2019年1月29日(火)
日限り日記

 
 [ネット注文]
 21日ある家庭用品をメールで注文したとろ、折り返し注文請書が来た。思うところがあり、21日メールでキャンセルした。しかし翌22日再度注文請書が届いた。おかしいと思ったが、請書はメールが来ると自動的に発行される仕組みなのも知れないし、注文後7日をたってお金が振り込まれなければキャンセル扱いになると書いてあるので放っておいた。
 ところが25日に製品を発送したというメールが来た。
 キャンセルが認められていなかったのか。多分キャンセルのメールを無視したのだろう。
 抗議しようかと思ったが、22日二度目の注文請書が来たときに自分が電話でキャンセルしたことを確認しなかった落ち度があるので、やむなく払うことにした。
 ネット買いの失敗の例である。
 メールで発注してもキャンセルは口頭で確認した方が良い。
 なによりも安易に発注するのがいけない。
 
    洋服タンス重きや父の紺オーバー
 
 
 
 
 

2019年1月27日(日)
日限り日記

 [新宿の本屋にて]
 時間があまりなかったがブックファーストで見た本は、台湾の作家たちの訪日随筆「我的日本」、和田秀樹「自分が老人になるということ」など。今台湾の作家は活躍しているし、台湾と日本は通じ合うところが多い。「我的日本」は面白そう。
 今日は長谷川櫂の50句の載っている「俳句」2月号を買う。
 長谷川の句の題は「死の種」である。“ 死の種子の一つほぐるる朝寝かな”“病巣へ月の刃の冷ややかに”“病巣は柘榴(ざくろ)裂けたるごとくあり”“生淡々死又淡々冬木立”などという句がある。彼(またはその周辺に)になにか起こっているのか。そうでなければよいが。
 同年輩の人の病気はもはや仕方がないことだが長谷川は若く、知っている人の中では今最も輝いている人。まだまだ輝いていてほしい人だ。
 一億人の俳句入門。一句特選、一句入選。良い成績。しかも手直しなし。
 
 
  揚羽子(あげはね)の高く飛べ良き年になれ
 
 
 

2019年1月25日(金)
日限り日記

 [サバイバル登山]
 日経のプロムナードに連載されていた服部文祥氏の文章は面白かった。
 服部氏は大勢がサポートする登山に疑問を持って、現地の山で食料調達するサバイバル登山を目指す。そう考えるに至った経緯と食糧を調達するときの様子が、非常に緊迫した文章で書かれていた。
 服部は山女魚も大型になると釣ったあと殺すのに難儀したということを書いている。その後こうじて鹿のような大型獣を捕獲するために猟銃使う資格をとって実際に狩りをする。サバイバル登山の発想は良いが大型獣を殺すまで行くのは本当に必要性があったのか、別の趣味になっていったのか。もちろん服部氏のことだから深い考察が述べられていた気がするがやり過ぎだと思った。
 我が家は戦後父が死亡したため現金収入が少なく、タンパク質の確保に苦労をした。生物学の教師であった同居の祖父は、鶏や七面鳥を飼ったのはもとより、青大将も食料にした。なんと言っても忘れられないのは山羊である。祖父は山羊を飼い乳を搾ったが、山羊に子供を産ませて子ヤギを殺して我々に食べさせた。鶏を殺すときも子ヤギを殺すときも祖父は鬼のような顔になった。冷蔵庫がなかったから肉は味噌漬けにして保存した。子ヤギの最後の声と祖父のそのときの形相は忘れられない。
 サバイバルの生活だったのだ。そして今の自分たちがある。だから、ハゼを釣っておいてジタバタしていると笑うような句はどうしても認めることができない。
 

 ひしめきて喪中の家の冬木の芽
 
 
 
 

2019年1月22日(火)
日限り日記

 [大学入試センター試験]
 今年も大学入試センター試験に挑戦してみた。と言っても国語以外は太刀打ちできない。勉強を続けている中国語も一昨年やってみたが手強かったので今年は後回し。
 国語は例年良い問題が出る。今年は沼野充義、上林暁、玉水物語、杜甫の文章の四問である。
 第一問は沼野充義「翻訳をめぐる七つの非実践的な断章」から外国語を日本語の直す作業についての考察。言語や文化的背景がどれほど異なる文学作品でも、読者になんとか理解される翻訳が可能だと信じている点で、翻訳家は楽天的なのだ、という論を基調に翻訳についての面白い話が述べられている。
 第三問は花園に遊ぶ姫君とその乳母子を一匹の狐が目にしたところから始まる平安時代の御伽草子の中の「玉水物語」の一節。狐は宮仕えの美しい娘に化けて姫君の側に仕える。その結果切ない状況に追い込まれる。
 第四問は杜甫が幼少期に育ててもらった叔母の死を悼んだ文章。杜甫はうわべを飾るのではなく真心のこもった言葉を捧げようとして銘文に韻を踏まなかったとあるのが勉強になった。
 
