2017年10月31日(火)
日限り日記

 [スマホに振られる]
 遂にスマホの通信接続が不安定になってしまってつながったり切れたりするようになったので、新調することにした。
 4年ぶりの交換なので最新式のものにしようかと思い、ペン入力のスマホを試してみた。新しい機能を持ったスマホを使いたいがもう一つ感度が悪いなあ、字か太いなあ、などと店員に製品の欠点を指摘しながら。
 店員は黙って私の様子を観察したあと、やおら口を開いた。
 お客さん、お客さんはペン入力のこの最新式スマホに合っていません。今お客さんの言った問題点などなんとも思わずに使っている人が沢山いるのです。この機種はお薦めしませんと、断定的に言った。
 かくして、スマホ使用4年間である程度使いこなしていると思っていた私は、ぎゃふんと言わされて引き下がらざるを得なかった。
 


2017年10月29日(日)
日限り日記

 [最近の結婚式]
 グランドハイアット東京で親戚の娘の結婚式。
 参加者が双方の親族だけの和やかな結婚式。
 二人はすでに入籍を済ませ、一緒に住んでいる。
 二人が計画したもので、式の次第は親族の紹介、結婚式、披露宴からなる。仲人とか議事進行役もおらず、すべて二人が進めるというものだった。
 二人は落ち着いてその日の主役と司会を務める。両親が二人に指示されるままに挨拶をしたりしている。二人もさることながら両親のうれしそうな顔がとてもよかった。それだけでこちらも十分幸せだ。
 今は今日のような同居してしばらくしてから式を挙げるやり方の方が多いそうだが、それも日本ばかりでなく中国でもそうだそうだ。昔から日本には「足入れ婚」というのがあったがそれはなぜなのだろう。最近の方式で言えば、試してみて良いようなら結婚する、性格の不一致等で離婚するよりもその方が良いというように、結婚に対する考え方が変わって来たのだろうか。結婚に対する考え方ばかりでなく、生き方が変わったと言うべきかも知れない。
 昔の結婚式は式が終わると新婚旅行に行って新婚生活が始まる。頑張れよなどと言われてはにかんで旅行に出たものだが、今の方式ではそういう初々しさはない。
 
 我々も記念にホテルの写真室で金婚式+α年の写真を撮った。二人でただ立っているポースと腕を組んでいるポースを試し撮りしてみて、どちらが良いですかと聞かれた。正装をして腕を組んでいるポーズはどうもぎごちなく我々らしくなかった。
 
 
 
 

2017年10月26日(木)
日限り日記

[スマホの故障]
 スマホが故障した。時々ネットワーク回線につながらなくなり、メールもインターネット検索も出来なくなる。ドコモショップに相談に行って調べてもらい、故障検査機などにもかけてもらったが原因不明。2013年製なので、4年半以上経っているから最近のアプリと干渉しているのではないかとわけの分からない説明。要は新しい機種に変更しなさいというアドバイスであった。ついでにということでドコモ光契約を強く進められた。
 家に帰ってドコモ電話相談に電話。故障取り替え保険に加入し月340円の保険料を払っていただいているので、同じ機種に有料(5,400円)で交換することは可能とのこと。
 具体的にどのような機種になるか聞いたところ、同一機種がないので、一年古い2012年製になると言う。これには仰天した。
 確かに保障規約では同一機種がない場合は、別途ドコモが指定する機種になるとあるが、古いものを指定するというのはあまりにもひどいではないか、技術革新の早い製品なのだから少なくとも新しい機種を探すべきではないかと抗議したところ、再検討してくれて、2014年製か2015年製がありました、という返事が来た。
 結局この携帯保障サービスは受けないで、新しい機種を買うことにした、ドコモの思うつぼかも知れないが。
 それにしても、4年半経っているため新しいアプリとの整合性が付かないというのが不具合の原因なら、長く使えばお得という宣伝文句で売りに出している「docomo with」の製品は、ほんとうに長く使って大丈夫なのか。
 
 ドコモ代理店は客の困っていることの解決よりも新品や新サービスの販売に熱心である。ドコモ保障サービスは顧客が無知であれば古い機種を押しつけようとする。信義誠実の道徳律で生きてきた老人は食い物にされる。客の立場よりも商品提供者側の立場に立っている。一口で言えば、せこい。
 
 

