2019年4月25日(木)
日限り日記

 [烏达巴拉]
 量販店のカウンターに「烏达巴拉」という名札をつけた女性がいたのでどこの出身ですかと聞いてみた。内モンゴル(中国自治区)出身だとのこと。そうかモンゴル高原の空を飛んでいる鳥ということですかと聞いたら全然違うとのこと。モンゴル語の発音を漢字で書くとこうなるという発音の表記だそうだ。正しい名前は、といって書いてくれた字は、ここには記すことが不可能な字だった。世界でただ一つ縦書きの字だという。
 モンゴルではどういう言葉が使われているのか。
 大まかに言うと中国内モンゴル自治区、モンゴル共和国ともに会話はハルハ方言が主。書き言葉は中国内モンゴル自治区はモンゴル文字、モンゴル共和国はキリル文字らしい。キリル文字とはロシア語に似ているとのこと。ソヴィエト連邦の全面的支援によって中華人民共和国から独立したモンゴル共和国は書き言葉でもロシア語の影響を強く受けた。言葉の歴史は国の歴史の変遷を示す。
1910年(明治43年)日本は大韓帝国を併合し朝鮮総督府が韓国全土を統治した。総督府は全土に学校を作り文字を持たなかった民衆にハングルを教育普及させた(当時の上層階級は書き言葉では漢文を使っていた)。1941年太平洋戦争が始まり、韓国もおのずからオールジャパンで戦争に組み込まれ学校で朝鮮語授業が廃止された(百田尚樹「今こそ韓国に謝ろう」)。
百田は朝鮮総督府は日常会話で朝鮮語を使うことを禁止してはおらず、決して韓国人が言うように「言葉を奪った」ことはないと言っているが、現地人はどのように感じたか、争いはありそうだ。
 
 鳥帰る猫は隣へ帰りけり 
   
 
 
 

2019年4月23日(火)
日限り日記

 [墓石の字]
 久しぶりに墓掃除をしがてら墓地を散策した。墓石の表記は何々家の墓というのが一番多いがそれとは違った字が刻まれているのもある。家は断絶するということであろうか。我が家も私か妻が死んだ後は断絶する。
 家の名の表記以外に墓石にはどのような字が人気があるのか。
 一字では「夢」「想」「晴」「絆」「偲」「空」「慈」。二字では「感謝」「如雲」。「ありがとう」というのもある。一番多いのは「夢」であった。死んだ後もなお「夢」とはどういうことか分からない。どうか安らかに眠って良い夢を見てくださいということか。
 「ありがとうと」は、今際の言葉で一番多いらしいが、墓石の「ありがとう」は、今際の言葉とは違って、生きている人から死んだ人に対しての「ありがとう」であろうか。
 今際の言葉は自分ならなんと言うだろう。「ありがとう」が無難だが死者と生者の関係のみで閉じる。「じゃ仲良くな」となると残った者同士の関係に入り込む。もっとも「仲良く」ではお説教的で墓石にはならないか。

 
 
 我と妻の墓誌の余白や墓参り
 
 
 
 

2019年4月21日(日)
日限り日記

 [戸車交換]
 本職の大工にやってもらうよりも、自分でやった方が出来栄えが良いものは雨戸の戸車交換である。
 今の雨戸は、もう40年ほど前にあつらえて作った木製のガラリ戸だから古くて重い。場所によっては2,3年に一度戸車を交換しなければならなくなる。
 戸車を取り替えただけでも動くことは動くが、指一本で滑らかに動くようにするには高さや角度の微妙な調整が必要になる。実際に使う者が時間をかけてやった方が微妙な調整は行き届く。
 自家用車を廃車した現在、郊外に戸車を買いに行くのがやっかいだが、良いものに出会えば次回からはネットで買える。今使っているのはネットで二個一袋150円である。送料を入れても安い。潤滑油はいままでは定番の5-56だったが大工に勧められてシリコンルブスプレーを使っている。この方がほこりを巻き込まないのだそうだ。
 ただガラリ戸をレールから外したりはめ込むのには相当な力が要るので、天気も良く体調が良い日を見計らって前の日からその気を蓄えておいて実行する。
 戸車交換は文句なく妻から褒められるので気持ちの良い労働である。ペンキ塗りなどは労力の割にはあまり評価されない。妻の評価基準は見栄えよりも効能である。
 
