2018年2月27日(火)
日限り日記

 [金子兜太追悼文]
 2月20日に俳人金子兜太(98歳)が亡くなられたが、その後に書かれたいろいろの追悼文の中では、やはり長谷川櫂の「乾いた詩情 戦後俳句を開く」と題した追悼文(2月22日朝日新聞)が出色だったと思う。ほかの追悼文の、熱血漢、土の人、洗練とは無縁などという類型的な捉え方が、むなしく見えるほどである。
 この二人は年齢は30歳以上違うが現代を代表する俳句作家であり、ともに朝日俳壇の選者であった。金子は月刊俳句誌で、こんな句を作っているようでは櫂君はまだ甘いな、などと言ったりしていたが、長谷川は選句会で一週間に一度金子と話をすることが楽しい時間だったと追悼文で述べている。
 二人はともに小林一茶を評価していたが、金子の方がお手本として評価していたのに対して、長谷川の方は俳句近代化の先駆者として評価するなど視点は違っていた。もちろん、二人の俳句には大きな違いがある。一言で言えば金子の俳句が「前衛的」「反体制的」であるのに対して、長谷川の俳句は「夾雑物のない古典的と言われる風貌」を持っていると言われる(宇多喜代子)。
 長谷川は金子を、世間で思われている豪快な野人ではなくて、むしろ繊細な神経の持ち主であると言っている。金子をじめじめした情緒に代わって「からりと乾いた詩情」を持とうとした俳人ではなかったかと言っている。
  湾曲し火傷し爆心地のマラソン
長谷川はこの金子の句を戦後俳句の世界を大きく切り開いた句としている。

 追悼文の最後に気になることが書いてある。
 「晩年、兜太は高齢化社会の老人たちのアイドルにされる。この事態に対して兜太は自分を「存在者」として定義し直した。何もしなくても生きながらえるだけで尊いという考え方である」。そしてそのことは誰よりも自分を励まそうとしたものだったろう、と述べている。
 長谷川の指摘は鋭いが、このことの是非について長谷川は論じていない。
 ちなみにモンテニューはエッセイの中で「私は今日は何もしなかった」「なにをいうのだ。きみは生きたではないか」と言っている。こちらのほうは、十分に温かい。
 
  冬欅戦闘服のまま倒れ
 
 
 
 
 

2018年2月25日(日)
日限り日記

 [ウールコートにさようなら]
 勤め人時代にカシミアのウールコートを作ったが最近では全くというぐらい着ない。もっぱら7,8年前に買ったダウンコートを着ている。軽いし温かい。黒だから冠婚葬祭もこれで済ます。
 2月22日の日経新聞の夕刊にエッセイストの岸本葉子が「ウールコートにさようなら」という題で同じようなことを書いている。しかしそこで岸本は気になることを書いている。
 はじめてダウンコートを買ったときに店員から次のように言われたという。「ダウンの黒はへたすると昔のゴミ袋みたいになってしまうから」。
 ゴミ袋と言えば、昔は黒いビニールの時代があった。ダウンもいまのような優雅なデザインは少なく、レインウエアのような生地で、目一杯中身が詰まったら確かにゴミ袋のようになるだろうと思い、店員のアドバイスにしたがってそうはならないものを買ったと岸本は書いている。イラストにはお洒落なダウンコートが描かれている。
 さて私の持っているダウンコートは、ビニールではないがビニール袋のように光っていると言えないこともない。表面にキルティングはしていないから、コート自体ふんわりと膨らんでいる。そこに私のダラシない身体が入ったらこれはゴミの袋そのものではないか。今まで全く気にしていなかったが。
  岸本さん。店員から言われたこととはいえ少し言いすぎではありませんか。世の中にはいろいろな事情でいろいろなものを着ている人がいるのです。
 
 
   着ぶくれて動く歩道の上にをり
 
 
 
 

2018年2月22日(木)
日限り日記

 [血液検査]。
 インフルエンザ発症のため某病院の受診予約日を15日日延べしてもらった。電話で当日診察の前に行う血液採取も同じ日に延期するようお願いをしなかった不安が本当になってしまった。つまり事前採血ができなかった。
 血液検査の結果を聞くために来たのだから受診前に採血をしてくれと受付の事務員に言い、看護婦に聞いてもらったが、採血するかどうかは先生に診察してもらってから先生が判断するという。
 結局今日診察後血液採取して帰り、結果は来月3月に聞く、もし緊急を要することならば電話で連絡をするということになった。丁寧のように見えるが非効率の典型だ。4ヶ月ごとの検診をしているのに、先生も患者も一回分診察回数が増える。前にかかっていた東京の病院などはこんな非効率なことはしない。診察の予定日にちを変えれば、事前検査の日にちも自動的に変わってくる。
 病院の受診手続きは首都東京が一番患者優先に近代化されており、地方に行くにしたがって先生の事大主義、権威主義からから病院側の都合中心の時代の遅れになっている。地方の時代と言いながらこれでは患者はかなわない。
 病院に大きな雛が飾ってあった。下段に弓矢を持った隋臣の雛が控えている。雛の国にも自衛力は必要なようだ。
 
