2017年8月31日(木)
日限り日記

 [素敵な日本人]
 東野圭吾「素敵な日本人」を読む。このところ、米澤穂信で短編を読む気になっているので。
 東野圭吾は以前に「容疑者xの献身」「手紙」などを読んだ。今回の短編集には「素敵な日本人」という題の小説はないのだが、短編集にこのような名前をつけるのは、東野の小説に一貫して日本人は素晴らしいという考えが流れているからだと思う。
 「正月の決意」などは面白かったが、あと八篇は普通だった。これで東野はしばらく措くことにしよう。
 
 

2017年8月29日(火)
日限り日記

 「君の膵臓を食べたい」
 一時期ベストセラーになり映画化されたともいう「君の膵臓を食べたい」(住野よる)を読んだ。膵臓癌を病んでいる女子高校生が、知り合いの男子クラスメートに対して言った言葉である。昔の人はどこか悪いところがあるとほかの動物のその部分を食べたというのが、その言葉の理由である。
 全篇を通じて高校生の友情と淡い恋心がストイックに書かれていて、気持ちがよかった。高校生の孫娘が、とても真面目な本だよと言っていたのが肯けた。
 最後に女子高校生が、病ではなく突然の暴漢に襲われて命を落とす。そして男子高校生(秘密を知っているクラスメートくん)は、女子高校生の女の友人と次の高校生活を切り開いていく、というあたりは、もう一つすっきり来なかったが、それも明るい未来のためにありなのだろう。
 
 
 
 

2017年8月27日(日)
日限り日記

 [桃のサンドイッチ]
 新宿の高野フルーツパーラーで昼食。8月までの期間限定メニューというので、桃のサンドイッチを食べてみる。桃は、果物屋に入ると甘い香りが店に満ち満ちる。瑞瑞しい果汁があり、パンが合うのかどうかなども考えながら賞味した。
 桃のサンドイッチは4切れしかないので、追加で店のケーキを頼んだ。つい日頃好きなアップルパイを選んだが、桃と林檎の取り合わせはよくなかったかと思う。
 俳句でも取り合わせという作り方がある。
 
  菊の香やならには古き仏たち(芭蕉)
 この、「菊の香」「ならには古き仏たち」の二つの部分がうまく取り合わされていると、句の世界が広がる。
 取り合わせは洋服とか部屋の装飾とかにもあるが料理にもある。さてこの桃サンドイッチに追加で注文するとしたら、なにがよいのか次のテストは一年後になる。
 さしあたってこれから出る俳句会では取り合わせに失敗しないようにしないといけない、と思いつつ席を立った。
 
 
 
 

2017年8月25日(金)
日限り日記

 [図書館]
 横浜綠図書館に閻連科の「年月日」の翻訳本を返しに行く。
 図書館で日経新聞と読売新聞の7月分を見なおして「この暑さは千万年前の産物」と書いてあった記事を探したが見つからない。新聞記事はその時に切り取っておかないと再発見は不可能に近い。千万年前のなにが原因というのであったか、全く思い出せない。
 暑さではないが、地球の歴史は46億年、そのうちゴキブリは3億年、蟻は1億年の歴史があるがホモサピエンスは二十万年だそうだ(福岡伸一氏)。
 図書館は満席。家を探すとしたらどこに近いところが良いだろう。俳句の吟行によい森林公園、運動のしやすいジムやプール、映画館、病院、カルチャーセンターなどいろいろ思い浮かべるが、いまなら図書館に近いところに探すかも知れない。でも図書館は、紅葉坂の神奈川県立図書館や野毛坂の横浜中央図書館のように、静かでかつ周りの景色のよいところにあって欲しいから、そんなところは手に入らないだろう。東京は詳しくは知らないが夢のまた夢となろう。
 綠図書館のある十日市場駅は閑静な駅だが、東洋英和女学院大学が東京六本木に移転することを決めて以来、めっきり学生が減って若さのない街になってしまった。駅前は新しいファストフッドの店ばかりで、深みがなく面白味もない。安い果物屋があったが潰れてしまったらしく今日も閉鎖されている。図書館の用事が過ぎればすぐに離れるのみ。
 
 
 

2017年8月24日(木)
日限り日記

[抹茶白玉餡蜜]
 8時家を出る。新幹線で9時半予約の慶応病院泌尿器科、10時半診察開始、診察時間は1分。前回PSAは5台、今朝の尿はきれいです、薬はハルナールだけでこのままで良いでしょう。次回は11月29日。毎度ながら薬剤部が30分以上待ちで病院を出たのが11時半。

