2017年7月30日(日)
日限り日記

 [メール]
 久しぶりに戌井昭人が本を出したらしい。この作家にははじめの「ひっ」で捕らえられたが後作はすべて裏切られている。新作「ゼンマイ」はどうか。
 書評(長島有里恵)によると、「・・・一人の女性への思いを淡々と胸に住まわせて生きた竹柴という人はなんて愛らしく健気なのだろう。メールをくれる男たちの気持ちを少しわかった気がした。」
 本は何れ読むとして、私は最近一年ぶりに中国語の先生(女性)に暑中見舞いのメールを出した。そのなかで最近現代中国語小説を読んだが分からないところがあるので、また教えて欲しい、と書き添えた。このぐらいのメールなら今まで中国人からもらったメール文の貯蔵庫から引き出せば、本場の中国語で書くことが出来る。外国語で文章を作るのはそっくり真似をするのが一番だ、そうはいかない場合も多いが。
 折り返し先生が送ってくれたメールには、メールをもらって大きな「惊喜(jingxi・ジンシー)」だと書いてあった。驚きと喜びということである。話が通じたことも嬉しかったが「惊喜」の字もうれしかった。
 かといって私が愛らしく健気だと思われているわけはないと思うが。
 
 

2017年7月28日(金)
日限り日記

 [「だめだし日本語論」を読んで]
 去年の「夏の文学教室」(近代文学館主催)ではいろいろ才能のある人の話を聞けたが、そのなかでは「明治の光」という題で話をした橋本治が気になった。
 橋本は講義のなかで「尾崎紅葉が死んで憑き物が落ちたように新しい文体をひっさげた作者が現れた(たとえば島崎藤村は「破戒」を持って上京してきた)。新しい文体が成熟するまでには時間がかかる、今も成熟のさなかにあると述べていた。
 その橋本と橋爪大三郎との対談「だめだし日本語論」が面白そうだったので買って読んだ。
 文字を待たなかった日本人がどのようにして今の日本語を造ってきたかにはとても興味がある。この本は橋本が訳してきた日本の古典(「枕草子」「源氏物語」「平家物語」)を軸に、日本語の歴史と日本語がもたらす日本人の思考構造について、二人が論じたものである。
 二人が言うには、日本語はいい加減に漢字を使うことから始まった、成り行き任せ混沌だらけで今日まで来たということらしい。実際に自分で万葉集や古事記を読んでも、実に巧みに(または融通無碍に)漢字を使っていることが分かる。
 しかしこの本を読んでも、主役の橋本が後書きで述べているように「他人が読んで分かるような」話にはなっていない。かえって混乱するところがあることも事実だ。なにせ自由奔放に話を展開するので。
 仕方なしに私は次の資料を本棚から引っ張り出して読み直した。
 ・万葉仮名の成立と転相    川端善明 日本古代文化の探求・文学
 ・漢字の訓の変遷       大谷雅夫 岩波文庫「万葉集」解説
 ・古典日本語の世界―漢字がつくる日本    東京大学教養学部国文・漢文学部会篇
 
 これらはいずれも朝日カルチャーセンター新宿で「万葉集研究」の講座(2013年1月)を受けたときに講師の神野志隆光氏から推薦されて読んだものである。神野志はわずか8人の受講生のために毎回段ボール二個分の学術書を家から持ってきて皆に回覧して見せたり、大量の資料を配ったりした。上記「万葉仮名の成立の転相」はその時配っていただいた30枚の資料である。
 
 そして初めて、橋本治は、この古典日本語の上に立って、平安・鎌倉・室町・江戸・明治と変遷しながら出来上がってきた日本語を折々の社会制度と関係づけながら述べているのだなということが分かった。
 250頁足らずの本でありながら、国立国会図書館所蔵の「古事記」「愚管抄」「続日本紀」「「古事記伝」「源氏物語」「日本書紀」「太平記」「万葉集」「枕草子」「新古今和歌集」「和漢朗詠集」「江談抄」「古今和歌集」「徒然草」「大鏡」「土佐日記」「竹取物語」「童子訓」「平家物語」「御伽草子」「百万塔陀羅尼」「草双紙」「「仮名草子」「「学問のすゝめ」の原本(または写し)の写真が載っているのがいい。時制には関係なくこの写真の順番で論じられているのがこの本の論建ての自由奔放なところだが、整然とはしていない。
 当然上に述べた資料に比べれば精緻さは欠けるが、日本語の変遷の大綱を知るには良い本であるような気がする。どれだけ理解できたかは別として読んで面白かった。
 
