2016年11月28日(月)
日限り日記

 [「罪の終わり」を読んで]
 2152年7月、ビア・ヘイレンはアラバマ川のほとりからニューヨークまでヒッチハイクを敢行した。途中トラック運転手に犯されて、双子の男の子を産む。そのうちの一人ナサニエル・ヘイレンは万能のVB眼を入れた。
 2167年6月アメリカは小惑星の衝突により文明を失った。多くの人びとが餓え、一部で食人行為が正当化された。
 というような背景の小説だから、SF小説まがいである。SF小説が嫌いな私がなぜこのような小説を読んだかと言えば、作者が「流」の東山彰良だからだ。
 主人公のナサニエルは整った目鼻立ちの優男で母親を殺したりもするが、障害のある双子の兄のウディをこの上なく守る。
 彼の命を狙う影との戦い。ナサニエルは生まれながらの英雄だったわけではなく、誤解や偶然が積み重なって、本人の意思とは関係なく神格化されてゆく。彼はやがて彼の信奉者を引き連れて、エル・モヘルへたどり着く。
 筋書きとは別に、部分部分では東山彰良らしい、歯切れのよい活劇があって、楽しめた。
これを機に彼の今までの作品を眺めて見ると、実に多岐にわたっていることを知った。とりあえず次回読む候補として、今度はずっと易しそうな「さよなら的レボリューション」を仕入れてきた。




2016年11月23日(水)
日限り日記

 [甲子園高校OB野球大会]
 従兄弟から全国高校OB野球大会に出た、その様子がテレビで放映されるので見てくれという連絡があった。詳しくは分からないが高校の野球部OBチームで都道府県ごとの予選を勝ち抜いた16チームが甲子園に集まって、各チーム1試合ずつ、二日間で8試合行う。一試合1時間半制だとのこと。
 テレビによれば、年齢は35歳から75歳までいるとのこと。しかし、スターティングメンバーで実際に出ているのは40歳台までのようで、50歳のピッチャーが話題になるぐらいだ。だから守備など実にきびきびしていてうまい。
 従兄弟の話によれば予選を勝ち抜くのが大変のようで、甲子園に行けただけでうれしいとのこと。
 75歳の私の従兄弟は、同点の最終回ワンアウトランナー3塁で代打に出て三振した。試合はそのまま引き分けになった。その時のピッチャーは元プロ野球選手だったらしいので、あそこでヒットでも打てば今後の人生の運を使い切ってしまうことになるから三振で良かったのではないか、と慰めた。
 彼はとても悔しがっていた。でも75歳で全力でバットを振れるなんて夢のような話だ。




2016年11月20日(日)
日限り日記

 [沖縄眠り草]
 所属結社の句会に参加した。場所は鎌倉商工会議所会議室。ここは駅からの距離といい、部屋の広さといいとてもいいところなのだが、二三年前から主会場としては使わなくなってしまった。その理由を幹事に聞いたところ、なにしろ3階にあってエレベーターがないものだから、上れない会員がいるのです、とのことだった。
 ほかの会場がとれなかったということで今月はここが会場になったが、久しぶりに行ってみて、階段がいやに高く感じられた。人生の釣瓶落としは速い。
 さて今月は5句提出して、主宰に選ばれたものは一句。
 
 小春日に干さん沖縄眠り草
 
 このところ夜頻繁に起きてしまうものだから、何かいい方法がないと探している。見つかった一つは「マインドフルネス」という精神リラックス方法でこれは睡眠に直接に影響はなかったが、日常の行動で大変役に立った。簡単に言うと頭から雑念を一掃する方法である。
 もう一つ見つけたのが「沖縄眠り草」である。アキノワスレグサを乾燥させたもので沖縄では大分古くから安眠のためのお茶として使われているとのこと。ネットで調べてみると、効くとも効かないとも言えるもののようだが、鰯の頭も信心からだと思って購入してみた。まだ日が浅くて効用を論じるまでの実績がない。
 
 どういうものなんですかこの草は、と主宰に聞かれたのでそのように答えた。なかには真剣に聞いている人もいるようだったので、少し心配になったが。
 
 この句は、小春日に、が良いですね、と主宰が言ってくれた。私も小春日以外ならこの句は出来なかったので、とても嬉しかった。
 
 
 

2016年11月17日(木)
日限り日記

 [ふしぎなキリスト教]
 「ふしぎなキリスト教」(橋爪大次郎・大澤真幸)を読んだ。
 少し読み進めて、あるていど「聖書」の知識が無いと理解できないことが分かったので中断した。さりとて分厚い「旧・新訳聖書」を読むのは大変なので、「地図とあらすじで読む「聖書」」(船本弘毅)を読んだ。ちなみに「地図とあらすじで読む「聖書」」は義父(妻の父)が90歳を超えてから求めた本である。キリスト教には縁遠かった義父が、なぜ「聖書」を勉強しようとしたか。死ぬ前に出来れば心の安寧を得たいので、この多くの人が頼っている宗教を知りたいと思ったのではないか。
 「ふしぎなキリスト教」は新書大賞2012の第一位で、30万部売れたとのこと。「聖書」の知識がないと理解できない難しい本だと思うので、なぜこのように売れたのかが先ず不思議である。日本人の知的レベルの高さを示すことなのか、あるいはキリスト教信者が、自分たちの抱いているなぞを解くために、求めたのであろうか。
 さて本の内容の論評は(難しいので)さておき、なかで面白いと思ったことを一つ。
 「福音書」にはイエスがしょっちゅう人の家に招かれて飲み食いをしている。人びとがイエスのことを「大食漢」「大酒飲み」と批判しているという話が出て来る。論者はこれに対してイエスの一行は、いつも空腹で金も持たずに苦しい旅を続けていた。だから食事に招かれたのだと思うと述べている。
 それで思い出すのは孔子である。「論語」「史記世家(孔子世家)」によれば、諸国遊説中の孔子一行はしばしば食糧がなくなり、一行は疲弊して起き上がることさえ出来なかった。しかし、孔子は「米は精白されたものほど好み、膾は細かく刻んだものを好んだ。煮加減の良くないものは食べず、季節外れのものは食べなかった。切り方の正しくないものは食べず、ドレッシングが合わなければ食べなかった。酒は乱れるまでは飲まなかった」とあり、かなり食べ物(着る物もそうだったが)についてはうるさい人だったようだ。孔子は、身長が9尺6寸(220センチ)あり、みなが長人と呼んで驚嘆したとあるから、食欲も十分あったと思う。
 神の子も超人も食べなければ力が出ない、ということであろう。

