2017年1月30日(月)
日限り日記

 [春節の横浜中華街]
 石川町で下りて、善隣門から中華大通りを進む。大変な人が集まっている。両側の店は、大きな同発とか華勝楼とかの分店になるか、装いを新たに新たな店として出発するかどちらかになっていて、昔からある小さな店のままというのはなくなっている。そういう変化を遂げながら中華街は着実に清潔な、明るい、新しい街へと変わっている。
 今年目立ったのは江戸清という豚饅頭の店で、中華街のあちこちに店を出していた。中国の味を東京の品質でと言うことか、ここで江戸という名前をだすにしては店が広がりすぎているような気がした。
 市場通りという小さな路地の店で、孫のためにポーチを買う。そこから関帝廟に出て線香の煙の先に戸惑うように佇む関羽の髭を拝する。
 食事はどこも満員なのだが我々には当てがある。作家の楊逸さんの親戚がされている店は、中央からはずれた地久門の下にあるのだが、店が大きいので先ず席がないと言うことはない。しかもほかの店がみな窮屈な席の配置をしているのに対してこの店は上海の中華料理店のようなゆったりとした席の並びである。前回来たときはオーナーの老婦人が正装して奥の席で静に店の様子を見ていたが、今年は見当たらなかった。
 獅子舞はあと一時間後の二時半からである。我々は腓骨ラーメンと水餃子を食べて、赤一色になっている中華街を早早に後にした。
 

2017年1月29日(日)
日限り日記

[俳句教室]
 定例の月次俳句教室、兼題は「花びら餅」。何回も観察したから、そのあと一生分ぐらい食べてしまった。和菓子としては高価だが美味しい。なぜ牛蒡が鋏んであるのか説明を読んでもぴんとこない。
 提出した句は入選ならず。当たり前の発想、よくある発想、パターンに捕らわれた固定観念からの発想でつまらない、と厳しく論評された。
採られないときはいつもこのような評価。自分としては、いろいろ考えて独自性があり面白いと思ったものだが、言われると、とたんにその通りかも知れない、と思ってしまう。こうなると自分の感覚に自信が持てなくなる。
 これは日頃積極的に吟行句会などに出て、同僚の忌憚のない指摘を受けていないからかも知れない。それよりも自分で感じ考えるのではなく、何か面白い発想や表現はないかときょろきょろ周りを漁っているからかも知れない。行き詰まった感じがある。苦しい。
 帰りのエレベータの中で先生から、今日は入選者に名前がありませんでしたね、と言われたが、いつものことですとうつむくしかなかった。
 今年の直木賞作家恩田陸の小説を買った。彼女は、自分はストーリーテラーです、忙しい読者に、読んで時間を無駄にしたと思われないような物語を書いて行きます、と言っている。その言や良し。しかし本屋で見るとすでに大変な数の著作がある。入門書として唯一の短編小説集である「図書室の海」を買って帰ってきた。
 
 

2017年1月27日(金)
日限り日記

[家の構造]
 日経の「明日への話題」によれば、岸本葉子氏は家のリフォームを行った由。断熱材を壁と床に張り込み、二重サッシにして「家って温かいものだったのね」と知ったとのこと。
 我が家は昭和50年の建築である。ということは築後42年経っている。
 当時は家の耐震性は問題になっていなかったし、太陽のありがたさをよく知っていた私は、建物の強度のことは余り考えずに開口部を大きく、とくに南面の開口部は広くして、ガラス張りにした。もちろん窓は二重サッシなどではない。金がなかったから、断熱材は出来る限りやすいものを使った。建築中の家を見に行って、余りにも断熱材がお粗末なので、大工に大丈夫か聞いたことがある。大工は、大丈夫ですよ、昔は断熱材など使わなかったのですから、と簡単に答えてくれたものだ。
 日本は夏が蒸し暑い。日本の家は古来夏が涼しく過ごせるように建てられた。「徒然草」に「家のつくりやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にもすまる。暑き頃、わろき住居は堪へがたきことなり」と書いてある。
 我が家は四面に開口部が多く、結果として夏を旨として建てられている。四季を通して晴れた日は温室のように温かくなるが、日が沈めば忽ち冷えてしまう。冬はかなり暖房をしないと寒がりの私には堪えがたい。今年は気温のせいか年齢のせいか特に壁越しやサッシ越しの冬の寒気が強く感じられる。「冬はいかなる所にもすまる」とはいかない。
 家の土台とか柱とかの構造や断熱材の実態をよく知っているだけに、地震が来るたび、寒波が来るたび、震えている有様だ。
 