 
 
 

2017年7月26日(水)
日限り日記

 [「長恨歌」を読む]
 中国語学校のこの夏休みの夏季講座は、白楽天の「長恨歌」である。「源氏物語」や[枕草子]にも影響を与えたと言われる「長恨歌」は一度読んでみたいと思っていた歌だ。そこでとりあえず「長恨歌」とはどんな詩なのか自分で読んで、CDで朗読を聞いてみることにした。
 玄宗皇帝と楊貴妃の熱い恋の部分は割合少なくて、むしろ部下に迫られて楊貴妃を殺害した後の玄宗皇帝の苦しみの部分が多いのは予想外だった。「長恨歌」というのはそのためか。最後の二節は日本語訳だと「永遠であるはずの天地もいつかは尽きるときが来る。しかしこの恨みはとこしえに尽き果てることはないだろう」というものである。解説によればこの恨みが何かは読者の想像に任されているという。私には玄宗が自分の位を守るために自分の手で最愛の人を殺さざるを得なかった宿命を恨むというごく普通の解釈しか思い当たらない。もっとも「恨」は心の傷という意味だという説もあるそうで、それならば特段の解釈は要らなくなる。
 教室で勉強すれば中国人の先生から新しい情報が入るかも知れない。しかし、今年はこの暑さのなかを教室で勉強をするのは無理のように思う。申込みまであと一週間あるからしばらく迷っていることにする。
 



2017年7月24日(月)
日限り日記

 [新宿西口通り]
 新宿住友三角ビルで行われる月に1回の俳句の講座に出る。
 先ず駅ビルのフルーツタカノでフルーツサンドイッチを食べる。前は天麩羅屋で季節の天麩羅だったが、今は到底食べきれない。
 都庁までの道を歩く。ここは若い人もいるが老人も多いので歩行速度はバラバラだから歩きやすい。若者の多い原宿通りなどは最近は歩きにくい。
 この道の楽しみはブックファースト書店。横浜にも有隣堂、紀伊國屋、三省堂の大きな書店があるが、陳列スペース、本の数、特に本が見やすい点からいってブックファースト新宿店が一番いいと思う。
 今日は、最近出た岩波文庫の芭蕉手書きの原本による「奥の細道」、直木賞を取った佐藤正午の「月の満ち欠け」俳句の句集(ここには知らない作者の句集が結構置いてある)、中国語小説の翻訳本などを眺める。中国語の小説では甘耀明の「鬼殺し」が面白そうだが、台湾人だから原文は繁体字だろう。繁体字は読めるがやはり簡体字の方が慣れているから読みやすい。日本人の若い小説家がずいぶん本を出しているが、時間を考えると手が出ない。
 俳句の講座では先月に続いて今月も先生の選に選ばれず。帰りは最寄りの「都庁前」駅から地下鉄に乗ってとぼとぼと帰る。
 俳句は第二芸術と言われたり、やっていない人には奇妙な文学と思われようが、やっている人には大きな山である。誰がなんと言おうとびくともしない。自分が俳句とどう向き合うか決めるしかない。
 
 

2017年7月22日(土)
日限り日記

 「閻連科「年月日」を読む」
 閻連科の「年月日」を原文で読んだ。作者の説明に依れば、この「年月日」は「受活」「為人民服務」「炸裂志」など違った別の閻連科色が出ているので是非読んで欲しいということである。つまり論争を引き起こす作家、凶暴な作家としての閻連科以外の面を是非読んで欲しいということである。
 話は大旱の村に残った老人と盲犬の話。玉蜀黍の種を次代に引き継ぐために守り、狼や鼠と戦う。彼らの努力で、七粒の見事の種が残るが、種の命と引き換えに彼らは命を落とす。
 私は原文で「為人民服務」「炸裂志」「我与父輩」を読んだ。「為人民服務」は大陸では発売禁止になっているが、確かに小説の主人公による毛沢東批判は相当のものだし、司令官の妻と部下である主人公との情事も、中国の正統な小説としてはかなり思い切って書かれている。「炸裂志」に出て来る登場人物の反社会的とも思える活動性にも目を見張るものがある。
 この「年月日」はこれらの小説に比べて登場人物も極めて少ないし筋は簡単である。しかし閻連科の物語作者としての特質は些かも変わっていない。80頁の中編の比較的穏やかな小説とは言え、最初から最後まで緊張感のある話の展開で非常に面白かった。
 日本人読者としては、主人公の住んでいる山村の自然、四季の変化、農作物の成熟などを多彩な単語・熟語を使って表現していく技に、驚嘆した。多分日本人は中国人の使う漢字や熟語の一部しか使っていない。中日辞典にない単語も沢山使われている。これに加えて中国人は、日本から逆輸入の漢字熟語を沢山使っている。同じ漢字語圏ではあるが言葉の豊富さから言って彼我に大分開きがあるように思った。
 