 問題を解いてみての感想は次の通り。
1. 現代文は一問小さな文字で新聞1ページ、古文、漢文はそれぞれ一問新聞半ページである。老人の文章を読む力は「記憶力」「持続力」が衰える。一ページの長い文章を記憶することが難しいので、現代文の問題はその長さに勝てない。
2. 古文、漢文は問題が短い上に内容もだらだらしていないから、老人が解くのに向いている。
 ところで古文・漢文を現代文に翻訳すると途方もなく長くなる。現代社会は昔なら簡潔に言えたことを言えなくなってしまったのであろうか。
3. 翻訳について沼野はそもそも正確な翻訳とは何かという言語哲学の問題に行き着く、と言っているが、外国人が外国の言葉(いわゆる原書)で本を読むのと翻訳で読むのとどう違うだろう。
 文化的背景の違いが分からないで読むのはどちらも同じだと言えるが、私はどうせくい違うのなら自分の責任でくい違うという点で原文(今の私には中国語)で読みたいと思っている。翻訳家の翻訳と照らし合わせて思うのは、翻訳家は読者に親切すぎるということである。あるいは翻訳家は読者の想像力を信じていないのかも知れない。
4. 今年の受験生は57万人だそうだ。57万人がこのような優れた問題に接することが出来るのは素晴らしいことだ。試験は最大の教育であると思った。
 
 そのなかに孫もをるなり大試験
 
 
 
 

2019年1月19日(土)
日限り日記

 [巻誠一郎]
 今年もJリーグの元全日本の選手の引退が相次ぐ。GKの川口、楢崎、DFの中澤、MFの小笠原など。これらの大物に比べて国際Aマッチ出場数で少し下るかも知れないがJ3熊本のFW巻誠一郎(38歳)の引退の報道があった。1月16日の日経はなんと写真入り1段36行の記事である。
 なぜ巻がこのように大物以上の扱いを受けるのだろうか。
 巻は特別な選手だった。
 ジェフ市原(今の千葉)のオシム監督が全日本の監督になったときに巻が抜擢された。サッカーファンは巻とは誰かという雰囲気だった。しかし試合でピッチ全体を走り回る巻の姿を見て皆納得したし感動もした。巻はオシムのサッカーを知りたければオシムに鍛えられた自分に聞いてくれと言ったが、彼のプレイを見れば聞くまでもないのだった。
 ジェフを離れてからからはロシア、中国など海外のクラブでプレイをし、最後は故郷熊本でプレイをした。巻は最後まで走り回る巻だった。
 平成16年熊本地震が発生したとき、ロアッソ熊本のFW巻は自分の家が被災したにもかかわらず自宅を連絡場所にして復興支援活動に取り組んだ。
 巻はサッカーで魂のこもったプレイをした。そして災害復興のために心血を注いだ。
 巻誠一郎は魂の男だった。
 
  
  復興へ巻誠一郎玉の汗

 
 
 

2019年1月17日(木)
日限り日記

 [稀勢の里引退]
 横綱稀勢の里が引退した。最近は稽古場でこそ強そうだったが本番ではとても勝てる相撲ではなかった。同郷のため応援してきたので残念ではあるが、これで今日以降心安らかに相撲を見ることが出来る。
 良い体をしていたが横綱になるのは遅かった。懸命に努力をしてぎりぎり横綱になることで力を使い尽くしたかも知れない。油断して稽古に手を抜いたとは思いたくないが、久しぶりの日本人横綱誕生をよろこぶ人々によって贔屓の引き倒しを受けたかも知れない。
 昔相撲に八百長が横行していると言われたときに、絶対やらないと太鼓判を押せるのが稀勢の里だと言われたことがあった。同郷の友人である政治家が、茨城人は政治家としてはだめだ、清濁併せのむことのできない堅物が多いから、と自暴的に言っていたことを思い出す。相撲取りに清濁併せのむ必要はないが(政治家もと私は思うが)、稀勢の里にはそのような凜とした雰囲気があった。人気があったのは、唯一の日本人横綱ということのほかに彼の凜とした雰囲気を好む人が多かったためだと思う。
 
