2019年6月28日(金)
日限り日記

 [自然の暦]
 國學院大學で野本寛一氏の「環境民俗学」の話を聞いて1年が経つ。話がとても面白かったので氏の著書の中から「季節の民俗誌」を買って季節が来ると読んでいる。氏は日本全国の自然歴を求めて歩いたらしい。
 例えば卯の花。福島県、島根県、広島県など多くのところで、卯の花が咲いたら田植えという言い伝えがあるそうだ。
 辛夷が咲いたら苗代打ちという言い伝えもあるそうで、氏は白い花が咲いて田んぼ作業が始まり白い米がとれる。白米の力を象徴し、予報するようだと言っている。
 卯の花はほかに、卯の花の盛りがノボリマス盛り、カジカが卵を産むなどなどともある。
 私の祖父は師範学校の博物の教師だったが自給自足生活が好きで農業にも取り組んでいた。人に聞いたり自分で経験したことを農家歴として残している。2月上旬早熟茄子播種、4年休栽などいろいろ書いてある。水田も耕したが水稲の項には特に記載がない。
 
 卯の花と田植えはともに季語だがこの自然歴を読んだ句は見たことがなかった。しかし先日兼題が「田植え」の句会で初めてお目に掛かった。主宰の先生も高得点を付けられた。
 
  卯の花もすがし黒田の早苗打ち   吉田**
 
  私も次の句を出した。先生は勢いがあっていいと言われたがいかにも自然歴そのものであるかも知れない。
 
 
   村中の卯の花咲けりいざ田植ゑ
 
 
 
 
 
 

2019年6月27日(木)
日限り日記

  [蜜蜂と遠雷]
 恩田陸「蜜蜂と遠雷」上下を読む。後記によれば著者は3年おきに開催される浜松国際ピアノコンクールに4度聞きに行って7年間以上にわたって雑誌に連載しながら筆を進めたそうな。
 全体を通じて、コンクール参加者や審査員の生活とかお互いの間の心の葛藤とかの描写が多いのかと思ったがそれは少なくて、音楽の曲の解説とか弾き手による弾き方の違いの描写が多かった。
 このようないわば専門分野のことでどうかと思ったが、これが面白かった。
 強いていえば村上春樹の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」に似たようなものである。専門家ではないが普通の音楽好きの人がぐっと突っ込んで音楽を解釈する、それは意外に面白かった。
 それにしても、テレビで放映された漫画映画「ピアノの森」そっくりである。どちらかが影響を受けたのか、時間軸で見れば解けるだろうがそれはどちらでも良いことだ。漫画映画には本にはない実演奏があり、それがコンテスタントによって別の人がピアノを弾く(あるいは別の弾き方で引く)から違いに説得力がある。
 小説と漫画と相補い合ってほかの作品にない面白味があった。
 
 遠雷や蜜蜂の音混じりゐて
 
 
 

2019年6月25日(火)
日限り日記

 [自分の句柄]
 先月は休んだので、「一億人の俳句教室」は2ヶ月ぶりの出席。
 新宿ブックファーストでは新刊書、俳句、中国文学翻訳書、日本人の小説などを見たが、村田喜代子の「飛族」と宮坂静生「1000句を楽しむ」以外に買いたいと思うものはない。柚月裕子など現物を見ないでもいい本はネットで買ってあるし。
 志ん朝のCDセット16枚シリーズが出るらしいが「芝浜」「火焔太鼓」などの定番は漏れている模様なので、どうするか。改めてすでに出ているCDやDVDを調べてみよう。志ん朝を聞くとほかの落語家は聞けないので志ん朝に絞って調べる。
 「一億人の俳句教室」の句会で長谷川先生の特選一句、入選一句で好成績、しかし今月は大特選があっただがこれには漏れた。
 先生から最大の褒め言葉をいただいた。
 「***さんらしい勢いのある句」。嬉しいし講評、これを伸ばしたい。
 かつてある句友から、「また句会でお会いできる日も思いつつ、端正な御句に会えることをたのしみにしております」と言われたことがある。
 これと若い人から「大きな句」と言われたことがある。
 自分で自分の句の特徴は分からないが、この辺が私の句柄なのだろうか。
 
