2016年8月29日(月)
日限り日記

 [図書館]
 7月1日に頼んでおいた「老生」(買平凹)の日本語翻訳本(吉田富夫訳)が準備できたと、横浜市立綠図書館からメールが来たので二つ隣り駅の図書館に取りに行く。7月1日に借用を申し込んだら5人待ちぐらいだった。その間、原文を読み進めることが出来たのでちょうどよかった。
 中国語の現代小説は、先ず原文を読んで分からないところに印を付けておいて、翻訳本があれば翻訳本で、なければ中国語の先生に質問するという方式をとっている。この方式で今まで30冊ぐらい読んできた。この方式だと分からなくてもかまわないところは読み飛ばすことが出来るし、翻訳本を読んでも文の構成が分からないところは先生に聞けるし、万事都合がよい。翻訳のプロの翻訳は流石だし、ときには中国人の説明と違うところがあるのも、却って面白い。
 紅葉坂にある神奈川県立図書館や野毛坂にある横浜市中央図書館は読書室も落ち着いているので周りの景色を楽しみながらそこで読むのも楽しいが、綠図書館は本の倉庫のような感じで、味気ないので家で読む。
 翻訳本は全文を読むのではなく、分からないところを見るだけなので、買うよりもあるなら図書館で借りることにしている。区の図書館になくても、別の区の図書館にあれば取り寄せて準備完了の連絡をメールでもらえるのでとても便利だ。図書館に行くと本を借りたり返しに来る人はとても多い。便利なのはありがたいが、これでは本は売れないだろうなと心配もする。


市立図書館から幽霊を順番で





2016年8月26日(金)
日限り日記

 [自費出版]
 今家の歴史を書いている。最後の纏め方について、実際の例を見ておこうと自費出版を専門に扱っている出版会社を訪問した。ここは以前2005年から9年にかけて「ベルリンからの手紙」を出版してもらったところで、知り合いもいる。
 制作部や営業部など総勢で20人ぐらいはいるだろうか。思ったよりも多かった。自費出版の件数は増えているのでしょうね、と聞くと、増えてはいるが出版をする会社はそれ以上の割合で増えている。本と言ってもコピーのような簡単なものから豪華本まで、多様化しているし、出版を手伝う会社も大手から、一人でやっているとことなど多種多様であるとのこと。
 家の歴史の実例を見せてもらったが、なるほど簡単なものから立派な装丁のものまで多様だ。その会社でもどんな形式のものでも取り扱いますとのことだった。
 家系図のような図面をどのように本にしたらいいのか、いろいろな大きさの写真をどうするかなど、技術的なことを伺って帰ってきた。20家族、400人の家系図を見せたら、良くこのような資料が集まりましたね、と言われた。言われてみればそうかも知れない。やはり何れ纏めてみようという関心があったからなのだろう。
 今日得た自分なりの結論は次のこと。
 家の歴史と自分の歴史は分けて作る。「家の歴史」に「自分史」を入れると、後世の人が結局自分のことを宣伝するために家の歴史を編んだのではないかと勘ぐるかも知れない。
 家史はなるべく客観的に(と言っても物語風にはなるが)。贈り主は親戚。家史に出てくる人の後裔の方たち。
 自分史は、自選俳句、自選エッセイ、自選論文(挨拶文)など。簡単な装丁で、贈り主は子供や孫などに限る。



とつおいつ九段坂下寿司の店





2016年8月24日(水)
日限り日記

 [病院の変化]
 6ヶ月に一度の検診に大学病院の血液内科を訪ねた。私は症状はないのだがデータをとると血小板の数が少ない。そこで定期観察になっているのだ。
 「出血はありませんね」とドクター。
 私は先生の問いを無視して、「実は今年の3月に体調を崩して、それ以来エリキュースとクレストールという薬を常用するようになりました」と言った。これは血小板数に関係するかも知れない薬なので、今日どうしても先生に伝えなければならない情報として、心に刻んでいったものだ。
 「それは分かっています。ですからその結果出血はないですねと聞いているのです」と先生は怒ったように言った。はて、前回会ったのは2月だから先生は知っいるはずはないのだが。
 恐る恐る先生の見ているパソコンを見ると、そこに赤字で薬の名前が書いてあるではないか。この話をしたのは先月泌尿器科で話をしたことがある。すると、カルテは各科共通で見られるように変わったのか。
 私は「出血はありません]としおしお答えた。
 「それならけっこうです。では次回6ヶ月後にお会い致しましょう」というようになった。1時間半かけて病院に行き、1分間叱られ、1分間次回の予約をする。
 多分カルテの各科共通利用は、二三ヶ月前から行われているのだろう。先生と患者の間にちょっと理解のずれがあったのだと納得しよう。それにしても病院の患者情報利用の仕組みは、ものすごいスピードで改善されている。病院のためではなく、患者のために良い方向に向かっている。おそらく病院も大競争時代になっているのだろう。