2017年10月23日(月)
日限り日記

 [再び55年体制]
 総選挙、新聞や雑誌の予想に反して自民党大勝。
 日経新聞は自民党262(210~306があるが)と予想し、週間文春は251と予想したが、実際は公示前と同じ284議席。
 自民党に変わって政権を任せられる党がないからだ。希望の党はそれを目指したが候補者も組織もあまりにも脆弱すぎて敗北した。
 日本はかつて55年体制で安定多数自民党政権と反体制勢力社会党の両立が長い間続き、すべての政治活動はその体制の上で安心して行われた。つまりそれが日本に一番落ち着きをもたらす政治体制なのではないか。
 今回も、自民党多数政権に対して、保守や革新のいろいろな党を抑えてリベラルを旗頭とする立憲民主党が野党第一党にのし上がってきたが、人数は55人に過ぎない。ひょっとするとこれは新しい55年体制の始まりなのではないか。政権交代可能な二大政党は日本のような国民がお互いのことをよく知っている単一民族国家には馴染まないのではないか。まず勉強から始めるような二番目の党に政権を委ねることは、出来る人が控えている以上国民が我慢できないのだ。強い政権とそれをチェックする勢力があればそれでいい、となるのではないか。
 あとは権力の腐敗をどう防止するかだ、今のままで良いとは到底思えないので。

 

2017年10月21日(土)
日限り日記

 [中国語学習再開]
 去年の残暑があまりに暑かったのと体調のこともあって中国語学校が夏休み明けになっても学校に行く気が起こらなくなってしまった。そうなると、家族史を作るなど家でやるべきことがこんなにもあるのだからと、サボる言い訳が次々に湧いてくる。
 かといって、中国語が嫌いなわけではないから、家で「論語」の続きを少しずつ読んだり、短編の現代小説を読んだりはしていた。なにが変わったかと言えば、直接中国人と中国語を話さなくなったこと、生の中国語(テレビやラジオではなく)を聞かなくなったことである。
 それから1年2ヶ月ほどたって、中国語で分からないままにしておいた事柄がたまってきた頃、そして最大の懸案だった「家族史」の原稿が出来あがった頃のこの十月、中国語の先生が別れ際に言った「勉強する気になったらそちらから連絡してくださいね、待ってます」という柔らかな声が耳元によみがえってきた。
 老人は楽しかった思い出を抱いたまま眠っていればよく、老いさらばえて現場に戻らないこと、という教えもある。しかし一方今日がこれからの人生で一番若い時なのだから行動するのなら今がその時、ということもある。結局又学校に行くことにしたのは、先生が耳元に残してくれた声が一番影響した。
 学校には初めて入る人のための学力レベル検査というのがある。先生と話をしてみてからどうですかと聞いたら、1年前と変わらないと言われた。自覚的には、聞く力も話す力も半分以下に落ちている。瞬時に言葉を捕まえたり、瞬時に言葉が口から出たりする力がないほかに、単語の記憶が消えている。
 まあ「細水長流」で行きましょうよと、先生に励まされた。「長流」は無理だと思うが。
 
 
 

 

2017年10月18日(水)
日限り日記

 [受療行動調査]
 病院に定期検診に行ったら、厚生労働省の「平成29年受療行動調査」に協力してくださいと頼まれた。
 ちなみに平成26年の調査では、外来患者の診察までの待ち時間は、30分未満が全体の49%。診察時間は3から10分未満が51.8%である。自分が思っているよりも待ち時間は少ない。
 このほかの調査項目は、医者に十分に聞きたいことが聞けましたか、医者の説明は丁寧でしたかなどというのもある。結果は厚生労働省のホームページに公表されている。
 実態調査としては意義があると思うがどのようにこの調査を活用していくのだろう。
  ただ確かなのは、このような調査をやることによって、病院が自主的に診療態度を改善していくことだと思う。患者も医者にもっと聞いて良いのだなという勇気をもらえる。
 今日の終わり際に、医者から「気をつけてお過ごしください」と言われて、いつもと違った感じにドキンとした。
 
 

2017年10月13日(金)
日限り日記

 [瞬間変節芸]
 今週の「週間文春」、「週刊新潮」はともに小池都知事のことである。しかも両誌とも小池の悪口を書いている。普通はどちらかが良く言いどちらかが悪く言う、と不思議なことにバランスがとれているものだが。
 小池は東京都知事選挙と都議会議員選挙をやってみてあまりに自分の人気が高いものだから国政に打って出た。その手順から都知事を辞めて総理を狙うことが出来なくなったのは仕方がないことだ。次にどのような手を打つのか、政治劇の演出家兼主役としてその都度思い切った行動に出る人だから、何かやるだろう。
 とろろで安倍自民党総裁が、消費税2%の一部を子育て世代に集中投資をするというように公約を変えたことについて、朝日新聞のある論説委員がものすごく論難した。これは当初の公約通り財政赤字の削減に使うべきである。財政赤字を減らすためでなく教育無償化に使ってしまうのは、「痛みの先送り」「未来」の切り売りではないか、と。
  ところが、今週の週間文春の「宮崎哲弥の時々砲弾」によれば、前原民主党議員が以前安倍と同じような提案をしたときは、同じ解説委員が「画期的」「大いに評価する」とべた褒めだったそうだ。
 宮崎はこれを「瞬間変節芸」と言っている。
 この新聞の論説委員は、政策の是非でなく、誰が言うかによって賛否の手のひらを返している。
 政治家はもともと「瞬間変節芸」に長けている人だと思っているからいいが、ジャーナリストがこれほど鉄面皮であるとはあきれるばかりだ。
 