 
  梅雨晴間なすべきことはなにもなく
  
  
  
 

2019年6月21日(金)
日限り日記

 [ビデオテープ]
 家を整理していたらかなりのビデオテープがある。子どものとった漫画、大人のとった映画、自分たちのゴルフのスイング、結婚式や葬儀の実況など。
 もう一度みたいと思っていた昔のフランス映画「ラマン(情人)」を掛けてみたが、映像が出ない。いじっている内にビデオコーダーが動かなくなってしまった。
 実際に再生したいのは母の葬儀ぐらいで映画や漫画は録画状態のよいDVDが出ているので再生する必要がない。そこでビデオテープ、ビデオコーダーを処分することにした。
 念のため8ミリビデオも見てみたら、こちらも機械そのものがまともに動かなくなっている。
 保存しておきたいビデオテープや8ミリのテープはDVDに焼いてもらうことにして機械は両方とも処分することにした。
 技術革新で記録媒体がテープからハードディスクやDVDに変わって機械が使い物にならなくなった。テープの技術の寿命は何年ぐらいの寿命だったのだろう、せいぜい30年から50年ぐらいか。でも30年と言えば人生で3度ぐらい味わうことのできる技術革新である。
 
 
 馬返し駅舎の跡の茂りかな
 
 
 
 

2019年6月18日(火)
日限り日記

 [女性の活躍]
 今回の直木賞候補作は6名全員が女性だそうだ。
 新刊書を見ても女性作家の活躍がめざましい。私がいま読んでいる小説も女性の手になるものが多い。
 例えば柚月裕子。彼女の「孤狼の血」は凄かった。警察社会とヤクザ社会が入り組んで起こる事件を逞しくスピード感溢れる筆致で書いた。続いて読んだ「慈雨」は新旧二つの少女誘拐事件を退職した警官が協力して解決してゆくストーリーで少し甘いがまあまあ読ませた。最近読んだ「最後の証人」では検事をやめて弁護士になった男の正義感を書く。面白くてきりもなく読む気にさせるのがこの作家の良くないところだ。実はいま「検事の本懐」をとりよせているところだ。
 男も直木賞作家東山彰良あたりになれば断然面白いのだが、それは台湾社会の物語だから面白くあったりする。日本社会は閉塞していて完結していてもはや男が書くには値しないのかもしれない。
 もっとも、ノンフィクションの分野でも読売新聞に連載している星野博美のエッセイなどは、男に比べても遙かに行動的であり地球的であり面白い。俳句の世界では正木ゆう子の活躍。こういう時代なのだと思わざるを得ない。
 
 故郷の航空写真風青し
 
 
 
 

2019年6月16日(日)
日限り日記

 [シダの観察会]
 久しぶりに四季の森公園の自然観察会に参加。全国森林インストラクターにより自然観察会で今日はシダの観察。
 30人ぐらい集まって、3グループに分かれて四季の森を2時間ぐらいかけて歩く。
 観察したシダ類は、ベニシダ、イヌワラビ、オクマワラビ、コウヤワラビ、イノデ、スギナ、ゼンマイ、フモトシダ、トクサ、ミゾシダ、ゲジゲジシダ、イノモトソウ、カニクサ、ノキシノブ、ミズニラ、などなど。シダの特徴の一つに「胞子で増える」というのがあるぐらいだから、シダには実に沢山の種類があるようだ。
 シダの種類の見分け方はわかりにくく、一度聞いたぐらいでは到底覚えられない。私は前にも一度この観察会に出たことがあるのだが、これは何のシダでしょうと聞かれて今回もほとんど正解できなかった。
 しかし、驚いたのは、シダに詳しい人が結構いることである。マニアと言って良いのではないか。シダが趣味の人はどんな人なのだろう。もっともシダが趣味の人には、この面白い植物を趣味にしない人はどんな人なのだろうと言われてしまうかも知れないが。
 雨上がりでぬかるみもあり、少し山にも登ったのでかなりくたびれた。
 
