2016年10月29日(土)
日限り日記

 [心を整える]
 睡眠時無呼吸症候群と診断されて2年以上経つ。一時間に40回以上無呼吸か低呼吸の回数があるという診断だったため、CPAPという加圧マスクを付けて夜寝ることになった。
 クリニックでこの効果を一ヶ月に一度調べてもらう。器具に付けたSDカードからデータを読みとる方式なのだが、今のところ1時間に無呼吸低呼吸が4回ぐらいになっている。これは正常者と同じだそうだ。
 クリニックの医者は、呼吸器科、循環器科、精神科で、患者は医者をその都度選んで良い。普通は、CPAPコンプライアンスサマリーという紙を渡されて、一日5時間以上CPAPを着けて頂いているので合格です。指標は4.5回で良好です、などと言われるだけである。
 いままでは呼吸器科の先生に会うことが多かったが、前回精神科の先生に会って、心の持ちようで夜トイレに起きる回数を減らせないか相談してみた。そこで、「マインドフルネス」という方法をお薦めします、と言われた。
 今回は、第二回目。
私「マインドフルネス」を毎晩寝る前に3分間やっています。でもトイレに起きる回数は変化がありません。外を歩くとき、時々頭と身体がクラクラフラフラするときがあるのですが、そんなとき「マインドフルネス」で頭の雑念を払い、今の自分だけに集中すると、クラクラフラフラが解消することが多いです」。
先生「それはマインドフルネスの典型的な活用方法です。足がしっかり地に着いた歩きが出来るようになるのです。「マインドフルネス」は禅やヨガから来た方法なのですが、禅には「歩く瞑想」という方法があります。私は禅宗の僧侶で禅修行の経験があります。最近初めて「心の整え方」という本を出版しました」。
 三十歳台の大学の精神科をでた医者が、お寺の住職もしてるとは驚いた。
この年になっても心の整わないことの多い私としては、今後この先生のお世話になることが多いのかも知れないと思った。

2016年10月27日(木)
日限り日記

 [秋の新宿御苑]
 秋の新宿御苑を歩いてきた。いま見どころはと聞いたら、薔薇、石蕗、十月桜だというので、そこを巡ったが、取り立てて言うほどのことはない。石蕗もこんなに立派なものがこんなに沢山あると却って興ざめだ。石蕗はやはり、「静かなる月日の庭や石蕗の花」(高浜虚子)がいい。
 久しぶりに晴れた秋空だった。富士に初冠雪があったというニュースがあったが、下界は今日は夏日で暑い。空にももやがかかっているような感じで、透き通った秋空ではない。
 新宿御苑というと巨木で有名だがどうしてここにこんなに多くの巨木があるのだろう。
 スズカケノキにこんな説明が書いてあった。この木は自然樹形のままである。スズカケノキは、何も手を加えないとこんなにも大きくなる。表入口にあるスズカケノキの並木と樹齢は同じなのだが、並木の木が小さいのは、毎年枝を剪定しているからである。
 なるほど。それにしてもずいぶん違うものだ。何時か山で金木犀の巨木を見たが、それも同じことなのだろう。
 今日の収穫は、慶応病院の入口のところで「飯桐」の実を見たこと。これからますます赤くなるそうだが立派な実が沢山付いた大きな飯桐である。
 
