[「作家たちの愚かしくも愛すべき中国」(飯塚蓉)をよむ]
中味は、高行健、余華、閻連科の作品紹介と対談集である。
高行健はフランス国籍を得たノーベル賞作家。ただ、彼の本は一冊も読んでいないし読みたいとも思わないので、この本でも彼の項は読むことを回避。
余華の本は「生きる」「兄弟」「本当の中国の話をしよう」「血を売る男」「死者たちの七日間」「中国では書けない中国の話」を、閻連科は「人民に奉仕する」「父を思う」「年月日」「東南に向かって」「炸裂志」を読んでいる(何れも原文で)。
余華も閻連科もいまや作品が世界中に訳されている世界的な作家である。彼らは何度か中国国内で発行禁止に会っている。彼らはしかし、非常に謙虚であり特に日本の作家、読者や社会に対して親近感を持っている。
彼らの発言の一部を再録してみる(筆者要約)。
余華:「かつて私は日本文学の忠実で誠実な読者でした。私は川端康成から書き方というものを学びました。・・・その次にカフカに出会ったのです」
「中国の歴史は一つの王朝が倒されて次の王朝が誕生するというサイクルの繰返しです。・・・今の中国は引き締めの時期を迎えています。私は10年15年を覚悟しています。私の本は今後台湾で出すつもりです(笑い)。・・・・」
閻連科:「私は現代中国の矛盾に向き合い、権力に対する批判も赤裸々です。莫言は多少控えめで、優美だと言えるでしょう。莫言は「聊斎志異」を好み、私は「西遊記」を好みます」
「私の創作は日本文学から大きな影響を受けています。数年前まで好んで読んでいたのは遠藤周作でした。私の本棚には、源氏物語から川端康成、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎などの本があります。いまの日本の若手作家にも注目しています」
「中国の作家は政治から逃げ、政治から離れて創作することも可能ですが、一生そうするわけにもいきません。中国の政治、権力、社会の現実に敢えて批判と諷刺を加える作家と力のこもった芸術作品が必要です・・・」
彼らは言論が規制されている中国国内に留まって活躍しているが、彼らの作品を読むと自由と規制との緊迫関係があるからこそすぐれた作品が生み出されるとさえ思える。
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