 
 
 
 

2016年11月12日(土)
日限り日記

[姉のいない一年]
 昨年12月になくなった姉の一周忌が近づく。
 姉のいないことをこんなに寂しく感じるとは全く思いがけないことだった。
 私が小学校5年、姉が女学校2年の時に父が病死した。私たちは、励まし合って苦しい時を乗り越えてきた。わずか2歳、学年で3学年の違いだったが第一子の姉には何かと家の苦労が重くのしかかった。
 姉は高等女学校を出てすぐに就職し、家計を助けた。私は大学に進学して時には姉から小遣いをもらったりしていた。
 お互いに所帯を持ったあとは、会うことも少なくなったが、時には電話をして相談することもあった。私の二番目の子が難しい病気になったとき、権威ある先生にどのように会ったらいいか相談したことがある(今ならセカンドオピニオン制度があるので聞きやすいが当時はなかった)。姉はすぐ直接先生に電話して会う道を開いてくれた。実行力のある人だった。
 姉は口が悪かったから、私が死んだあといろいろ言われるかも知れないと思い、死んだあと余り悪口を言わないでくれと頼んだことがある。つまり姉が私よりも先に死ぬなどということは考えられなかったのだ。女の方が長生きだし姉は元気だった。
 電話で一声交わすだけで、お互いに言いたいことが分かる、そんな間柄だった。母と死別したときももちろんつらかったが、姉と別れて一年はまたそれとは別のつらい一年だったように思う。それはなぜなのだろう。真っ当に叱ってくれる人がいなくなったからだろうか。子ども時代を語り合う人がいなくなった、つまり、子ども時代がどこか闇の中に消えてしまったからだろうか。
 
 降る雪や姉の謦咳消え去らず
 姉の居ぬ初めての秋来たりけり
 
 

2016年11月3日(木)
日限り日記

[病院内ホテルレストラン]
 よく行く病院に帝国ホテルのレストランができたというので診察の帰りに寄ってみた。新聞によるとお昼時は長い行列が出来るとのことだったが、行ったのが午后の1時を過ぎていたためかそれほどでもなかった。
 新レストランは病院の最上階に当たる11 階にあって、南側一面の窓からは、新国立競技場予定地や神宮外苑や赤坂御所などの緑も楽しめる。新国立競技場予定地は全面土のグランド化していた。真ん前が絵画館である。まだ銀杏並木は色づいていていなかった。
 客は見舞客がほとんどのようだったが、病院のレストランらしく、点滴の車を引いている人もいた。テーブルの配置がゆったりとしていていかにもホテルのレストランらしい雰囲気がある。帝国ホテルの伝統の味とサービスを気軽にお楽しみいただける、質の高さとカジュアルさを兼ね備えたレストランを目指すとのことだった。
 信濃町付近には明治記念館とか千疋屋レストランとか、ちょっと一休みするには良いところが多い。この病院内ホテルレストランはどうだろう。7月にオープンしたばかりのためかまだ落ち着ける雰囲気にはなっていないように思えた。もっとも病院は用事が済めばさっさと引き上げたい気持ちにさせるところではあるが。




2016年11月1日(火)
日限り日記

[年齢によって大切なこと]
忘れないために書き記しておくアメリカンジョーク。

「三歳のとき大切なことは、おしっこを漏らさないこと。
十歳のとき大切なことは、友達を作ること。
二十歳のとき大切なことは、上手にセックスをすること。
三十歳のとき大切なことは、金を稼ぐこと。
四十歳のとき大切なことは、金を稼ぐこと。
五十歳のとき大切なことは、上手にセックスをすること。
六十歳のとき大切なことは、友達を作ること。
七十歳のとき大切なことは、おしっこを漏らさないこと。」
(東山彰良「老いを忘れさせるもの」(日経新聞2016.10.14「プロムナード」より)

 東山は、このように老いは恐ろしい、どうしたら日々老いの足音におびえて暮らさずにすむかを考えた、と言っている。そして解決策は孔子が「論語」で「学問が好きで、学問に打ち込んでいるので、老いの訪れに気がつかない」と言っているのを教訓として、何かに打ち込めば老いを忘れることが出来る。自分の場合は小説を書くことだと言っている。
 しかし私は二つ疑問がある。一つは、このジョークから、老いは恐ろしい、と読めるだろうか。若い人はそう読むかも知れないが、老人は、結局人間というものは所詮その程度のものだと己を笑い飛ばしている、と読むだろう。
 もう一つは、本当に何かに打ち込めば老いを忘れることができるのだろうか。「論語」には、そうありたいがなかなか出来ないというのをあたかも出来るように書いているものも多い。打ち込む力に老いを感じてしまうというのが自然ではないか。
 まあ、理屈はともかく、このジョークの中味には私は全く同感です。三歳と十歳のところまでしか合格していないと思うが。