2018年10月30日(火)
日限り日記

 [「作家たちの愚かしくも愛すべき中国」(飯塚蓉)をよむ]
 中味は、高行健、余華、閻連科の作品紹介と対談集である。
 高行健はフランス国籍を得たノーベル賞作家。ただ、彼の本は一冊も読んでいないし読みたいとも思わないので、この本でも彼の項は読むことを回避。
 余華の本は「生きる」「兄弟」「本当の中国の話をしよう」「血を売る男」「死者たちの七日間」「中国では書けない中国の話」を、閻連科は「人民に奉仕する」「父を思う」「年月日」「東南に向かって」「炸裂志」を読んでいる(何れも原文で)。
 余華も閻連科もいまや作品が世界中に訳されている世界的な作家である。彼らは何度か中国国内で発行禁止に会っている。彼らはしかし、非常に謙虚であり特に日本の作家、読者や社会に対して親近感を持っている。
 彼らの発言の一部を再録してみる(筆者要約)。
 余華:「かつて私は日本文学の忠実で誠実な読者でした。私は川端康成から書き方というものを学びました。・・・その次にカフカに出会ったのです」
 「中国の歴史は一つの王朝が倒されて次の王朝が誕生するというサイクルの繰返しです。・・・今の中国は引き締めの時期を迎えています。私は10年15年を覚悟しています。私の本は今後台湾で出すつもりです(笑い)。・・・・」
 閻連科:「私は現代中国の矛盾に向き合い、権力に対する批判も赤裸々です。莫言は多少控えめで、優美だと言えるでしょう。莫言は「聊斎志異」を好み、私は「西遊記」を好みます」
 「私の創作は日本文学から大きな影響を受けています。数年前まで好んで読んでいたのは遠藤周作でした。私の本棚には、源氏物語から川端康成、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎などの本があります。いまの日本の若手作家にも注目しています」
 「中国の作家は政治から逃げ、政治から離れて創作することも可能ですが、一生そうするわけにもいきません。中国の政治、権力、社会の現実に敢えて批判と諷刺を加える作家と力のこもった芸術作品が必要です・・・」
 彼らは言論が規制されている中国国内に留まって活躍しているが、彼らの作品を読むと自由と規制との緊迫関係があるからこそすぐれた作品が生み出されるとさえ思える。
 
 休明け自家芋配る歯科医院
 
 
 
 

2018年10月27日(土)
日限り日記

 [吊し柿]
 自家製の干し柿を食べた。干したのは14日だから12日しか経っていない。ネットの情報に依れば、時々揉んで中味を柔らかくしながら3週間ぐらいでできあがるということだったが、触ってみてそろそろ良いと判断した。甘さは食べてみないと分からないが。
 干したてでみずみずしいころ蝶蝶が止まって吸い口を伸ばしているのを見たがそれ以外に襲ってくるものはいなかった。そもそも初めの渋柿が小さく吊るしたときにすでに市販の干し柿ぐらいの大きさしかなかったから、できあがりはまことに小さく一口で食べられるぐらいになってしまった。
 しかしいままで食べたどの干し柿よりも美味しかった。
 
 干し柿の蜜蝶蝶と分かち合ふ
 
 
 
 
 