人体は真葛が原
の未知ならめ







2016年8月22日(月)
日限り日記

 [蝉捕り]
 孫が来たので、近くの公園に蝉を取りに行った。今の時期蝉は最後の機会を必死に求めていて、人間ことなどかまっておられない。懸命に相手に迫ってのそのそと歩いている組も何組かいた。油蝉、羽根の透き通ったミンミンゼミなど。小学校一年生の孫でも簡単に捕まえられるぐらいの高さまで降りてきている。
 虫取り網は持っていなかったが、帽子で簡単の捕れてしまう。捕った蝉は写真に撮って、後は逃がしてやる。捕まえられたショックが残って、相手を見つけられないというような性的不能にならなければ良いが。
 子供によっては、抜け殻をおそるおそる持つぐらいしかできない者もいるから、平気で蝉を捕まえられる孫は、同じ年代の子供のなかで公園の英雄だ。
 幼稚園で将来は虫売りになると言ったぐらいに、孫は虫が好きで詳しい。おじいちゃん、蝉はカメムシ目なのを知っているか、などと聞く。もっとも孫は、虫が平気なものだからどんどん草むらに入っていくために、何時も足が虫に食われている。これはうっかりすると内臓の病気の元になると聞いたことがあるのだが、注意しても意に介さない。これはこれで困ったことなのだが。



蝉捕りし爺の自慢もこの夏まで







2016年8月19日(金)
日限り日記

 [廃人防止]
 ご近所に私と同じ年ぐらいの男の老人で、毎日犬を散歩されている方がいる。最近「まだお勤めですか」などと聞いてくる。「いやあ、とっくに退職しました」というと、「いいですなあ悠々自適で」と言う。はて、まだお勤めなのだろうか。
 そのうち奥さんに会ったら、夫はすこし認知症気味になりました。もし、道に迷っていたら、連れてきてください、と言われる。承知しました、と答えておいた。
 しばらくして、夜救急車が来た。肺炎で高熱が出たため入院したという。入院が一ヶ月を超えたので長いなあと思っていたら、やがて退院された。まもなく介護の車が何台か現れて、いろいろな設備が運ばれてきた。最近ではお風呂のサービス車が来る。
 つまり、痴呆気味とは言え元気で犬を散歩させていた方が、入院を契機に、寝たきりになってしまったということだ。
 私も先日15日間入院したときに、何日かはベッドから降りてはいけないと言われた。これでは足が萎えてしまうと不安を訴えたら、あとでリハビリのスケジュールが組み込まれているから大丈夫だという。しかし、いざリハビリとなったらそれはごく量の少ない体操のような代物で、とても生活に必要な力が付くとは思えなかった。
 病気の治療は、要注意だ。病気は治っても動けないようなことになってしまう。どちらを採るかは本人の選択だろうから、よほどしっかりしていないといけない。



お隣の姉妹の秋日傘







2016年8月16日(火)
日限り日記

 [8月の句会]
 所属結社の8月の句会に出た。8月は、俳句ではもう秋なので、席題(その場で出される季題)も「落ち鮎」「数珠玉」「爽やか」と秋になっている。
 席題以外の句もいいのだが、8月はどうしても戦争がらみの句が多い。今年はオリンピックの句も加わった。
 私は先日の天皇の「生前退位」を示唆されるお言葉を聞いて
 
 たつた一人の夏の反乱スメラミコ
 という句を用意した。「反乱」というのは、現憲法や現皇室典範に対して問題提起をされたと思ったからである。「たった一人の」というのはおそらく取り巻きは全員あのような形でのご意思の発表に賛成しなかったのではないかと推察したからである。テレビの前でも、お一人で国民に訴えているという印象を受けた。
 したがってこの句には特に問題はないと思うのだが、最後の最後に提出することがためらわれて、結局別の句と入れ替えてしまった。
 今では自分の勇気がなかったと思わざるを得ないのだが、どうしても天皇や皇室のことを句にすると不敬であると言われそうな気がして怖じ気づく。日本神道の祭主を冷やかしているのかと叱られそうな気もする。
 自ずから慎み深くする必要はあるにしても、自由にものを言えない感じがあるのはなぜだろう。



この村も誰彼戦死敗戦忌

 