 初場所や贔屓力士の脚細く
 
 
 

2019年1月15日(火)
日限り日記

 [スマートウオッチ]
 スマートウオッチなるものを購入した。
 腕につけた時計型のデバイスがいろいろのデータを取得する。それをスマホに送る。またスマホに来たデータをデバイスで表示するというもの。
 デバイスが取得しスマホに送るデータは、歩数、脈拍数、睡眠時間と状況、運動の目標と結果、消費カロリーなど。スマホからデバイスに送られるデータは、スマホに来たメールなど。あとは時計機能、アラーム機能、音楽再生機能など。
 売り場を見るとFITBIT、GARMINなどアメリカの二三の会社とノキアなどの寡占状態にある。日本企業ではソニーやエプソンがあるが機種も少ない。
 海外の製品で困るのは、初期設定のマニュアルが不親切なのと初期不良対応が不十分なことだ。特に電子機器部品は製品の品質にばらつきがあり、この欠点がもろに出る。そういうリスクを考えて5千円から5万円ぐらいある製品の中から2万円ほどの海外製品を買った。
 予想していたとおり、マニュアルは紙ではなくネットにしかない。しかもほとんどがQ&A方式のマニュアルだから慣れない者には使いにくい。デバイスを使っている人が周りにいれば直接に聞けるのだが蟄居しているので情報がない。
 しかし2日間こねくり回してやっとなんとか基本的な機能は使えるようになった。私の場合の基本的機能というのは、リアルタイムと時系列の脈拍数、一日あたり歩数、睡眠時間と睡眠の質、到着メールの確認、などである。予定表が載ればと思うが出来るのかどうかよく分からない。音楽デバイスとして使うのは簡単なようだが、歩きながら音楽を聴くのは今の私には危険すぎる。
 まだ使い始めて3日なので、これからいろいろ分かるだろう。ここまで進歩して来ればスマホに並ぶ端末として普及するかもしれない。とりあえず面白いものを手に入れたという気はしている。
 
 
  極寒の心拍数のはらはらす
 
 
 

2019年1月13日(日)
日限り日記

 [「論語」の音読]
 翻訳家の松岡和子さんによるとある役者が「シェクスピアをやると、知っているけれど言ったことのない言葉を言えるから楽しい」と言ったそうだ。そのことから彼女はカルチャースクールで聴講生に必ず声に出して読んでもらう。そうすると聴講生の表情が生き生きとしてくる。彼女の持論は「黙読は知識になる。音読は体験になる」だそうだ。
 私は今「論語」を第17篇まで黙読で読んできた。初めの7篇は、中国人に音読を手伝ってもらったが、8篇以降はぼそぼそと一人で口に出してはいるものの基本は黙読である。「論語」は20篇500章あるがおそらく今年中には黙読を終える。
 松岡の「音読は体験である」という意味がもう一つ分からない。声に出して読むと、その内容の主人公になれるということだろうか。たしかに音読をやってきた7篇までと8篇以降とでは「論語」の私の身体への染みつき方が違うと感じているが、体験とまで言えるかどうか。
 と言うわけで20篇を終えたら、第8篇に戻って次は中国人と音読で通読してみるつもりだ。それで果たして「「論語」読みの「論語」知らず」が解決できるかどうかは分からないが。
 
 
   母のゐて姉ゐし昭和七日粥
 
 
 

2019年1月11日(金)
日限り日記

 [新国立競技場]
 新国立競技場の建設状況を視察した、と言っても慶応病院11階のレストランで一人で食事をしながらだが。
 前回は遙か下の地上レベルの工事を見たので思わず下の方を探したがなんと目の前の建物が競技場だった。11階から見て同じレベルかそうでなくても10階ぐらいの高さと感じられるぐらいに高い。想像していたよりも巨大な競技場になった。
 ところで年初の経済界の集まりでの経営者の見通しだと、建設ブームはオリンピックを過ぎても続くと嬉しそうだった。リニア新幹線、大阪万博など目白押しだからだ。日本経済は相変わらず箱物建設によって支えられているのか。
 箱物がいやなことは借金によって既定観念のものが建てられるからだ。GNPの二倍以上の借金をしていてはとてもまともな国とはいえない。それでもITとか新産業に対する投資なら新しい社会や事業への夢も感じられるが、箱物への投資は、本来未来の世代がそのときどきに自由な発想で投資すべきものを、今の我々の既定の考え方で先食いしている気がするからだ。つまり若い人の夢を奪ってしまっているからだ。
 ところで慶応病院11階のレストランはホテルの経営である。受診者、入院患者、見舞い客、ご近所などいろいろな客で盛況である。病院産業の底は広い。
 
