2017年2月27日(月)
日限り日記

 [俳人は言葉の職人]
 朝日カルチャーの長谷川櫂先生の講義は、一時間半の名人芸を見るようなところがある。昨日で言うと、散文を越えて韻文に到る語法の例として、あるメンバーの句を取り上げて
 「白魚と川の香そのまま卵とじ」を直して
 「白魚や川の香りも卵とぢ」
 と一字一字絞り出すように紡ぎ出された。言われてみれば添削した方が遙かに俳句として優れている。その姿は名人の瞬間芸を見るような思いがした。芸もさることながら、講義に全力を傾ける姿も人の心を打つものがある。
 この姿に接するために、私は5年以上続けているこの教室をももう少し続けるつもりだ。
 思えば俳句を始めてから、いつも誰か(石寒太、坊城俊樹先生)の教室に通っていた。人によっては、人に直してもらうような段階は短ければ短い方が自分らしい俳句が出来るという人もいる。しかし今日のような名人芸を見ると、こういう機会は逃したくないと思ってしまう。
 自分の俳句は、出来そうで出来ないところで止まっている、突き破れないところに来ているかもしれない、という思いもあるのだが。
 

2017年2月25日(土)
日限り日記

 [高齢は成熟で老いではない、か]
 加藤諦三(早大名誉教授)は「健康状態は人によって違うが、年をとると名誉にこだわらず、自由気ままに生きている人もいる。高齢は成熟で、老衰ではない。高齢を「老いている」「惨め」と解釈するのが最大の間違いだ」と言っている。
 加藤諦三という人は、名前は聞いてことがあるが300冊はあるという心理学の著書は読んだことがない。ご自分の生き方を振り返っているのを読むと、とにかく人と違った生き方を選んできた人のようだ。「社会的に成功するために自分のやりたいことをやらず、求められることばかりやっていれば自信を喪失するばかり。いつまで経っても満たされず、それが成功者のうつ病を生んでいる」と言っている(2017.1.28読売新聞)。
 下積み生活の長いサラリーマン生活では、なかなか自分のやりたいようには出来ないし、仮に組織のトップになったとしても与えられた期間は限られているから、やりたいようには出来ない。やりたいと思うことをやって生きてきた人に比べれば、リスクも少ないが得るところも少ない。
 退職して自由の時間が与えられて、初めて自分らしい生活が出来るということになるが、それからでは少し遅まきすぎるように思う。
 結局、高齢は成熟であって老化ではない、と言いきれるのは、若いときから自分がやりたいと思ったことをやってきて、自分なりの蓄積のある人だけに与えられるご褒美のような気がする。社会的に成功するために自分のやりたいことをやらず、求められることばかりやっていれば、自分に蓄積がないのだから、年をとれば成熟したとは感じられず老いを感じる以外にないのではないか。
 やんぬるかなではあるが、凡庸な自分としてはほかに方法がなかったとも思う。
 
 
 

2017年2月23日(木)
日限り日記

 [漫画で読む嘘つき中国共産党]
 「漫画で読む嘘つき中国共産党」(中国亡命漫画家辣椒)を読んだ。作者は中国新疆ウィグル自治区生まれ、政治風刺漫画をネット上に発表してから中国政府の迫害を受けたため日本に逃れて2014年から日本に滞在している漫画家である。
 実際に何度か逮捕されそうになったことがある。彼が逃れられたのは、拘束されたときにネット友達に訴えて当局にネット攻勢を掛けてもらったことによる。
 彼はこの本で、中国の言論弾圧の実情、習近平の権力の源泉は腐敗汚職の取り締まりを厳しくやっていること、天安門事件を知っている若者がいなくなったこと、中国の一般人は言論や政治の自由よりも日々安心して暮らせれば良いというように愚民化政策に馴らされていること、共産党は自信がないから普通選挙をやれないこと(普通選挙が素晴らしいことを中国の庶民は知らないこと)、中国の軍隊は国軍ではなく共産党の軍であること、中国共産党軍が日本に攻めて来たらとことん話し合えば分かってもらえるなど言う日本人がいるが幻想であること、中国の伝統的な国家観念はあくまで統一が大前提になっていて自由のための国家が分裂することは好まないこと、日本は中国の人権問題にもっと関心を持ってもらいたいなど、我々から見ると極めて穏当な主張の持ち主である。
 彼は移動の自由、言論の自由、職業選択の自由、政治参加の自由、結婚の自由、家族と暮らす自由などの基本的人権のために中国共産党と戦うと公言して漫画を描いている。結局彼は拘束を恐れて国に帰れず、母親の死に目にも会えなかった。
 マンガはこのような中国の実情を分かりやすく物語にして描いている。実際に自分が体験したことを描いているので迫力がある。このようなことはすでにいろいろなところで言われていることだが、なるほどマンガにすると分かりやすくまた訴える力も強くなるものだと得心した。