2018年10月25日(木)
日限り日記

 [ジャイアンツ機関誌をとって]
 昨日の読売新聞は、ジャイアンツの新監督に原元監督が就いたという記事が第一面、スポーツ欄左右二面、三面記事の社会欄半ページと三カ所に大きく出ている。
 この前ジャイアンツの菅野投手がクライマックスシリーズでノーヒットノーランの投球をやったときも、第一面を飾った。
 我が家は長い間朝日新聞を取っていたが、政治姿勢があまりにもかけ離れているので、朝から不愉快にさせられることに我慢が出来ず、数年前から読売新聞に変えた。新聞は政治面ばかりでなく、経済、文化、文芸、スポーツ、社会といろいろな面を持っているから、これらに数年かかってやっと慣れてきた。
 しかし、どうしてもスポーツ欄には慣れるここが出来ない。東京読売ジャイアンツのファンならば良かったのかも知れないが、あまりにもジャイアンツの機関誌に過ぎる。ほかのチームが記録にのこるようなプレイをしても、ジャイアンツの些細なプレイのほうが優先されて記事になる。菅野のノーヒットノーランが第一面の記事に値するのか、原の監督就任が一面を含む三カ所に大々的に載るほどのことなのか。
 読売新聞は少なくともスポーツ欄で見る限りコーリティペーパーとはなっていない。野球以外のスポーツに関しても、記事の質が低い。これは記者のスポーツに対する観念が浅いことに起因すると思う。メジャーな野球がジャイアンツの機関誌であることから提灯記事を感情にまかせて書くから、ほかのスポーツの記者もそういう方式でいいと思っているのだろう。日経新聞のスポーツ欄の方が欄は小さいがよほどしっかりした情報を与えてくれる。
 まあ、経営幹部はそれでいいと思っているのでしょうね。ジャイアンツの機関誌として部数を伸ばしてきた。いやなら講読を止めてほかの新聞をとれと。
 でもほかにないので困っているのです。せめてもう少し、ジャイアンツは不滅ですの筆調を抑えてもらえないだろうか。
 
 ゴール前流す子もをり運動会
 
 
 
 

2018年10月22日(月)
日限り日記

 「菫ほどな小さき人」
 7月17日のこの欄に漱石の句「菫ほどな小さき人に生まれたし」について論じているいくつかの論を掲げた。その中では松根東洋城の「先生と私と俳句と」のなかの「自然の一微物に対する人間の省慮と美しい同情がほの見える。・・・・さすがに先生でなければ言えないこと」という評が良かったと書いた。
 それを読んだ友人が漱石の「文鳥」に「菫ほどな小さい人」が書かれていると教えてくれた。読んでみると次のような文章だった。
 「・・・文鳥が嘴を上げた。咽喉の所で微かな音がする。また嘴を粟の真中に落とす。また微かな音がする。その音が面白い。静かに聴いていると、丸くて細やかで、しかも非常に速やかである。菫ほどな小さい人が、黄金の槌で瑪瑙の碁石でも続け様に敲いているような気がする。・・・・」
 この「菫ほどな小さい人が、黄金の槌で・・・」が「菫ほどな小さき人に生まれたし」という俳句とどういう関係があるのだろう。「菫ほどな・・・」の俳句は明治30年の作、「文鳥」は明治41年6月の発表なので、俳句が先に出来たものだが。
 東洋城がいうように基本的に漱石にそういう小さいものを愛おしむ感情がありこの表現は彼の自信作であったということだろうか。また作家は自分の発明した表現をいろいろな場で使いたがるということであろうか。
 
  父の忌に近き母の忌秋の声
 
 
 
 
 

2018年10月20日(土)
日限り日記

 [オイストラフ]
 いま日経の「私の履歴書」にバイオリニスト前橋汀子さんの履歴書が載っているが10月6日号に次のような文章がある。「私の人生を変えたともいえるコンサートがある。55年2月に初来日したソ連の世界的バイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの公演だ。日比谷公会堂の客席に陣取った私は小学5年生だった。あんなバイオリン演奏は聴いたことがなかった。大きな身体と楽器が一体となった、ふくよかな響き。「楽器が体の一部みたい。バイオリンでもこんな音が出せるんだ」。まさに衝撃だった。
 私も同じ日に日比谷公会堂でオイストラフを聴いた。私の場合は普段「田園」とか「白鳥」とかの喫茶店に長時間居座ってレコードを聴いている大学1年生だった。でもほかのバイオリニストと全く違うオイストラフの音に驚いたのは前橋汀子と同じだった。
 前橋汀子はオイストラフの音を求めてソ連に留学する。
 私はしばらくはオイストラフのレコードを聴き漁った。でも単なる音楽好きの学生はやがてオイストラフに食傷気味になったことを白状せざるを得ない。
 
 
  柿吊すたちまち蝶の集まり来
   
 
 
 
 

