2017年5月29日(月)
日限り日記

 [直接民主主義]
 何年か前に朝日新聞から読売新聞に変えた。しかし毎週月曜日だけは朝日新聞を買っている。それは「朝日俳壇」を見るためである。
 読売新聞の「読売俳壇」の選者、矢島渚男、宇多喜代子、正木ゆう子、小澤實の選句も良いが、朝日新聞の金子兜太、稲畑汀子、長谷川櫂、大串章がどのような句を選んだか気になるところがある。
 ところで両紙は政治的立場を異にする。今ではテロ対策法案の取り扱いになると全く報道が異なる。このところ月曜日になると、一頁まるごとどこどこで大がかりな反対デモが開かれたというような報道が朝日新聞経由で眼に入る。読売では報道されなかった事態になっているようである。まあ、どちらが本当かは分からないことだが。
 デモと言えば最近までの朴政権打倒の韓国のデモはすごかった。このような大衆運動によって、司法まで影響受けていると日本の識者は批判していたが、それこそがこれからの民主主義なのだと韓国の学者は反論していた。
 ある人によるとヨーロッパでは昔は考えられなかったようなデモがしょっちゅう行われ、昔は参加しなかったような人まで簡単に参加するようになったとのこと。
 そういえば韓国では代議士は到底代議士としての力量がない人が選ばれるとのこと。日本でも代表として選んだはずの代議士が、本当に質の悪い人が選ばれたりしている。代表に任せるという議会制民主主義が機能しなくなって、少しずつが直接民主主義の時代に変わっていくのだろうか。
 
 
 

2017年5月27日(土)
日限り日記

 [インターネット回線]
 インターネットが時々繋がらなくなるので、プロバイダーを呼んだ。
 プロバイダーは配線を見て、いきなり、これはうちでやった配線ではない、うちはこのような部品は使っていないと言った。プロバイダーからの同軸ケーブルは、一階と二階に分岐され、一階はテレビ、二階はルーターを介してテレビ3台とパソコン2台に分岐されている。それとwifiの端子も付いているので、ごちゃごちゃした配線になっている。自分でやったかも知れないが、でも時々来るプロバイダーの技術者にチェックしてもらっている、と答えた。
 今回の技術者はそれ以上は何も言わず黙々としてプロバイダー認定の部品に付け替え、配線をチェックし、通信の感度を調整してくれた。
 その結果インターネットは見違えるように速く繋がるようになった。通信というのは電力と違って繋がっていれば良いというものでもないらしい。繋がる質が大切らしい。
 そして、皆さん自分でいろいろ配線をされているがその時は是非届けて下さい。良いようにして上げますから、と言ってくれた。
 知ったか振りで若い人に当たった自分が恥ずかしかった。



2017年5月25日(木)
日限り日記

 [新宿御苑]
 新宿御苑を千駄ヶ谷門から入って新宿門まで歩く。今は藤が終わって、朴の木、ハコネウツギ、ノイバラ、薔薇が最盛期と門に掲示されていたが、ハコネウツギは花がなかった。薔薇とサツキ以外は見るべきものがない時期。夏椿の蕾が沢山付いていた。
 今は七十二候で言うと小満にあたる。小満は解説によれば「蚕起きて桑をはむ」「紅花さかう」「麦の時到る」とある。どれも都会では味わえないことだ。
 薔薇は新宿御苑のフランス式庭園も見事だが、ほかにも沢山特徴のある庭園がある。家の近くでは「生田緑地ばら苑」「港の見える丘公園」「鎌倉文学館」など。どれかに決めて一日行ってみようかと思う。
 新宿御苑は平日は、保育園の子供たちと外人によって占領されている感じだ。みな御苑の溶け込んでいて良い景物になっていると言える。
 新宿門を出て例によって追分だんご本舗で季節のだんご(梅茗荷、あんずあん)を。ダイエット中なのだがいろいろ言い訳を用意して。
 