 信濃町の千疋屋で昼飯のミックスサンド。良い葡萄はいくらかと値段を見るとマスカットで1万円。
 新宿御苑を信濃町口から新宿口まで。いまは花がなく、百日紅ぐらい。木の実の季節になっている。カリンや朴の実を見た。温室は季節感がないので毎回は行かない。
 「追分だんご」で抹茶白玉餡蜜を食べる。いろいろ入りすぎている。俳句でなく短歌のような食べ物。
 前回若者向けの「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメントを読んだら」が面白かったので「君の膵臓が食べたい」(住野よる)を買ってみる。
 

2017年8月21日(月)
日限り日記

 [酒の処分]
 家を整理していたら古い酒が何本か出てきた。調べてみると醸造酒はもたないが蒸留酒は古くなっても大丈夫なことが多いという。しかし何せ古いのだからあげるとしてもごく近い人にしかあげられない。
 こどもやこどもの連れ合いはあまり酒を飲まないので、弟に連絡をしたら喜んでもらうとのこと。久しぶりだというので夫婦で家に来てくれた。いつも飲んでいるのよりも高級ブランドだと言って、喜んでくれた。
 しかし車に積むのを手伝いながらなんとなく心が晴れない。この酒で弟が身体を壊すようなことになったら大変だという気持ちになる。母親が生きていたら、止められたかも知れないと思う。
 弟の奥さんは、大丈夫ですよ、私がきちんと管理しますから、と言ってくれたが、余計なことをしたかなという気持ちは消えない。
 弟の計算だとあげた酒の量は一週間一瓶として半年もつのだという。一週間一瓶は多いだろう、きつく言ってやらないといけない。
 


2017年8月20日(日)
日限り日記

  [猛暑知らずのヒヤッとする本]
 読売新聞「猛暑知らずのヒヤッとする本」は書評委員の推薦する20冊だが、大体は古い。たとえばいまさら、梅原猛の「隠された十字架」を薦められてもと思う。彼らが昔読んだ本だろうが、おそらく書評委員が新しい本にヒヤッとするには年をとりすぎている人が多いということだろう。
 さりながらそのなかで面白そうな「カーデュラ探偵社」(ジャック・リッチー)を買って読んだ。著者は1922-1983年の人だから古いが、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)の最優秀短編賞を取った人。いままでの経験ではこの賞を取った人の作品はまあはずれがない。
 私立探偵カーデュラは夜間のみ営業する、じつは彼は吸血鬼なのだから。でもそれを分かっていてもなかなか面白かった。
 残された人生の日々は少ないのに、こんな本を読んでいて良いのかと、カーデュラ探偵に言われそうだが。
 
 
 
 

2017年8月18日(金)
日限り日記

 [百人一首]
 百人一首の講座があったので出てみた。
 直接のきっかけは小学校3年生の孫が百人一首に興味を持っていることを知ったので勉強し直そうかと。昔母親が友人とカルタ取りを楽しんでいたので、自分も小学生の頃は百人一首のかなりのものを諳んじていた、理解していたかは別として。中国人が幼稚園で漢詩を諳んじさせられるのは実用上の語彙を増やすためと言われているが、日本人のは趣味の域が多いかも。
 講座の参加者11名、男は3名。女性のなかには二歳ぐらいの幼児を連れている人がいて、事務局から例外措置だという断りがあった。でも幼児に2時間は無理だった。百人一首の好きな若いお母さんには気の毒なことだ。
 講師は、カルチャーセンターには珍しい若い美しい講師。今日は月の歌を10首ほど。まあ百人一首は沢山の本が出ているのでわざわざ聞きに行かなくてもというレベルの話が多かった。
 この辺が講師の腕だろう。古文なら神野志隆光、品川悦一あたりは、講座でしか聞けない話が聞けて充実した時を過ごせるのだが。
 
 