 
  そのなかに(ぬさ)も混じりぬ飛花落花
 
 
 
 

2019年4月19日(金)
日限り日記

 [漫画「ピアノの森」]
 NHK放映の連続アニメ番組「ピアノの森」を見てきたが終わってしまった。
 漫画本をアニメにしたものらしい。家は妻も娘たちも大の漫画好きだが私は好きではない。それが熱心に見ていたものだから妻から大分冷やかされた。そういえば「ルパン三世」も大好きでしたよ。
 これは「ショパンコンクール」の話だが、ショパンを理解して弾けるのはポーランド人しかいないという強い主張、評価をする審査員の国・派閥・師弟関係などからいかに評価が独立してあり得るのかという問題提起、演奏の評価基準は如何にあるのかなど今までコンクールを巡っていろいろ言われてきたものが、劇画的に分かりやすく処理されている。映画や小説では描けない、ただアニメ・漫画だけが描ける描き方である。もっとも中国の小説「三国志演義」や「水滸伝」は劇画の描き方と共通するものがあるような気がするが。
 いま、直木賞を取った浜松国際コンクールを題材にした恩田陸の「蜜蜂と遠雷」がようやく文庫本になった。これを機会に読んでみたい、と思ってネットで調べてみたら、「蜜蜂と遠雷」は「ピアノの森」そっくりの筋立てなのだそうだ。もっともこの種の指摘はネット上ではよくあることだが。それを承知で読んでも良いかもしれない。
 
  
  新緑や森にピアノの音満ちて
  
  
  
 

2019年4月17日(水)
日限り日記

 [新緑の国立競技場]
 慶応病院泌尿器科定期検診。
 昨年PSA検査をやらなかったが、果たして2年ぶりに検査をする今回はいくつになっているか。若い人は4を超えると前立腺ガン要警戒だが、高齢者は10以下ならよしとすると医者から言われている。もし10以上だったらどうしたいと医者に言おうか。基本は放置だがそれでいいのか。
 などと事前に少し悩んだが、結果は6台。しかも昨年もやっていたそうで今年の方が数値が低い。
 余計な気苦労だった。
 前立腺肥大の薬を待つ間、病院内のホテルレストランで昼食。眼下左に絵画館があり、正面に新国立競技場がほぼできあがっている。絵画館から競技場まで雨上がりの鮮やかな木々の緑で埋められている。木々は今てっぺんが萌葱色になっている。競技場は森にふさわしいように木が多く使われたと聞いたがそのせいか古風なコロッセウム(円形闘技場)のような雰囲気がある。
 伊勢丹メンズ館HERNOへ。ここは場所も小さく、1、2種類しかおいてない。しかしそのうちの一つが伊勢丹特注という着丈の長いコートで欲しいものだったので買い求めた。
 たまったポイントで軽い傘を買う。軽ければ軽いほどよく機械開きは要らない。
 コートも傘も古いものは廃棄する。そうしないとあっという間にものが溢れる。
 体重が増加傾向なので、伊勢丹に来ながら和菓子の「鈴懸」も[仙太郎]も見て見ぬふりで帰る。
 
  新緑の萌えて木造り競技場
  
 

