2019年7月30日(火)
日限り日記

 [中国現代推理小説]
 月に一度の新宿行き。
 ブックファーストでは、先日新聞に載った多和田葉子の現代詩「夏の海」が余りに面白かったので、彼女の詩集を見つけて立ち読みしてみる。やはり面白そうだからネットで買おう。
 中国小説を覗いてみたら、台車に山のように積まれていた。
 「自転車泥棒」(呉明益)
 「三体」(劉慈欣)
 「黄」(雷釣)
 などなど30種類の本が積まれている。
 「ハヤカワミステリーマガジン」に「華文ミステリー」という特集号さえあるように現代推理小説が多くなってきた。
 陳浩基の「13/67」の後記に作者が、「幸いにして2011年秋に島田荘司の推理小説賞を得てから題材を構想し始めた」と言っている。また同書の帯には推理小説評論家の玉田誠が、陳浩基のこの作品は先鋭的な推理小説だけではなく、社会派推理小説の傑作だと述べている。
 2014年この「13/67」が香港で発刊されるまでは、中国に現代推理小説は事実上ほとんどなく、陳浩基は日本の推理小説で勉強したと言っている。それがこの数年のうちに雨後の竹の子のように現れたというわけだ。
 もともと中国は、三国志演義、水滸伝、西遊記、聊斎志異、紅楼夢など物語を生む国だし、莫言などガルシア・マルケスの信奉者が書く現実と架空を行き交う小説が受け入れられる国だから推理小説の大地はあるわけだ。ただ社会派推理小説はとかく反体制の色彩が濃いから存立できるかという問題はあるかも知れない。でも制約があるからこそ社会派小説は生まれるというのも事実ではある。
 
 さて今日の本題の「一億人の俳句入門」講座では、二句提出で入選句なしの惨敗。上手な人は上手だと言うことを実感してとぼとぼと帰る。
 
 築百年家取り壊す涼しさよ
 
 
 

2019年7月28日(日)
日限り日記

 [有機EL 4Kテレビ]
 パナソニックの修理屋が来て新しく入れたテレビの倒立防止用のヒモを掛けるネジを交換してくれた。
 元はと言えばネジをはずそうとして私がネジ山を潰してしまったのである。パナソニックの人も潰れたネジはなかなかとれなかったので、ネジ取り液体を貸してあげたらうまくいった。
 そのせいか出張料と部品代だけで、技術料は取られなかった。
 知恵はあるが力がないのが今の私。
 ところで最新鋭の有機EL 4Kチューナー内蔵テレビはなかなかの優れものだ。テレビ局のカメラマンが技術と力を尽くして撮った画像を、正確に再現してくれているようだ。
 CATV局の光ケーブル信号を利用する場合、CATVセットトップボックスチューナー経由の画像と、テレビ内蔵のチューナー経由の画像とを見比べて、違うと見る人(私)と同じだという人(妻)があり、技術者にも二派いる。違うというのはセットトップボックスの場合は変換回数が一度多いのが理由のようだが正確にはよく分からない。
 こうなったらできる限り真実に近い像で見てやろうと思うのだが、違うにしてもほとんど変わりがない。しばらく映像の美しさを楽しむこととしよう。
 
 涼しさや運ばれてくる地元膳
 
 

2019年7月26日(金)
日限り日記

 [創業家社長]
 以前現役の時にある中堅の創業家企業の二代目社長と面識を得た。私より10歳以上若い方だったと思う。
 一言で言うと、お得意様には積極姿勢を示しながら、本当はかなり慎重に、見方によっては慎重過ぎるぐらいに事業を進める人だと思った。
 その点では創業家といっても創業者から何代か後の組織のしっかりした大企業の創業家御曹司社長の、意欲的な場合によっては楽観的とも思えるような経営とは違う。
 すべては彼の判断で決まる。会社をおかしくすればたちまち従業員が路頭に迷う。そういうことのみを恐れて慎重に経営をされていた。
 最近その会社が経営不振に陥り、再建計画に入ったというニュースが流れてきた。もちろん彼も退任する。一体何があったのだろう。得意先の海外進出に合わせて部品供給するために海外に出たのだが、海外市場が冷え込んで赤字が積み上がったという報道。慎重な彼がどこで間違えたか。
 それとも避けがたい不測の事態が起こったのか。
 
