2019年2月26日(火)
日限り日記

 [日記]
 今週の読売新聞の書評欄では「前立腺歌日記」(四元康裕)が取り上げられている。評者は木琴奏者の通崎睦美で「女である私にもおちんちんがついているような錯覚に襲われる」と言っている。
 実はこの本については去年の12月28日の「日限り日記」で取り上げたところ、面白そうなので買って読んだと言ってくださった方がいたが、その方も女性だった。不思議な気持ちになったが、なに私も女性の身体では自分にない部分について敬しているから普通なことかも知れない。いわんやこの四元の歌日記には、古今の和洋の詩人歌人の詩がふんだんに挿入されているからその部分は男女にかかわらず面白いのである。
 これは闘病日記だが、日記と言えば先日亡くなった俳句会の大御所金子兜太の日記が近々発行されるらしい。そのことに関係されていた方からこういう話があった。「日記というのは大体は言い分けである。漱石の「こころ」はその代表的作品である。日記を書く人は注意した方が良い」。
 たしか東洋の偉大な知識人李登輝元台湾総統は自分が日記をつけることをやめた理由に、言い分けになってしまうので、と言っていた。確かにそういう面もあるだろう。
 しかし日記はそればかりではない。
 昔阿部次郎の「三太郎の日記」という本があった。これは三太郎に託して若き阿部次郎の精神の苦悩と思索を綴ったもので、私も大いに読みふけったものだ。理想と現実、他人の評価と自己分析、驕りと挫折など日記をつけることを通してより明確に己の観察が可能となる。
 日記というのは、そのときの自分を明確にする道具でしかない。言い分けしている自分がいるから日記がそうなるのであって、日記をつけるから言い分けが強くなるというわけではない。さらに、もし日記をつけなければ瞬時に消え去る日々も、日記をつけることによって同一時に別の自分を生きることさえ可能なのである。ものを書くというのは人間のすごい技である。その技を何のためにどう使うかはその人の自由である。
 私は高校一年の時から日記をつけているがつけ方にはいろいろ変遷がある。別に人に読ませるものではなければ、自分勝手な使い方をして良いはずだ。
 ところで金子兜太について言えば、見かけや俳句からは豪胆な人に見えるが実は細心で言い分けも多かったことが日記からうかがわれたのだろうか。だから後々言われないように日記を書く人はご注意を、ということなのかも知れない。

 
 
   恋の日は若菜を摘む日詩の国
   
   
   
 

2019年2月23日(土)
日限り日記

 [裁判所からの封書]
 東京地方裁判所から封書が来た。民事第20部合議係、はて裁判所に関係するとしたら。
 あるとすれば裁判員裁判官の依頼か、昔会社にいた当時のことが何か事件になったのか。恐る恐る開けてみたら、どうやらゴルフ場の再生事案らしいことが分かった。やれやれ。
 ゴルフをやらなくなったのでゴルフ場の会員権を処分しようとしたが、規約通り入会預託金を返済するところもあるが、なかには、資金の余裕がないのでしばしご容赦を、というところもある。今回の事案は、6年前に退会を申請したが預託金返済は繰り延べされてきたゴルフ場が、経営が成り立たなくなったので民事再生法にかける、ついては預託金を削減して返済することに賛成してくれ、という要請の第一段階の書類のようだ。賛成が多ければ裁判所の監督の下で再建計画を作るのだという。
 聞きたいことが沢山あったが、何せ電話が話し中で繋がらない。書類提出の締め切り期限は迫っているが分からないままに同意することも出来ない。何日もかかってやっと繋がったが会員数を考えれば繋がったことが奇跡のようなものだ。そして疑問は一応解決した。
 私としては初めての経験だが、ネットで見るとゴルフ場の倒産は非常に多い。寄せられている質問も多い。関係している人も裁判官やら弁護士やら沢山いる。このあとどのように進んでいくのだろうか。
 
 
 啓蟄や眠たさうなる虫ばかり
 
 
 