2019年4月15日(月)
日限り日記

 [新元号「令和」]
 4月13日の読売新聞橋本五郎ワールドによれば、新たな元号「令和」の出典が万葉集だと聞いて橋本は沢瀉久孝の万葉集注釈を調べてみた。そこには万葉集の「梅花の歌32首 序を併せたり」(原文では「梅花歌三十二首并序」巻第五)の注釈が詳しく書かれている。序にある「・・・初春の令月にして、気淑く風和らぎ・・・」が中国の「文選」の帰田賦に由来することはほかの注釈書にもあるが、沢瀉はそれ以外にも中国の王羲之の蘭亭序にも類似の表現があると指摘して序の全文を載せているそうだ。
 橋本は中国文化の影響の大きさを思わずにいられない。文化とは異文化を摂取、包摂しながら個性あるものに創造されていくものなのだろう、と結んでいる。
 週刊新潮4月11日号の櫻井よしこの連載コラムには新元号「令和」に対する桜井の見解が述べられている。そこでは万葉集という読み人知らずの歌が半分もあり、農民や防人の歌が多い大和民族の歌集から新元号が選ばれたことを喜んでいる。同時に聖徳太子が我が国を勝手に属国と見なす中国に607年、日本は中国と対等な国だと宣言したとも書かれている。
 同じようなことを氏は「BSフジ」のプライムニュースでも述べられていた。現在の中国政府を権力主義、拡張主義と断ずることと、古代日本が中国から強い影響を受けていたこととは別の話である。専門外のことをまことしやかに述べるあやうい論調であると感じた。
 また、今までは「元号」の出典が中国古典であったことに対して今回はじめて日本の国書から選ばれたことに中国が反感を持たないかと心配する人もいた。
 これらはいずれも沢瀉久孝の注釈を見れば誤りに気がつくはずである。
 現在の万葉学者はだれも沢瀉久孝を超えられていない。橋本の論調はこの点でも出色のものである。
 
 
   千年を一重筒咲き白椿
 
 
 
 

2019年4月13日(土)
日限り日記

 [クラス会句会]
 7日、東京青山は雨で、春にしては最高気温が7度と寒かった。
 大学のクラス仲間の句会は、始めてから15年になる。最大10名いたが、3名物故、2名が奥さんを介護する生活に入った。常時出席は6名、欠席投句が1名。
 今日は4名と少なかったから句会の後いろいろ雑談が出来た。
 最近読んだ面白い本、満州からの引き揚げ者の感じた朝鮮民族の排他性、朝鮮人の徴用工の問題、これからの人生何のために生きるのかなど。
 何のために生きるのかについては、子供が仕上がり夫婦の身体や頭が劣化してきた今、地球上の75億人の中から縁あって結ばれた二人が支え合って生きること、すなわち、結局自分としては妻のために生きることではないかと言ったら怪訝な顔をされた。
 自分は自分のために生きる、まだまだやりたいことがある、浮気もしたいと真顔で言う者がいる。
 何かしたい、色事もしたいと思っても実力が伴わない、恥をかくのはいやだと言ったがそんなことを心配したら何も出来ないと言う。その意気や壮とすべし。しかし今年のクラス会新年会で撮った写真は、誰もが眼の周り、顔の周りがぼやけていて、若いときのようにクッキリと写っていない。幽明境を異にしないごとくだ。
 
 妻のため生きると決めし花見かな
 


 

2019年4月11日(木)
日限り日記

 [猫のためいき鵜の寝言]
 ついに我慢が出来なくて正木ゆう子の「猫のためいき鵜の寝言十七音の内と外」を買った。一回800字の随筆で、最後に俳句が付いている。形としては私の「日限り日記」みたいなもので、参考になるかも知れない。というよりも、私は正木の俳句が好きなのである。我慢できなくなってと書いたのは、この小さな本があまりにも高いから一人で反抗していたのである。
 
  われもまた後ろ盾なき涼しさに
  あたたかく脚踏みかふる塒なれ
  春愁の果てよりこころ呼びもどす
  
 どれも素晴らしい。
  子雲雀のぶらぶら歩き虫咥へ
 はかつて雑誌「俳句」(2017年11月号)に「なんて下手の句と思うが、私はこういう句が作りたかったのだと初めて俳句を作った日の自分に戻った」とあった。その句がこの「猫のためいき鵜の寝言」に再録されている。下手の句でも必要な句は残すということの正しさを教えられた。
 