 

2017年7月20日(木)
日限り日記

 [中国語の小説を読む]
 綠図書館へ、閻連科の「年月日」(谷川毅訳)が入ったという連絡を受けたので取りに行く。
 横浜市立図書館は全部で18カ所あるが、この本は4冊蔵書されている。1週間前に調べたときは、全部貸し出し中だった。閻連科という比較的日本ではなじみの薄い中国人の作者の本だというのに。
 ベローチェで昼のパンを食べながら「年月日」を拾い読みする。
 原作はネットで購入して、7月10日から14日までで読んだ。85頁ほどの中編だが、日本語の訳文は150頁ほどになる。中国語(孤立語)と日本語(膠着語)の違いはこんなところにも出る。
 家で、原作で分からなかったところ、どう訳すのか参考にしたかったところを原作と参照しながら、原作に注として書き込んでゆく。大体2頁に1カ所あるかないか。それでも得心がいかないところは、印をつけておいて後で中国人の先生に詳しく聞く。
 この勉強方法は翻訳本があるときは続けている。ないときは先生に聞くだけだが。現代中国小説(私の場合は、莫言、閻連科、余華などの作品)は読むだけでも十分面白いが、語学を勉強する面白さが加わるので、さらに面白い。まあ自分は語学も好きなのかなと思うひとときである。
 
 
 
 

2017年7月18日(火)
日限り日記

 [句集発行]
 俳句をやっているとよく句集が送られてくる。句集の裏頁にはISBNの番号があり、定価も書いてあるが、多分実際には自費出版であり、本屋に並ぶことも少ないのではないか。句集は、売るものではなく贈るものであると、誰かが言っていたような気がするがそう思う。面白いと思う句集を買うこともごくまれにはありますが。
 私の俳句の先生は、贈られた句集には必ず返事を出すようにと言っている。私は以前からしていたことではあるが、益々必ず感想を送ることにした。小説とは違うから少し駆け足で読めば三時間もあれば読み通せる。そして感銘した句を何句か選んで書いて、出版のお祝いとお送りいただいたお礼を述べることにしている。
 さて今年、ある方から暑中見舞いをいただいた。そこには先日句集を贈ったことに対して感想文を送っていただき有り難うございました、今後の励みとします、ということが記されていた。
 私は非常にうれしかった、というか、すがすがしい気分になった。それはなぜだろう。句集を贈る、それに対して感想文を送るでは、実は完結していない場合があるのかもしれない。句集作者はさらに感想文に対してお礼を述べる(暑中見舞いがてらにというのは実にうまい方法だ)。これで完結する。句集を発行し送り付けるというのは、それぐらい重たいものなのかもしれない。句集ではないが私も十年ほど前に自費出版して友人知人に送り付けたことがある。いただいた沢山の感想文に対してどうしたか。出版し終わった心の高ぶりから読んでいただいたことへの感謝の表明が十分でなかったかも知れない。おそまきながら深く反省いたしました。
 
 
 

2017年7月16日(日)
日限り日記

  [パソコンで家系図]
 朝から家系図を完成させるべく取り組んだ。家系図は24家族400人ほど。それをパソコンで作りA4の紙に印刷して貼り合わせて表に作る。A4の枚数はフォント100%で132枚。なるべく一覧で見えるようにしたいのでフォントを小さくする。50%で32枚が限度でこれ以上は小さくすると読めなくなる。
 パソコン上の表示はまあまあ出来たのだが印刷がうまくいかない。24家族を別々に印刷すれば出来るのだが、全体を印刷すると出来ない。
 この家系図ソフトは、一番いいソフトだと思うのだが、小さなソフト会社なので電話での相談を受け付けずメールでやりとりをするしかない。
 問題点を解決するため、元データを貸してくれと言われるが、家系図には個人情報がたくさん入っているのでそれは出来ない。ソフト会社とメールでやりとりをしながら自分で解決してゆく。今までもその方法で結局ソフトのバグ訂正に協力する形になったことがあった。
 いまAIが話題になっているが、家系図のソフトは結構難しいようだ。養子縁組、縁組解消、離婚再婚などを表で表わすのは、手書きだと簡単だが、ソフトにやらせるとなかなかうまく表現してもらえない。
 