2017年2月21日(火)
日限り日記

 [新聞の書評欄]
 池澤夏樹氏の「知の仕事術」によると、丸谷才一が、今の新聞の書評欄は800字程度で余りにも短い。これでは良い書評が出来ない、と言ったところ毎日新聞からその長い書評をうちでやってくれと言われて、今の毎日新聞の書評欄が出来たのだそうだ。長さは二千字とか千四百字。事前の会議は開かず、書評委員が見つけた本を書評する。そして丸谷のあと池澤が書評委員の人選などの仕事を託されているとのこと。
 そこで、久しぶりに毎日新聞の日曜日版を買ってみた。我が家は私が独立して朝日新聞を取り始めたあとも、母は長い間毎日新聞を取っていた。今毎日新聞を買おうとするとコンビニには置いてない、東京新聞、産経新聞はあるというのに。駅のキオスクまで行って買ってきた。
 毎日新聞の今週の本棚で取り上げられている書評をみると、読売、朝日、日経とは明らかに違う。池澤の言うとおり、あるものは長い。取り上げている本の数は今週は毎日11冊、読売12冊、日経15冊だから大差はないが、他紙のように取り上げた本を同じような長さで紹介するのではなくて、そのなかの3冊ほどを長く論じている。
 多分毎日新聞方式に慣れている人はそれで良いのだと思うが、慣れていない人には少し抵抗がある。つまり書評はざっと論じて内容を紹介してくれれば良く、あとは本屋で自分で見て確かめるという人には、毎日方式は論文を読まされるようで、重い。読む前に講義を聞かされる感じだ。書き手の気持ちを優先した書評欄とでも言うべきか。
 

2017年2月19日(日)
日限り日記

[年齢と食事」
五木寛之氏によれば健康のためには年齢と食事の関係は次の通りが良いという(週刊新潮「生き抜くヒント」)。
十代    腹十分
二十代   腹九分
三十代   腹八分
四十代   腹七分
五十代   腹六分
六十代   腹五分
七十代   腹四分
八十代   腹三分
九十代   腹二分
百歳    カスミを食う
そして、五木氏は現在一日一食なのだそうだ。
 腹何分と言うが、腹というのは何歳になっても同じ大きさかどうか疑問はある。また老人ほど栄養のある物を食べなければならないという説もあるが、栄養のことは別にする。たしかに健康上は量は食べない方が調子は良い。
 論語では孔子は、食は衛生的で見た目もきれいでなければいけないと言っている(郷党篇第十)が、小食は説いていないように思う。多分孔子一行はいつもひもじい思いをしていたからだろう。
 年齢については孔子(論語為政篇第二)の、十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして己の欲するところにしたがいて則を越えず、がある。合わせれば六十歳で腹五分、これが人格・健康の基本ということか。