2018年10月18日(木)
日限り日記

 [中国語個人レッスン再開]
 体調に自信がないため去年の11月から10ヶ月間中断していた中国語個人レッスンを再開。
 自分の言いたいことが言えないもどかしさが中断前よりも増えた感じだが、先生によれば会話力は落ちていないとのこと。10ヶ月間会話をする機会はまったくなかったが小説は読んでいた。会話の基礎は読むことにあるのねと先生。。
 先生は私のホームページを読んでくれていた。ホームページに掲載が続いている限りそこそこの体調は保っているはずだと思っていた由。バイリンガルとは言え日本語のホームページを読むのはしんどいはずで、有り難いこと。
 今日は去年の11月の続きで閻連科の「年月日」の分からないところを教えてもらった。結局中国語のくだけた口語の単語の使い方が分からないのと、基本構文が読みこなせていないの二つの問題。前者は仕方がないが後者はもっと勉強して身につくようにならないといけない。例えば「男はそういう日を送るためにこの世に生まれて来たのではないか」という時の「爲了・・・・才・・・・」構文。
 授業が終わってから「マハトマ・ガンディーの言うように、永遠に死なないと思って学んでいます」と娘に自虐のメールを出す。冷やかされると思ったら、思いがけず褒めてくれた。
 このようなまあまあの体調が続き再開した語学の勉強が続くことを願っている。
 
 
 窓のない語学教室菊日和
 


 

2018年10月16日(火)
日限り日記

 [干し柿]
 知り合いから渋柿をもらったので干し柿を作ることにした。いまはインターネットに作り方が載っているのでそのなかでよさそうなものを採用する。
 先ず皮を剥いて、黴防止のため5秒間熱湯につける。柿渋は染料になるようだがなるほど5秒間と言えども渋い色が出る。
 それから蔕に紐を結んで外に干した。雨が当たらないところというので車庫に干したが直射日光が不足するかも知れない。一週間ごとに良く揉んでなかを柔らかくする。3週間で出来るとのこと。
 10個というのは少し淋しい。いかにも頼りなくて鳥に食われたりしそうなたたずまいだ。猫がいなくなってから鳥を呼んでいたがしばらくは近寄らないでもらいたい。
 
 
 干し柿を吊してしばし鳥を追ひ
 
 
 
 
 

2018年10月13日(土)
日限り日記

 [電気製品の故障]
 最近二つの故障事案が発生した。
 一つはウオッシュレット。人が近づくとカバーが自動で開閉するという機能が働かなくなった。正確に言うと働いたり働かなくなったりするようになった。こうなるとリモコンでも動かないので、手で開けることになる。
 修理の人が来て、モーターを交換したが、これで治ったかどうかはしばらく使ってみてみないと分からないと言う。ウオッシュレットはロボットなので何処に故障の原因があるのか人間は推定するしかないとのこと。ロボットの故障はロボットに診断させるしかないのか。
 メーカーの5年間の延長保証期間は切れているので、かなりの修理金額を要した。ウオッシュレットの故障はいままでの経験では長期保証期間が切れるのを見計らったように発生する。ロボット恐るべし。
 もう一つは、2年前に買った全自動電気洗濯機の故障。故障といっても機能には関係のない蓋が割れただけのことである。特に重いものを載せたり体重をかけたりした覚えはないのだが。5年の長期保証契約に入っていたので、蓋の破損が保証の対象になるかどうか聞いて見たらケース・バイ・ケースで判断するという。対象にならなければ有料で蓋を交換すると伝えた。
 やがて、何はともあれ部品(蓋)がないという連絡が来た。取扱説明書には補修用部品のメーカーの保有期間は製造打ち切りから6年と書いてあるのだがそのことはこちらからは言わなかった。やがて部品がないので全品後継機種に交換するという連絡が来た。
 過剰な対応ではないかと思ったがほかに方法がないということなので受けることにした。
 故障の対応は難しい。もっとも人体となると更に話は面倒なのだが。
 
   霜降や五体確かむるもおぼろ  
 
 