2017年8月16日(水)
日限り日記

 [閻連科「東南に向かって歩く」を読む]
 このところ雨続き。“戦争がどかと残暑のごとくかな”(長谷川櫂)の8月なので、テレビでは東京裁判の映画や悲惨なインパール作戦のドキュメントが放映されている。いまはつらくて見る気がしないので、とりあえずビデオに取る。そうなると本でも読むしかない。
 原文は「朝着東南走」。私の感じでは、閻連科の中国語はもっとも明快で分かりやすい中国語なので、中編小説ではあるが3日ほどで読み終えた。
 主人公の父は、よりよい楽しい生活を夢見てひたすら東南に向けて歩いている。その途中で母と知り合い、相思相愛の仲となり結婚する。父と母はお互いに助けて農作業をし、とても仲良く暮らす。やがて子供すなわち主人公が生まれ、母親は子供の世話に手をとられる。
 授乳中にセックスをするとお乳が出なくなる(こんなことがあるのか?)と拒否されたこともあり、父はまたあたらしい夢を求めて東南の方向に行くために家を出てしまう。
 父は軍隊に入り、兵隊になり、戦争に参加し、ついには大人物になり、栄華を尽くしているはずだと主人公である私は信じていたが、ある村人の情報では父は貧乏の限りを尽くし、戦争に巻き込まれ、黄河のほとりで鉄砲の弾に当たって死んだとのことだった。
 私は村人の話を信じなかった。家に帰って母に聞いて見ようと思う、というところで小説は終わっている。
 非常に快活で生活力はあるし、強い家族愛もあるが、現状に満足できないで常に今よりもよいものを求めている、そのためには今の小ささ幸せを失っても仕方がない、かといってそのために人に恨まれることもない、人間にはそういう自分中心の自由な生き方もあることを示していると言えようか。
 相変わらず閻連科の人物の描き方は活き活きとしていて、そういう自由な考えや生活もあり得るのだなと得心させられてしまう。
 
 

2017年8月14日(月)
日限り日記

 [「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら]
 ソフトボール部の部長になった孫に「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメントを読んだら」(岩崎夏海)を進呈した。
 万年、予選一回戦負けの都立程久保高校野球部に、病気の親友の代わりにマネージャーとして入部した川島みなみは、親友を励ますつもりで、「野球部を甲子園に連れて行く」と監督と部員の前で宣言してしまう。マネージャーの仕事の参考にと、勘違いから手にした経営学の父・ドラッカーの名著『マネジメント』に感動し、そこに書かれている教えを野球部の中で実践していく。次第にやる気のなかった部員や監督の意識・行動、さらに高校野球において長く常識とされてきた古いセオリーを変革させていく。
 かつてベストセラーになった青春小説であるが、自分で読んでみてとても面白かった。ドラッカーの金言がいくつか散りばめられている。マネジメントにとって一番大切なのは「真摯」であること。これを知ってみなみは涙が止まらなくなる。私も自分の現役時代に引き合わせて長い間涙が止まらなくなってしまった。
 遂に甲子園に行けることになったときなど思わずじんときた。青春小説としてなかなかよく出来ていると思う。
 さて孫娘のチームはどうなるか。

 

2017年8月12日(土)
日限り日記

 [嫌老社会]
 ネットで五木寛之「孤独のすすめ」を買った。見てみると本書は2015年に刊行した「嫌老社会を超えて」を大幅に加筆したものだと書いてある。「嫌老社会を超えて」は読んでいないが、内容はほとんどどこかで著者の考えを聞いた記憶のあるものばかりだった。ネットで買う場合はこういうリスクがある。
 この本の中で一番気になったのは「嫌老社会」という言葉である。
 私はよく京浜東北・根岸線の石川町駅を利用する。ここは学生の多い駅でミッションスクールの女学生も多く乗り込んでくる。
 それにしては彼女たちは乗車をするとわれ先にと席を占めてしまう。敬老精神などというものは全くない。何故だろう。
 これをいまは「嫌老社会」なのだと思えば、理解できる。石川町駅は横浜の山下公園、中華街、山手、港の見える丘公園などの最寄り駅だから、観光に来る老人も多い。うっかりすると老人どもに席を占拠されてしまう、という恐れを彼女たちは持っているのではないか。
 同じように3ヶ月に一度東京青山で句会があるのだが、帰りのラッシュアワーに明治神宮前駅で地下鉄に乗るとこのような感じがすることがある。当然座れないので立っているわけだが、電車の揺れに対して老人の身体は大きく揺れる。しかも身体が硬い。何故このような時間に老人が乗ってくるのだという視線を感じざるを得ない。
 娘に聞いて見ると嫌老感はないが、この大勢の老人を自分たち数の少ない若者が支えているのだから大変だ、将来自分たちは支えてもらえるのだろうか、という感じは持つと言う。
 五木寛之はこの本の中で、今のところは「豊かで鈍感な老人への反感」ぐらいのレベルで済んでいるが、やがて嫌悪そして憎悪まで上ってゆくのではないかと言っている。そして大切なのは老人がこのような若者の感情に気がつくことだと言っている。さらに、若者にあのような老人になりたいと思われるような老人になるとこが必要とも言っている。
 私は、最近の若い人には敬老精神がない、と思っていたが、それは望む方が無理で、私が若者の気持ちに気がつくことが大切だということは理解した。
 最初はどこかで読んだような内容ばかりとこの本を軽視していたが、読み返して得ることもありました。
 