2017年1月25日(水)
日限り日記

[雛人形展]
 横浜高島屋で行われている木の鐸会の「雛人形展」に寄ってみた。
 この雛は、木芯石塑、手塗り胡粉、木目込み衣装といった独特の技術を使った人形で、土台から最後の仕上まで一人の作者によって作られる。作り上げるのに数ヶ月かかるそうだ。値段も一組30万円前後はする。毎年一月に日本橋高島屋と横浜高島屋で展示即売会が開かれる。
 私は大体毎年見に行っている。その年の雛を見るほかに、この会の主要メンバーの一人が私が俳句を始めたときに兄事(姉事)していた方なので、ご挨拶をするためである。また、俳句を始めたときに知り合った方々の消息を聞けるときでもある。
 そのうちの一人がまだ習字の先生を続けているとのこと。昔年に数回習字の俄練習をして、自作の俳句を書に書いて展覧会をしたことがあったが、それも続けているとのこと。又参加しませんかと誘われた。身辺を整理している最中だが心が動いた。


2017年1月21日(土)
日限り日記

 [2017年モデルパソコン]
 今年度の春モデルのパソコンが出た。今使っているのは2013年製のWingows8をWindows10にアップデートしたものだから、そろそろ買い換えても良いかもしれない、と思って検討した。もっぱら机に座って使うので、デスクトップ型にはなる。
 NECには先駆性がある。いち早く去年からディスプレイを0.8インチ大きくして23.8インチにして、今回は、4kを採用した。サウンドもスピーカーが5w*2と大型である。
 今までの経験では品質(壊れにくさ)は日本製だけあってFUJITSUに分がある(最近NECも日本製にしたが)が、FUJITSUは相変わらずNECの後追いをやっている。例えば今回からディスプレイを23.8インチにしたなど。ただし今回はCPUは少し上位のものを使い、ストレージにSSDを装着した。SSDはHDDに比べて立ち上がりや、変換の速度が速い。NECに比べて見た目は地味だが技術で勝ろうというのか。われわれのパソコンは立ち上がりのスピードこそがいのちだと思えば富士通がいいとなる。
 NECのパソコン事業は中国のレノボ資本になっている。富士通のパソコン事業も提携先を探しているとのこと。今後はMADE IN JAPANで品質を保証しながら、資本と経営者は外国に頼るというのが多くなるのだろうか。技術力はあっても経営力がなかったため破綻したのは、「日産」や「シャープ」がわかりやすい例である。我が国の製造業(金融業やサービス産業なども)は長い間国内生産国内販売だけで成り立ってきた。それだけに世界的に活躍できる人材が育たなかったのは確かなことだ。一朝一夕には挽回できない、残念なことだが。
 
 
 

2017年1月19日(木)
日限り日記

 [俳句的生活]
 小川軽舟の「俳句と暮らす」を読了した。
 小川は、大きな俳句結社「鷹」を創立者の藤田湘子から引き継いで今主宰にある。彼は大学を出て銀行に勤め、いまは単身赴任で関西の鉄道会社に勤めている。彼は妻のため子供のため安定した収入を得られる会社を辞めることが出来ない。彼に限らず俳句結社の主宰のほとんどがこのような兼業主宰ではないか。そして俳句を作るほとんどの人がこのような生活をしている。この本は、平凡な人が平凡な日常からどうしたら小さな発見が出来、俳句が作れるかを説いた本である。
 彼によれば対照的な人に長谷川櫂がいる。長谷川は平成12年46歳で新聞社を辞め、専業俳人になった。1993年俳句結社「古志」を創設し、今では主宰の立場を後進に譲って、自分は大学教授、季語と歳時記の会代表、朝日俳壇選者、「読売新聞」朝刊に詩歌コラム「四季」を連載。俳論集、句集など刊行多数で、俳句で生活の出来る数少ない人ではないか。
 新涼やはらりととれし本の帯    櫂
の句を評して、小川は思いきって辞めてしまえば、新涼の心持ちである。ああ、そんなふうにいきられたらなあ、と本に書いている。しかし、決死の思いで俳句に専念したらこそ今があると言うべきなのだろう。
 両者の句は当然ながらはっきりと違う。境涯が違うから句が違うのではなく、句が異なる、すなわち人柄や生き方が違うから、境涯が違うというべきなのだろう。
 
 死ぬときは箸置くやうに草の花   軽舟
 梨むく手サラリーマンを続けよと   〃
 名山に正面ありぬ干蒲団       〃
 
 春の川とは濡れてゐるみづのこと  櫂
 惜しみなく妻となりたる浴衣かな  〃
 初山河一句を以つて打ち開く     〃
 
 