 

2017年7月13日(木)
日限り日記

 [画集]
 友人から画集が送られてきた。
 その友人の絵はとても好きなので、一枚買わせてくれと申し込んだことがあった。その時彼は、そのうち個展をやるのでそれが終わってからにしてくれという話だった。そして今回画集が送られてきた。個展をやるつもりだったがいろいろ問題があり個展に代えて画集を作ったと言う。
 400点以上残っている作品から100点ほどを選んだとのこと。それぞれについてその時の思い出が十行ぐらい書かれている。いわば自分史にもなるということだったが、特に彼のことをよく知っている私にはとても面白かった。
 絵と俳句とではいろいろ共通するところがある。彼がどんなことに感動したかなどを言葉で知るのは、大いに参考になる。面白かったのは、人を真似てみて、一皮むけたと勝手に自分で感じて、また元に戻っているということが度々ある、という下りがあったことだ。何か自分の俳句を言われているような気がした。
 彼は絵を始めたのは十年前からだが、文章を読むと若いときからいろいろ自然に深く親しんでいる。そういう蓄積がここで爆発したと思わせる絵の出来映えである。
 絵をいただくのは拝辞した。私がいなくなったあと大切に管理できるかどうか自信がない。この画集で十分である。
 終生大切にしたい画集をいただいた。
 
 
 

2017年7月12日(水)
日限り日記

 [句会からの撤退]
 人はなぜ句会に出るのか。いい年をしても人に褒められたいから、というのも確かだが、自分の作った俳句が先生や他の人にどう評価されるのかを聞きたいという純粋な気持ちもある。句会の選別を経ないと独りよがりの句になってしまうので。
 句会で使うパワーはなにか。その場で出された題にあった句を短時間で作り出すパワー。他人様の句を間違えなく清記するパワー。先生や句会メンバーの入選発表をドキドキしながら聞くパワー。そんなことで句会が終わるとどっと疲れてしまう。
 さて先週の日曜日にあった結社の句会で、先生の選句を聞いているときに、急に胸がドキドキして不整脈が発症してしまった。これは年に1回から数回起こる私の持病で一度発症すると1時間は止まらない。しかも句会で発症したのは初めてのことだ。
 やむなく中途退席をして、家路についた。電車の中で、いよいよこれで句会を辞めざるを得ないと覚悟した。句会というのは競い合う場だから健康でないとメンバーに迷惑をかけることになる。今まで月に3回出ていた結社の句会を年齢のため1回に絞ってきたのだが、それもこれでお終いにしよう。前の結社から通算すれば11年(2006~)、今の結社で7年(2010~)出ていた句会に、最後の時が来た。
 まだ俳句はお終いにしたくはないので、結社誌への投句、勉強会、大学のクラス会句会、インターネット句会(やるとして)などには出るつもりだが、結社の句会に出ないというのは一番競争の激しい戦場からの撤退であり、大きな曲がり道を曲がったことになる。口惜しいが仕方がない、自分の現状を受け入れるしかない。
 
 
 
 
 

2017年7月11日(火)
日限り日記

 [日本の近代化は江戸後期]
 長谷川櫂氏はNHKの[視点論点]のなかで、日本の経済、文化の近代化は明治時代からでなく、江戸時代後半の十一代将軍家斉の大御所時代(1787から1841)に始まっていた、と論じている。
 なぜ家斉かといえば、半世紀以上幕府に君臨した殿は、贅沢三昧の生活をし、幕府から放出されたお金が貨幣経済をもたらしたということだそうだ。
 庶民が文芸や習いごとに手を出すようになったが、この近代大衆社会の求めにいち早く答えたのがこの時代に生きた一茶だったと述べている。俳句の近代化を実践した人は明治時代の正岡子規だというのが定説だが、実は小林一茶だった、という新しい説である。
 最近苅部直の「「維新改革」への道」が出版された。この本の帯には「日本の近代は江戸時代に始まった! 「明治維新=文明開化」史観をひっくり返す! と書いている。
 これはすなわち、長谷川が経済や文化の近代化を江戸時代に求めているのに対して苅部は、政治の面でも江戸後期に近代化の萌芽があったという説である。この点では両者は一致している。
 もっとも目次を見る限り、文化の面では苅部は一茶に言及しておらず、本居信長を論じているようだ。
 面白そうなので買い求めてきた。内容は追って紹介してみたい。
 
 
 
 