 
  雛衛る衛者に弓矢雛の段
 
 
 

2018年2月20日(火)
日限り日記

 「「13・67」(陳浩基)を読む」
 この奇妙な題名の小説は、2013年から反英暴動が勃発した1967年へと遡る香港警察管区で発生した事件録である(香港の中国返還は1997年)。全部で6篇の連作から成り立っているがすべて関振鐸という香港警察の刑事が関係した事件である。
 この本は、「週間文春」の「2017年推理小説10傑海外部門の一位」になるほか、「このミステリーがすごい」などの十傑でも高位に位置づけされている。特に主人公の関の警察官としての正義感、分析力、事件解決力は、感動的でさえある。
 著者はヨーロッパや日本の推理小説に多大な影響を受けたと述べている。しかし、これほどまでに本格推理小説と社会派小説が融和してスリリングな展開をしている小説はそれほど多くないのではないか。特に香港という中国と英国の混合した社会の警察小説として、魅力に溢れた小説となっている。文中にある香港の社会や警察用語の注書きを読むだけでも、香港社会を活き活きと感じることが出来る。
 この本は台湾の出版で、私が読んだのは繁体字だった。辞書で調べても字が複雑で上手く見つからない語彙もあるが、しかし一般的には繁体字は表意文字そのものなので、黙読には簡体字よりも分かりやすい。12月中旬から読み始めて、途中インフルエンザで20日ほど中断したが2月中旬に読了した。
 翻訳本を読むよりも時間は5倍はかかるが、原文を読む面白味は5倍以上ある。分からない文の構成を翻訳本に当たろうとしたが、図書館で190人待ちだった。楽しい年末年始を過ごすことが出来た。
  
 
 啓蟄の蟲より多き香港人
 
 
 

2018年2月18日(日)
日限り日記

 [スピードスケート靴」
 ピョンチャンの冬のオリンピックが真っ盛りである。テレビで、スピードスケートの靴の刃とショートトラックの靴の刃とでは形が違うという説明をしていた。
 私が小学生の頃はまだ一般的には下駄に歯を付けたスケート靴、下駄スケートが多かった。ところが私の父は冬のスポーツが好きで、こどもにも皮の立派な編み上げのスケート靴を買ってくれていた。
 私は冬になると毎日スケートを楽しみリンクの花形だった。もっともこのスケートリンクは親たちが夜に水を撒いて作ってくれるごく小さなものだった。
 父は私が小学校一年の春にドイツに長期出張をした。
 その冬学校のスケート大会があった。場所は競技用の立派なスケートリンクだった。私は編み上げのスケート靴で意気揚々と出場したのだが、まさかと思うクラスメートに大きく差をつけられてしまった。見ると相手はスピードスケート用の長く薄いエッジを付けた靴を履いている。私が履いているのは、フィギャースケート用の短く厚いエッジの付いた靴である。
 私は口惜しかった。
 やがて父の会社が母と父が国際電話で話をする機会を作ってくれた。私は母に頼んだ「パパにスピード用のスケート靴を買ってきてくれるよう頼んで」。
 母は会社の人のいる前で本当に頼んでくれたらしい。でも父にはもっとスピードを上げて話すように、というようにしか伝わらなかったとのこと。母は恥ずかしかったと言っていたが、私は話が通じなかった両親を情けないと思った。
 父は結局病気になって日本に帰ってこられなかった。話が通じたとしても私はスピードスケート靴を履くことは出来なかった。
 
 
  フィギャースケート三回転四回転の煙立つ
 
 
 
 