 この随筆は西日本新聞連載で彼女のホームグラウンド(熊本)での話なので、気安さに溢れている。まあ内々の話を聞かされるようなものもあるにはあるが。
 ところで、一般論として優れた俳人というのは常識人ではない、と思う。孤高を厭わない、自分の句が分からないのは分からない方が悪い、人がなんと言おうと良い句は良く悪い句は悪い、俳論で論争をする、いつも正面で言うわけにもいかないから陰口もきくし人の悪口も言う。
 いつか金子兜太が長谷川櫂の震災短歌を評して、櫂君も若い、こんな短歌を作るなんて未熟であるというようなことを俳句雑誌で言っていたのは、その例である。普通は一家をなしているような人にそのような失礼なことは表だっては言わないが、俳句では許される。内々の甘えなのだろうか。
 正木の随筆を見ると、徒党を組まない正木でさえ常識人と瀬戸際のようなところもあるのかなと思う。常識人では良い句は作れないということだろう。
 つまり私の俳句がだめなのは、私が常識人であるからなのです。
 
   花吹雪富士の視界を清めけり


 
 

2019年4月9日(火)
日限り日記

 [せせらぎ緑道]
 横浜港北区山崎パンの工場の脇の江川せせらぎ緑道を桜を見ながら歩いてきた。お濠のある千鳥ヶ淵は大人や外人が多く、目黒川も同様。ここは小川にザリガニなどがいるから子供が多い。子供は桜などは見ない。
 桜はその年々の気温や咲く場所によって色が違うそうだが、今年の桜色は少し白が勝っているように思う。私は俳句は作れずに写真のみ。終点は家具のIKEA。そこから送迎バスに乗って新横浜へ。運転手がIKEAに来られたお客さんありがとうございした、花見のお客さんゴミは自分で持ち帰ってくださいと車内放送をしていたから、私みたいな客が多いのだろう。かといってついでにIKEA店内を覗いてみる気にはなれない、去年あまりの若い人の多さに圧倒されて飲み物さえ飲めなかったし一度中に入ると人の流れに沿って歩かざるを得ないのもつらかった。
 新横浜の三省堂で古いCDが売りに出されていたなかに、アートペッパーのモダンジャズがあったので買った。モダンジャズは昔LP時代にずいぶん買って聞いた。今どんな感じがするのだろうか。
 華正楼で今年出初めの冷やし中華を食べた。隣の女性老人二人組が、ナメクジが出た話をし始めた。おいおいこちらはまだ食事中なんですよ。女性には反撃されそうだが男の私に言わせると、老人女性組は声が大きく場所によって話題を選ばないので要注意。
 
  縺れつつ川下り行く花と影
 
 
 

2019年4月6日(土)
日限り日記

  [小学生の受験勉強]
 春休みということで小学生の孫が来ている。今度5年生になる上の子は、塾の問題集をどっさり持ってきた。共働きの親はあまり見てやれないというので祖父に頼ろうという魂胆のようだ。祖父も決して教えることが好きなわけではないが、しかし娘が困っているのでは少しでも助けてやりたい。
 塾の問題集を見て、あまりに量が多いこと、しかも同じような問題が多いことにに驚いた。数学などはとにかく習うよりもなれよということであろうか、膨大な問題を早く解く訓練である。
 これは完全に入試のためのテクニックの勉強である。小さな子供の競争心をあおり、遊ぶ時間を奪っている。しかしこれをやらないとやっている人との競争に勝てない。子供の弱みにつけ込んだ商売である。親も子も次の塾の試験で良い成績を取って塾内のランクを上げたいという目先の目標にきゅうきゅうとする。塾の思うつぼにはまっている。
 子供は与えられた環境にすぐに順応するから、子供が喜んでやっていると錯覚しがちだが、良い環境を作ってあげることが大人の責任だと思う。
 私が一見して感じた問題点を教育の専門家が分からないはずがない。この問題を解決するためにはどうしたら良いのだろう。私には分からないが、入学試験問題を変えるのが一番ではないか。塾は入学試験対策で今のようになっているのだから。
 早さよりも理解力を問う問題に改めることか。例えば分数を分数で割る計算は出来るが、その意味を問われるとうちの孫は詰まってしまう。
  
