の詩人の詩は全く分からないと言っている)が実は彼らの作品の中にも私が本当に素晴らしいと思う作品が混在するのが悩ましい。作ろうと思えば伝統的な作り方も出来るのですよと、馬鹿にされているような気がする。
 小川は昭和36年生まれ58才だから決して若いとは言いがたいがでも小川あたりからすでに俳句は私にとっては快いとは思えない方向へ進んでいたのかも知れない。
 
  肘あげて能面つけぬ秋の風    小川軽舟
  
  
 

2019年10月1日(火)
日限り日記

 「成城だより」
 大岡昇平の「成城だより」が再刊行されたとのこと。最近新しく「大岡昇平論」が出ている。今なぜ大岡昇平なのか。
 私は大岡昇平が好きでかなり読んでいると自負している。一番読んだ作家かも知れない。
 しかし「成城だより」にはすこし失望し熱が冷めた思い出がある。
 
 「成城だより」は昭和55年(1980)から62年(1987)まで、すなわち1909年生まれの大岡が71才から78才までの日記形式のエッセイである。大岡は昭和63年79才で没しているから最後の作品なのではないか。
 「成城だより」の後記に、彼は「7つの病気を持つ身に、まだ個人的に仕遂げなければならない仕事をいくつか持っているが、その時間があるか前途を思えばただ茫洋とするばかりだ」と述べている。
 私は大岡よりも25才若い。彼が71才で「成城だより」を書き始めたとき、私は46才、血気盛りだった。「成城だより」は小説作品とは違って作家の日常のことであり、改めて旺盛な読書力や探究心に敬服はするものの病気のことや家族愛の記述もあり見たくないものを見たというように感じられた。
 いま私は「成城だより」を書いた作家の年令を過ぎている。改めて「成城だより」を見直すと相変わらぬ旺盛な読書力と批判精神に満ち満ちていて驚くばかりだ。それよりも「個人的に成し遂げなければならない多くの仕事を持っていること」に驚く。
 いま雑誌「voice」に曾野綾子の私日記「猫たちの居場所」が連載されているが、「成城だより」に比べるべくもない。
 
 ということで、当時の自分が大岡にまことに不遜であったことを恥じながら「成城だより」を読み直しているところだ。
 
 
 千石の奥に千石すすき原