 
 

2017年8月11日(金)
日限り日記

 [満願]
 1月に読んだ「真実の10メートル手前」に続いて米澤穂信の「満願」を読んだ。これは「このミステリ-がすごい」、「週間文春ミステリーベスト10」、「ミステリが読みたい」でそれぞれ一位になったのだそうだ。これで米澤穂信の短編を12編読んだことになる。
 非常にうまい。ハラハラドキドキ、息もつかせぬほど一気に読ませる。大きな伏線を張るわけでもなく、この世の小さな出来事の齟齬を積み重ねてミステリーに仕立てる。例えば露見するはずのない殺人をした犯人が、殺した相手からコレラを移された「万灯」など。
 かつて松本清張の短編を読んだときの印象とは違う。社会的強者・弱者がいるわけではない。正義感・無常観があるわけでもない。
 あるとしたら日常の思わぬ落とし穴、我々も主役になるかも知れないという一体感か。新しいミステリー作家として今後も注目していこう。
 
 
 

2017年8月10日(木)
日限り日記

 [天皇陛下のお言葉]
 今月号の「新調45」の特集は、「日本を分断した天皇陛下の「お言葉」1年」である。これに依れば日頃天皇陛下に尊敬の念を抱いている保守層の一部が「お言葉」に疑義を呈し、天皇制に批判的だった革新勢力は深く共鳴したとある。しかし、マスコミから受ける印象ではとても分断したというような情勢ではなかった。ほとんどのマスコミが天皇の発言に同情と賛同を示し、天皇が直接国民に訴えた方法や訴えた内容に疑義を発した人はほんの少数意見として扱われた。事実世論調査などでは圧倒的に天皇同情票が多かった。天皇制の問題は、情ばかりでなく歴史上実際に起こった問題などへの理解と今後起こるべき問題の予測も必要だと思うが、最後はたとえ情に流されているとしても民意を重んじるべきなのだろうか。
 私が「新潮45」8月号を手にしたのは、「天皇は祈っていてくださればよい」と言ったと報じられた平川祐弘の発言を正しく知りたいと思ったからである。「新潮45」に述べられている平川の皇室観を要約すれば「天皇家にはご先祖様以来の伝統をきちんと守ってまず神道の大祭司としてのおつとめを全うしていただきたい。その方が卑近な皇室外交などの政治的お勤めよりもはるかに大切なにではあるまいか」というものである。私にはこの意見もしっくり来ない。
 ところで平川も述べているが、有識者会議のスポークスマン御厨貴のマスコミに対するブリーフィングには、私は大変違和感をもった。本人と意見の違う平川や櫻井よしこ、渡部昇一らの意見を紹介するときは少し冷笑気味に話をする。オーラルヒストリーの専門家が聞いてあきれるぐらいの偏向である。公平でない、少なくともジャーナリスティックである。
 彼は時々政治の時事放談の番組にも出ているが、このようないわば曲学阿世の徒がいま東大教授をやっているのかと思うと天を仰ぎたくなる思いだ。かくして天皇譲位問題は、ニュース番組、芸能番組のごとく賑やかに論じられ報道され幕を閉じた。
 
 
 
 

2017年8月8日(火)
日限り日記

 [核拡散防止条約]
 俳句の兼題が原爆忌だったこともあって、昨日は久しぶりにテレビの原爆の番組よく見た。
 8時15分、広島市内に通勤通学をする市民の頭上で原爆が破裂する。広島市民35万に中15万人が焼死、圧焼死などで死亡。誠に卑劣極まりない絶対に許すことの出来ない行為だ。しかしいまも、戦争を始めた方が悪いのだ、ナチスドイツが敗れ、沖縄が占領されたのに、まだ戦争を継続する日本に対して原爆を落としたからこそ戦争を止めさせることが出来たのだ、という評価がある。
 核拡散防止条約に日本は賛成していない。アメリカの核の傘の元にあるからという理由も理解できるが、被爆国としての立ち位置が確立できないのか。このままでは被爆国民としての主張を世界に発信できないという精神的にやるせない気持、不作為の後ろめたい気持ちにさせられる。
 
 
 