 雪富士の遙かに清し競技場
 
 
 
 

2019年1月9日(水)
日限り日記

 [大和民族の特性]
 478年倭王武が宋の順帝に対して称号を求めた120年後の607年小野妹子が遣隋使となって「・・日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや・・」という国書を隋の煬帝に提出した。つまり倭は中国と対等の意識に立っている。
 この疎遠だった1世紀に両国に何があったのか。
 冨谷至の「漢の倭の奴の国王から日本国天皇へ」によれば、中国南朝が南斉(479-502)梁(502-557)陳(557-589)と弱体化した一方、異民族国家北魏の強大化により東アジア世界の盟主として中華帝国の存在感がなくなって、中華が賜与する称号が倭にとって魅力のないものになってしまった。
 倭にとってばかりでなく、朝鮮半島の高句麗、百済、新羅にとっても南朝との関係は希薄になっていった。
 589年隋は南朝の陳を滅ぼして南北統一帝国を作った。倭は座視することは出来ずとりあえず使いを遣わしたと考えるのが無難だと冨谷は言っている。しかし第一回の遣隋使派遣(600年)が戻った後小野妹子の第二回の遣隋使が派遣されるまでの7年間倭では矢継ぎ早の制度改革(斑鳩宮設立、小墾田宮遷宮、官位12階制定、憲法十七条制定)がなされる。対等意識で訪問したものの第一回の遣隋使派遣でこのままではいけないと感じたのではないか。
 このような倭国の動きを見ると、懸命に背伸びをしている我々の先輩の頑張りを強く感じる。と同時に窪田城氏が規定した「追随と増長の日本人」(「歴史が作る国民性」)という日本人の性格にも思いが及んでしまう。先達に追随しておおよそ到達したと思うとすぐに増長する。至らぬ点がわかればすぐに追随する。
 この大和民族の国民性は以降の歴史においてしばしば顔を出す。アヘン戦争でそれまで先生だった清国が敗れると、手のひらを返したように敗者を蔑視し勝者のヨーロッパを指向する。近代化がそこそこ達成したと認識すると日清、日ロ戦争に突入する。現代の技術開発競争においても最初は懸命に追随するが追いつくとすぐに増長する。ひょとすると今ある民主主義もそうかもしれない。
 この国民性はもちろん良い面があって、このあっけらかんとした性格が日本を急速に先進国家に導いた基でもあろう。しかし、教えた側にはずいぶん恩知らずな奴と思われる余地があるかも知れない。 
 

 孔子は身長が2メートルを超えていた
 日脚伸ぶ長人といふ孔子像
 
 
 

2019年1月7日(月)
日限り日記

 [「漢倭奴国王から日本国天皇へ」 国号「日本」と称号「天皇」の誕生(冨谷至)]
 「日本」「天皇」という我々日本人にとってもっとも重要な国名、称号がいつからどのような経緯で誕生したか。中国学者の著者が中国学の立場から日本史を研究している学者とは違った観点を提供することが出来るのではないか、という理由で執筆した本。
 著者によれば、古代日本の対中国交渉の歴史は、紀元前1世紀から5世紀までと、600年から8世紀にかけての時期に二分される。
 第一期は57年に倭国が後漢に貢献したことで始まる。朝鮮半島の東南、海を越えたところに人間集団が存在していることが前漢末に認識され、後漢になって「漢倭奴国王」(読み方は通説は「漢の倭(わ)の奴(な)の国王」であるが著者の読み方では「漢のわどこく・王」)の称号が贈与された。皇帝に従属する臣下でもあった。
 倭王武が478年宋の順帝に称号を求めて上奏した書簡は、完璧な正統漢文である。宋以前の書を典拠として文章が構成されている。到底倭人がものにしたとは考えられない。中国に対する知識を持った朝鮮半島からの渡来人の手になるものと思われる。
 第二期600年に遣隋使が派遣されたが、南朝中華帝国の凋落後新たに誕生したこの胡漢融合の中華帝国にたいして新たな外交が展開される。それまでの皇帝と王の関係は清算されて素直な対等になった。それまでの従属関係、臣従関係からの脱皮であり、「倭」という国名、「王」という称号の忌避という方向に進ませた。
 日本史では天智朝からはじまる統一国家成立、新しい国家政策として朝鮮半島への新たな関与であり、中国のお墨付きは過去の遺物とする考えである。
 