 遅まきながら今からでも追体験をするとするか。2kgの体重オーバーが減らせない私には無理でしょうね。
 


2017年2月17日(金)
日限り日記

[e-tax]
 e-taxで所得税確定申告を済ませた。
 e-taxは年年使いやすくなっている。これに慣れると手書きで郵送するなどは考えられない。
 今年は電子送信の認証に国民番号カードが使えるようになった。パソコンの確定申告ソフトは去年から使いやすくなったが今年は少し親切になりすぎたところもある。医療費控除は病院を受診した都度所定フォームに記入しておいて、そのフォームを確定申告ソフトに読み込ませた。ところが、読み込んだ結果をそんなことは要求しないにもかかわらず勝手に氏名別、受診病院別に分類して表示してきた。E-taxヘルプデスクに電話をしたところ、別に個々のデータが生のまま読み込まれていて問題ないことが分かったが、ソフトがお節介すぎるのだと思う。
 今年は、例年よりも寄付が多かったので、寄付控除を申請した。寄付は国または地方公共団体に対するもの、NPO法人に対するものなどで取り扱いが違う。なかには区役所に聞かないと分からないものもある。例えばNPO法人「国境なき医師団」に対する寄付は、私の場合所得税の控除対象にはなるが、県民税市民税の控除対象にはならない。このことは区役所に聞かないと分からない。「国境なき医師団」への寄付は、寄付1万円に対して4千円税額控除される。寄付しやすい制度が出来ていると改めて思った(今ごろ分かったのかと言われそうですが)。
 
 

2017年2月15日(水)
日限り日記

[自閉症児健常児混合教育]
 武蔵野東学園理事長寺田欣司氏の講演を聞いた。武蔵野東学園は昭和39年に故北原キヨ氏が幼稚園を作り、その後小学校、中学校、高等専修学校、教育センターを作った学園である。特徴は、自閉症的傾向を持つ生徒と、普通の生徒との「混合教育」である。
 創立者の北原キヨ先生は、小学校を卒業して会社員になるが、彼女の才能を惜しんだ小学校の先生が小学校に給仕として勤めさせ、全国最年少で教員資格を採らせた。その後上京して教員を続けるなかで、多くの親から自閉症児の教育について相談を受け、ついに自分で「混合教育」を思いつき学校を設立した。
 自閉症的傾向のある生徒の特徴は、何か一点に打ち込むとものすごい才能を発揮すること、粘り強く取り組み手抜きなどはしないこと、大人とのコミュニケーションは下手だが同年齢の人とはうまくやれることなど。自閉的傾向の捉え方にもよるがアスペルガー症候群を含めて、300人から500人に一人はいるかも知れない。ニュートン、マイクロソフトのビル・ゲイツはじめ、飛び抜けて優れた才能を発揮する人は沢山いる。
 「混合教育」の良い点は、自閉症的傾向のある子供を社会に適合させたいという親の心に添った教育であること、健常児が社会にはいろいろな人がいるということを知り、また自閉症児の優れた才能の影響を受けること。事実この学園の健常者は優秀高校への進学率が高い。この教育方法は世界的に高く評価されている。
 以上が寺田氏の講演の概要だが、実は私は小学校2年生と3年生のときに北原(旧姓永長)先生がクラスの担任になった。その時先生は16、17歳。子供心に、厳しくやさしいお姉さんのような先生だが、隣のクラスの先生のように胸の大きな先生の方が良いなどと思った記憶がある。当時の通信簿が残っているが、16.7歳の人の字とは思えないきちんとした内容と字で生徒の評価が書かれている。
 先生が武蔵野東小学校を作った昭和52年頃、私は会社の部長になりたてだったが先生からお誘いを受けて学園を訪問したことがある。
 先生は、自分が全力を挙げて作ったこの新しい考えに基づく学園を、自分の親類縁者には継がせない。この学園の先生など志を同じにする人に継がせたいと熱い言葉で語っていた。
 そしてそれは先生の思ったとおりに出来ていると「混合教育」について謙虚な態度で自信を持ってお話をされる寺田理事長の話を聞いて思った。
 私は先生のために心からうれしかった。



 