2017年5月21日(日)
日限り日記

 [騎士団長殺し」
 村上春樹「騎士団長殺し」を読んだ。
 第一部を読み始めて、その時の政治情勢に関係なく特段の悪人も出てこない「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」「1Q84」と同じ線上の小説であることが分かったので、小説を読む環境を整えて静かに読み耽けることにした。
 環境というのは書中にしばしば出て来る「メンデスゾーン八重奏曲」「シューベルト弦楽四重奏曲」「モーツアルト、ドン・ジョバンニ」「リヒャルト・シュトラウス、薔薇の騎士」「セロニアス・モンク、ジョン・コルトレーンのジャヤズ」を部屋に流して(もちろん部分的にだが)、シーバス・リーガルを飲みながらという環境である。「セロニアス・モンク、ジョン・コルトレーンのジャヤズ」は持っているのがLP版だったから(主人公はクラシックも全てLPだが)レコードプレーヤーを動かすのが大変だった。
 自動車はジャガー、ボルボ、スバル・フォレスター、プジョーはもちろん持っていないが、昔は自動車好きだったから頭には残っている。料理、服装の記述も豊富だがこれはイメージすることが簡単でない(嫌いではないが)。不倫は、これはとうていそういう環境を作るのは難しい。
 章題が短文になっていて章の内容を表していたり、心の動きを括弧書きで付記してくれるとか、村上春樹のサービス精神は真に行き届いており、物語として面白く一気に読んだ。
 「騎士団長殺し」の書評は単独でベストセラーになるぐらいに出回っているので多くは言わない。でもこの一部二部1000頁を越える大作で私はどのような満足を得ただろうか。同じ物語作家として比較すれば、例えばガルシア・マルケスや莫言を読んだときの、歴史の重み、将来への確かなメッセージなどは感じられなかった。
 村上春樹から受けるのは、政治や経済には関心を持たないで、自分の思い通りに生きれば良い、先人の残してくれた芸術、文化、技術(音楽、絵画、文学、服装、酒、車など)を堪能してそれで充実した生活をすれば良い、などつまりは今の考え方、生活を深くすればそれで良いのだというメッセージではないか。彼の「旅行記」が秀逸であるのも同じ理由(現状を愛おしむ)によると思う。そういう意味では、老人向けの小説であるかも知れない。
 
 

2017年5月20日(土)
日限り日記

 [夏の焼き藷]
 焼き藷は俳句では冬の季語である。焚き火から焼き藷を取り出すとか、リヤカーにひいた焼き藷屋の声などは如何にも冬の風物詩だ。ところが私の家の近くのスーパーには今も焼き藷がある。小石の入った四角い釜様のなかに袋に入った焼き藷が並んでいる。多分電気で保温されている。
 焼き藷は鹿児島種子島産安納芋、千葉産、茨城産の三種類。安納芋は藷とは思えない蜜のあふれた藷と袋に書いてあって重量単位、つまり100グラムいくらとなっている。ほかは一袋いくらである。初めは安納芋が高級なせいかと思っていたが、値段は一袋100円前後でどこの産地も変わらない。ということは、安納芋は大きさにばらつきがあって袋単位では不公平になるのだろう。
 食べ比べた結果、私の好みは茨城産である。茨城県と千葉県とは利根川で鋏んでいるだけだからかほとんど変わらないはずだが、そこは私の郷土愛がそうさせるのか、私的には明らかに違う。安納芋は三者のなかでは私の好みではない。
 私は今体重管理をやっている。どうかすると3キロぐらい管理水準を超えてしまう。桜餅、柏餅は避けがたいが、その季節が済めば甘いものから身を避けないといけにない。でも、焼き藷ならばあまり体重は増えず、仮に増えたとしてもあまり身体に悪くないのではないか、と思っている、確かな根拠があるわけではないが。私の体重管理にうるさい妻も今日は茨城産があったわよ、と買ってきてしまう。
 

