2017年6月29日(木)
日限り日記

 [大岡昇平]
 「歴史小説集成」(大岡昇平)を読んだ。
 内容は、「将門記」「渡辺崋山」「天誅記」「姉公路暗殺」「吉村虎太郎」「高杉晋作」「竜馬殺し」ほか3篇である。発刊は2017年1月と新しいが、新しく編纂されただけで作られた小説は古い。
 私は今まで好きだった作家は誰かと聞かれれば、あるときは大岡昇平だったと、躊躇なく答えることが出来る。
 「俘虜記」「武蔵野夫人」「野火」「花影」「将門記」「レイテ戦記」など、どれをとっても心をときめかせて読んだものだった。晩年雑誌「文学界」に連載された「成城だより」はそれを思うとこの「日限り日記」が書けなくなるような、この作家の頭が「知の宝庫」であることを示す日記だった。
 さて久しぶりに大岡を読んだのは、最近何を読んでも感激しなくなったので、小説を読む楽しさを取り戻したかったからである。
 解説者によると大岡の歴史・小説の特徴は、「敗軍の兵卒」を主たる主人公にしていることだそうだ。しかし、私の感じは次のような小説の最後にある文章にあると思う。
 「(吉村虎太郎は)五条で行動を起こしてしまってからは、一筋の道からも外れることは出来なかった。そして生まれたままの百姓として死んだように、私には思われる。」
 「(高杉晋作は)自己の行動から利益を収めようという気は全然なかった。しかし慶応年間の長州は、慎重な陰謀によって倒幕を実現し、それまでの投資を回収する段階にいたっていた。高杉の任務は終ったといっていいので、その死むしろは時機を得た感じである。死は奇妙に、丁度いいときにやって来るものである。」
 「(坂本竜馬は)十分慎重に行動していたつもりだったのだが、陰謀家にはやはり安住の地はなかった。いてもいなくても構わぬようになった時、ほんとうに殺されてしまったのである。」
 人の死ぬときの死に様や死に時は、その人にふさわしい形であり時期に現れる、ということを大岡は見極めたのではないか。
 ところで小説を読む楽しさを取り戻せたか。やはり問題は小説にあるのではなく、自分にあるらしいといことは分かりました、まだ断定はしたくないが。
 
 
 

2017年6月27日(火)
日限り日記

 [お客様相談室]
 このところプリンターでコピーしたときコピー速度が極端に遅くなったので、プリンター機の会社のQ&Aに当たったが分からないのでお客様相談センターに電話した。
 プリンターの設定で、用紙が何になっているかを聞かれたとたんに原因が分かった。用紙が「光沢」になっていたのだ。これを「普通紙」に代えて解決。
 信じられないような間抜けな原因であり、謝るしかなかった。
 スマホの「ホーム画面」がいつもと違う画面になってしまって使いにくい。いろいろいじったが解決しないのでドコモショップへ。東店で受付に症状を話したところ18人待ちだと言う。如何にも簡単なことのようなのであなたで分かりませんかと聞いてみたが、専門スタッフが相談席で相談に乗る仕組みですと断られた。
 待つのをあきらめて西店に回ったところ、受付の人がものの10秒とたたないで解決してくれた。ディスプレイの設定が何かの拍子に変わってしまっていたのだとのこと。設定を変えている彼女の指先を見ていて、アッと思った。すっと前に一度経験したことがあるような気がしたからだ。
 過去経験したことが問題を解決するとは限らない。経験したことを忘れてしまえば何もならない。老人の相談にはそれが多いかも知れない。丁寧に聞いてくれてヒントをいただければ自分で解決できるものもある。
 今日はプリンター会社と携帯電話販売店のお客様相談員が素早く解決してくれた。本当にありがたかった。
 
 
 
 

