[俳人は言葉の職人]
朝日カルチャーの長谷川櫂先生の講義は、一時間半の名人芸を見るようなところがある。昨日で言うと、散文を越えて韻文に到る語法の例として、あるメンバーの句を取り上げて
「白魚と川の香そのまま卵とじ」を直して
「白魚や川の香りも卵とぢ」
と一字一字絞り出すように紡ぎ出された。言われてみれば添削した方が遙かに俳句として優れている。その姿は名人の瞬間芸を見るような思いがした。芸もさることながら、講義に全力を傾ける姿も人の心を打つものがある。
この姿に接するために、私は5年以上続けているこの教室をももう少し続けるつもりだ。
思えば俳句を始めてから、いつも誰か(石寒太、坊城俊樹先生)の教室に通っていた。人によっては、人に直してもらうような段階は短ければ短い方が自分らしい俳句が出来るという人もいる。しかし今日のような名人芸を見ると、こういう機会は逃したくないと思ってしまう。
自分の俳句は、出来そうで出来ないところで止まっている、突き破れないところに来ているかもしれない、という思いもあるのだが。
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