 信濃町飯桐の実の赤赤と
 

2016年10月25日(火)
日限り日記

 「かなぶん連句会」
 体調が戻ったので、港の見える丘公園神奈川近代文学館で行われる「かなぶん連句会」に出るため家を出た。
  「かなぶん連句会」では半歌仙18句のうち6句は選者3名によってすでに作られている。参加者(60人ぐらいか)は残り12句の作りに参加する。つまり12回句選びの場がある。
 長谷川櫂が各場ごとに第一次選考で予選6句を選び、辻原登、小島ゆかりがその中から一句を決める。そして次の場へと進む。
 初参加の去年の連句会では即興で出した句で2句が採用になった。今年は句をいくつか用意したため、もっと良い結果がでるかと期待したが、却って用意した句に縛られてしまって、連句に必要な当意即妙の句が思い浮かばない。
 用意した句は全て捨てることにしたが、一句の締め切りは3分である。用意した句から完全に頭を戻すわけにはいかなかった。
 それでも私の出した句は予選に4回通った。しかし本選では歯牙にも掛けてもらえず、全て敗退した。
 口惜しいから予選に選ばれた句を書き残しておく、本選で選ばれなければ紙屑なのだが。
 「君には君の僕には僕のボブ・ディラン」
 「極薄のヒートテックで君を待つ」
 「引退の胴上げ中に眠りこけ」
 「ハルキスト善男善女ばかりなる」
 
 去年採用された2句は77の短句ばかりだったのが気になったが、今年予選を通ったのはみな575の長句だった。わずかによしとするところだ。
 辻原、小島両氏の選考基準は、僕のようなおちゃらけでなく、もっと連句的に正道を行く「わび・さび」「あそび」「かるみ」「はなれ」などのあるものばかりだった。本人たちの作った句は、「ドローンかな?北京秋天筋違に(登)」、「イケメンゴリラに逢ふ夏休み(ゆかり)」など少しおちゃらけだと思うが。
 この年になってこっそりと予習をするようなケチな己に天の鉄槌が下った。来年もし参加する気になったら、準備せずにその場勝負で行くとしよう。
 
 

2016年10月22日(土)
日限り日記

 [木曽義仲の最後]
 俳句会の兼題に「栗」が出た。ありきたりの栗の句では面白くない。栗の産地の木曽とか、球磨とかを詠み込んだ句が出来ないか、いろいろ考えていた。
 その時に突然、木曽義仲の句が詠めないか、と思いついた。
 平家物語の木曽義仲のところを拾い読みしてみると、「義仲は木曽谷で育ち木曽義仲と言われた。平氏打倒の呼びかけを受けて挙兵し、平氏の大軍を破る。その後源頼朝軍勢に追われ、粟津で戦った。最後は幼少からの友人の今井四郎兼平と二人だけになり、兼平に自害を勧められ、松原に向かう・・・・・」。
 そこまで平家物語を読んで、
 
 木曽殿のお腹召されし栗の山
 
 と詠んで提出した。木曽義仲は育ったのも木曽の栗の山の中だが、自害したのも栗の山の中だった、という哀れな末路を詠んだつもりだった。
 句会の席上での先生とのやりとり。
 先生「お腹召されし、とは何ですか。義仲は討ち取られたのではないですか」
 私「打って出ようとしたところを部下に諫められて、自害したはずですが」
 先生「いや、琵琶湖の湖畔の粟津で、討ち取られたはずです。自害さえ出来なかったのです。義仲の最後を悼んで、芭蕉は没地近くに開かれた義仲寺に、自分を葬らせたのです」
 私「ええつ。「粟津」ですか。私は「栗津」と読み間違えていました。それで栗の山にしたのですが・・・・・・・」
 先生「よく調べてみてください」
平家物語を読み進めると、自害するために松林に向かった義仲は馬が深田に入り身動きがとれなくなる。兼平はどうしているだろうと振り返ったその瞬間、眉間に矢を射られ討ち取られる。