2017年6月25日(日)
日限り日記

 [サッカー選手の敗戦の弁]
 野球の監督・選手とサッカーの監督・選手とでは敗戦の時の言い訳の言葉が違う。野球の場合、「いやあ、とてもボールが速くて当てることも出来ませんでした」「いやあ、とてもバットコントロールがうまくて、どんな球を投げても打たれてしまいました」という程度だが、サッカー選手の場合は違う。もっと複雑、持って回った言い方になる。「相手に裏に入られた」「スペースがなかった」「4-3-3がうまく機能しなかった」「途中でシステムを変えたが・・・」
 野球はいまや日本人の誰でもが分かるスポーツになっているが、サッカーの方は、まだまだ日本は世界のサッカーの端っこの方でボールを蹴っているようなところがある。しかし戦術もプレースタイルも用語もすべて世界標準というのがある。 だから「サッカー」が東洋のサッカー後進国を見下している。選手の敗戦の弁も、直輸入的である。いじましい。
 でもファンとしては、かっこいい言い訳はすぐに聞き飽きる。負けた理由を難しく言うから次は勝つかと思えば負け続ける。相手の方が速かった、よく走った、と言ってくれた方が、よほどすっきりする。
 サッカーの方が野球よりも潔いのが一つある。それは成績が悪いとすぐに監督を交代させることだ。多分サッカーだったら13連敗したジャイアンツの高橋監督は、とっくに交代させられたでしょうね。もっともそもそもあれだけ話をしない人がサッカーの監督になることはあり得ないが。
 
 

2017年6月23日(金)
日限り日記

 [沖縄忌]
 今日は沖縄忌である。第二次世界大戦において多くの犠牲者を出した沖縄戦の終結日とされる1945年6月23日を「沖縄慰霊の日」と定めて、 戦没者の霊を慰め不戦の誓いを新たにする記念行事が行われる。俳句ではこの日を「沖縄忌」と称している。
 私の属している結社の句会でも様々の句が出された。
 戦死公報父は五月や沖縄忌   じゅんこ
 
 この2ヶ月前の1945年4月22日、ソ連軍がベルリン入場、4月30日ヒトラー自殺、5月7日、ドイツは連合軍に無条件降伏をした。
 昭和天皇はごく内々に木戸幸一内務大臣に、ドイツ屈服の機会などに和平ができないか問われたとのことであるが、5月10日の日本の新聞の見出しは「欧州急変に帝国不動―政府声明」「米英の非望を粉砕、東亜の安定確保を期す」と日本が一国で戦争を継続することを報じている。
 6月8日開かれた御前会議では「七生尽忠の信念を源力とし、地の利、人の和をもってあくまで戦争を完遂し、もって国体を護持し、皇土を保護し、征戦の目的の達成を期す」ことが決められた。我が国一国で戦いを継続することが決められたのである(「ベルリンからの手紙―第二次大戦、大空襲下の一技術者」(北島正和著)より)。
 その結果、6月の沖縄決戦、8月の広島、長崎の原子爆弾投下がなされ、計り知れない人命が損なわれた。
 太平洋戦争は始めたのも無謀だが、終わり方も無謀だった。なぜドイツ敗戦の時に降伏できなかったのか悔やまれる。もっとも本土焦土決戦まで行った可能性もあるのだから、沖縄決戦があり、原爆投下があったからこそあそこで決断できたのだという人もいる。
 しかし私は戦争被害者の一人として、開戦の責任はもちろん、終戦の決断の遅さを許すことが出来ない者だ。
 
 
 
 

2017年6月21日(水)
日限り日記

 [内閣記者会]
 国会が閉会して、首相が記者会見を開いた。首相は「印象操作のような議論に対して、つい強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が結果として政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省している」とした。
 少し違うのではないかと感じた。そのような姿勢や議論の仕方も良くなかったが、そのことよりも実態が解明されないことで国会が紛糾したのではないか。総理や総理夫人が、その立場を利用しようと集まってくる人たちにあまりに無警戒すぎるのでないか。むしろ自分たちを利用しろと言っているのではないかと勘ぐられる場面さえある。公平であろうとする道徳的緊張感が全くない。そのことによって起こった事案の追求に貴重な時間が取られたのではないか。
 しかしこのこととは別に、発表の場、内閣記者会のていたらくには驚いた。事前に決められた質問を決められた記者がただし、用意されている解答を得て会見が終わりになる。限られた時間の中で正確な回答をしたいという考えのもとでこの仕組みが作り上げられたのだろうが、これではセレモニーに過ぎない。それを許す内閣記者会はこの予定問答で何かメリットがあるに違いないとさえ勘ぐってしまう。かつて企業の株主総会は、総会屋にお金を渡して予定質問をさせ会社側は予定回答をして、シャンシャンシャンと総会が終わった。今ではそのことは重大な刑事法上の罪になったのである。
 その場での厳しい追及を放棄したメディアは、国民の期待に応えていない。実に情けない。



