[2016年心に残る本]
今、読売新聞、日経新聞、朝日新聞の12月25日日曜日の読書欄を広げている。毎年この季節になると、今年の心に残った本が掲載される。
今まではそのうちどれを読んだか、読まなくても気にしていたか、これから読みたいと思うか、などを自問しながら見るのを楽しみにしていた。しかし、今年は様子が変わった。読んだ本はほとんどない。気にしていた本も少ない。これから読みたいと思う本もほとんどない。こんなことは今までにないことだった。
それは、今年の「このミステリーが面白い」でも同じ感じを受けた。掲載されている内外のベストテンの推理小説の題名も、作者さえも、ほとんどが聞いたことのないようなものばかりだった。こんなことは今までにないことだった。自分自身がこの一年間次第に時代に取り残されてきたのだと思うしかない。
思い切って、それならば読んでみてもいいと思う本に印を付けてみた。「アイ」(西加奈子)、「ピカソになりきった男」(ギィ・リブ)、「沈黙法廷」(佐々木譲)、「自由の条件」(猪木武徳)、「大きな鳥にさらわれないよう」(川上弘美)、「ジョイランド」(スティーヴン・キング)、「21世紀の不平等」(A.B.アトキンソン)・・・・・。しかしまた思う、これらを読むことと、私が今日課にしている「論語」原文を読むこととどちらに価値があるだろうか。
今年の小説の特徴は、最近読んだ東山彰良の「罪の終わり」や上にある「大きな鳥にさらわれないよう」もそのようだが、近未来を書いた作品が多いということではないか。おそらく今までとは違って、近未来が見えている作者が出てきたのではないか。
これは小説に限ったことではなくて、学説や論文も近未来が見えている著者の作品が増えてきたのではないか。私はもともと何カ年計画などというものを信じない方だったし、SF小説は苦手な方である。現状あるいは現状の延長線上にある社会現象にはこだわりがあるが、見通せない未来社会には関心を持つことが出来ない。それが私の最近発行された本への無関心(俳句で言えば、若い俳句作者の作品への無理解)に繋がっているのかも知れない。誠に困った老人だとは思うが。
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