2017年1月18日(水)
日限り日記

[巡査部長の財布が盗まれた]
 1月17日の読売webによれば、インターネットカフェで張り込み捜査をしていた警察官の財布を盗んだとして、北海道警北見署は15日、住所不定、自称派遣社員の男(33)を窃盗容疑で現行犯逮捕した。
 発表では、男は同日午後7時42分頃、北見市西富町のインターネットカフェで、同署女性巡査部長(28)の現金約1万3000円が入った財布を盗んだ疑い。
 巡査部長は、同店で置き引き被害が相次いだため他の捜査員と張り込み中だった。飲み放題のジュースを取りに行くため個室を出たところ、男が個室に出入りし、その様子を別の捜査員が目撃。個室に置いていたかばんから財布がなくなっていたため、店内にいた男に尋ねたところ、容疑を認めたという。
 本当はおとり捜査だったのでしょう?事実にしては面白すぎる。
 
 
 

2017年1月16日(月)
日限り日記

 [さよならだけが人生だ]
 最近親しくしていた会社の先輩が亡くなった。
 その後ご遺族から逝去の連絡があり、個人の遺志で葬儀は近親者のみにて済ませたと書いてあった。そして、お世話になった皆様へと題する故人からの挨拶状が付せられていた。
 そこには生前のお付き合いに感謝するという文面と、死んだということを触れ回りたくない。「人生流れ解散論」にしたがって、何時とはなしにいなくなることにしたい。したがって葬儀は内輪でやるので許して欲しいと記されていた。そして最後が「皆様のお幸せを心からお祈りしております。さようなら。」で結ばれていた。
 会合で「流れ解散」の場合、全く何も言わないで帰る者がいる一方、軽く挨拶をして帰る者もいる。故人の人なつっこい性格が、この文章を書かせ、「さよなら」を言わせたのだろう。
 
  勧酒        于武陵 井伏鱒二訳
 コノサカズキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 
 
 

2017年1月14日(土)
日限り日記

 [その場足踏み]
 高校時代の同級生で、整形外科と循環器科の医者になった者がいる。これが二人とも優秀で大きな病院の医院長になった。定年後小型の病院の専門医になったので、いろいろ健康の相談に乗ってもらってきた。
 ところがなんと二人とも七十代で亡くなってしまった。医師の不養生とでも言うのだろうか、とても残念である。
 今年、従妹から年賀状が来た。
 「体調はいかがですか。三十分以上座り続けないで、必ず立ち上がって足踏みをしてから又座るようにと、夫が申しております」。
 夫というのは、医者である。どうかすると一日中パソコンに向き合って読んだり書いたりしている日常を見透かされたような、どんぴしゃりの警告である。
 その年賀状を書斎に張り出している。三十分ごとにパソコンからアラームの鳴る時計が、windows10にあるようだが使いこなせていない。しかたがないから台所の時間計を持ってきてその都度セットしている。



2017年1月12日(木)
日限り日記

 [「夏目漱石」を読む]
 十川信介の「夏目漱石」を読んだ。漱石の生涯を、漱石の全ての作品を咀嚼した上で平明な文章で解き進めて行く。漱石の苦悩に寄り添った書き方であり、爽やかな読後感を与えた。
 漱石の作品は、主人公が悩みに満ち満ちていて学生の頃は読みにくかったが、今の私には読みやすい。それでも「三四郎」の三四郎と美禰子、「心」の先生とのちの奥さん、「それから」の代介と三千代、「門」の宗助とお米、「道草」の健三と御住、「明暗」の津田とお延など、男女関係はいつも微妙な緊張関係にある。男は概して潔癖だが、女は似ているような似ていないようなで紛らわしいところもある。十川は女主人公の特徴というような独立した項目を立てて論じてくれていないが、私は、女主人公に共通しているのは、芯のところで自立志向が強いということだと思う。意識としては男女対等である。私としてはそこが漱石の小説の良いところだし新しいところだと思う。
 十川は漱石を「約束は守る、義理堅い気性。お洒落で服装に気を遣い、外出して気に入ったものがあればすぐに買って帰る。食事には注文をつけないが、駄菓子が好き。病気がちのくせに無理な行動も平気でやってしまう」と見ている。対女性観には触れていない。
 十川の本で感動的だったところはつぎのところである。
 「自分(漱石)では孤独だと思っていた彼が、妻子、友人、門下大勢にみとられて旅立ったことは、彼の強情だが真実を貫く気持ちが、周囲に理解されていたからだろう」。
 彼(漱石)はしばしば子供たちにも怒りをぶつつけ、泣くと怒る人物だったが「臨終間際に娘たちが涙を流したとき、もう泣いてもいいんだよと言った」。
 