 長梅雨や森に貝形競技場
 
 
 
 
 

2019年7月24日(水)
日限り日記

 [新55年体制]
 「日限り日記」では政治のことは言及しない方針なので一言だけ。

 1955年(昭和30年)以降自由民主党が政権を維持し、日本社会党が野党第一党を占めていた時代を55年体制と言った。保守系政党の統合と社会党系政党の統合で出来上がったこの体制は1993年(平成5年)自民党から分離した新生党、新党さきがけ、日本社会党、公明党、日本新党などで細川政権が出来るまでの38年間続いた。私は大学生から会社員生活のほとんどが55年体制下にあったから良く理解している。要するに野党第一党は口では勇ましいことを言っていたが政権を取る力も意思も低く何でも反対することに安住していたような時代であり、与党もそれを利用していた。
 やがて、細川政権、自社連立政権を経て民主党政権になり、日本にも政権交代の時代、二大政党の時代が来たかと思わせた。しかしその時代は短かった。
 今回の参議院選挙の結果を見て感じるのは、55年体制の令和版が出来たという感じである。野党第一党の立憲民主党は自分の都合に合った立憲主義を主張して排他的であり独善的である。これでは政権交代の受け皿になり得ない。その意味で昔の日本社会党と選ぶところがない。
 日本に二大政党による政権交代ができないのは日本の民主主義がまだ未成熟だからだという人もいるが、実はしかし、日本人の国民性なのではないか。
 日本は狭い国土なので隣りにどんな人がいるかを知っている村社会である。村では新しい人がだめで隣りに経験がある人がいるなら、すぐに代わってもらおうという気持ちが強い。国民に自民党に代わる政権を育てる、あるいは熟成するまで待つという悠長さ、おおらかさはない。批判勢力も常に一定数はいて批判することを生業とする。
 本流の中で切磋琢磨し国民の期待に添うべく革新して行く、その方が日本的なのではないか。新味のことが起こるとすれば維新とか国民民主党とかが自民党の支流政党として本流に波風を立て自民党革新に一役買うというぐらいか。
 
 
  庭作業する外科医の手先四十雀
 
 
 

2019年7月22日(月)
日限り日記

 [藤井君]
 「古代日中関係史」(河上麻由子)を買う。
 607年、日本は隋の煬帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という書状を送る。以後、対等の関係を築き、中国を大国と見なすことはなかった、というのが通説だが事実なのかを検証する本。
 私は本当に対等になったと思っていたのか、疑問に思っているので読むことを楽しみにしている。
 この本にはいくつかの資料が原文で付けてある。「宋書」「稲荷山古墳出土太刀銘文」「晋書」「隋書」「日本書紀」「旧唐書」「続日本紀」「入唐求法巡礼行記」「魏書」などなど。今までは日本語訳で引用されていたのを読むだけだったが、この本のはいずれも原文(漢文)である。漢文だから時間を掛けて頑張れば読むことが出来るかもしれない。原典に当たれるのは楽しみだ。
 著者は1980年生まれ。後書きによれば「・・・本書を完成させることが出来たのは、すべて夫、藤井光のおかげです。・・・・・精一杯の愛をこめて本書を藤井君に捧げます。」とある。
 夫婦別姓の夫を別姓で君付けで呼びかけるのか。最近の若い人はこう呼ぶのかも知れないが、本に残すのにずいぶん思い切ったことだと驚いた。
 
  虎の尾の花を揺らして君来る
 
 
 
 

2019年7月20日(土)
日限り日記

[口角を上げる]
今日の新聞の人生相談に「妻からあなたは第一印象が悪いと言われている。どうしたら良いか」というのが載っていた。回答は、清潔感のある服装を身につけること、口角を上げていること、の二点に注意してはであった。
私も同じようなことを言われている。でも口角はどうすれば上がるのか。
指導では自分では笑っているつもりでも、そう見えていない可能性がある。鏡の前で練習をすることとある。
 鏡の前でやってみても難しい。口角泡を飛ばすことは簡単だが。
 
 炎天も寒天も口角上げて
 
 
 

