[日本古代史拙観」
1.遠山美津男講師の「日本書紀50講」を受講した。
「日本書紀」によれば天照大神の孫の瓊瓊杵尊が降臨して1,792,470余年経った辛酉の年に神武天皇は帝位についた。江戸時代の研究者により、辛酉の年は西暦で紀元前660年にあたるという。
「日本書紀」の執筆者は流暢な漢文を書くことから言って渡来人と言われているし、日本正史を書くのが目的である以上、すでに発行されていて卑弥呼の記述のある正史「魏志 倭人伝」を知らなかったはずがないと思う。執筆者はどう考えていたのか。
卑弥呼の活躍した西暦190年から250年は「日本書紀」では第14代仲哀天皇とその后神功皇后の時代である。「日本書紀」の執筆者は、神功皇后=卑弥呼としたいと考えたのではと遠山は言っていたが、「日本書紀」のなかの神功皇后は、朝鮮半島新羅を征伐して凱旋する。魏志倭人伝の卑弥呼とは全く様相を異にする。このような違いを見れば唐皇帝が「日本書紀」を日本の正史としてとうてい認めるはずがないと考えるのは、しかし、俯瞰的に各国の歴史を見ることが出来る現代人だからかも知れない。
2.安本美典の「謎の卑弥呼」を読み直してみた。
「日本書紀」に書かれた年代が実際に西暦何年にあたるかという研究を「紀年論」といい、安本のこの本は紀年論の代表的な著書といわれている。
これによると、歴史的に史実が明確な第31代用明天皇(585年)から、帝位の在位年数を世界の帝王の在位年数を比考して一代10年とすると、神武天皇の在位は西暦280年から300年ごろになる(欠史の天皇も実在していたとして計算する)。神武天皇から5代50年を遡ると、天照大神の時代。卑弥呼が活躍したのは、西暦190年から250年ぐらいの間であるから、天照大神はすなわち卑弥呼であると言ってよい、という論である。世界の帝王の平均在位年数を援用しているのが説得力に欠けるところか。
3.在野の古代史研究家大平裕氏は意欲的に新説を発表されている。集約して言うと彼の著書は、「紀年論」と「日本韓国古代史論」といえると思う。
氏の論点は、神話にしろ記紀にしろすべてが架空の物語ということはあり得ない、何らか史実を反映しているはずだ、というものである。具体的には、数々の論拠をもって天照大神が卑弥呼である説を打ち立て「天照大神は卑弥呼だった」「暦で読み解く古代天皇の謎」(PHP研究所)、「日本古代史」(講談社)などを著している。
また、古代韓国は中国文明の日本への橋渡者であるが、ときには日本が韓国に対して大きな影響力を持っていた時期があったことを実地踏査などで実証し「任那から読み解く古代史」(PHP文庫)「卑弥呼以前の倭国五百年」(PHP新書)を著した。
4.邪馬台国については安本氏は邪馬台国九州説で大和王朝も九州に起こった。大平氏は邪馬台国も大和も近畿説。私は若井敏明の「邪馬台国の滅亡ー大和王権の征服戦争」を良しとして邪馬台国九州、大和近畿説である。
夏蝶も裔の貌して飛鳥川
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