 お腹召されし、も間違い、栗の山、も間違い。生兵法は怪我のもと。
 




2016年10月21日(金)
日限り日記

「立軌展」
 上野の東京都美術館で開かれている第69回「立軌展」に行った。この展覧会は妻の絵の先生が展示するので、毎年出かけて数年になる。
 先生の絵は、一目で分かるようになった。今年の絵は書斎を描いた絵だったが、紺色と赤と焦げ茶の使い方が見事で、60号という大作だから到底無理だが、購入して自分の書斎に懸けておきたくなった。
 この会は専門の画家の会らしい。初めは7名で発足したらしいが、今年は50名ほどの画家が大体2作品ぐらい展示していた。人数が多くないから、数年通っていると妻の先生の絵以外になじみの画家が出来てくる。今年はどのような絵を出されているか見るのも楽しみである。
 絵には題名が付いている。「花」「成人式」「初秋の街路」「チュ-リップ」「雲の峰」「葡萄畑」「「空蝉」「沈める月」など、俳句の歳時記の季語にあたるものが半分ぐらいある。もちろん「港」「二人」「「無題」とか季語に全く関係のないものもあるが。
 同じ東京都美術館ではいま「ゴッホとゴーギャン展」が行われている。もちろん有名な絵を見ることも良いが、大体は暗い部屋でスポットライトの下で見ることになる。「立軌展」のように、思いっきり広く明るい会場で、ゆったりと絵を楽しむことも健康的で悪くないと思った。



2016年10月14日(金)
日限り日記

[黒子の手術]
 何時も行く皮フ科は男の老先生一人だったが、最近は若い女性の先生と曜日によって分けている。どうやら院長先生は年をとりすぎたようだ。
 この院長先生は私と同じぐらいの歳なのだが、大体は黒子も湿疹も加齢のせいで仕方がない。放っておきましょうと言う。私もできていますよと。
 若い女性の先生は、原因を言って処置しましょうと言う。どちらが正しいか分からないが、若先生の方が混み合う。若先生の皮膚がきれいなせいか、特に若い女性患者が多いように思う。
 最近若先生に顔の黒子を相談したら(私は若くはないが、若い先生だけに新しい情報に詳しいと思われるので)、悪性ではありませんが、放っておくと10円玉ぐらいになりますから今が最後の機会です、取ったほうがいいと思います、と言って、ドライアイスで焼いてくれた。それを二回ぐらいやって、後は様子見ということになった。
 請求書をみると「手術1282点」となっている。棒の先に脱脂綿を丸めたものでじっと焼かれて自己負担が3800円、保険負担を含めて12,800円の手術である。ひょっとするとメスを使った手術と同じ金額なのではないだろうか。
 ケチなことを言うつもりはありません。身体に侵襲負担がないだけドライアイス法はありがたい。
 でもこれを手術と言われるとちょっと違和感がある。それとも焼き方に技術があるのだろうか。
 
 
 


2016年10月12日(水)
日限り日記

 [日本書紀「孝徳天皇紀」]
 今受講している日本書紀50講は、講師が日本書紀の中で一番面白いと言った「乙巳(いっし)の変」すなわち中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿暗殺、を終えて、「孝徳天皇紀」に入った。女帝皇極天皇は実子中大兄皇子に天皇の位を生前譲位しようとするが、辞退されて自分の弟、すなわち中大兄皇子の叔父の孝徳天皇に生前譲位した(645年)。
 孝徳天皇は中大兄皇子らと相談して「しきりに詔勅を下した」。646年に発せられたのが有名な「大化の改新」の詔だが、発せられた二十いくつかの詔の中で、国司(朝廷から地方に派遣された地方官)に与えた詔が面白い。曰く
1, 汝ら任地に赴いたら、戸籍を作り田畑を調べよ。
2, 土地や用水の利得は百姓がともに受けられるようにせよ。
3, 国司はその国の裁判権は持たない。
4, 賄賂を取って民を貧苦に落とし入れてはならない。
5, 京に上るときには百姓を従えてはならない。国造、郡領だけを従わせよ。
6, 国司の長官は従者は9人、次官は従者7人、主典は従者5人。
7, 名誉や地位を求める人は偽りがないかどうかよく調べよ。
8, 空き地に兵庫を造って刀、甲、弓、矢を集めよ。ただし、辺境にある者にはそれぞれに武器を与えよ。

などなどである。違反した場合の罰則も厳しく決められている。
 今でも公務員の服務規律としてそのまま当てはまるようなことが詳しく書かれている。詔の内容は中国や朝鮮からの輸入であるかどうか講師に聞いたところ、それもあるだろうが、ほとんどは様々な政治経験を経て作り出された我が国独自の法ではないか、とのことであった