 
 
 

2017年1月10日(火)
日限り日記

[マークした本]
 後輩に大腸ガンで腸を切った者がいる。手術二、三日後医者が来て彼に、「よかったですね。転移はしていません」と言った。彼はその時、そんなことはともかく、手術創が痛くてたまらないから何とかしてくれ、と医者に言ったとのことだ。
 馬鹿だなあ、と皆で笑ったが、人間とは痛さに弱い動物だ。私も今回鼠径ヘルニアの手術をしたが、小さな手術だと言われていた割には術後の傷口が痛かった。遠慮しないで痛み止めを飲んでいいと言われてはいたが、痛みは警告の信号だから薬で紛らしたくない、という旧式な理屈立てをしたのがいけなかったかも知れない。
 ということで、術後一ヶ月経った今日、ようやく痛みから解放されてゆっくり本屋に行って来た。一通り歩いてマークした本は、「夏目漱石」(十川信介)、「六国史」(遠藤慶太)、「美しい国への旅」(田中慎弥)、「バブル」(永野健二)。買ったのはいずれも新書版の前二書。
 今年は明治150年、すなわち漱石生誕150年・没後100年(満か数えかで1年の違いはある)の年で、漱石に関する企画が多い。十川の「漱石」は、江藤淳や蓮實重彦の難しい「漱石論」と違って漱石個人史として面白く読めそうだ。「六国史」は今年4月に「日本書紀」の通読が終わるので、日本書紀に始まる日本古代正史を一通り見通しておきたい。田中慎弥は「共食い」で感心した小説家だが、当たり外れが大きいかも知れない。「バブル」は1980年から1989年の日本経済のバブル現象。論じられている三光汽船、山一証券、住友銀行、興銀などの話題は、私が会社の総務、経理担当責任者として切迫した気持ちで成り行きを見ていた事件であり、改めてあれは何だったのかをきちんとさらっておきたい。
 本屋では下見をするか、重量の軽い本を買うだけ。重い本はネットで買うことにしている。
 特に鼠径ヘルニア手術後は、重いものは持ってはいけないと言われているし、ネットで買えばポイントだって付くのです。
 
 
 
 

2017年1月8日(日)
日限り日記

 [カジノ法案]
 前国会で成立した「統合型リゾート整備推進法案」(通称「カジノ法案」)には、どうも賛成できない。
 「ロング・グッドバイ」(1953年初版)でレイモンド・チャンドラーは登場人物(バーニー・オールズ、郡警察の警部補)にこう言わせている。
 「・・・・・「おれは博打打ちが嫌いだ」と彼は荒っぽい声で言った。「麻薬の商売人に負けず劣らず、あいつらのことが嫌いだ。あいつらは麻薬と同じで、人間の病癖につけこんで商売をしているんだ。リノやヴェガスにあるカジノが罪のないお遊びのために作られていると思うか?冗談じゃない。そういう場所は小口の金を使う庶民を食い物にしているんだ。濡れ手に粟を夢見るカモ、給料袋をポケットに入れてやってきて、一週間分の生活費をすってしまう若者。そんな連中をな。金持ちの賭博客は四万ドルすってもへらへら笑っていられるし、もっと金をつかいに戻ってくる。しかし、金持ちの賭博客だけで商売が成り立っているわけじゃないんだ。やくざの稼ぎの大半は十セント硬貨や、五十セント硬貨で成り立っている。あいつらの稼ぎはまるで洗面所の蛇口から水が出て来るみたいに、休むことなく流れ込み、いつまでも止まることはないんだ。そして州政府が博打打ちからのあがりの一部を取って、それを税金と称するとき、連中は結局のところやくざが商売を続ける手助けをしているんだよ。・・・・公認ギャンブルは公明正大に運営されていて州の承認を受けている。名目的には文句のつけようがない。しかしおれには納得しかねるね。どんなに体裁を繕ったって所詮は博打だし、博打はやくざを肥え太らせるんだ。害毒を流さない博打なんぞどこの世界にもない」・・・・・。(村上春樹訳より抜粋)