2017年7月7日(金)
日限り日記

 [ペンキ塗り]
 今年は5年振りに外装のペンキ塗りを業者にさせたが、家の窓枠のニスは自分で塗る。室内だから外部のペンキと違って力仕事ではないし、炎天下でもない。
 車がないのでホームセンターには行けないから、選択の種類は限られるが東急ハンズで、ニス、紙やすりなどの材料を仕入れる。色はオークというよりマホガニーか。しかし買ってきて色合わせをしたら少し違うので翌日チーク色を買う。ところがウレタンニスを買うところを、アクリルニスを買ってしまう。この辺の不注意は、本来の性格か最近そうなったのか。
 築後40年。特に客が来るわけでもないので多少の色の違いは構わないと家人も言うので、マホガニー色を塗ることにした。
 ネット情報に従って、湿気の多い日は紙やすり作業などの下ごしらえを、からっと晴れた日にニスは塗る。ペンキ屋がくれた養生の材料がなかなか優れものだ。マスキングテープと養生のシートが一体となっているのは使いやすい。
 窓枠は8カ所、ニス塗りだけで一日仕事になった。でも、いつも机に座っていることが多いので、気晴らしにはなる。
 出来映えは? やはり色が少し濃すぎるかも。速乾性の水性ニスだからブラシがすぐ固くなってしまって塗り面に筋が付いてしまっているのもよくないところだ。
 これは、自分の残された人生にやるべき残務ではない。しかし老人と言えども残務ばかりやるわけには行かない。
 次はまた3年後ぐらいに、生きていればという話になるが。
 
 

2017年7月5日(水)
日限り日記

 [小池百合子]
 自分の選挙で大勝し、党を作って選挙で自分の同調者を大勝させる。今時こんな勇ましい政治家はいない。昔でもヒットラーぐらいしかいないのではないか。平時の民主主義国家でやり遂げたのだから、立派と言わざるを得ない。勝った原因は敵失だという人もいるが、他の人や党は勝てなかったのだから、やはり本人の力だと思う。
 東京都知事選挙に打って出る。それだけで十分度胸がある。反対されたがそうなると反対されたことを力にしてしまう。現状と違う唯一の選択肢は、あのとき彼女を自民党の公認候補者にすることだった。しかし、男どもはしなかった。あとはすべて自分が描いたようにことが運んでいる。洞察力と実行力があると認めざるを得ない。
 公然と反対した石原慎太郎に友人が言ったようだ。「君、彼女は君の実績を評価しているのだから、そうやきもちをやくな」。
 いまはっきりと嫌みを言っているのは、週刊文春の飯島勲。彼の言い分は分かりやすいし賛同できる部分も多いが、やはりやっかみですね、男の(私もその一人)。
 今や彼女の敵は、年齢しかない。年齢は大敵である。しかしそれも彼女は読み尽くしているでしょう、彼女は現実主義者のようだから。
 
 
 

2017年7月2日(日)
日限り日記

 [早わかり三国志]
 「早わかり一日集中三国志」を聞く。講師は早稲田大学の渡辺義浩教授。最近新聞で見ると「三国志辞典」なるものを発行されたようだ。講義は陳寿の「三国志」にしたがって行われた。
 私は「三国志」は中国語で「三国演義」を読んだだけである。これは羅貫中の原書を高校生向きに書き直したもので、400頁ぐらいのものだが十分面白かった。
 ただ「三国志」にしろ「三国志演義」にしろ、物語は人物中心で、当時の社会情勢などが書かれていない。当時中国はどういう社会構造だったのかを聞きたいと思って出かけた。
 社会構造については、「儒教思想」「名士」「豪族」「均田制」「租庸調」「府兵制」「儒教的官僚」「建安文学」(曹操のサロンを中心とした文学活動)「郷挙里選と科挙」などの講義を受けた。一番面白かったのは「名士」。三国時代は「名士」の時代と言える。「名士」とは、文化的諸価値を占有することにより得た名声を存立基盤とする支配階層のことで、地方の豪族より上である。曹操、孫権、劉備、関羽などの英雄豪傑と言えども、名士の力を借りなければ皇帝になれなかった(例えば劉備における諸葛孔明)。
 渡辺教授は三国志専門だけあって、資料も見ずに立て板に水を流すように二時間半を話し続ける。
 受講者は16名で男が4名である。「古事記」「日本書紀」を聞いているが、ここでは男女は半々である。三国志は男中心の書き方でむしろ男尊女卑のような表現もあるが、女性のファンも多いのは、女性は英雄・豪傑を好むためか。