2017年2月13日(月)
日限り日記

 [「知の仕事術」]
 私は新聞などで見る池澤夏樹氏のもの考え方(例えば原子力など)とはずいぶん違うかも知れない。
 それは別として、氏のいまやっている「池澤夏樹個人編集、日本文学全集」は素晴らしいと思う。手元に第八巻(「宇治拾遺物語」など)、第十二巻(「奥の細道」など)、第三十巻(「日本語ために」)を持っているが、池澤氏の選んだ執筆者も氏の解説も素晴らしい。
 そこで最近氏が書いた「知の仕事術」を読んでみたが、とても面白かった。別に感心したというわけではないが、私はこの私よりも11歳若い作家と似ているところがあるなあと思って面白かった。
 たとえば書斎である。机は巾120センチ、奥行きが60センチを二つ。片方は執筆用としてデスクトップパソコンを置きその隅で作業をし、もう一つは本や資料を置くのに使っている。椅子は木で出来た布張りの椅子で肘掛けが付いている。ハーマンミラー型の高級事務椅子は見た目ばかりで実際に使いにくい、とまるで我が書斎を描写したと同じようなことが書いてある。私も机は二つ、アーロンチアーの高級椅子を物置として使って、椅子はイケアの自分で組み立てた木の椅子を使っている。
 氏は仕事は勤勉である。取材のときに取ったメモはその日のうちにパソコンで詳細なメモを構築する。私も現役のときはそうだったし、そうすべきだと思っていた(今ではメモさえサボり勝ちだが)。いや現役のときでも彼ほどの頑張りはなかったかも知れない。
 自分を非社交的人間と見ているところも同じだ。私も今でも句会などで解散するとさっさと一人になりたいと思ってしまう。おそらく相手も一人になりたいだろうと考えてというような理由もくっつけて。
 講演や挨拶をするときに詳細に準備するというのも同じだ。そしてインターネットで例えばウィキペディアなどをよく利用するというのも近い。手紙の書き方もほぼ同じ。
 個人の力量はもとより仕事術の深さも雲泥の差があるのだが、尊敬する人と同じような知の技術を使っているのは嬉しいことだ。最初に言ったように、是とする世の中の進むべき方向は異なるにしても。
 
 
 

2017年2月11日(土)
日限り日記

 [ドコモらくらくスマホ広告]
 2月10日の新聞では一ページぶち抜きでドコモの「らくらくスマートフォン4本日発売」の広告が載っていた。「あなたのスマートフォンデビュー、応援します。60歳以上の方は980円/月から!」という広告である。
 私の妻はいま携帯電話を使っているが、出来ればスマホを使いたがっている。画面が大きくてメールも打ちやすそうだし、写真も撮りやすそうだし、出来れば検索もしたいからだ。でも携帯で1400円/月ぐらいの利用料金がスマホで5000円以上になるのではと二の足を踏んでいる。
 980円/月は2ヶ月間だけであと2年間は1830円/月と書いてあるが、それならこれに換えようとドコモに申込みの電話をした。
 ところがドコモの言うには一緒に契約している私のスマホの契約では、妻の料金はそうならないと言う。私のスマホ契約を月4600円+α(通信量2GB)から7400円+α(通信量5GB)にしないと、妻が今回の広告の安いスマホ料金の適用を受けることが出来ないのだと言う。なんだ、980円はひとの関心を集めるための撒き餌だったのか。
 あらためて一ページある広告をよく読んでみると、ほかに別途パケット料金がかかりますという記述があるのが、それかも知れない。虚偽の広告ではないだろうが、この広告だけでは普通の人は判断できないのではないか。ましてや広告の相手の60歳以上のスマートフォンデビューの人には分からないだろう。
 新聞一ページを使いながら必要最小限の情報すら提供できないのはお粗末なものだ。よく製造物には「「・・・・・しないで下さい。****する危険があります」という警告が丁寧に書かれているが、私はこの広告のどこかに「この広告にご注意下さい。よく読んでも分からないことがあります」と書き込みたいぐらいだ。
 
 
 
 