2017年1月7日(土)
日限り日記

 [ロング・グッドバイ]
 この正月はレイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」(村上春樹訳)を読んだ。
 残りの人生で、長編を読むのは「論語」が最後だと思っていた。偶々書棚を整理していて、この大作を見つけ出した。ハードカバー580ページ、2007年発行のものである(原文は1953年刊行)。当時これは村上春樹が新しく訳したということで評判になり、買ったのだと思う。定価は税別で1905円。今なら3000円は下るまい。つくづくこの数年で本は高くなったと思う。
 少しめくっているうちに面白くなり、途中で投げ出すことは出来なくなった。訳者の後書きに「ロング・グッドバイ」は別格の存在である、他に抜きんでたものがある、と書いてあるのも頷けるものがある。ちなみに装丁はチップ・キッドで赤地に青色の拳銃が描かれている。私の「ホームページ」の配色が似ているのは偶々だが。
 なぜ面白いのか。やはり主人公の私立探偵フィリップ・マーロウの魅力が第一だ。正義感一点張りではないが、理解できないことを突き止めてゆく粘り、金銭欲・出世欲からからの自由、男に対する友情など。あとはチャンドラーの活き活きとした描写。訳者はチャンドラーの文体のすばらしさをあげているが、翻訳物だからそれは分からない。以前は清水俊二の訳(「長いお別れ」)だったようだが、村上春樹の訳がどの程度勝れたものかもよく分からない。しかし翻訳物として非常に読みやすかった。この小説のすてきな決め台詞「To say goodby is to die little.」は「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」と翻訳されている。
 本の面白さにも増して嬉しかったのは、何とか筋を追えたと言うことだ。最近込み入った物語はなかなか筋が追えなくなってしまったのだが、この分ならもう少し長編を楽しむことが出来るかも知れない。ということで、読むとしたらどのような小説がいいだろうかと、考え始めたところだ。
 



2017年1月3日(火)
日限り日記

[箱根駅伝]
 今年の箱根駅伝は、青山学院大学の圧勝に終わった。
 この駅伝のコースの両側には、各大学名の入ったおびただしい数の応援の幟が立てっている。二、三年前の大学OBのクラス会である男が突然こう言い始めた。
「箱根駅伝で、小涌園の曲がり角で、Q大学の幟の柱を支えている自分がテレビに映っていたが、見てくれたか?」
 見たものは一人もいなかった。そして、質問があった。
「君がQ大学の幟を支えていたのはなぜだ?」
「自分の、孫のような小さな娘がQ大学のチアガールをやっている。その娘に頼まれて寒風の中を幟を支えていたのだ。寒くて気が遠くなりそうだった」
 なるほどあのおびただしい幟は、いろんな人が支えているのだなと改めて思った。
 ところで私の孫娘が、女子高のソフトボール部に入っていて、レギュラー一塁手で二番バッターである。是非一度応援をしたいものだと思って、孫娘に試合スケジュールを教えてくれるよう頼んでいるのだが、どうしても教えてくれない。
 孫娘の両親も、応援に行っても絶対に楽しくないと言う。はらはらはするし、相手チームの応援席から子どもに辛辣なヤジが飛ぶと心底腹が立つ、とのことだ。私は女子フィギャースケート試合は、転ぶと可哀想でテレビを見ていられない。孫娘のソフトボールの試合を見ても、まともに目を開けていられないでしょうね。
 これに比べれば、箱根駅伝の幟を支え持つなどいうのは肉体的にはつらいだろうが、精神的には楽なものかも知れない。私も子どもや孫に頼まれれば、持ち手になるでしょうね。






2017年1月1日(日)
日限り日記

[初日の出]
 住んでいる団地の北東部に行く。崖の中腹にある小さな此花咲耶姫の社の屋根越しに、毎年初日の出を拝む。ここから見る日の出は、ベイブリッジの南ほどから上がってくる。直接海面は見えないがほとんど水平線から上がってくるような感じだ。今年は水平線に低い雲がかかっていた。
 日の出は6時51分。毎年の常連が30人ぐらい集まっている。日が水平線の雲を抜けきるのは速い。
 30分ぐらい日の出を見て、団地の西側に廻ると、今日は遠くに南アルプスの北岳、間ノ岳が見えた。そして富士山。洗い立ての白い顔に初日の紅色が微かに映っている。初日を迎えるためにぐっと東に移動して大きくなったように見える。

 さて私の今年の目標は何だろう。「家の歴史」を完成すること、個人句集を構想すること、本・書類を整理すること、「論語」を読了すること、旅行などか。何れもたいしたことではない。家族が元気で一年を送れること以上のことはない。
 あとホームページを充実していくこと。
 今年もよろしくお願いいたします。
  
 
   初富士の見ゆる狭庭に五十年