2016年10月9日(日)
日限り日記

 [鷹の渡り]
 久しぶりに鎌倉に行った。
 まず鷹の渡りを見に。江ノ電鎌倉駅でどこに行ったら見られるかを聞いたら、鳶ならあちこちにいるが、鷹は聞いたことがないというので、とりあえず稲村ヶ崎に向かった。ここの駅で聞いても鎌倉駅と同じ答え。少し不安になりながら海岸に出たら、いました、鷹の渡り観察グループが。
 新田義貞の碑のあるところで十数人が空を見上げていた。リーダーとおぼしき人のそばに行って、彼の言っている言葉に耳を傾けた。でもなかなか彼の指し示す方に鷹は見つからない。何人かは見つけて、いたいたという。そのうちやっと私も見つけました。
 鷹は大体一羽で行動していて、ここには、三浦半島、房総半島、茨城辺りの鷹が個々に来る。それが渡るための風を求めて結果として群れになるという話だ。鷹の種類は、サシバ、ノスリ、ミサゴ、まれにチゴ。
 午前中と午后で数は関係がない。時期はもう終わりだということだ。
 ここで見られたのは一羽が空高く東から西、三浦半島から富士山の方へ向かうという姿で、何時かテレビで見た20羽ぐらいの群れで峠を越えてゆく信州白樺峠の鷹柱とか、芭蕉が渥美半島で詠んだ「鷹ひとつ見つけてうれしいらご崎」のような海を越えていくような渡りはイメージできない。
 それでも初めてその姿を見たので嬉しかった。記録を付けている人の話だと、その日は朝から午後の1時まででサシバが85羽渡って行ったそうだ。私はそのうちの2羽を見たことになる。
 ついで、長谷寺から、高徳院の鎌倉の大仏へ。2ヶ月ぐらい補修のため休んでいたはずだが、外見上大仏に全く変化はない。光則寺で藤袴を見て、光則寺の入口のジェラート屋でカラメルのジェラートを食べた。
 
 
 
 

2016年10月7日(金)
日限り日記

 [崖地の開発]
 私の住んでいる家から500メートルぐらい北に行くと高台が終わりになっている。そこからは視界が180度開けていて、西北の秩父山脈、北の東京スカイツリー、東に羽田空港、南東に横浜ベイブリッジが一望できる。遠くは隅田川、近くは多摩川・鶴見川や横浜港で行われる花火大会も、現地に行かないでここから楽しむことが出来る。
 今から6ヶ月ぐらい前のある日、この高台の崖の上に、巾2メートル高さ1メートルほどの標識が立てられた。そこには「横浜市開発事業の調整等に関する条例に基づいて標識を立てる」と書いてあって、6戸の家を建てるためこの崖を開発するという開発の計画図面が貼り出された。この条例とは「地域住民への周知等の手続、地域まちづくり計画への配慮等横浜市との協議の手続、整備すべき施設基準及び都市計画法に基づく開発許可の技術基準を定める」ものとのこと。要する開発を円滑に行うために近所の住民の意見を聞く手続きを定めたものらしい。
 私にとっては単に眺望がなくなるという問題だが、近所、特に崖の下の100軒以上の住宅には大きな影響が出るような場所である。横浜は山と谷の多い町だから崖崩れの起こりそうな場所が多く、市が調査しているという記事を読んだことがある。調査するよりもむしろ危険な崖の新規開発を禁じる方が先ではないかと思ったことがあるが、この場所はまさしくそれにあたるのではないか。
 我が家はこの開発の影響の埒外なので、開発業者がその後近所の意見をどのように聞いたかは分からない。上の条例を読むと、近所が反対した場合、何度も対策を立て直して説明会を行い、結果を市に報告するようになっている。開発に反対があった場合、開発が不可能になるわけではないが、かなり時間と労力がかかると思われる。
 二、三日前、標識板から開発計画図面がはがされて、代わりに下のような紙が貼られた。
 「開発事業廃止のお知らせ  この標識は開発事業調整に関する条例に基づいて設置したものです」
 どうやら開発は中止となったらしい。それがどのような原因であるかは分からないが、それが一番いい解決だったのであろう。私にとっても引き続き眺望を楽しむことが出来るのはうれしいことだ。
 