 梅雨入や直立トクサもシダですか
 
 
 
 
 

2019年6月14日(金)
日限り日記

[悪ガキ]
 自分の悪ガキぶりについての続き。
 小学校3,4年だったろうか。住んでいる社宅は、竹の垣根が組んであり、ヒバのような木が植えられていた。その下が土手になっていて土手の幅が1メートルぐらい、土手には芝が植えられていた。
 冬の初めだったか、土手の芝が枯れていた。その芝に火を付けたら、きれいに燃えてくれるのではないかと思い立ち、マッチで火を付けた。
 火はあっという間に芝を総なめにして竹の垣根に燃え移りヒバに燃え移った。木造の社宅は目の前にあった。
 お母さん!と叫んだと思う。すぐに母親、近所の人が集まってすんでの所で家に燃え移るのが避けられた。
 なぜあのようにすぐに大勢の人が集まったのか、未だに不思議だ。なぜ大火事にならなかったのかも不思議だ。
 お母さん僕は、と言い訳をしようとした途端、母にぶん殴られほうり投げられた。父は長期海外出張で不在だった。
 会社の庶務のおじさんが来て、やろうとしたことは分かるがこの方法ではうまくいかないのだよ、と言ってくれた。庶務のおじさんの優しさが不気味だった。もっと怒られた方が良いのに、と思ったものだ。
 
 
  (こう)厚し垣根の上の花カボチャ
  
  
  
 

2019年6月11日(火)
日限り日記

 [悪さ加減]
 人は自分の小学校時代を実際よりもよい子であったように覚えているというが、これは自分の子どもを見ても分かることだ。いま40歳の子どもが孫に勉強を教えているのを見ると、ママが小学生時代はね、という小学生時代の彼女は、実際よりも美化されている。確かに成績はよかったが自分が覚えているほどではない。クラスでの人気も自分が覚えているほどではない。
 ということは私自身もそうだと言うことだろう。
 では悪さ加減は。実際は記憶しているほど悪くなかったというのなら良いのだけれども。
 私は小学校5年生まで地方にある会社の社宅に住んでいた。そこで同級生のお母さんから「+++ちゃん、うちの子を呼び捨てにしないで***ちゃんと呼んでちょうだい!うちの子は+++ちゃんをちゃん付けで呼んでいるでしょう」と言われたことをいまもしっかりと覚えている。もちろんその後も呼び捨てにしていたことも。
 私が一番首をすくめていることは、前の家に忍び込んだことだ。前の家は中学生のお子さんを勉強のため東京に出していて奥さんの不在がちで昼間は留守が多かった。私はその家の北側三畳間からそっと忍び込んで、男のお子さんのおもちゃで遊ぶことが楽しみだった。そのお子さんは小学生の私よりも5歳ぐらい上だったからおもちゃも複雑で面白かった。
 そのおもちゃを失敬して我が家に持ち帰ったことはしなかったと思うが、毎日のようにそっと忍び込んだと思う。その家のご主人は会社で私の父の上司だった。父は係長でヨーロッパに長期出張中だった。前の家のおじさんは、父の上司の課長で父が不在の間母が何かと相談に乗ってもらっていた。
 あの忍び込みは本当におじさんにばれていなかったのだろうか。
 その後社会人になってから前の家のおじさんは会社の専務になり、私は新入社員として同じ会社に入社した。前の家のお兄さんとも長じて親しく付き合った。
 彼らは何もかも見透かしていたのではないだろうか。私は一度聞いてみたかったがもちろん聞くことはできず、いつも上目遣いで彼らを見るのだった。
 
   兜虫夜な夜な捕らえし山毛欅(ぶな)
 