2017年2月10日(金)
日限り日記

 [築地魚市場]
 久しぶりに築地市場に行ってみた。俳句の兼題(宿題)で「白魚」が出たので実際に見るために。まだ移転できないで残っている場内は、相変わらず汚い。場内の食べ物屋も相変わらず混んでいる。一番のお目当ての「大和寿司」には20人ぐらいが行列を作っていた。
 仕方がないので場外の寿司屋に行った。一階は20人ぐらいで満員である。二階に一席空いているというので座ったが、4,5人の日本人高年女性が一組いただけで、あとは全員若い中国人か中国人の家族だと思えた。それも、留学生や日本に滞在している人ではなく旅行者である。そう思ったのは、聞こえる言葉が中国語であるのと、注文をするとき日本語を全く使わずテーブルに置いてあるメニューの写真を示して注文しているからだ。注文しているのは、お任せコース(3,500円)が最低で、大体は個々に指定しているからかなり高額になるのではないか。
 その割には寿司職人の応対は日本語ばかりである。これはそれで良いかもしれない。相撲部屋と寿司屋は何時までも日本語でありたい。
 白魚は、寿司のお任せコースで「軍艦巻き」のネタとして使われていた。軍艦巻きは「いくら」、「海胆」、そして最後に「白魚」が出た。小さいと思う白魚でも3,4匹乗せると握った寿司からあふれ出してしまう。魚屋の店で売っているのは青森産の刺身用が一パック1400円、茨城産が600円。さすが築地だけあって見るからに新鮮で、うっすらと紅色に透き通っていた。
 店では、白魚は目立たないで隅の方に置いてあって、赤いインド産のマグロに負けてしまう。しかし、家に帰って天ぷらにしたら、やはり夕食の王であった。美しくまた美味しかった。
 
   透きとほり紅色となる白魚かな
 
 

2017年2月8日(水)
日限り日記

[ドコモ利用料金]
 ドコモ利用料金は高い。私のスマホと妻の携帯で月々の支払いが8,000円ぐらい。格安スマホにすれば二人で4000円ぐらいになりそうだが、メールアドレスを変えなければいけないとか、データ通信速度が遅くなるのではとかのマイナスもあるので変えていない。
 ドコモの一番安いコースを選んだ場合、データSパック(ドコモ契約15年以上の者で2900円)+電話のカケホーダイライトプラン(1700円)合計4600円+αであるが、これは同時には選べないから、電話はカケホーダイプラン(2700円)を選ぶこと(合計5600円+α)になるというのが、今までのドコモの説明だった。
 ところが新聞で、今回からカケホーダイライトプランを選ぶことが出来るようになるというのを読んだので、ドコモから報せがあるかと思って待っていたがない。2月5日に問い合わせてみると、1月30日発表、2月1日から実施で新割引制度として発足したという。どこに発表したかと聞くと、ドコモのホームページの「お知らせ」欄でと言う。見返してみたらようやく見つけることが出来た。
 2月5日に新制度に変更を申し込んだ関係で適用は3月1日からと言う。知らなかったために一ヶ月無用の高い料金を払うことになった。日頃ドコモからは新しいスマホの宣伝などでしょっちゅうメールが来るが、肝心の新割引制度については、全く報せがなかった。知らせるべからず、客は自助努力によって発見せよと言うことなのだろう。
 いま携帯電話料金は、低利用者の高額負担について社会問題にもなっている。それなのに当人が知るまでは頬っかぶりするとはドコモもずいぶんせこいなあという感じがする。まあ、これに限ったことではないが。
 
 
 

2017年2月6日(月)
日限り日記

[句集を編むには]
 いずれは句集を出してみたいと思うことがある。このホームページに「正太郎歳時記」を載せているからそれでいいではないかという考えもあるが、「正太郎歳時記」にはいま2000句近い句が載っていて、しかも毎月増える。後世に残したい句を厳選して残してくださいと家人から言われたりしている。まあ他人の俳句を見るのは、300句が限度でしょうね。
 その場合問題になるのは、自分で選ぶか他人(先生)に選んでいただくかということである。
 自分で選べば問題はない。だいたい、「正太郎歳時記」に残した句はすでに月々の投句で結社の主宰に選んでいただいた句がほとんどだから、実質的には先生の選を経たことになる。それでも2000句の中から300句を選ぶとなると、迷うのではないか。そのため、改めて先生に選をお願いし、先生から句集に載せる一言を頂いて句集に箔をつけるというのがむしろ一般的なようである。
 しかし先生に選んでいただくと果たして目的の数だけ選んでいただけるかどうかという心配が起こる。自分で入れたい句が入らなくてもそれは先生にお願いした以上仕方がない。しかし、例えば50句しか選ばれなかったら句集を出す目的に合わなくなる。かといって数合わせをお願いすれば選者としての先生の矜恃に関わることにもなろう。先生から、今までの句で不十分だからもう何句か新しく句を作るようにと言われたという話も聞く。その方が句集としての水準は上がるから、若い人の場合は良いとは思う。しかし私の場合、作り足すだけの力が残っているかどうか。
 最近、八十歳を超えた方から句集をいただいた。その方は今までいくつかの結社に属していて今の結社に到った方だが、全部自分で選ばれた。句集は結社単位に編まれていて、編ごとにお世話になった先生や同僚への謝辞が短く書かれている。
 おそらくご年齢から言って最初で最後の句集のつもりで出されたのであろう。自分の気持ちを正直に表したらこのような構成になったといことなのであろう。まことに気持ちの行き届いた句集であると感じ入った。周りにおもねってあれこれ考えている自分に鉄槌が下った感じだ。