 
 
 

2016年10月5日(水)
日限り日記

 [極楽の余り風]
 久しぶりに晴れた10月2日日曜日、神奈川近代文学館で「季語と歳時記の会」の講演会と句会が行われたので参加した。今回は、詩人の高橋順子さんの「風の名前」という題の講演である。高橋さんはすでに「雨の名前」「花の名前」「月の名前」などの本を出されているそうだが、私は「水のなまえ」という本を持っている。まあ、面白かったのはこの本よりも亡くなったご主人の車屋長吉さんと行った「四国巡礼」エッセイの方だったが。このエッセイは車屋さんが書いたもので、どこかの雑誌に連載されたのを読んだ。小説家と詩人の面白い旅の記事だった、結構尾籠な話も多かったが。
 風の名前では「鮎の風」「いなた」「玉風」「不通坊(とうせんぼう)」などという名前を知った。高橋さんは九十九里の町で生まれ育ったとのこと。穏やかな、のんびりした雰囲気を漂わせておられたが、詩人というと宮沢賢治や島崎藤村(ふるい!)のように厳しい環境で育った人を思い出すので、意外だった。もっとも、高橋さんの詩は読んだことはない。
 講演に続く句会では、講演に出た「極楽の余り風」を詠んで
 
 金木犀湯に極楽の余り風
 
 というのを出した。露天風呂に入っていたら金木犀の香りがした、というのを詠んだつもりだったが、少しいろいろ入れすぎているかなという気はした。
 互選の得票は一票のみで、選者の長谷川櫂先生、高橋順子さんには選んでもらえなかった。
 「極楽の余り風」で先生方に選ばれたのは
 極楽の余り風くる秋昼寝
 極楽の余り風の中端居かな
 であった。確かに私の句よりすっきりしている。
 
 私の句は
 金木犀とは極楽の余り風
 極楽の余り風とも金木犀
 でよかったのだろうか。どちらもだめなのであろうか。
 帰りは「港の見える丘公園」から山手通りを通って代官坂を元町に下りた。金木犀がよく香っていた。
 



2016年10月3日(月)
日限り日記

 [母校「漱石の妻」に「出演」]
 NHKで放映されている「夏目漱石の妻」を見ていたら、第二回目に、撮影協力「茨城県立土浦第一高等学校」と出ていた。漱石が旧制第一高等学校の教授をしていた場面に使われたのだろう。
 この旧制土浦中学旧本館は明治37年の竣工。全体としてはゴシック様式を基にしたドイツ風の建物で、正面は三連のアーチ、アーチを支える柱はギリシャ建築の三様式の一つであるコリント派の建築物であり、アカンサスの葉をモチーフにした柱頭に特徴がある。入り口の扉はエゾマツを使用した重厚な作りで、観音開きである。天井高は5mある。館内には明治時代から使われていた校長や教員の机が保存され、生徒用の机と椅子が一体化した授業用机のレプリカもある。今国の重要文化財になっている。私はこの学校の卒業生なのだが、在学時代にこの旧本館に特別な印象を持ったことはなかった。今は外部の者に見学をさせたり、映画やテレビのロケに使ってもらったりしているらしいので、機会があれば改めて見てみたい。
  さて、漱石の妻がどのような妻であったかは、二つに別れている。一つは漱石自身が日記に書いた妻で、漱石は妻に対し事前にお伺いを立てないとか、言葉遣いがなっていないとか、時機をわきまえなく申し出るとか、毎日按摩をとるとか不愉快の極みだと書き連ねている。
 もう一つは、漱石の妻夏目鏡子が「漱石の思い出」で述べた妻で、これに依れば自分も朝寝坊の癖はあったがそれ以外は普通で、むしろ漱石は強度の精神病を患っており、発病中は手に負えなかったが、病が静まると実に良い夫であり父親であったというものである。