2019年2月21日(木)
日限り日記

 [「論語」のあとは「論語」]
 「論語」を読み終わった。
 20篇502章。始めたのが2015年3月だからちょうど4年かかったことになる。1日1章と思っていたが、3日に1章の計算になる。
 使ったのは原文は「論語誦読本」、現代中国語文は「論語注釈及解釈」、日本語の参考書は「完訳論語(井波律子)」「論語(金谷治)」「現代語訳論語(宮崎市定)」「論語(加地伸行)」「論語(安井小太郎)」などである。安井本は祖父が明治時代に勉強した本である。
 まず原文を読み、現代中国語訳を読み、漢文読み下し文を読み、現代日本語訳を読む。
 「論語」は声に出してゆっくり読むべきである。7章までは原文を中国語の先生について発音に気をつけて読んだが、8章以降健康上の理由で先生につけなくなったので一人で声に出して読んだ。
 502章を読んで感じたのは、孔子が現実主義者だったということである。実行できないことは言わないし、言う相手によって言い方を変える。勉強が好きで人に教えることに倦まなかった。孔子自身野心も悩みも多い人だったが、それを弟子の前で隠さなかった。人間の善意を信じた。
 特に読み物として「論語」が良いのは一章一章が独立した短文で、前後のことを思い出さなくても進めることである。
 さて「論語」のあとには何を読もうか。中国語としては「紅楼夢」が一つの候補。日本の古典では「万葉集」の柿本人麻呂歌集か。
 しかし一番の候補は、「論語」である。「論語」再読が一番魅力がある。小学生時代に祖父とともに「論語抜粋」を素読したことを加えれば3度目になる。
 なんといっても孔子に魅力があるからである。
 
 
 早梅や論語素読をはじめから
 
 
 
 
 

2019年2月19日(火)
日限り日記

 [ラ・ラ・ランド復習塾]
 映画「ラ・ラ・ランド」が面白かったので、いきおいネットで関係するビデオを見まくった。
 監督のデミアン・チャゼル、主演男優のライアン・コズリング、女優のエマ・ストーンのインタビューなど。インタビューでは、雰囲気が分かるぐらいで何を話をしているのか詳しくは分からないが、ゴズリングもエマ・ストーンもなかなかユーモアのある役者らしく、聞き取れないのが悔しかった。
 かなり面白かったのはWOWOWの町山智浩の映画塾「ラ・ラ・ランド「復習篇」」。「ラ・ラ・ランド」で観衆の一番の不満は、主人公の二人が結ばれるハッピーエンドでなかったことだそうだ。ここまで楽しい映画にしたのならハッピーエンドでよかったのにという観客が多いそうだ。女主人公が女優として実業家の妻として可愛い子供の母として成功する一方、男の主人公はジャズホールのオーナーでしかない。あれだけ男に励ましを受けながらこうかと、ムカつく人が多かったとのこと。
 町山に言わせるとそもそもこの監督はお互いに目指すところが違えば一緒にならないのが当たり前という考えの人で、この映画のテーマは「愛」ではなくて「戦い、葛藤」なのだそうだ。古くは「ニューヨーク・ニューヨーク」でライザミネリ―とロバートデニーロの間にあった葛藤と同じように。だからこの映画をラブストーリーとして見に来た人は結末を見て怒ってしまう。「ニューヨーク・ニューヨーク」「シェルブールの雨傘」とおなじようにほろ苦い結末の物語なのである。デミアン・チャゼルはそういうことが好きな監督なのである・・・・。
 町山智浩の熱い語り口も面白かったが塾に集まった人々も本当に映画が好きなようだった。
 ノスタルジーに浸るのは好みではないが、高校に入った年に沢山の映画を見て感想を書きまくった当時のあの熱い雰囲気を思い出した。
 
 
 愛すなはち別るることや初燕
 
 
 
 

2019年2月17日(日)
日限り日記

 [このさきをどう生きるか(藤原智美)]
 本屋で立ち読みをして面白そうだったので読んでみた。
 老人の書いた処世術は沢山あるが、著者は1955年生まれの比較的若い作家である。2007年に「暴走老人」という本を出したことがある由。
 気になった項目を拾い出して見る。
 
 ・エリートほどネット依存に
 ・老人のネット依存は致命的
 ・ノスタルジーは過去の自分を知る妨げになる
 ・老人エリートほど孤独を賛美する
 ・老人にも同調圧力
 ・孤独は書くことで救われる
 ・自分のための物語を書く
 ・自分をさらけ出す勇気があるか
 ・書いて虚栄心を抜く
 