2019年6月9日(日)
日限り日記

 [義父のメモ]
 私の妻の父は銀行員だった。話が好きだったがあまり上手ではなく、妻や子どもやその連れ合いも特に晩年はあまり話を聞いてあげなかった。
 今回その居宅を壊すに当たって妻が家財の片付けに日参した。父は几帳面だったから父の分はほとんど問題なく片付けが出来たとのこと。
 妻がある日、一冊の本を持って片付けから帰ってきた。その本は私が2005年71歳の時に自費出版した私の父の生涯に関する本(「ベルリンからの手紙―第二次大戦、大空襲下の一技術者」)である。義父に進呈したその本には、各ページにわたって傍線が引かれていた。そして見開きに次のような文章が書かれていた。
 「文中の傍線は私(義父のこと)が引いた線。私は感動し、詳読に一週間を要した。名文名書なり、専門作家に劣らぬ筆なり、平成17年1月これを記す」
 
 妻の父がこれほど読んでくれていたとは知らなかった。私は深く嘆息した。
 世の中には当事者の話を聞き取る「オーラルヒストリー学」という学問もある。前任者の話をよく聞いて自分の仕事に生かす人もいる。しかし私は、仕事の面でも私生活の面でもあまり先達の話を聞くことはしなかった。自分なりのやり方でやりたかったということだとは思うが、先達の話をよく聞くという別の生き方があったかも知れない。
 しかし、今となってはそれが自分の生き方だったと思うしかない。義父には済まないことをしたと思う。
 

  世界遺産百舌鳥古墳群天鼠(てんそ)かな
 
 
 

2019年6月6日(木)
日限り日記

 「江藤淳展」
 神奈川近代文学館へ江藤淳展を見に。
 石原慎太郎、大江健三郎、江藤淳は私とほぼ同年代であり大学時代か卒業まもなくして世に出た世代の輝かしいチャンピオンたちである。文学好きを標榜していた私には、遙か彼方にいるうらやましい存在だった。
 私はそれ故に何冊か彼らの本を読んでいるし、彼らの消息にも知らぬふりは出来なかった。江藤淳については、「夏目漱石」「海は甦える」「海舟余波」「南州残影」「一族再会」が良いと思った。三人の中では文芸評論家であるだけに文章は論理的であるし分かりやすかった。特に分かりにくい大江の文章に比べれば際だって明晰だった。
 好き嫌いで言えば三人ともに好きにはなれないが、江藤は何か小賢しいところがいやだった。江藤は親しい後輩には慕われるらしいが同輩や年配者には煙たがられるものを持っていたのではないか。慶応大学で江藤が出席しているから講義をしないという先生がいたそうだ。まあいろいろと鬱陶しい学生だったのかも知れない。
 ネットで見ると「明治国家を理想とする正統的な保守派の論客として論壇で異彩を放つようになり、しばしば戦後保守派や新保守主義派の論客とは対立した」とあるが、かつての小林秀雄、福田恆存などに比して文芸評論兼社会評論家としてそれほど影響があったとは思えない。
 江藤を特集した雑誌を先日捨ててしまったのではっきりした証拠の文章がないが、1958年(私が大学を卒業した年)「喪失」によって福田章二が中央公論新人賞を得たが、これにたいして江藤淳は「新人福田章二を認めない」という全否定の文章を発表した。これは相当激烈な文章で、当時私は一評論家がこのように若い作家を潰すことが許されるのかと強く反感を持った。
 福田は後に庄司薫という名前で「赤頭巾ちゃん気をつけて」で芥川賞を取るがその後も江藤の妄言に縛られているような感じを拭い去れなかった。しかし庄司文学の流れはいま厳然として続いていると思う。
 それ以来私は江藤を目立ちたがりの胡散臭い男と思うことになった。
 今回江藤淳展を見て、この文芸評論家の残して膨大な知的生産物に大いに敬意を表したが、しかしもう一つ抜け出せなかった秀才の悲哀を見たような気がした。漱石に対して、「一生涯つき合い続けることのできる作家に、二十代のはじめに出逢うことのできた私は、至極幸運な評論家というべきなのかも知れない」と言っているが、自分より大きなものには卑屈になり小さなものには強く当たる男でなかったか。
 ところで江藤に「荷風散策」という本があることを初めて知った。神奈川近代文学館の閲覧室で読んでみたが、例によって精緻な分析であり閉口して完読はできなかった。しかし江藤にも荷風のような風流自在な男を好きになるところがあることは分かった。
 