 
 

2017年10月12日(木)
日限り日記

 [神田松之丞]
 若い俳句仲間の女性から神田松之丞が面白いですよ、と薦められたので、寄席に行く前に彼の出ている番組を探して見た。神田松之丞は31歳の講談師。講談界に新風を吹き込む革命児だそうだ。
 見た番組はNHKテレビの「達*達 いとうせいこう*神田松之丞」である。残念ながら松之丞の講談は演じられていなかった。この番組は、なぜ彼らがこの道に入ったか、という懇談である。それだけでもとても面白かったが。
 その懇談の中で、いとうせいこう、この小説(「想像ラジオ」)を書き、番組のプロデューサーでもある男は自分を「芸人」だと言う。なぜなら芸人は現状を打破する人、自分は現状に甘んじていると気が変になってくる、と言っていた。「芸人」とはそのような人なのだろうか。伝統芸能の芸人の場合は、伝統を守ることに第一義があるものと思っていたが。「芸人」にもいろいろあるのではないか。
 松之丞は講談という伝統芸能に籍を置きながら、新しい講談を開発しようとしているらしい。
 機会があれば一度聞いて見よう。
 
 

2017年10月11日(水)
日限り日記

 [全国学校音楽コンクール]
 NHK全国学校音楽コンクールが好きで、毎年聞いている。全国何百という学校から地区別に選ばれた11校によって課題曲と自由曲が発表される。
 なにが良いかと言えば、学生が力を合わせて美しい曲に仕上げていくその姿が美しい。
 10月7,8,9日に行われた今年のコンクールでは、高校では東京の大妻中野高校、中学では東京町田市立中学校、小学校では東京日野市立七生綠小学校と、すべて東京の学校が金賞を取った。しかし福島の郡山、山形の鶴岡など地方にも毎年立派な成績を上げる学校がある。審査員の先生によれば、最後は好き嫌いで選ぶような接戦だとのこと。個人的にはそういうときにはなるべく地方校に軍配を挙げて欲しいのだが、それは参加校にはかえって余計な配慮と言われるかも知れない。
 
 
 

2017年10月10日(火)
日限り日記

 [句集を買う」
 体育の日休日であったが、万葉集の講義があり出席した。
 行きの電車から混んでいたが、横浜駅は大変な人出だった。帰りに寄ったそごうの中の紀伊国屋書店も人が多くレジが並んでいた。そごうも人が多かった。
 やはり、有効求人倍率がすべての県で1を越えているなど、景気が底堅いものがあることの表れのような気がする。人びとの顔も明るい。
 本屋が活況を呈しているのは、若い作家が活発に創作活動をしていることによると思う。
 私は今日は、文庫本になった西加奈子の「サラバ!」を買った。それと俳句の棚を見ていたら面白そうな句集があったのでそれも買った。瀬戸優理子の「告白」という句集で第一句集とある。句集は同じ結社の主宰や仲間が出すし、月刊俳句雑誌も買っているのでそのほかには必要ないのだが、時々面白そうな、あまり人に知られていない人の句集も買っている。買うのは立ち読みして惹かれる句があるもの。「告白」は「気を抜くと告白になる夕櫻」がいいと思って買った。
 やや有名な人の句集では佐藤文香の「君に目があり見開かれ」。これは「手紙即愛の時代の燕かな」に惹かれて買ったのだが、ほかに全く感動する句がなかったので失敗だった。
 句集は値段が高い。でも句集は売れないので作家としては出費が嵩む。俳句をやっている人への勝手な応援の気持ちで買っているところもある。もっとも家で調べてみたら瀬戸優理子は詩人や編集者としても活躍している方らしいし、「告白」も版を重ねているらしい。となれば今回の応援のために売れない本を買うという試みは独りよがりであったか。
 