 一言で言うと年をとったら書くことで心を再生させてはどうか、という提言だと思われる。新しさのある提言だと思う。
 孤独を賛美する老人は老人エリートで、本を書いたりして実際には孤独ではない、というのは五木寛之、曾野綾子、下重暁子などを見れば明らでその通りだと思う。
 ものを書くのに虚栄心を捨てろ、自分をさらけ出せというのはなかなか出来ない相談だ。井上ひさしが言っているように、エッセイはほとんどが自慢話である。エッセイでなくてもものを書くというのは必ず自己顕示がある。謙虚で清廉な人になれと言われても出来ないし、人生の終わりにやらせても手遅れである。
 人間というものはしょうもない生き物なのだという前提にたってさていかに生きるかではないか。
 ものを書くに当たっての唯一最大の注意事項は、関係者を傷つけないようにすることではないか。どんなに注意しても傷つけてしまうことはあるが。
 
 
  読経の低く渡りて蟻地獄
  
  
  
 

2019年2月15日(金)
日限り日記

 「都ぞ弥生の雲紫に」
 旧制一高寮歌「ああ玉杯に花受けて」三高寮歌「逍遥の歌―紅萌ゆる岡の花」と北大予科寮歌「都ぞ弥生」が三大寮歌と言われている。
 一高や三高の寮歌がわかりやすい単純な若者の歌であるのに対して、北大寮歌は若者の屈折した感情のある歌になっている。
 
  都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂う宴遊(うたげ)(むしろ)
  尽きせぬ(おごり)に濃き紅や その春暮れては移ろう色の
  夢こそ一時青き繁みに 燃えなん我胸思いを載せて
  月影冴かに光れる北を 
  人の世の 清き国ぞとあこがれぬ
 
 北海道になぜ来たのかという説明に一番全部が使われている。都は花の香に過ぎず尽きない奢りもやがては移ろうもの、燃える思いを抱いて清き国に来たのだという決意表明である。
 いきおい二番から五番までは雄大な北海道―石狩平野、針葉樹林、牧場、連なる山脈が朗々と歌い上げられる。
 
 私の父が第二次大戦末期長期出張中に結核で倒れドイツのシュワルツヴァルトのザンクト・ブラジエンにあるサナトリウムに入院していたときのこと。ベルリンの日本人会から頼まれてある人が慰問品を背負って父を訪問してくれた。ザンクト・ブラジエンへはベルリンから列車で13時間の駅で降りて15キロを徒歩で歩かざるを得なかった。
 二人は面識がなかったがともに北大工学部の出身だった。二人は共通の先生や知人の話題ですぐに打ち解けてきりなく話が弾んだが「都ぞ弥生」を歌って別れた。
 父はやがて現地で死亡した。おそらく父が会った最後の日本人だった。私たち子供は後にそれを知って父のために本当によかったと感謝した。
 
 
  尽きせぬ奢に濃き紅や その春暮れては移ろう色の
 
 
 
 

2019年2月13日(水)
日限り日記

 [芥川賞受賞作品]
 今年の芥川賞受賞作品を読んだ。
 町屋良平の「1R1分34秒」は面白かった。うだつの上がらない若いボクサーの優しくもストイックな日常。前半は負け試合の詳細、後半は減量との戦いの詳細。作者はインタビューの中で「ボクシングの技術的なことをかっちり書くと決めたのは賭けであり挑戦だった」と述べ「ボクシングは言葉と相性がよいのではないかと思った」とも述べている。
 読んでいてそのところが心地よかった。選考委員の一人が、「石原慎太郎氏の拳闘を題材にした過去の名短編の数々と読み比べてみるのも一興」(吉田修一)と言っているが、私が記憶する限り小説としては数段石原の方が巧く構成されているが、ボクシングをし減量をする人間の身体についての詳細にして美しい書き方、詩のような書き方は町屋の方が勝っている。未完ではあるが部分的に輝きのある作品だと思った。
 ニムロッド(上田岳弘)は計算されて小説かも知れない。なにしろインタビューで「一浪一留」は計画通りと言ってのけたりする作者であるし、実際にIT企業の役員をやっているのだそうだ。
 しかし、私には感動できなかった。書かれている社会が分からない社会であるという私の責任でもある。しかし分からない人たちであっても理解はしたい。選考委員の川上弘美が「今後は作中の「どろどろに溶け合った人類」を、作者独自の何かとして表現してください」と言っているが私の感想でもある。
 