2019年7月18日(木)
日限り日記

 [ダルビッシュ3勝]
 カブスのダルビッシュが今季3勝目を挙げた。
 その彼がインタビューで「今は制球も球の切れも人生でベスト」と言っているのは実に良い言葉だ。腕の手術を受けている彼の言葉に、大谷選手など沢山の選手が勇気づけられるのではないか。
 スポーツ選手以外にも病気で手術を受けた人は一様に勇気づけられるだろう。彼は同時に「勝つための努力を怠らなかった。毎日試してギブアップしない」とも言っている。
 
  噴水の力尽くしてゐる天辺
  
 

2019年7月16日(火)
日限り日記

 [点滴」
 親戚の葬儀、子どもと孫と少数の親戚のみ参列。
 91歳になると誰も深く悲しまない。それでいい。
 嚥下困難で食べられなくなったときに、胃瘻を選ぶ人は少ないと思うが嚥下の力が回復することを期待して点滴は選ぶかも知れない。
 この方は7ヶ月の点滴期間中途中で息子に点滴を抜いてくれと頼んだそうだが、息子はできなかった。結局嚥下力は回復せず、大分痩せられて亡くなった。
 吉村昭は自ら点滴の管を抜いて死を選んだと言う。
 自分ならどうするだろう。
 今回の参議院選挙では一つの政策で戦う党が二つ出ている。一つは「NHKから国民を守る会」で、観るなら払う観ないなら払わないという主張。もう一つは「安楽死制度を考える会」で、自分の最後は自分で決めたいという主張。
 単一の主張では政党政治の選挙では選べない気もするが、主張としては気になる主張だと思う。この主張の元に多くの人が立候補したが、どのくらい票を集めるだろうか。
 
 仏花みな均しき高さ半夏生
 
 
 

2019年7月14日(日)
日限り日記

 [多焦点レンズ]
 老眼になって困るのは、遠いところを見る眼鏡と近くを見る眼鏡が一つでは済まないことだ。
 眼鏡屋に聞くと、もっぱら遠くを見る眼鏡(遠)、本を読む眼鏡(近)、本とパソコンを見る眼鏡(近-近)、遠くと近くを見る眼鏡(遠-近)、中間距離と近くを見る眼鏡(中-近)などレンズにいろいろな種類がある。すすめに従って、そのときの必要度に応じた眼鏡を作るが今までにぴったりできたためしがない。
 今回近所に***研究所というのが進出してきた。うたい文句が「老眼になる前の眼に近い働きをする連続焦点、の眼鏡だという。研究所という名前とうたい文句に釣られて行ってみた。
 しかし、検眼機の前に座ったとたん、今までの眼鏡屋の検眼機と変わらないので失望した。
 今どの眼鏡屋に行っても、フレームは材質もファッションも大幅に変化しているが、隅の方にある検眼機は進歩していないし店による特徴もない。右と左ではどちらが濃く見えますかなどいう質問も昔とほとんど変わらない。
 今回作った遠近用眼鏡も近を見るレンズの面積が小さく、遠くを見るには良いが近くを見るときは自分の目に力を入れて焦点を合わせる必要があるという以外は、今までの眼鏡と余り変わり映えがしなかった。いわんや「老眼になる前の眼に近い」状態にはならなかった。
 外付け眼鏡だから良いようなものだ。白内障用の埋め込みレンズもいくつかの選択があるようだが、これは一度入れたら変えられないのだろうから悩ましい話だ。かと言って試しに仮に入れることもできないから、医者の説明を聞いて決めるしかないのだろう。見えさえすれば良いというように決めてかかれば良いだろうけれども、なかなかそこまで悟りきれまい。
 
 猫分譲会66歳以上の人は貰へません
 
 