2017年5月18日(木)
日限り日記

 [コンボルブルス]
 いま我が家の庭では、コンボルブルスが最盛期である。一面が花になって、葉が見えないぐらいだ。今日が最盛期と思って写真を撮るが、翌日は更に見事に咲き溢れる。道路に面した垣根5メートルほどに咲いているので、通りの人が立ち止まって見てくれるくらいだ。
 コンボルブルスは、地中海沿岸地方を中心に世界に200種余りが自生している。形態は一年草、多年草、低木とさまざまで、つる性のものも多く見られる。ヒルガオによく似た、漏斗形の大きく開いた花を咲かせ、1花の寿命は2~3日くらい、雨天や夜間は閉じている。
 我が家のものは多年草で這い性のサバティウス種か。花殻が沢山落ちるので毎朝掃かないといけない。
 花が終わると葉や茎を思い切って刈り取るが、翌年はまた元気に葉を伸ばし花を咲かす。帰化植物だが花姿がかわいらしく色も楚々としていて、日本的な美しさがあると思うがどうだろう。
 

2017年5月16日(火)
日限り日記

[日本の近代とは]
 「日本の近代とは何であったのか-問題史的考察」(三谷太一郎)を読んだ。目次は・日本がモデルとしたヨーロッパ近代とは何であったか、・なぜ日本に政党政治が成立したか、・なぜ日本に資本主義が形成されたか、・日本はなぜ植民地帝国になったか、・日本の近代にとって天皇制とは何であったか、・近代の歩みから考える日本の将来、で何れも興味をかき立てられた。しかし、読者がある程度の知識を持っていることを前提に説き進めるものもあり、内容はなかなか手強かった。
 日本の近代とは、明確な意図と計画をもって行われた前例のない歴史形成の結果だった、と著者は言っている。このことから分かるように、著者の扱っているのは主に政治体制である。文学や芸術の近代化は触れられていない。近代化という場合、本当はこれらも通底しているであろう。
 問題史的考察とあるが、その一つに「教育勅語」はいかにして作られたかについての考察がある。著者(または著者が準拠した論文の著者海後宗臣)によれば、「教育勅語」は伊藤博文が天皇を単なる立憲君主(神聖不可侵性、非行動性を持った君主)に止めず半宗教的絶対者の役割を果たすべき「国家の基軸」に据えたことの論理必然的帰結だった。このため、度重なる検討を経て、教育の第一の目的は「仁義忠孝」を明らかにすることであり、そして道徳主義的思想の源泉は天皇の祖先の教訓である「祖訓」と我が国の古典である「国典」に求められるとした、とのことである。
 これは真にそのように思う。このようなことから、第二次大戦後1948年6月国会が「教育勅語」を排除する建議を成立させたのは、当然のことである。
 にもかかわらず、「父母ニ孝ニ兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ・・・」など部分的には良い点もあるから全否定はおかしいとなどと言い出す人がおり、そのなかには現役の大臣までいる。一般的に通用する言葉を拾い上げて善し悪しを論じても意味がないはずだ。
 歴史上の内容を主義主張として取り上げるときには、歴史的考察を等閑視すべきではないと、この本を読んで改めて思った。
 
 
 

2017年5月14日(日)
日限り日記

 [正岡子規展]
 神奈川近代文学館で開かれている「正岡子規展-病牀六尺の宇宙」を見た。
 今年は子規(夏目漱石もだが)の生誕150年の年である。この展覧会は、今までいろいろなところで見た子規の展覧会のなかで、いわば白眉とも言うべき内容の濃い展覧会だった。
  私がこの展覧会で改めて子規はすごいと思ったのは、俳句分類である。室町時代からの俳句12万句を自筆で分類した紙は、「堆積して等身抜くことさらに数尺」だという。このような努力があったからこそ、写生俳句を主唱し、実作や俳論を通じて俳句革新に突き進んだ子規が、周りから支持されたのだと思う。
 それと、子規の周りに集まる人材の素晴らしさである。門人の佐藤紅緑が子規のことを「いつまでも若いこと、度量の広いこと、親切であること、他の非を認容すること、いつまでも研究的であること」などと言った(復本一郎「正岡子規 人生のことば」)が、伝染性の病気(結核性カリエス)にありながら子規の周りはいつも大勢の友人がいて明るかった。これはひとえに子規の人間としての魅力によるものだ。
 子規は35歳で死亡するが、長らえればそれだけ更に功績が加わったかどうかは分からない。いずれにしても、彼は与えられた人生を十分にやりきったという感じがした展覧会だった。
 