 中国学の学者が、中国という国家の変遷から日本と中国の関係を豊富な中国の資料から見つめてみた本である。
 この本の中で提示されている日本の高校教科書と大きな違いはないように思われるが、中国、朝鮮から日本を見るという視点が重要であることを指摘した本だと思う。
  
  オリオンも我が家の猫も屋根の上
 
 
 
 

2019年1月4日(金)
日限り日記

 [パソコンを破壊する]
 FMVとVAIOのパソコンを廃棄処分すべく初期化したりデータを消したりする。富士通とソニーではやり方が違うし、同じ会社でも機種により年式により異なるから手間がかかる。
 パソコンは普通の物品と違ってデータが書かれているし、消しても技術的には復元出来るらしいので簡単に捨てられない。そのためにデータを消去しシステムを初期化した後さらに記録装置であるハードディスクをパソコンから外して物理的にトンカチで破壊する。このハードディスクの外し方も会社により機種によりいろいろである。
 作業が終わってデータが完全に消えたか検閲するまでの行程で、さて手順に抜けはなかったかを顧みる。するとやってきた行程の記憶が曖昧になって何度も繰り返すへまをする。その日の薬を飲んだかどうかの記憶さえ曖昧な人間には、パソコンは壊すことさえ難儀な代物だ。
 普段は壊すまいと思って丁寧に取り扱っているパソコンだが、いざ壊そうとすると手強い。おかげでパソコンを自製できるぐらいの知識は得たはずだが、すぐ忘れるでしょうね。
 
 
  敗北を抱きしめてゐる注連飾(しめかざり)
 
 
 

2019年1月2日(水)
日限り日記

 [俳句のある生活]
 日経には一年間の俳句の活動を振り返る欄がある。
 手元の資料によれば2006年は正木ゆう子が担当していた。正木は2006年を代表する句集として小原啄葉「平心」、茨木和生「畳薦」、若井新一「冠雪」を、俳句では小原の「隣席へ端をあはせて花見茣蓙」などをあげている。
 その後この欄の担当は小川軽舟に代わった。小川は約10年担当を続けたが、一年を総括してみせる手腕は誠に見事であった。小川が2013年に選んだベスト句集は高野ムツオ「萬の翅」、柿本多映「仮生」、大石悦子「有情」。句では大石の「寒林の樗檪(ちょれき)となりて鳥呼ばん」をあげている。小川が担当していたときは、日経のこの欄を読むことが楽しくもあり刺激にもなった。
 今年は(今年からか)関悦史が担当となった。彼があげた2018年のベスト句集は金丸和代「半裸の木」、山田耕司「不純」、竹岡一郎「けものの笛」。不肖にして一人も聞いたことがない。句は「狐火に守られて森怖くない」「一家戦没以来不死なる竈猫」など。欄の表題にあるように「現実の荒廃 ドライに」「写生・ファンタジーで対峙」というのは確かにそこに出された句を見る限り頷けるものがある。しかし私の向き合ってきた俳句とは大分違う。
 長谷川櫂によれば、高浜虚子が亡くなったあと俳句の指導者が乱立し俳句の基準がなくなった。
 さらに今のインターネット俳句は、知っている身内を理解し合いかばい合う仲よし集団になっているように思う。そして自分たち以外の集団に対しては批判もせず無関心を装う。その結果今の俳句はもう完全にバラバラになっている。
 有季定型短詩というしゃれた器を利用した表現方法は時代が求めているものにぴったりだから、ますます盛んになっていく。しっかりした評論がないことを乱立の原因に挙げる人がいるが、誰が評論してもまとまる方向に行くとは考えにくい。俳句はいま大きな流れになっているが、誰も行く先を導けない不気味な、破壊的かもしれない未知の楽しみのある流れになっている。
 
 
 突然に変はれる予感福寿草
 
 
 今年もホームページ「ようこそ正太郎館へ」をよろしくお願いいたします。