  そのなかに八十路の我も大試験
  
  
  

2019年4月3日(水)
日限り日記

 [スピン]
 4月というのは年度替わりで新しい思いがする。区切りの時である。
 読みさしに区切りを付けたりするために本の背表紙に糊付けされる栞紐を、業界用語でスピンという。スピンが初めて採用されたのは明治時代岩波文庫とのこと。字引などには必須の紐だと思うが最近ではコストダウンのためか字引にさえ使われなくなった。ちなみにスピンは英語ではなく、和製英語で語源は不明とのこと。
 歳時記にもホトトギスの「季寄せ」は薄い本だが二本のスピンがつけられていたが、新版ではなくなってしまった。栞紐の効能を十分に承知している編者の稲畑汀子は、栞紐が入れられなかったのは出版の事情によると殊更に述べている。持ち歩きをする本なので紙の栞を挟むわけにもいかないからかなり不便になった。
 さすがに六法全書にはある。法律というのはほかの学問に比べて参照する条文や判例が実に多岐にわたっていることが分かる。法律学のことをドイツ語で通称BrotWissenschaft、パン(食べるための)の学問と言うと聞いたことがあるが、参照の学問ですね。
 最近読んだ本では「短歌と俳句の五十番勝負」(穂村弘×堀本裕樹)に二本のスピンがついている。堅い表紙ではなく柔らかな表紙であるし厚い本でもない。沢山の歌や句が載っているわけでもない。なぜ二本のスピンが必要なのだろう、必要性が分からない。まあしゃれた装丁だから装丁家が装丁の一部としてつけたのではないか、本の中身とは関係なく。気まぐれのスピンもあるのでしょうね。
 
 
   桜咲き我が逝く年号令和なり
   
   
   
 

2019年4月1日(月)
日限り日記

   [千鳥ヶ淵の花見]
 今年の桜は東京が全国に先駆けて満開になった。
 混みそうな週末は避けても良いのだが、天気予報だと今日が一番のお花見日和になりそうだというので日曜日に千鳥ヶ淵に出かけた。ところが九段下駅で降りるともう人がいっぱいでなかなか地上に出られない。途中で引き上げることもあるべしと観念したが、急ぐ旅ではないし流れに身を任せればいいと思えばそれなりに列は進んでいくのであった。
 千鳥ヶ淵は、満開というには少し早い九分咲きぐらいであったろうか。例年と違うといえば、夜桜のための照明灯の柱があちこちに立っていてひどく景色を損なっていることぐらいだ。入り口から展望台までを3,40分ぐらいかけて歩いた。
 千鳥ヶ淵がほかのところと違うのは、お濠を挟んだ皇居側の崖の未踏の場所に桜が沢山あることである。誰にも触れさせない初々しい桜を見ることが出来る。
 帰りは靖国神社に出たが、この境内の喧噪は何だろう。この時期二人の叔父が眠っている本殿に近づくことははばかられるような喧噪だ。遠くから参拝して踵を返した。
 今回は九段下に文久元年(1861)からやっているという寿司屋によることを楽しみにして来たが10人ほどが列を作って待っていたので諦めて、近くのファストフード店にはいった。向かい側のマクドナルドには20人ほどの列がある。時間の自由な老人はこの時期休日にこの場所に来てはいけない。
 
 
   へそにピアスかや胴吹きの老桜