2018年2月17日(土)
日限り日記

 「昭和戦争史」
 「大日本史」(山内昌之・佐藤優)を読了。山内昌之については、「文藝春秋」に連載が始まった「将軍の世紀」もそうだが、その博識にただただ驚ろかされる。
 この本は、江戸末期からの日本を世界史の中で見ようとするものだ。昭和時代では昭和天皇史観というか、昭和天皇に比べてほかの政治家、軍人はお粗末、と言う論調に立つ。
 同じ文春新書では「昭和史の論点」(坂本多加雄、秦郁彦、半藤一利、保坂正康)で昭和が論じられている。「それでも日本人は「戦争」を選んだ」(加藤陽子)なども同じテーを扱った真面目な本であると思う。
 しかし、私には何れの本も自分の感じている「昭和戦争史」(昭和元年から20年まで)とは違う気がしてならない。
 私はそれを論者と私との世代ギャップにあると思っている。若い保坂とでも私は5歳の違いがある。加藤に到っては26歳違う。戦争観は世代間の体験の差が大きい。逆に私よりも5歳年上の人は、私の昭和の戦争観を実態をよく知らない世代の戦争観としている。
世代による違いとは昭和天皇観の違いであると言って良い。毎日御真影に深深と拝礼させられ馬上凜々しい大元帥像を崇めさせられていた世代と、戦後の慈悲深い天皇のみを目にしていた世代との溝は大きい。あるいは身内に戦争被害者がいるかどうかも関係があろう。
 いまは、「大日本史」の山内の論調のような天皇は悪くない、取り巻きが悪かった、取り巻きがどう悪かったかという総括が一般的である。これが一番分かりやすいし周りへの影響が少ない。
 しかし、ほんとうにそうだったのか。
 平成天皇が太平洋戦争激戦地を訪問しているのは、彼なりに父なる昭和天皇の贖罪をしていると理解した方が私には分かりやすい。遅まきとは言え私の胸の内にストンと落ちるような太平洋戦争論が欲しいと思う。
 もっともそれは、ドナルドキーンの「明治天皇」のように、昭和の後50年以上経って外国人によって書かれるということになるかも知れない、日本人は色が付きすぎているので。
 
 父すめらみこ子すめらみこ春の雪

 
 

2018年2月15日(木)
日限り日記

[e-tax]
 去年高齢者運転適性試験を受けたときに、暗闇から明るい場所に出たときの視力回復時間が、若者の7倍かかっていると言われたことが運転を諦めたきっかけとなった。
 今回のインフルエンザb型の回復時間も、同時にかかった小学生の孫が回復に4日かかったのに対して、私は20日かかっている。仕方がないことだが口惜しくもある。
 さて、体調が戻りつつあるとなると、この時期定例の確定申告をしないといけない。
 おもむろに去年の例を見始めたのだが、なんと去年e-taxで申告した控えが見当たらない。パソコンにdataは残っているので、再印刷しようとしたがうまく行かない。
 そこで国税庁e-taxヘルプデスクに聞いてみたところ、国税庁のメッセージボックスから自分の提出済みのデータをダウンロードして印刷することが分かった。つまり個人情報の守秘のため厳重な手続きを要求されているわけで、良いことではあるが、手間がかかる。
 自分の不注意を挽回するために、1時間集中したことで今日一日の頭を使い果たし、疲労困憊して、暖かい日に予定した昼風呂に入れなかった。
 果たしてe-tax制度はいつまで使えることやらふと不安になる。
 今日の暖かさでさすがの大雪の影もなくなった。
 
 
  春の雪三島由紀夫の影通る
  
  
 

2018年2月5日(月)
日限り日記

 [カトレア]
 今年も居間のカトレアが咲いた。
 その日外には春の雪が降っていた。
 この鉢は2009年の「世界蘭展」の会場で「温室でなくても居間ででも咲く」といううたい文句から買い求めたものである。それまで裏切られていたのであまり期待はしていなかったが、それ以来毎年咲いている優良株だ。
 買った店は静岡県西伊豆町の「らんの里堂ヶ島」。近況を報告したいがまあ当たり前のことと言われるのかも知れないので、していない。
 居間では、シンビジューム、パフィオペディラム、胡蝶蘭、デンドロビュームなどが咲くが、やはりカトレアは蘭の女王で、これが咲くと一気に部屋が明るくなる。
 
 
  カトレアは西伊豆生まれ春の雪
 
 
 

2018年2月4日(日)
日限り日記

[インフルエンザB型]
 1月末から2月はじめの1週間、インフルエンザに罹ってうなっていた。38.5の高熱があったのは一日だけだったし熱以外の咳くしゃみ鼻水などは酷くなかったので普通の風邪だと思って安静に努めた。しかしなかなかよくならないので、熱が37.5度に下がってから押っ取り刀でクリニックに出かけた。
 クリニックでは簡易検索キットによる検査を行い、インフルエンザB型であると即断した。但し発症後48時間以上たっているので抗インフルエンザ薬は利かないので自然治癒に任せるしかないとのこと。知識がなかったこととは言えあのような高熱が出ている最中に病院に行ける人は、若い人でないと不可能のように思うが。
 自然治癒しかないと言われていたが渡された処方箋には「麻黄湯」が処方されていた。ネットで見ると効用は実に曖昧なものである。少しでも効能があれば治療薬になれるのか。エッフェドリンが含まれているから要注意とあるので、服用せずにすぐに破棄したが。
 インフルエンザに罹った以上同居人に移さないこと、自分の持病を誘発しないようにするなどが大切だ。もっとも日本に来ている外国人には、日本人の予防マスクは異常に見えるらしい。風邪が移る? それって社会生活をしている以上避けがたいことだと思うわと平然としている。草食人種の日本人とは体力が違うためか。
 熱は出たり下がったりしながら下がってきたが予後は悪くだるさが尋常でない。体調が元に戻るには時間がかかりそうだ。


  鬼は外へ鬼は外へと伏せてをり