[金子兜太追悼文]
2月20日に俳人金子兜太(98歳)が亡くなられたが、その後に書かれたいろいろの追悼文の中では、やはり長谷川櫂の「乾いた詩情 戦後俳句を開く」と題した追悼文(2月22日朝日新聞)が出色だったと思う。ほかの追悼文の、熱血漢、土の人、洗練とは無縁などという類型的な捉え方が、むなしく見えるほどである。
この二人は年齢は30歳以上違うが現代を代表する俳句作家であり、ともに朝日俳壇の選者であった。金子は月刊俳句誌で、こんな句を作っているようでは櫂君はまだ甘いな、などと言ったりしていたが、長谷川は選句会で一週間に一度金子と話をすることが楽しい時間だったと追悼文で述べている。
二人はともに小林一茶を評価していたが、金子の方がお手本として評価していたのに対して、長谷川の方は俳句近代化の先駆者として評価するなど視点は違っていた。もちろん、二人の俳句には大きな違いがある。一言で言えば金子の俳句が「前衛的」「反体制的」であるのに対して、長谷川の俳句は「夾雑物のない古典的と言われる風貌」を持っていると言われる(宇多喜代子)。
長谷川は金子を、世間で思われている豪快な野人ではなくて、むしろ繊細な神経の持ち主であると言っている。金子をじめじめした情緒に代わって「からりと乾いた詩情」を持とうとした俳人ではなかったかと言っている。
湾曲し火傷し爆心地のマラソン
長谷川はこの金子の句を戦後俳句の世界を大きく切り開いた句としている。
追悼文の最後に気になることが書いてある。
「晩年、兜太は高齢化社会の老人たちのアイドルにされる。この事態に対して兜太は自分を「存在者」として定義し直した。何もしなくても生きながらえるだけで尊いという考え方である」。そしてそのことは誰よりも自分を励まそうとしたものだったろう、と述べている。
長谷川の指摘は鋭いが、このことの是非について長谷川は論じていない。
ちなみにモンテニューはエッセイの中で「私は今日は何もしなかった」「なにをいうのだ。きみは生きたではないか」と言っている。こちらのほうは、十分に温かい。
冬欅戦闘服のまま倒れ
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