 
 バレンタインデー藁一筋を口移し
 
 
 
 

2019年2月11日(月)
日限り日記

 [未来を見る]
 堺屋太一氏が亡くなった。
 先を見ようとした人だったし実際に先が見えた数少ない人だった。1,2年先を見ようとする人たちには10年先20年先を語る堺屋氏を理解できなかった。事実政治家として大臣になったが、孔子が魯国の高官になったときほどではなかったろうが、少し見方が高等でありすぎたか尊敬したとしても付き従う人は少なかったように思う。
 しかし先を見る力は抜きんじていたし未来博のような企画にはうってつけの人だった。この年になっても未来を語らせて彼の上を行く人はいない。
 いま将来を語る人で私が一番信じているのは、外国で商売をしている中国人の実業家である。中国人は自国にいるとどうしても中華思想のDNAが優位になってきて世界が見えなくなる。かといって潜在購買力と未知なる頭脳力から今後の世界をリードするのが好き嫌いは別にして中国であるのは否定しがたい。
 今日はラオックスの羅社長の話から。
・花巻空港と上海空港の間で定期便が出来た。日本への旅行は一時的なブームではない。
・外国人と日本人を分けてビジネスを考える時代は終わる。多くの外国人が来て住んでいる。日本人のライフタイルも変わる。
・より激しい競争社会の到来で、これでいいという人と努力して多くの収入を得ようとする人に別れる。ますます格差社会になる。
・中国の問題を解決するには改革開放をさらに進めるしかない。政府も分かっている。

など。
 堺屋太一氏に言わせるとこれらは近視的な見方かも知れないが、方向性は良く示しているのではないか。
 
 
 何もない日こそ万歳椿咲く
 
 
 
 

2019年2月9日(土)
日限り日記

 [ラ・ラ・ランド]
 雪模様で寒く外に行けない。
 買い物に出た妻に文藝春秋3月号を買ってきてもらう。そこに掲載されている今年の芥川賞は二作ともに読めそうだが、とりあえず録画しておいた映画「ラ・ラ・ランド」を見ることにする。
 有名な女優になる夢を持つ売れない女優と、生粋のジャズを聞かせるために自分の店を持ちたいというミュージシアンの恋物語のミュージカル。お互いの夢が実現できるように励ますのだが、お互いの夢が実現したときは一緒に暮らせなくなるという杞憂がそのままになって、二人は別の人生を歩むことになる。そのことをお互いに受け入れる哀愁のある映画。
 主演のミア・ストーンは私の好きなタイプではないがこの役でアカデミー女優主演賞を獲得しただけあってすぐに惹きつけられていった。
 ミュージカルではあるが唐突に踊り出すというような昔のタイプではない。アメリカ映画の新しさと底深い面白さに浸った。
 NHKの今年度全国俳句大会を見る。選ばれたなかには良い句もあったが俳句がこんなにつまらないものであったかと思わるせる句も多かった。選者が古くお互いに馬鹿にされないことを考えて無難な俳句を選ぶのではないか。俳句はラ・ラ・ランドのような現代の哀愁をも切り取れる文芸であるはずなのだが。
 
 
 隠国(こもりく)の小机城北春の雪
 
 
 