 漱石の言い分には弟子の小宮豊隆がその通りだと言い、鏡子の言い分には、長女筆子、二女の恒子、二男の伸六が支持している。
  このNHKの「夏目漱石の妻」は妻鏡子が述べた「漱石の思い出」をもとにしているから、少し鏡子を良く書きすぎているかも知れないが、そのほうが視聴者には受け入れられやすい。漱石は何があっても日本第一の文豪である。漱石自身の日記のようにぼろくそに言われたら妻はたまらない。漱石も文豪ではあるが悩み多い人間であることが分かって、この番組を見てますます漱石が好きになったという人が出てくるのではないか。
 でも子どもたち、特に病状のひどかった時の父を見ていた幼い長女二女の「証言」は、子どもの受けた衝撃が常にそうであるように、少し強く残りすぎているのではないか。
 私も二人の娘がいるが、若いときの私が怖かったという例示に二女が上げるのを聞くと、私が長女にしたことを自分がされたと思い込んでいるふしがある。子どもはあるところまで、自分と他者を分けられない時期があるから、喜びも悲しみも何倍かに感じるはずだ。まあ、子どもの受けた感じを今更取り消すことは出来ないが、私は漱石に幾分か同情する。
 



2016年10月1日(土)
日限り日記

 [カタカナ表記]
 現在、カタカナの最大の用途はヨーロッパ系の外来語の表記だろう。原子物理学から自動車、服装にいたる様々な分野で使われていて、「カタカナ語の乱用はつつしみましょう」でくいとめられる事態ではない。無理にくいとめればマイナスの方が大きいだろう。ということから、むしろ、同音異義や異音同義の氾濫を防ぐために、カタカナの表音能力を広げる工夫が必要だという人さえいるほどだ。例えば、ワの濁点、ヰの濁点、ヱの濁点を使用するなど(永川玲二 「意味とひびき、日本語の表現力について」(日本文学全集「日本語のために」)より)。
 上に書かれた分野とか最近のIT分野などの専門分野のほかに、日常用語ではセックス用語がそうだ。セックス、キッス、ペニスなど漢字の表記はなかなかお目にかかれない。
 そうではあるが、最近どうしても「乱用をつつしみましょう」と言わざるを得ないほどカタカナ語の乱用がひどいと思う。特に今年は踊り場にあると言って良いのではないか。昨日見たBSフジのプライムニュースは「五輪の費用」という題で、出演者は都政改革本部上山信一、スポーツ評論家鈴木和幸、政治家片山さつき氏で、内容はとても充実したものであったが、大切なところでカタカナ語が飛び交う。曰く「レガシー」「ワイズスペンディング」「都民ファースト」。あげくに番組の締めくくりに出演者が書いた「私の提案」は、上山だけが日本語で「子供たちのための改革」で、あとの二人は「サスティナビリティー」「クリーン・アンド・ガバナンス  レジリエンス」。ちなみにレジリエンス(resilience)とは、「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」などとも訳される心理学用語だそうだ。レジリエンスは知らないが、どれも今使われている日本語で十分通用すると思う。「文化遺産」「賢明な支出」「都民第一」「持続可能」「清潔さと統治能力」。
 どうして急にこうなったか。私は小池東京都知事に責任があると思う。非常に豊かな語学の才能をお持ちだからすらすらと抵抗なく美しい日本語のように外国語が口に出る。石原慎太郎の下手のカタカナ言葉とは違う。そうか、このようにかっこよく使えばいいのだなと思わせてしまう。
 とりあえず、政治家とか官僚がカタカナを使うのは遠慮してもらいたいと思う。片山さつきが「クリーン・アンド・ガバナンス」「レジリエンス」などと言う必要はない。引退してどこかのコンサルタント会社に勤めて「クライアント」を煙に巻くときに使ってもらいたい。政治家は有権者を煙に巻くのがなりわいだと思っているのなら別だが。