2017年6月20日(火)
日限り日記

 [漱石の俳句]
 朝日カルチャーセンター、「漱石の俳句」講演者宮坂静生。
 私は漱石の俳句については「漱石俳句集」(岩波文庫)、「俳人漱石」(坪内稔典)、「笑う漱石」(南伸坊)を読んだが、講義の形で聞いてみたかったし、俳句の実作者であり研究者でもある講演者にも興味があった。
 講演によれば漱石の俳句は、1.俳句を詠み出す-日清戦争まで(漱石27歳)、2.俳句に打ち込む-松山時代((29歳)、3.俳句を楽しむ-熊本時代(32歳)、4.俳句から小説へ-留学以後(49歳まで)、に分かれるという。そしてそれぞれの時代の代表句の紹介があった。そして、漱石の俳句のピークは「門」執筆後、修善寺で大病を患った頃だと言う。つまり最晩年がピークだった。
 漱石の頭には、明治という時代をどう生きるか、ということと、私とは何か、どう生きるべきかにあった。どう生きるかについては漱石の目指したものは「拙」「愚」「誠実さ」「純朴さ」にあったという。
 そういう意味で漱石の俳句のなかで、講師が一番好きなのは
  肩に来て人懐かしや赤蜻蛉
 である、ということだった。
 確かに十川信介の「夏目漱石」には、漱石が妻子、友人、門下大勢にみとられて旅立ったことは、彼の強情だが真実を貫く気持ちが周囲に理解されていたからだとある。
 講演者の人柄の出た講演であった。しかしそれは、坪内稔典や南伸坊の拾い上げている漱石の俳句に比較してみると、ごく一面にしか過ぎない。坪内稔典は漱石の俳句を「言葉遊びとユーモアに溢れる」と言っている。宮坂は漱石の滑稽味、お茶目なところのある俳句は取り上げていない。
 菜の花のなかに糞ひる飛脚かな
 などというのは出てこない。
 人物像とか作品像は、本人よりも評論する人の人柄によって決まるという典型的な講演だった。それだけ漱石は、広く複雑な人物だったということでもあろうが。
 
 
 
 

2017年6月17日(土)
日限り日記

 [大学クラス会句会]
 大学クラス仲間の句会。
 原宿を歩くが若者の国、多国籍人の国に迷い込んだ感じ。スターバックスさえ入りにくい。そこを敢えて入ってこの2017年に慣れないといけない。僕の住んでいる世界は2010年頃の世界かも知れないから。
 句会の出席者は6名、1名欠席投句。発足してから3名が物故した。
 欠席投句者は奥さんの看護のため。出席者のなかにも奥さんが少しずつ要看護になりつつある者がいる。自分自身がそうなる日も確実に来る。
 我々句会の決まりは有季、定型、旧仮名を使うこと。これは俳句ではごく一般的な決まりごと。我々は旧仮名を学んだが、出されてきた俳句には新旧かなが一句のなかに入り乱れているのがある。我々さえそうなのだから若い人には旧仮名は大変なはずだ。「十字」のかなを「じふじ」と書ける人は少ない。「じゆうじ」「じゆうぢ」「じうじ」「じうぢ」のどれでもない。
 成績はまあまあか。しかし俳句に取り組んでいる時間から見れば(すなわち私は長い方)、成績は悪いというべきだろう。長くやっていれば良い句が出来るわけではないが、良い句に出会い教えられる機会は多くなるのだから。感受性が鈍ってきたのが、みなに共通した悩みだ。
  帰りはラッシュアワーで、明治神宮前から立ち通し。立ち通しはいいとしてももみくちゃにされるのはつらい。現役の若い人に対して老人が混雑の種になるのもよろしくない。句会の開始時間を今の3時から1時に早めたいのだが、終わってから夕方に飲みたい人もいるので聞いてもらえない。
 
 
 
 

2017年6月16日(金)
日限り日記

 「論語」
 論語を原文で読んでいる。論語は20篇400章。いま11篇を終わったところ。読み方について中国人の先生に聞くことはあるが、意味は中国人と日本人の解説を何冊か読んで自習する。私の先生は論語原文を指導をする力はないので。
 使っている教科書は、中国語が「論語誦読本」、「論語新注新訳」、「論語注釈及解釈」。日本語が、金谷治「論語」、宮崎市定「論語」、井波律子「論語」、それと最近仕入れた加治伸行「論語」の4冊、ほかに桑原武夫「論語」、祖父の使った安井小太郎「論語」もあるが後の二冊はあまり見ない。
 金谷版は、正統的なものだが少し古い。宮崎版は独創性があるが少し独創的すぎる。井波版は孔子を身近に感じさせるが学問的にどうか。加治版はこれから使うのでなんとも言えない。何れもなかなかの力作である。
 論語は古語で、語彙も少ないし文章も短いから、現代文にすると個性が出る。それを読み比べることも論語を読む面白さの一つだ。
 今できるだけ一日一章は読みたいと思っている。これは習慣化すれば難しいことではない。一章は短いから前の日の勉強を記憶しておく必要もない。今の私には一番向いているのではないかと思っている。
 ところで、私は毎日日記を書いているが苦痛にはならない。毎日一句俳句を作ること、これはとても苦痛であり出来ない。百歳になって俳句を作り続けている後藤比奈夫によれば毎日日記のように作っているとのこと。やはり私は俳句に向かないのではないか。
 