2019年2月6日(水)
日限り日記

  [無謀なタックル事件]
 2018年5月にあった日大アメリカンフットボール部の選手による危険なタックルについて、直後に日大が設置した第三者委員会も、危険タックルは内田前監督と井上前コーチの指示だったとする最終報告をまとめた。
 しかし、今日の新聞によると警視庁は監督らの指示は認められなく、起訴を求めずということになったとのこと。
 警視庁の調べに対して、内田前監督と井上前コーチのやりとりを証言した部員の一人は「勘違いだった」と訂正し、別の部員は「周囲から聞いた話を自分が見たかのように話してしまった。男子選手をかばう気持ちがあった」と説明したという。
 そうなるとあの連日テレビや新聞を騒がした事件は何だったのだろうか。
 そもそものスタートは、あの純朴そうな学生が大勢の記者の前で内田監督らの指示で危険タックルをやったと言ったことが嘘であるはずがない、ということから始まった。
 当時のテレビの報道番組(というかワイドショー)では、連日司会者もコメンテーターも、監督、コーチはそういう指示はしていないと言っているが督コーチは嘘を言っているという論調で一色である。試合現場で監督コーチが話をした口の動きから探ろうと読唇術者まで呼んで同調させる有様だ。
 今回の警視庁の結論を受けて、テレビ局は当時の司会者やコメンテーターがどう言ったかをテレビで再現して報道してほしいと思う。コメンテーターの中には番組に勢いをつける芸人みたいな人が居るからそういう人は別として、ジャーナリストやスポーツ評論家を名乗っている方が何を根拠に何を言ったか、是非再現してほしい。それこそがマスコミの責任のとりかたであると思う。
「信じてもらえないかも知れないが、私は違法タックルを指示していない」と言った前監督の言葉をなぜ一人も信じなかったのか、これでは無責任な人々による集団リンチと変わることがない。
 いま新聞では、あのような危険なタックルが行われた背景は追求されるべきだと言っているが、それはそうだとしても熱狂して一方的に作り上げた報道をまき散らした責任の頬かぶりは許されない。
 
  無謀なるタックルバレンタインデー
 
 
 

2019年2月3日(日)
日限り日記

 [鴨池橋]
 我が家は鶴見川の河口から18キロ上流に近いところにある。このあたりの鶴見川は、堤防の幅は200メートルぐらいあるが川幅は30メートルぐらいか。鴨居駅北口に鴨池橋という人道橋がある。人道橋は幅が20メートルはある立派な橋であるが、人と自転車だけが通れる橋である。
 鶴見川は河口10キロのところの新横浜・小机のあたりに大型の遊水池があるから、鴨池橋のあたりで氾濫することはちょっと考えられない。それでも年に一、二度は堤防近くまで川が増水し、河川敷にある木が完全に水没するようになることがある。
 この鴨池橋が冬はなかなかの難物だ。真西に富士山や丹沢が見えるのだが、北風西風が吹くと川の寒気を巻き込んで老人は渡り抜けるのに難儀する。橋が立派になると風は強くなるのか。若い人はなんとも思わないで橋を越えた先にある会社やショッピングセンターららぽーとに向かうのだが、老人は手前にある喫茶店のヴェローチェにとどまることになるから、寒い日のヴェローチェは老人で満員である。
 芭蕉が「野ざらし紀行」で富士川の手前で詠んだ
 
  猿を聞人(きくひと)捨て子に秋の風いかに
 
 ではないが、行くてを阻まれた老人も哀れである。立春になったがまだ寒い。

 
  茂吉龍太西行逝きし二月かな
  
  
 

2019年2月1日(金)
日限り日記

 [(うぐいす)餅]
 鶯餅というのは歳時記では春の季語である。月別の歳時記では4月に入っている。しかし、和菓子屋で見ると同じように4月に入っている草餅と並んではやくも「新鶯餅」「新草餅」が並んでいる。新しいヨモギはもう生えたのであろうか。
 鶯餅では
  街の雨鶯餅がもう出たか   富安風生
 
 が名句で、句会に出てもこの句を超えるような句にお目にかかれない。
  1月30日の読売新聞長谷川櫂選「四季」に
 
  鶯餅裏山はいまこんな色   佐藤郁良
 
 が載っていた。
 なるほどと思った。句に限りはない。見渡せばまだまだ詠めるものであることを認識した。
 そういえば近所の和菓子屋の主が亡くなり婿殿が後を継いだ。去年柏餅は餅の厚さが不安定で、もう一つしっくりこなかったが鶯餅はどうか。
 鶯餅は青大豆で作った黄な粉をまぶし両端を尖らせているのだが、婿殿の鶯はふっくらとまるく、尖っていない。味はとても良い。
 
  鶯餅代がかはりてふつくらと