2018年10月12日(金)
日限り日記

  [懸案事項]
  懸案事項になにがあるのか。
  9月21日現在
  ・押し花のホームページ掲載(済み)
  ・「13/67」の原文と翻訳参照(済み)
  ・「論語」継続
  ・パソコン買い換え
  ・不要の資料の焼却依頼
  ・不要資料のゴミ処分
  ・戦死した叔父の手紙を叔父のお墓で燃やす
  ・「我が家の人々」完成
  ・中国語授業再開するか(予約済み)
  ・俳句を作る
  ・読む本の選択(柚月裕子、米澤穂信、「維新史再考」、「漢倭奴国王から日本国天皇へ」など)
  ・日記製本
  ・句集編集構想
  ・自分史構想
  ・死んだあとの遺族年金がいくらになるのかを年金事務所に聞く(済み)
  ・来年の税務申告方法検討
  ・CPAPを止める交渉(済み)
  ・ホームページの充実
  
  追加
  ・「竪硬如水」をよむ
  ・窓の二重ガラス化
  ・秋の洋服新調
  ・押し葉・押し花の原紙の寄贈

  
 9月21日に書いた懸案事項18のうち、一ヶ月でなんと5つも済みになっている。簡単な懸案事項とは言え、進むものだ思う。
 中国語の授業を受けるためには中国語の小説を読まなければならない。その分懸案事項の処理が遅れる。いつまでも生きるつもりなら続けるのだが。
 
 お早うを交はすは五人菊の花
  
  
 
 

2018年10月9日(火)
日限り日記

 [映画「ジョイ・ラック・クラブ」]                               この映画はジョイ・ラック(喜福)・クラブに集まる4人の女達、さらに彼女達の娘達の物語である。
 1910年代生まれの母親達は1940年代にアメリカに渡るまで約30年間を中国で過ごすが、その間に起こった清滅亡(1912)、中国国民党成立(1919)、中国共産党成立(1921)、満州事変(1931)、上海事変(1932)、日中戦争開始(1937)、大平洋戦争(1941~1945)、中華人民共和国建国(1949)といった一連の歴史のうねりに翻弄される。
 何もかも捨ててアメリカへ渡って来た彼女達は自分の娘にこそ、最高の人生を願う。故郷と過去を捨ててまで新しい国で新しい希望をつかもうとするのに、娘は母と同じ生き方しかしようとしないようにも見える。さらに娘達はアメリカの中で自分のマイノリティを疎ましく思う。
  母親の一人は自分が病気になったために生後間もない女の双子を道に置き去りにする。母親はアメリカに渡ったあと再婚し女の子が出来る。その子が20数年後に双子の姉に会うために中国を訪ね初めて会う圧倒的に感動的な場面で映画は終わる。
 見応えがあった。
 映画もそうだが私はこの時代の中国の小説にも強い関心があるし、好んで読んでいる。何故なのだろう。自然に任せれば序列づけが不可避な人間社会と階級社会を打破して新しい社会を作ろうとする人間の意識の変化に興味があるのか。
 
 映画館出れば谷戸坂金木犀
 
 
 
 
 

2018年10月7日(日)
日限り日記

 [神楽坂毘沙門天前の花屋]
 中国語の勉強で飯田橋の日中学院に通っていた頃は、早めに出かけて神楽坂で食事をしてはあたりをうろうろ歩いていた。
 ちょうど坂の頂上にある毘沙門天善福寺がなかなか風情があって面白かった。境内にはこのあたりの地図を配るお年寄りもいた。門の前には何時も花屋が出ていた。この花屋には全国の市場から花が届く。実にしっかりした立派な花を売っていた。
 
 竜胆を入れて花束整ひぬ
 
 は2009年に作った句である。
 この花屋は店のない露店で、年を召した夫婦でやっているようだった。近所の常連のお客さんが来ると、男が花束を抱えてお客に付き随って花束を運ぶ。いつかこっそり後を付けてみたことがあったが、立派なマンションに消えていった。多分そこにあるクラブかバーに入ったと睨んだ。個人用にしては花束が大きかったのと客が美しすぎたからだが、自分の周りにそのような「個人」がいないだけのことかも知れない。
 新聞によるとその花屋が最近店じまいをするそうだ。夫婦が年をとったのが理由と書いてあった。こちらも年をとって日中学院に通うのを止めたので神楽坂にも足を向けなくなったところだが、そうなると益々行きたい気持ちがなくなるような気もする。
 
 
 神楽坂毘沙門天前花屋閉づ
 
 
 