2017年8月6日(日)
日限り日記

 [昔の地番]
 先週の新聞に新宿中央公園北側の木造住宅などの密集地域を再開発して、34階建ての超高層ビルを建てるという報道があった。計画地は西新宿6丁目とあるが、ここは多分私の父方の祖父が大正12年から昭和20年まで住んでいた当時の東京市淀橋区十二社(別の表示では東京府下淀橋町大字角筈)の近くではないかと思う。この辺は昭和20年4月13日の東京城北大空襲で一面焼け野原になったところだが、その後都市計画なしに小さな家が建てられてきた。
 祖父の住んでいた家の地番を今の地番と照合してみたところ、西新宿4丁目内であることは分かったが、役所に聞いても昔の地番をいまの地番に特定できないと言う。火災保険会社が戦前の住宅帳簿を持っている場合は分かることがあると言われたが、まだ聞いていない。現地を訪ねても、土地勘でここだと特定できなかった。2歳年上で私よりもはるかに記憶力のよい姉が最近亡くなってしまったのも痛い。
 現地に行って、東京のしかも都庁の直近にこのような古い木造の家が雑然と建っていることに驚いた。6丁目は4丁目のはす向かいだし、木造住宅などの密集地域とあるから同じような状況なのではないか。
 やがて4丁目も再開発されるだろうから、祖父の家のあったところも特定しておきたいのだが、分からないままに過ぎ去るのであろう。特定できたとしても、それでどうするというものでもない。ただあの世で祖父母に会ったときに話してあげるぐらいのことだ。
 
 
 

2017年8月4日(金)
日限り日記

 [ノコギリ]
 小学校の通信簿が残っているので何かと面白い。小学校1年から6年までの身体検査の結果があるので、孫は自分と比較して見ている。身長は大体同じだが、体重は孫が3キロぐらい軽い。もっと食べろよ、野菜を食べろよ、という祖父の言葉に迫力を感じているはずだ。
 大工道具ではノコギリを使わせると、一番違いが分かると思う。真っ直ぐに切れないし、なかなか進まないので小学生時代私は反対側から切ったり、完全に切れる前に折ってしまったりしたものだ。
 だから孫には、根気よくがまんして、とだけ言ってやる。どうやら小学校3年の孫の方が昔の私より切り方がうまい。うれしい気分だ。
 
 

2017年8月3日(木)
日限り日記

 [投句第一席]
 結社誌8月号来る。前主宰選は、なんと第一席だった(投句者は350人)。
 蘭鋳は花の四歳鬱鬱と

 蘭鋳の気だるい姿態を描いて出色、という評価。これは近所の金魚屋で、変な老人が紙切れと鉛筆を持ってうろうろしていると思われながら作った句。最近身体の調子を考えて吟行のための遠出ができないが、身の回りにもまだまだ題材はあるということか。
 実際に見て身体の中から出てきた句が評価されてこの上もなくうれしかった。今年の夏以降自分の作句力にかなり悲観的になっていたがまだもう少しやれるのか。
 前主宰選で第一席になったのは、2006年この俳句結社に入ってから、2012年3月、2015年10月、2017年8月の3度目。
 いつもは平凡な点だからたまたまの幸運ではあるが、自分の俳句史を飾るできごと。それがこの歳になるもまだ起こるとは。
  
 
 
 

2017年8月1日(火)
日限り日記

 [水道栓]
 水道栓のゴムのパッキングを取り替えることを思いついた。一度取り替えておけば数年は持つ、ということはこれも一つの妻への贈り物。
 我が家に水道栓は8カ所あるが、素人でパッキングを取り替えられるのは6カ所。そこで10個入りのパッキングを買ってくる。取り替え工具は大工道具のなかにある。昔何度かやったことがあるから方法は分かっている。後はあまり暑くない日を選んで作業を開始すればよい。
 ところがいざ始めてみると、第一ステップの水を止めるための元栓が動かない。油を差してみたがびくともしない。このまま続けると腕を捻挫しかねないので念のためインターネットで調べてみると、町の水道屋に頼む前に市の水道局に聞いて見るのが良いことが分かった。電話をしたら、普段あまり使うところではないので固くなってしまうのはよくあることだそうで、2日後には水道局指定の工事屋が来てくれた。
 工事屋は水道栓を捻ってみてすぐに栓全体の交換作業に入った。一時間ほどかかってそれまでのねじる栓から、レバーを上下させる栓へ交換して引き上げた。
 開閉を試してみると嘘のように楽である。
 パッキングの交換は、あまり時間もかからず問題もなく終わった。小学生の孫が来ていたので作業を手伝わせたが、覚えていてくれて5年後にお婆ちゃんの役に立ってくれると良いが。