2017年5月13日(土)
日限り日記

[都市緑化横浜フェア]
 「第33全国都市緑化よこはまフェア」を見た。神奈川近代文学館の「正岡子規展」に出かけところ、「港に見える丘公園」でこのフェアに出くわした。期間は3月から6月4日まで。
 この公園全体が誠に美しい花の公園となっていた。
 今の季節は薔薇が中心だが、そのほかにも様々な花が咲き乱れている。パンフレトによるとこの公園のほかに、「ゾウの鼻パーク」「日本大通り」「山下公園」「横浜公園」などが会場になっていて、花の数は百万本だそうだ。百万本と言われても見当が付かないが。この「港も見える丘公園」に限ってもとても私企業で出来る規模ではない。夢を実現するならばこのような花園になるというその姿である。
 協賛企業は沢山書かれているが、主催はどうやら「公益法人都市緑化機構」であるらしい。「公益法人都市緑化機構」は「都市における良好な緑化空間の創出」が目的とあるが「都市施設の美化を図る」ことも目的にしているから、このようなフェアをするのだろう。
 沢山人が集まっているなかには20人30人の団体がいたりした。観光スポットとして十分に価値があり、私も楽しんだが、余りに美しく立派なだけに、邯鄲の夢か、あるいは大いなるお金の無駄遣いのような気も拭い去れなかった。所詮我々はヴァニティ・フェア(虚栄の市)の住人であるにしても。
 
 
 

2017年5月11日(木)
日限り日記

[予約外診察]
 病院の診察を予約していたが当日体調が悪くなって行けなくなったらどうするか。今まで行っていた大学病院は、当日の予約変更は出来なくて、あらためて診察してもらう日に出かけて予約外診察の申込みをする。そして予約していた人の最後に診察してもらう。場合によっては当日診察してもらえず予約するだけで、また別の日に出かける。
 病院からすると当然のことかも知れないが、患者側からすればなんとも不便なことだった。というわけで多少体調が悪くても予約した日に出かけることにしていた。
 しかし、今回はなんとも体調が悪かったので予約日に行けなかった。念のため病院のホームページを見てみると、予約外診察の受け方が変わっている。「7日以内の変更なら電話で変更を受け付ける」とある。早速電話してみると、2週間後に予約することが出来た。
 大いに助かった。
 病院側からすると、予定していた患者が抜けてしまうので時間が空くことになるだろう。しかし実際には3分診療と言われるぐらい混んでいることには変わらないので、大した影響は受けないのではないか。これに対して患者の受ける恩典は計り知れない。
 私の狭い経験によればこのような患者第一主義は、東京の大病院から始まっており、まだ地方には及んでおらず病院によっては相変わらず見て進ぜるというムードにあふれているとことがある。
 こまったことだが、しかし、やがて変わってくるだろう。いま日本の社会は消費者第一が正しいということに疑いを入れる人がいなくなっている。宅配便のように自らサービス過剰の罠に捕らわれているところがあるが。