 

2017年6月14日(水)
日限り日記

 [没後20年司馬遼太郎展]
 そごうに行ったついでに、「「没後20年司馬遼太郎展」を覗いた。驚くべき程に人がいない。次々に著作を発表して一世を風靡したあの司馬遼太郎展だというのに。
 司馬については存命中から、秋山好古、真之、正岡子規など「坂の上の雲」を目指して明治時代に活躍した若者と高揚した世相をあまりに肯定的に書いたことに批判があったが、会場で放映されている司馬のインタビューが彼の神髄を表していると思う。
1. 江戸時代の侍の精神は、貧しいことをむしろ誇りにしていた。それが明治時代にも引き継がれた。政府の役人、小役人、教師、百姓に到るまで「武士道」を重んじた。特に産業のなかった日本に資本主義が生まれた背景はそこにある。あたかもヨーロッパでプロテスタンティズムが資本主義の素地になったように。
2. このような侍精神「道徳的緊張」が明治国家を作った。しかし、明治末期から大正昭和となるにしたがって、江戸時代の侍精神は乾涸らびた。日露戦争に勝ったことが、日本国と日本人を調子狂いにさせた。
 
 「道徳的緊張」、本当に今仮にこれを持った政治家がいればそれだけで抜きんでた政治家になるであろうほどだ。
 展示物では、斎藤道三の遺言状「生老病死の苦しみは修羅場にて仏楽を得る、うれしいかな」と、大阪城天守閣蔵の「大坂夏の陣図屏風」「関ヶ原合戦図屏風」が迫力があって面白かった。大坂夏の陣では、東軍が得た首級だけで二万四千五百三十余で、明治以前の戦史のなかで類を絶しているとのこと。

 
  清洲から岐阜まで八里飛燕草
 
 
 

2017年6月12日(月)
日限り日記

 [政権選択]
 日経新聞によれば学校法人「加計学園」問題で、政府の回答は不十分だと回答した人が81.4%だったそうだ。法律的には問題ないかも知れないが、法律の網をくぐって時の権力者に都合に良いように関係者が計らって物事が決まって行くのは、おかしいと普通の人は思っているのだ。
 多分これはどこの組織でも行われがちなことではある。問題は当事者がその都度襟を正すかどうかだと思うが、今の政権は襟を正すどころか、開き直っている。長期政権のおごりが出始めている。
 これはもう選挙民が政権交代をさせて、チェックするしかないとなるはずだが、この問題ではそうだとしても、国政の基本である外交、安全、経済などで、自由民主党に代わる政党がない。
 となると、自由民主党のなかで、清浄化への動きが起こり、党首選挙で、激しく争ってもらうしかない。
 
 

2017年6月10日(土)
日限り日記

 [高校同期会]
 在京の高等学校同期会が、今年も小石川後楽園で開かれた。
 この時期は園内の花菖蒲田の最盛期になる。660株あるそうだ。私は、明治神宮外苑、神奈川四季の森公園、鎌倉明月苑などの菖蒲園に行くが、毎年行くためかここがいちばんいい。広さも手頃だし、ほかの風物にも良く合っている。例年雨の日が多かったが今年は晴れて、例年いなくきれいな花菖蒲を楽しめた。
 同期会の方は、参加者が18名、このほかに同じ市にある女子高校の同期生が9名特別参加。多くの人が小中学校は同じなので、小中学校の同期会のようにもなる。
 習字でやっと出来上がったかと思っていたところを急に椅子を引かれるいたずらをされた、などの紹介がった。
 小学校中学校時代の異性との出会いは懐かしい。私はこの機会に話をしたい高校の友人がいたのだが、彼は異性との交流に忙しいので果たせなかった。今回は女性たちとこれからカラオケに行くからと、すげなく袖にされた。仕方がないので菖蒲田の傍で行われていた太神楽を見て帰った。



菖蒲田を傘で回して太神楽



 