2017年10月8日(日)
日限り日記

 「日本人の朝鮮観」
 少し前よく売れている「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」(ケント・ギルバート)を読んだが、あまりにも日本人を贔屓しすぎる、これでは贔屓の引き倒しではないかと思うぐらいだ。
 そこで、目次を見て面白そうだったので「日本人の朝鮮観」(小倉和夫)を読んだ。
 目次には「大和朝廷の朝鮮観」「武士の時代の朝鮮観」「秀吉・家康・秀忠にとっての朝鮮」「江戸時代、明治の隣国観」など時代ごとの朝鮮観が述べられ、第二部で文学の中の朝鮮人観が述べられている。
 秀吉の朝鮮出兵については、自らの政治的権威を東アジア全域に及ぼすための入口であったと述べている。あまり外国の事情について知らなかったのではないかと思っていたが、この本によれば秀吉は、我が国の歴史的な朝鮮との交流や宣教師からの情報による世界情勢をかなり正確に理解していたとのことである。
 著者は駐韓国大使を務められているので、当然ながら日本人の目から見た一方的な見方に組みしない。それどころか日本人の朝鮮観の誤りを正そうとする。日本人と朝鮮人との間には共通性が多い。それだからこそ、些細な相違点に目が行きがちである、あるいは共通点について自己嫌悪に陥りがちであるなどとの指摘がある。
 述べられていることはおそらく正論なのだろうが、なぜお互いにこれだけ強く嫌い合っているのか、もう一つ整然と理解できなかった。
 隣国というのは隣人と同じように非常に微妙な関係にあり、説き解くにはなかなか難しい問題なのだということは分かっているが。
 
 
 

2017年10月6日(金)
日限り日記

 [墓掃除]
 お彼岸は過ぎているが多磨墓地に墓参りに行って来た。一年ぶりに行ったが、墓地はかなり変わっている。新しい墓石が沢山ある。なぜか。そのヒントは近所の手入れのされていない墓地の前に立てられた立て札を見ると分かる。
 「・・・本立て札の日付の一年以内に連絡がないと、無縁墳墓として改葬する・・・東京都」。つまり無縁墳墓を都が改葬して、新しく賃借人を募集したに違いない。
 我が家は私の体調が悪く一年ぶりだったため、草も木も生い茂っていて、ご無沙汰を叱られているみたいだった。12平米ほどのお墓なのだが、二人がかりで1時間はたっぷりかかってしまい、終わった頃にはすっかり疲労困憊してしまった。
 雑草の中から、つぶらな真っ青な動物の目のような草の実が数個私を睨んでいた。いつか句会で回覧されてきた俳人の好きな「龍の玉」の実際に生えているところか、墓掃除に来た甲斐があったというものだ。
 しかし家に帰って調べてみると「龍の玉」はユリ科である。私が見たのは蔓に付いているので少し違うようだ。もう少しこの睨んだ草の実を調べないといけない、ごくありふれた草で私が知らないだけなのかも、という気になってきたが。


草中に母おはします龍の玉
 
 

 

2017年10月3日(火)
日限り日記

 [植木屋]
 会社の0B会の情報で「趣味を生かして植木屋を始めた」という記事があったので、OB会で本人に聞いて見た。
 植木屋と言っても、区のシルバーセンターの一員としてやっているとのこと。その区では剪定の需要が多く申し込んでも2ヶ月待ちだとのこと。
 本人もほとんど毎日のように仕事をしている。一日1万1千円で、月に10万円以上の収入になるし健康にも良いと喜んでいた。
 我が家は植木屋に頼む程の植木はないので、自分で電気バリカンで剪定している、と言ったら心配顔で注意された。
 自分のシルバーセンターでは、手を使って鋏で剪定する。電気バリカンは手元が狂うと大きな怪我をするので使用を禁じられている。使うのを止めた方が良いですよ、と。
 始める前にはいつも安全第一だよと自分に言い聞かせて始めるのだが、今後どうしようか。今更手鋏に戻すことは現実的でないが、事故が起こってからでは取り返しが付かなくなる。原子力発電所存続可否のような問題が起こっている。
 


2017年10月1日(日)
日限り日記

 [日本女子オープンゴルフ]
 久しぶりにテレビのゴルフの中継を見た。
 それは日本女子オープンで、NHKが生で長時間丁寧に中継したこともあったが、やはりいつも韓国の選手ばかりが上位に行くのに、今回はプロの畑岡選手、アマチュアの小倉選手という若い日本人プレーヤーが活躍したためだ。
 でも18番の中継では大いに考えさせられるシーンが放映された。それは優勝した畑岡選手がホールアウトして記録室へ移動する道に、チョン・インジ、キム・ヘリム、チェ・ヘジンなど世界的に活躍をする韓国選手が畑岡を待ち受けていて、祝福のハグをしたことである。日本人選手はいなかった。
 あるいは彼女たちは、畑岡が今年初めてアメリカツアーに参戦していたときの戦友なのかも知れない。その畑岡を待ち受けていて勝利を祝福するというシーンは、実にスポーツマンシップに溢れていてすがすがしかった。
 この点でも、日本人選手は韓国に適わないと思った。プレーもマナーも「ガラケー」なのである。