2019年7月10日(水)
日限り日記

 [ハラハラドキドキ病]
 米大リーグのオールスターゲームのテレビ放送でヤンキース田中将大投手の胸のすく投球を見た。実に美しいフォームから美しい球筋。しかも一発食らいそうなぎりぎりの美しさ。
 ところで、ねじめ正一のコラムによれば彼は今横浜ベイスターズを応援している。特に救援投手のエスコバーの鬼の形相が好きだとのこと。
 6月19日エスコバーが四球を出し、ヒットを打たれいきなりピンチになったときに逆転される予感がしてテレビを消した。エスコバーが三振を取ってピンチを切り抜けたと知ってその画面を探したがどの局も映さなかったとのこと。
 昔プロ野球に夢中だったときはもっとテレビを消したりつけたりの連続だったそうだ。
 私は歳をとって少しは贔屓のチームのピンチに鈍感になるかと思っていたが、真逆で若いときよりもハラハラする。若いときと違って身体に障ることが確実なので見てはいられない。
 野球はベイスターズ、サッカーは今はJ2に落ちて放送されることはなくなったジェフ千葉、ゴルフは石川遼、相撲は去年まで稀勢の里、フィギャースケートはすべての女子選手(転ぶのが可哀相で)の試合は見ないか見てもつけたり消したりする。実際にグランドや国技館に行けば従容として現実を受け入れるしかないのだが、テレビはいけない。刺激が強すぎる、逃げ出せる、虚像であるかも知れぬ。
 
 
 将大の球浮き上がる雲の峰
 
 
 
 

2019年7月3日(水)
日限り日記

 [年を取るということ]
 私は小学生の時に父を亡くしたこともあって、中学・高校は父方の祖父母と、大学は母方の祖父母と同居した。
 そのとき彼らは、60歳代、70歳代で十分に年寄りだった。動作は遅いがしかし、考え方は重厚である。
 今自分は彼らの年を越えているのだが、考え方は重厚だろうか。
 私は高校時代から日記を付けていてまれに読み返すことがあるが、字は今よりは読みやすい字を書いているし、考え方も今に比べて特に幼稚とも思えない。重層した考えもできている。
 その後強いて変わったことと言えば、失敗した経験が増えたこと、責任の重さを知ったこと、また、勇ましいことを言っても一人では、また急にはなにも出来ないということを知ったことか。
 要するに目覚ましい進歩はしていないし、判断力や洞察力が深まり、人間として出来上がったなどとは到底言えない段階だ。
 つまり、まだまだ迷いが多く未知のことがらを多く抱えていながら、身体が効かなくなっているのが今の状態だ。
 しかし昔の老人は考え方が熟成したのであろうか。子どもから見れば、老人は重厚な考えを持っているように思えたが、実は彼らも悩みの多い悟りきれない人間だったのではないか。つまり今の我々と同じだったのではないだろうか。
 論語の「子(いわ)く、吾十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲するところに従いて(のり)を越えず」とあるのは、智の超人孔子の言動を見ると現実にそうだったということもあるにはあるが、そうありたいという願望もあるような気がする。
 年を取るとは、考えはまだまだ迷いの時期にありながら、身体が言うことを効かなくなるということではないか。
 
  道あれば道に散り懸く凌霄花(のうぜんか)
  
 
 

懸ける
2019年7月1日(月)
日限り日記

 [お絹]
 週刊誌によれば作家村山由佳は愛猫「もみじ」が死んでもうこれ以上の猫は現れないから飼うのはやめたと思っていたところ、また子猫が現れて結局飼う羽目になったとのこと。
 その猫は小柄な子猫で毛触りも絹糸のようだったから、絹と名前を付けお絹と呼んでいるそうだ。
 お絹という名前を読んで、思わずクスッと笑ってしまった。
 私の母は衣という名前だが、父はお衣と呼んでいたらしい。小学校一年の時に別れたから記憶はないのだが、父がドイツから母に出した沢山の手紙には、必ずお衣と書いてあった。
 しかし猫のお絹と違って母は大柄なおんなであった。身長が多分160センチはあったし、体重は普通だと思うが動作は軽く機敏とはいかなかった。
 7人弟妹で女5人の第一子であるこの大柄な子どもを早く片付けないといけないと貧乏官僚の両親は思ったであろう、20歳の時に父と結婚させられた。嫁入り修行などあまりしなかったであろうことは、母が父のために編んだ手袋を見れば分かる。左右一対とは到底思えない違った大きさだ。
 東京市麹町区霞ヶ関の官舎を出て地方の4軒長屋共同風呂の社宅に住むことになった母を訪ねてきた弟妹は一様に衣ねえちゃん可哀相と言ったが、母は大家族から離れて自由に伸び伸びと生活ができる今を本当に幸せと思っていたようだ。
 すぐに姉そして私と生まれるのだが、今が幸せと思っている嫁を父はお衣と呼んで愛らしく思っていたのではないか。
 
 大姫ウツギその名お衣と申します