2016年12月28日(水)
日限り日記

 [2016年心に残る本]
 今、読売新聞、日経新聞、朝日新聞の12月25日日曜日の読書欄を広げている。毎年この季節になると、今年の心に残った本が掲載される。
 今まではそのうちどれを読んだか、読まなくても気にしていたか、これから読みたいと思うか、などを自問しながら見るのを楽しみにしていた。しかし、今年は様子が変わった。読んだ本はほとんどない。気にしていた本も少ない。これから読みたいと思う本もほとんどない。こんなことは今までにないことだった。
 それは、今年の「このミステリーが面白い」でも同じ感じを受けた。掲載されている内外のベストテンの推理小説の題名も、作者さえも、ほとんどが聞いたことのないようなものばかりだった。こんなことは今までにないことだった。自分自身がこの一年間次第に時代に取り残されてきたのだと思うしかない。
 思い切って、それならば読んでみてもいいと思う本に印を付けてみた。「アイ」(西加奈子)、「ピカソになりきった男」(ギィ・リブ)、「沈黙法廷」(佐々木譲)、「自由の条件」(猪木武徳)、「大きな鳥にさらわれないよう」(川上弘美)、「ジョイランド」(スティーヴン・キング)、「21世紀の不平等」(A.B.アトキンソン)・・・・・。しかしまた思う、これらを読むことと、私が今日課にしている「論語」原文を読むこととどちらに価値があるだろうか。
 今年の小説の特徴は、最近読んだ東山彰良の「罪の終わり」や上にある「大きな鳥にさらわれないよう」もそのようだが、近未来を書いた作品が多いということではないか。おそらく今までとは違って、近未来が見えている作者が出てきたのではないか。
 これは小説に限ったことではなくて、学説や論文も近未来が見えている著者の作品が増えてきたのではないか。私はもともと何カ年計画などというものを信じない方だったし、SF小説は苦手な方である。現状あるいは現状の延長線上にある社会現象にはこだわりがあるが、見通せない未来社会には関心を持つことが出来ない。それが私の最近発行された本への無関心(俳句で言えば、若い俳句作者の作品への無理解)に繋がっているのかも知れない。誠に困った老人だとは思うが。




2016年12月25日(日)
日限り日記

 [句会の成績」
 月に一度の60人の俳句会、新宿。
 1ヶ月前にこの句会でさんざんな成績を上げた帰り道、急に鼠径部が痛くなって救急病院に駆け込んだ。それから慌ただしく鼠径ヘルニアの手術を受けて、一週間前に退院した。まだ少し傷口は痛むが、今日は退院後1時間以上電車に乗る身体の試し運転。それも心配だが、又句会でショック¸を受けて傷が悪くなることを恐れる。
 移動もさることながら急にクリスマス当日の人混みの中に入ったので、目眩息切れがひどかった。多分脳がめまぐるしい情報の処理に一杯一杯になっているのだと思う。
 句会での先生の選と講評には、特徴がある。先生が選んだ句は、なにゆえ自分が選んだかを説明してくれる。つまり褒められすぎる。選ばない句はなにゆえに選ばなかったかを説明してくれる。つまりけなされすぎる。選んだ句は百点、選ばなかった句はマイナス百点。本当は60点40点ぐらいの差でも、説明は天と地ほどの差になる(もちろん本当に差があるものもあると思うが)。
 一喜一憂も良いがほどほどに、ということであろう。
 まあ、今日は先生の特選に選ばれたので、傷もぶり返さず、単純に嬉しい気持ちになってクリスマスケーキを買って帰った。いつも妻には当日の成績はすぐに見透かされてしまうが。
 
 
 
 
 

2016年12月23日(金)
日限り日記

 [辻原登「籠の鸚鵡」]
 辻原登の「籠の鸚鵡」を読んだ。辻原ファンとして書評がでる前に求めたが、二三ページ読んだところで少し読むのが怖くなった。ホステスと町の出納室長と来れば、真面目な出納室長が女にたぶらかされて大金をつぎ込み破綻するという筋書きがすぐ見えたからだ。つまり、哀れな出納室長を見たくないと言う心境になったわけだ。
 しかし、最近の本は高い(1700円)から、積ん読わけにも行かない。幸い入院することになったので、病室でこわごわ読み始めてみた。
 すると不動産屋が登場し、ヤクザの組争いが始まる。可哀想な出納室長の物語で終わらないダイナミックな展開になり、やはり辻原は当世我が国の第一の物語作家として面目躍如たるものがあると思った。ホステスが出納室長に思いを寄せてゆく最後は、救われた思いだ。
 初出は文芸誌に一年連載されたとある。辻原がヤクザの世界を面白がって書いているようなところがある。著者の新たな到達点と帯にはあるが、そうは思えなかった。新しい分野を取り扱った小品と言うべきではないのか。
 
 
 
 