2017年6月7日(水)
日限り日記

 [家の修理]
 5年に一度の家の定期補修を始めた。
・鉄部、木部の塗装、・ベランダの修理(根太、簀ノ子板交換)、・風呂場に手すり設置、目地補修、・シロアリ予防など。今回は外装は塗装しなくて良いので、時間も費用も少なくて済んだ。
 やはり木造一軒家は定期補修する必要があることが難点である。今まで庭があったことが良かったが、これからは庭をきれいに保つことも大変だ。最近の建て方を見ると建て替える人は大体庭を狭くしている。
 修理は工務店に纏めて依頼したのだが、ペンキ屋だけは前回のペンキ屋を指名した。ペンキ屋はこちらのその場での随時の要望に気持ちよく答えてくれるかどうか、出来映えが良いかどうか、ずいぶん個人差がある。
 これであと5年はいけそうだ。住人の方が5年もつかどうか分からないが。
 
 
 

2017年6月5日(月)
日限り日記

 [横浜ズーラシア]
 昨日日曜日横浜ズーラシアに行った。車の運転は止めたのでバスで行ったが、子供連れは車で行くので動物園行きのバスはほとんど老人ばかりだ。つまり老人にも動物園は人気なのである。
 今日は新しく出来た「アフリカのサバンナ」地区がお目当て。期待にたがわず面白かった。ズーラシアはほかの動物園に比べて、檻や柵の面積が広い。オランウータンなど広すぎて見つからないときがあるほどだ。しかし、「アフリカのサバンナ」は今までの動物園の概念を越えて広々としている。犀、キリン、エランド、シマウマが青空の下ののびのびと餌を食べているのを見るのは気持ちが良い。寝る部屋から広場に出す方法も設備面で工夫されているみたいだが、動物の管理は今までになく大変なような気はする。でも、見る方にはとてもありがたい。
 その分動物園全体が広くなったので、くたびれて一日では見きれなかった。
 

2017年6月3日(土)
日限り日記

 [退位法案]
   天皇の退位法案が衆議院を通過した。
 この法案についてのやりとりでおかしいと思ったことは国会における官房長官の説明である。
官房長官:「8月の陛下のお言葉は退位の意向を示されたものではないから、憲法に禁じられている天皇の政治的権能の行使には当たらない」
 本当ですか。去年の8月のテレビでの天皇の言葉を聞いた人は、天皇は高齢で象徴としての役割が果たせなくなったので「退位したい」と言ったと聞いたはずだ。でもあのお言葉を元に法律を作ると、憲法違反になるから、そうではないと言いつくろっているに過ぎない。
 日本は法治国家だから法に反することは出来ない。そのために法に反しない抜け道をあれこれ考えるというのは、「法匪」のやることで、少しも立派なことではない。
 そもそもあのようなテレビで直接国民に訴えるというようなことをしないですむように、天皇の苦しみを聞いてあげて考えてあげることが内閣の役割ではないか。そうすれば、憲法違反のような行動に天皇は出なかったはずだと思う。話してもらちが明かないので行動に出たというのかも分からないが、わたしには天皇の行動も、官房長官の説明もとても意外に感じられた。
 
 
 
 
 

2017年6月1日(木)
日限り日記

 [新聞切り抜きの処分]
 特に集めているものはないが、行った音楽会、美術展、訪ねた名所旧跡などのパンフレットは保管している。それがいつの間にか箱に溢れてくる。今回整理をしたが基本的にはインターネットで見ることの出来るようなパンフレットは処分することにした。残しておいて一番面白そうなのは、入場券である。入場券は一番大切なことが簡潔に書かれているし、小さな写真もついていてかさばらないから記録紙としても秀逸だ。海外の音楽会や美術館の入場券を見るとたちまち当時の自分の気持ちまで浮かび上がってくる。
 新聞では、俳句欄は切り取って保管してあるが、出がけにカバンに入れて読み返すことがある以外に、読み返すことはほとんどないから、ある期間経てば棄ててしまう。気になる記事は切り取って保管している。分からない出来事の解説とか、識っている人の記事とか、書評などである。
 この新聞の切り抜きが一番始末に困る。せいぜい一週間に1アイテムぐらいなのだが、いつの間にかかさばってしまう。処分しようとして読み返すと、時間がかかるし、改めて教えられることが多い。読んで分かったつもりでいても、実はほとんど分かっていなかったことが分かる。読み返してみても実に面白いし役に立つので、処分することが出来ないままに増え続ける。
 まあ、こんなことをやっていると、一日はあっという間に過ぎる。新しいことを勉強したり古いことを学び直したりしていると、あっというまに人生が終わりそうだ。