2017年2月4日(土)
日限り日記

[「真実の10メートル手前」]
「真実の10メートル手前」(米澤穂信)を読んだ。この作者はすごい。なにしろ「満願」で2014年「文春ミステリー大賞」一位、「このミステリーがすごい大賞」一位。「王とサーカス」で同じく2015年の両方の賞の一位。「真実の10メートル手前」で2016年の両方の賞の二位に入っている。過去このような作家がいただろうか。「満願」は山本周五郎賞も取っている。
 いったいどんな作家なのだろうかと思って本屋で本を繰ってみた。「真実の10メートル手前」は短編小説六篇からなる作品なで読みやすそうだ(実は「満願」も短編小説集らしいが)。そこで手始めに買って読んでみた。
 推理小説と言っても社会問題小説や警察小説ではなく、また難しい布石を散りばめておくのではなくて、日常的に起こる事件の小さな疑問を主人公(雑誌記者大刀洗万智)が洗い出して行く、という痛快小説のようなものかと思う。まあ、テレビの刑事コロンボを女性雑誌記者にしたようなものですかね。
 一番の特徴点は、くせのない端正とも言える文体かも知れない。そのために非常に読みやすい。強烈な印象は残さないが、又読んでみたいという気にさせられる作家だと思った。



2017年2月2日(木)
日限り日記

 [トランプ大統領の政策の結果予測]
 トランプ新アメリカ大統領が次々と政策を打ち出している。
 その是非は別にして、私が不思議に思うのは、経済学者がトランプの政策が実施に移された場合の定量的経済的効果を発表していないことだ。経済学の無力をまたしても思い知らされている。
 政治学者の五百旗頭真氏は、アメリカ経済が現在循環好況にあること、公共投資の増額と減税によって経済が活性化することにより一時的にアメリカ経済は好況になるという見方と、関税が上がり国内物価が上昇して消費が落ち込むこと、世界的に貿易額が縮小することから、アメリカも不況になるという見方があるが、短期的には前者ではないかと言っている(BSフジ、プライムニュースより)。彼は経済学者ではないが、問われて精一杯の回答をしたのだろうが、定性的回答であり、しかも両論併記である。
 経済学者の吉川洋氏は、「米国第一主義」は突然生まれたものでなく、過去にも何度か例がある。しかし、保護主義はどこの国にも恵みをもたらさない。全ての国に経済的な打撃を与える。これこそが歴史の教訓である。その教訓に学び、自由貿易の旗手になったのが米国だ、と述べている(2017.1.29読売新聞)。
 一国がリーダーとなるには経済力、軍事力のほかにその国のあり方が他国から尊敬されること、とも言っているが、トランプはそうありたいが、しばらくは無用だと言っているのだから、説教しても始まらない。
 私が望むのは、吉川氏あるいは経済学者は「保護主義がどこの国にも恵みをもたらさないこと、全ての国に経済的打撃を与えること」を経済学者として論理的に説明し、定量的に提示して欲しいといことである。
 そうでなければトランプ大統領の間違いを正せない。その結果、ほんとうに全世界の経済が不況になれば大変なことである。今こそ経済学の力が問われていると言うべきではないか。