2018年10月5日(金)
日限り日記

 [押し葉・押し花]
 ようやく押し葉・押し花300種をホームページ「ようこそ正太郎館へ」に載せることが出来た(「ようこそ正太郎館へ」「ファミリーギャラリー第5展示室(押し葉。押し花)」。
 崩れた押し花を直す、分類する、一覧表を作る、写真を撮る、ホームページに載せてリンクを貼るなどで2週間ぐらいかかってしまった。
 この「押し葉・押し花」は祖父が明治30年から37年ぐらいの間、茨城師範学校、一関中学校、岡山師範学校の教員をしていた時に授業のために自分で採取し作ったものである。分からないものは権威者の先生に聞くなどした苦労の跡が書いている。
 我が家は私が小学5年生の時に父が死亡したので、それ以降祖父の家に一緒に住んだ。私は高等学校卒業まで同居したが、祖父は先生だったから教えるのが好きで、中学生までは毎朝個人授業を受けていた。経済的にも精神的にも、祖父から受けた恩は計ることが出来ないくらい大きい。
 今回「押し葉・押し花」を整理したことで、少しは祖父の恩に報いることが出来たかも知れない。何よりも嬉しかったのは、私の高校生の孫がホームページで「押し葉・押し花」を見てくれたことである。明治時代の花や葉っぱがまだ存在していることで植物の生命力を感じたとも言ってくれた。
 祖父から数えて5代あとの孫に見てもらえた。多分祖父も喜んでくれているだろう。私としてもこれに勝る嬉しさはない。
 
  押し花の生まれ変はりや花の孫
 
 
 
 

2018年10月3日(水)
日限り日記

 [野分あと]
 久しぶりに物凄い風台風だった。家が揺れる。屋根を持って行かれるのではないかと寝付けなかった。
 朝起きてみると家の前の道路には木の葉木の枝、金木犀や萩の花塵などがびっしりと落ちていた。そして3メートル×50センチぐらいのトタン板が飛んできていた。
 先ず我が家の屋根の一部かと思って仰いでみたが、屋根の上の様子は分からない。しかし色の具合から言ってどうも違うようだし、見えるところ近所のものでもないようだ。市役所に電話をすると、道路に落ちているものは市役所ではなく土木事務所の管轄だという。土木事務所に電話をして引き取りを頼んだ。
 ややあって、書斎にいるとガラガラとトタンを引いていく音がする。役所の人相風体ではない人なので後を付けてみると、百メートルぐらい離れた家に入っていった。見るとその家のトタン屋根は取り壊し工事のためか台風のためかは分からないがみな剥がれている。
 土木事務所には所有者が分かった旨話をして、一件落着した。しかしもし外にいてあのトタン板にぶつかったら、到底かすり傷では済まない。気象予報士が台風の時に外出を控えよというのはこういうことかと合点がいった。
 
 野分あとみんな顔出す恐竜も
 
 
 
 

2018年10月1日(月)

 [睡眠時無呼吸症候群」
 2014年夏、夜間に目が醒めたり脈が乱れたりするのは呼吸が一時的に止まる無呼吸症候群からではないかといわれ検査したところ、一時間に44回無呼吸になることが分かった。正常なのは5回ぐらいとのことだった。
 それから喉を開いておくために持続的に空気を入れるCPAP療法を始めた。これは空気を鼻から絶えず通すため小さなお面を被って寝る。結果は無呼吸が一時間に4,5回と低減したが、夜間に目が醒める症状は変わらなかった。寒くなると空気が漏れて寒気に襲われて目が醒めることさえある。
 今年の夏は暑かったのでお面の装着を止めていたところ、最近は着けようとしても息苦しくなってしまう。CPAPの副作用で医者や業者が挙げているのは入眠困難、腹部膨満感、腰の痛み、耳の違和感などいずれも表面的なものばかりだが、強制的に空気を肺に送り込むこの療法で身体に何の問題も起こらないのだろうか。もうこの療法は止めようと思い立った。
 しかしかかっているのが睡眠時無呼吸治療の専門病院だから、無呼吸の引き起こす病気(心臓への負担など)を挙げたりして簡単には止めさせてくれない。3ヶ月ぐらいかけてやっと止めることができた。
 あとは自然に任せるのが良いのではないかと思っている。
 
 
 遙かより金木犀の季の兆し