2017年5月8日(月)
日限り日記

 [独立心と反社会性]
小学校2年と3年生に兄弟だけで我々祖父母の家から自宅に帰らせようと、母親が二人に話していた。
「お兄ちゃん、二郎のスイカは二郎のリュックサックに入っているからね。一番間違いやすいのは乗換駅で、必ず東京行きに乗るのですよ」
 二人は肩を組んで家を出た。しかし、僕たち祖父母が見送っている目の先のT字路で、兄が右に曲がると、弟が左に曲がって走り出した。僕たちはびっくりして後を追ったが、もう二郎の姿はどこにもなかった。
 母親もすぐ後を追う。やがて電話があった。
「一郎に持たせている携帯のGPSでは一郎は電車に乗っている。一郎は二郎を置いて電車に乗らないと思うから、二人一緒に乗ったと思う」。
 しかし、すぐ、一郎と連絡が取れたが二郎は一緒にいないという母親のうろたえた連絡が入った。
 我々祖父母も慌ただしく家から駅までの間を探しに出かけた。幸い日はまだ高かった。
 この捜索劇はやがて孫の自宅にいる父親からの「二郎ひとりで家に帰ってきてしまいました」という電話で解決した。
 二郎は出がけに兄に対して、二郎のリュックサックにスイカを入れたという言葉を聞いて、それならば一人で帰ってやる、と思ったのだろう。
 それならばそう言えばよさそうだが、言えば反対されることまで読んでのことだろう。周囲が心配するのを気にしないといういささか社会性に欠けることなのだが、よく言えば独立志向が強いとも言える。息を凝らして何かをやろうとしている遙か昔の自分がいるような気もする。

2017年5月6日(土)
日限り日記

 [誕生祝い]
 妻の誕生日はゴールデンウイークのさなかにある。毎年何かの予定があり特別に祝ってもらえないと嘆いていたので、今年は早めにレストランを予約した。果たせるかな孫が家に来たいと言って来たが断った。一瞬一緒にと思ったが、このレストランは、未成年お断りなのである。
 レストランは41階にあってほとんど360度見渡せる。東京スカイツリー、ベイブリッジ、富士山が120度間隔ぐらいにある。眼下に新幹線、横浜線、東横線の往き来が見え、鶴見川が流れている。少し先の羽田空港を離着陸する飛行機の航空灯がいくつも見えた。
 この上の42階は回転するレストランだったろうか、と私。確かそうだったはずよ、と妻。
 高いところと言えばあなたと東尋坊に行ったときに、と妻。いや東尋坊は僕は二三度行ったことがあるが君とはない、と私。そうだったかしら、おかしいわね、と妻。
  “子を産みしことさへいつの朧かな”(翠)
という俳句があるが、生きてきたことが少しずつおぼろになってきている。
 ここの料理代は半分は展望代だろう。食べ物に関してセルフサービスのファストフッドからこのようなレストランまで、必要によりいろいろな選択が出来るようになったのは、世の中の大きな進歩だと思う。
 帰りにレストランのマスターに、最上階の42階は回転式のレストランでしたか、と聞いたらそんなものはないという。
 
 

2017年5月4日(木)
日限り日記

 [鎌倉へ]
 ゴールデンウイーク中だったが鎌倉へ、行き先は人の混雑を見ながら決めることにして。
 江ノ電に乗れたので、長谷に出て由比ヶ浜へ。もうすぐ立夏になるので初夏の海を見に。思ったよりも風が強く寒かった。海はウインドサーフィンにあふれている。砂浜はまだ黒く春の砂浜である。空は鳶の群れだった。目の前で子供が鳶におにぎりを取られた。鳶は音もなく現れ音もなく去る。鋭い眼光がはっきりと見えた。防衛上立っておにぎりを食べる私の上にも1羽鳶が付いてくる。
 長谷寺は人の波なので通過して光則寺へ。門に置いてある「山野草と茶花マップ」を頼りにお目当ての空木(=卯木、うつぎ))を探す。更紗空木には花はなく、額空木、姫空木には花が付いていた。空木は別のところで、箱根空木、梅花空木、三葉空木を見たが、幹のなかが空洞という共通点はあっても、所属科は、ユキノシタ科、スイカズラ科など異なるし、雰囲気も大分違う。圧倒的だったのは、日光植物園の入口にある姫空木の大株だ。
 光則寺では、著莪、エビネ、タツナミソウ、都忘れ、ハナイカダ、半鐘蔓、オオデマリ、小手毬、ヤブデマリなどを見た。
 鎌倉ジェラートでジェラートを買って食べながら鎌倉文学館へ。「漱石からの手紙・漱石への手紙展」を見る。漱石は「小生は人に手紙を書くことと人から手紙をもらうことが大好きである」と言っていたそうだ。
 漱石の家族宛のロンドンからの手紙は、私の父のベルリンからの手紙と同じ雰囲気がある。紙の色と言いい直筆のインクの色と言い、家族を思う気持ちと言い。見ているうちに胸が一杯になった。
“手紙即愛の時代の燕かな”(佐藤文香)