 
  田を植える原稿用紙を埋めていく
 
 
 
 
 
 

2019年6月4日(火)
日限り日記

 [続永井荷風]
 いままで割合沢山読んだ作家は夏目漱石、三島由紀夫、大岡昇平、松本清張、司馬遼太郎、藤沢周平、村上春樹、中国語で莫言、閻連科など。
 永井荷風はおそらくいままで読んだことさえなかったが、今回「断腸亭日乗」を読んでみて面白いと思い続いて、「荷風戦後日瀝」「墨東奇譚」を読んで惹きつけられるものがあった。
 荷風自身良い家庭に育ちながら自分で家庭を持ったことがない(一度結婚したが離婚した)。親の世話もあってアメリカやフランスに学ぶ。慶応大学の教授になったが本来その任にあらずと短期間でやめてしまい定職に就かず文筆を業とする。筆の対象は主に花柳界や陋巷。谷崎潤一郎など優秀な文筆家を発掘する。昭和34年に80歳で死亡しているが、昭和34年は私が勤めて2年目であり、大学時代にも存命であったが気にしたこともなかったと思う。
 その荷風にいま惹きつけられるのは何か。
 「墨東綺譚」を例にとれば、私娼窟・玉の井を舞台に、小説家と娼婦(お雪)との出会いと別れを、季節の移り変わりとともに美しくも哀れ深く描いている。そして底流に日本の文化やアメリカやフランスの生活や考え方が散りばめられていて単なる娼婦の物語にとどまらない。
 荷風はしかも自堕落に生きているのではない。作品を作るためにまめに現地調査に出かけるし、自分の作品を完成させるために日々努力をする。
 自分が若かったときは世の中に背を向けたような姿に共感が持てなかったが、いまは高い教養を持ちながら立身出世や世間体に囚われず自立と自由に生きる姿に惹かれるのであろうか。

 
  うぐいすや障子にうつる水の紋    荷風
 
 
 
 

2019年6月1日(土)
日限り日記

 [永井荷風」
 永井荷風の大正6年からの「断腸亭日乗」の続き、大正8年、9年、10年を読んだ。
 なかに「42歳になるに妻子もなく放蕩無頼われながら浅ましきかぎり」という文があるが本音だとすれば、浅ましいが放蕩無頼をやめる気はないということだろう。
 荷風は40歳にもなったし、いろいろ宿痾の病、と言っても書かれているのは風邪とか歯痛だが、もあるのでもう長生きはしないと度々言っている。
 その彼のもとによく谷崎潤一郎、堀口大学などが訪問してくる。理由は荷風に自分の著書の序文を書いてもらうためであるが、それは荷風が彼らの才能を発見した人だったかららしい。彼は市井では江戸文学に通暁している作家と言われているが荷風自身はそう思っていないし、むしろアメリカやフランスに留学をしていたこともあり、西洋かぶれであったと述べている。私はほとんど荷風を知らないのだなと思った。
 荷風には昭和21年1月1日からの「荷風戦後日瀝」というのがある。40歳でもはや命が尽きると書いていた荷風が70歳に近くなってどんなことを書くのか興味があったので「断腸亭日乗」に引き続いて読んでみた。
 この昭和21年1月荷風は熱海から市川に引っ越す。2月新円発行。3月毎朝鶯語をきく遊興限りなし。中央公論社顧問料500円。卵1個4円、牛肉100匁(375グラム)40円などの記載あり。印税が1万円振り込まれたりするので先々の不安はあっても生活に困ったりはしていない。
 大正10年から昭和20年までの激動の戦争時代について何か言いたいことがあるのではないかと期待していたが日常の生活を淡々と書き記し、時には遊郭を見て感慨にふけるだけで歴史的文明史的観察はない。元々荷風はそのような人ではないのかも知れない。
 記憶が定かでないが、過去荷風について全くと言って良いぐらい読んでいないのではないか。
 何か彼の小説を読んでみようかという気になった。
 

   葛飾に住みて間もなし梅の花  荷風