2016年12月21日(水)
日限り日記

 [東山彰良「さようなら的レボリューション」]
 東山彰良の2015年直木賞受賞作「流」を読んだとき、もちろんガルシア・マルケスの「百年の孤独」や莫言の「豊乳肥臀」ほどではないにしても新しい物語作家に出会ったと思い嬉しかった。
 そこで最新作「罪の終わり」を読んだ。「エンターテインメント最前線をぶっちぎりで爆走する東山彰良の、これが、進化だ!」と帯に書いてあるが、物語全体を理解するのは私には難しすぎたが、個々の描写にはぞくっとするほど惹きつけられる文章が多かった。
 そこで今回の入院では少し遡ることにして「さよなら的レボリューション」を読んだみた。これも帯によれば「明日が見えにくい時代に、気鋭の作家が描く切ない恋と、どこまで続く沙漠をひた走るたびの行方」という本である。
 「さよなら的レボリューション」は2010年の作で、「流」の原点と言えば言えなくもない。主人公が19歳ということもあって、内容も若いが、文体も若い。多作な作家らしいが、それまでの積み重ねが「流」となり、「流」が新たな出発点になった作家とみた方がよさそうだと思った。つまり今後の作家であると言うことだ。
 ところで東山は日経夕刊の「プロムナード」欄を半年続けて来たが、この12月で任期が来たとのこと。この欄きっての書き手と思い彼のエッセイも楽しみにしていたので残念だ。又新しい作品や作家に会うことを楽しみにしよう。


 

2016年12月19日(月)
日限り日記

[鼠径ヘルニア手術]
 鼠径ヘルニアの手術を受けた。今日は術後7日。日に日によくなっているとは言え、まだ傷口が痛い。
 12月11日入院、局部の毛など剃られてまな板の鯉になりつつある。この日の夜から抗血液凝固薬(血液をさらさらにする薬)の服薬停止。つまり手術中に血が止まらなくなっては大変だからだ。
 12日は朝から絶食。13時手術室へ。麻酔は脊髄くも膜下麻酔。背中を曲げてと言われてあっという間に注射された。麻酔医が冷感と痛感をテストし、鳩尾辺り乳首下で感覚がなくなったことを確かめたあと、肛門を閉めてと言われた。出来ないと言ったところ、では準備完了、手術を始めますと言われたのが13時30分だった。麻酔医が一人麻酔科看護師が二人。手術医が二人、手術室看護師が一人。
 胸の辺りにタオルが下がっているので、手術は見えない。麻酔医がいろいろ話してくる。半身麻酔の良いとことはこのように患者と話をしながら手術が出来ることだ。膝は曲げたように感じるだろうが、実は伸びている。膝を曲げて麻酔を打ったので脳がその姿勢を記憶しているのだ。普通は麻酔液は2CCぐらいだがあなたは高齢とは言え身体が大きいので2.5CC打ったが、ちょうどよかった、などと言っている。麻酔量は目の子勘定で決めているのか。
 手術についてはお腹にいろいろ手術道具が乗りますよと言われただけだった。14時半頃これで終わり、順調に終わりました、と言われた。手術時間は1時間前後か。握手しようとしたが軽く逃げられた。そんな大袈裟な手術じゃないということか。
 部屋に戻って尿道に入っている導尿管は何時抜くのかと医師に聞いたところ、そんなことはこちらに任せろという。頭痛が起こるから頭は上げないこと、できるだけ寝返りは打つて身体を動かすことと言われた。
 臀を触ると氷のように冷たい。これが上半身に及ぶのが死なのだろうか。もっとも人によっては温かく感じるとのことだが。
 この病院では普通の鼠径ヘルニア手術は2泊3日とのこと。私は手術した翌日抗血液凝固薬を再開して、傷口から出血しないかどうか確かめるので、5泊6日となった。50年前盲腸の手術をしたときに痛い痛いと言って見舞いに来た母親に笑われたことがある。傷を痛がる癖のある自分としては、数日間毎朝先生の回診を受けられるのは悪くなかった。




2016年12月1日(木)
日限り日記

 [がっかりヘルニア]
 一ヶ月に一度の俳句教室で、厳しい指摘を受けた。どこかで見たような陳腐な表現でなく、自分自身で見たものを自分の言葉で表現しなさいというご指摘で、全くごもっともである。自分はまだまだ未熟だなと思わされた。
 帰りのカバンがいやに重く感じられた。医者から鼠径ヘルニアがあるので重いものは持たないようにと注意されていたので、危ないな思っていたら、急に右の下腹部が痛くなってきた。
 電車に乗ったらおへその辺りまで痛む。乗換駅では痛くて歩くことも難しくなってしまった。
 なんとか前に鼠径ヘルニアの診断をしてもらった病院の救急センターにたどり着いたが、ベッドに寝かされたとたんに、痛みは嘘のように消えてしまった。「嵌頓はしていません。このまま家に帰って大丈夫です。来週外来に来て下さい」ということになった。
 次の週の外来では、こちらの説明もそこそこに手術の日程を決められてしまった。あとは手術の方法(腹腔鏡下手術か、前方アプローチ法か)、麻酔の方法(全身か半身か)の選択、入院手続きなど流れ作業に乗るばかりだった。
 よく「がっかり盲腸」と言って、戦争も負け戦になると盲腸患者が増えるという話を聞くが、もともとその気はあったにせよ、私のは「がっかり鼠径ヘルニア」とでも言うべきものかも知れない。片側に出た人はもう一方にも出やすいと言うから、今後はなるべくがっかりすることはやめよう、と思うがそうもいかないでしょうね。