 鎌倉文学館の薔薇はここ特有のものだと思うが、まだ硬い蕾のままであった。
 
 
 

2017年5月2日(火)
日限り日記

 [俳句力]
 成績が良くならないのになぜ俳句を続けているかと言えば、自分としてもう少し良い俳句が出来るのではないかと思っているからだ。俳句は自分のためにあるのだから、人がどう思おうとどうでも良い。でも俳句の良し悪しは自分では分からないところもある。先生が採ってくれたのがいい俳句となるのがつらいところだ。
 俳句の参考書は、驚くほど持っている。入門書、文語文法、俳論集、句集など100冊は優にあるだろう。これに匹敵するのは、中国語の参考書類だ。先ず本を読んでからという入り方は、これは何ごとをするにしてもそうで、癖だといってよい。語学の場合はともかく、俳句の場合は俳句の歴史とか結社の特徴がどうだなどは全く無用の知識なのだが、そのどうでも良い知識はかなり持っている。
 僕がうまいなあ、と思っている人に聞いて見た。
 「自分は、ここ何十年か外国に住んでいて、しかも日本語を使わない社会に住んでいた。子供の頃は田舎育ちで、回りに俳句をやるような文化人などいなかった。俳句の本は、月々の結社の機関誌以外に全く持っていない。結社の人はみな上手で、それを読むだけで十分である。そのほかの本はむしろ邪魔になる」。
 私は勉強の方法を間違えているのか。いややはり俳句力がないのでしょうね(今月は成績が悪かったので特に落ち込んでいます)。



2017年5月1日(月)
日限り日記

 「後知恵で糾弾する」
呉座勇一「応仁の乱」の「あとがき」に次のような文章がある。
[将軍や大名たちの「愚行」を後知恵で糾弾するのは気が引けるので、なるべき彼らの思惑や判断を、当時の人びとの認識や感覚に沿う形で理解するように努めた。彼らはそれなりに「出口戦略」を考えており、終戦に向けて様々の努力や工夫をしている。にもかかわらずコミュニケーションやタイミングのずれによって終戦工作は失敗を重ね、戦争は無意味に続いた。「損切り」に踏み切れなかった彼らの姿勢は、現代の私たちにとっても教訓になるだろう。
 試行錯誤を重ねながら懸命に生きた人びとの姿をありのままに描き、同時代人の視点で応仁の乱を読み解くという本書の試みがどこまで成功しているか心許ない、・・・・・」
 この「後知恵で糾弾するのは気が引ける」「同時代人の視点で読み解く」という著者の立場は、明確に貫かれている。そこがこの本の魅力的な点であると思う。そのような視点に立って書かれたこの本をベストセラーに押し上げる我が国の読書人のレベルもすごいものだと思う。
 翻って最近の新聞雑誌やテレビの座談会や、ニュース番組のコメンテーターの発言を聞いていると、ほとんどがこれと真逆な「後知恵で糾弾」している。お笑いタレントに、政治や経営の判断についてコメントさせるのは、政治や経営をお笑い番組仕立てをしているに他ならないからそのように見れば良いが、学者や評論家が、訳知り顔に「後知恵」でコメントするのは笑止千万だ。誰が見ても現在から過去を見れば単純な直線なのである。現在から未来を見ると無限の複雑な選択があるのである。同時代に立ってそのときの判断が正しかったかどうかを論ずることが大切なのではないか。
 彼らにはこの「応仁の乱」の「あとがき」を是非読んでもらいたいものだ。