2016年8月13日(土)
日限り日記

 「コンビニ人間」
 今年度芥川賞を受賞した「コンビニ人間」(村田沙耶香)を読んだ。
 小さいときから常識を知らない変人扱いされてきた私は三十歳代の独身女性、コンビニのアルバイトである。そこに実力がないのにひたすら世の中を怨むダメ男が勤めるが、すぐ首になる。女は偶然の出会いからその男を自宅に住まわせる。そのことで両親とか友人は、やっと男に巡り会って落ち着いたかと祝福する。男は働かずアルバイトの主人公に食べさせてもらいながら、一緒に生活することで女の世間体のために役に立っていると言いつのる。女は高給を得るためにコンビニを止めて仕事を変えようとするが、結局自分に一番合っているのはコンビニ勤めだと思い直す。
 このような社会の常識からはずれた考えをする人は、決して特殊でなく今も昔も普通にいただろう。昔はひっそりとしていたが、今はそういう生き方もあるのよと堂々と小説の主人公になる。
 面白いとは思ったが、感動はしなかった。
 選評を見ると、9人の選考委員で積極的に推している人は7人で二人はむしろ嫌悪しているようでもあった。
 作者はコンビニに勤めているということだった。だから生き生きと書けているようだが、このような薄給に甘んじている人が多いという社会構造は、事実としてあるのは仕方がないが、もっといい社会になって欲しいと思う。三十代の女性の部屋に居候して、あなたの世間体のプラスになっているなどと言う男がいることは、面白いかも知れないが実に不愉快である。
 この小説に賛成しなかった選考委員の意見を読むと、小説としてというよりも、このような社会を肯定的に書いているのがいやだと言っているような気がする。私もそうである。


秋の野やコンビニ弁当うれしさう

 
 
 

2016年8月11日(木)
日限り日記

 「生前退位」
 読売新聞の調査だと今回、天皇陛下が国民に向けたビデオメッセージの中で「生前退位」の意向を示唆されたことに就いて、現在は認められていない「生前退位」が出来るように制度を改定すべきだと思う人は81%に上り、改訂する必要はないの10%を大きく上回っているという。「生前退位」を「今後の全ての天皇に認めるのがよい」との回答が80%に上り、「今の天皇だけ」は14%だったそうだ。
 ご老体でありながら、災害地の慰問や太平洋戦争激戦地の訪問をされている姿を見て大変だなと思う人が圧倒的に多いのであろう。
 その昔は天皇という地位を巡って、「壬申の乱」のような親族の間の血なまぐさい争いが何度かあった。今の皇室典範は明治時代に出来たものだからその適用を受けた天皇は、明治、大正、昭和、今上とわずかに4代に過ぎない。それぞれ天皇が天皇という地位についていろいろ悩まれたような跡が残っている。昭和天皇は戦時中、自分が軍の方針に強く反対すると軍によって退位させられて、弟宮に天皇の地位を譲らされるのではないかと恐れたという記事を読んだことがあった気がする。
 新憲法になった後、昭和天皇が仮に「生前退位」を示唆されたら国民の反応はどうだったろう。戦死者はみな天皇陛下万歳と叫んで死んだ。戦争の道義的責任上退位すべきだとか、戦死者のためにも生涯天皇として留まって霊を慰めるべきだとかいろいろ政治的な議論を生んだかも知れない。
 改定すべきだと思う人が81%であることもあって、新聞や雑誌も一様に改定賛成論者の意見ばかり載せている。みな急に優しい思いやりのある人になっている。反対の意見は言いにくい雰囲気になっているのではないか。お気の毒だという感情論でなく理性的に検討して欲しいと思う。



たつた一人の夏の反乱スメラミコ
 
 
 

2016年8月8日(月)
日限り日記

 [なやみのとびら―生のスポーツを見られない]
 今週の日経の「なやみのとびら」は50歳の女性の方の悩みで「スポーツを生で(テレビでもスタジアムでも)観戦できない。心臓がばくばくしてチャンネルを変えるか目をつむるありさまだ。助けてください」といものである。
 誠に恥ずかしながら私も同じである。テレビの観戦では贔屓のチーム(日本ナショナルチームや日本代表のオリンピック選手も)が負けそうになると、ハラハラドキドキして見ていられない。スタジアムでの観戦では大勢の中にいるせいか現実を受け入れられるが、テレビでは刺激的な実況放送もついているせいか到底見られない。妻も同じなので我が家はもっぱらあとで結果を知ってわいわいやっている。
 回答者は作家の石田衣良さん。回答の要点は「勝ち負けの二分法は卒業しよう」。説明は、「スポーツはいくら本気と言えども「遊び」。勝ち負けにこだわるあまり、スポーツにとってもっとも肝心な奇跡的な瞬間を見失ってしまうのは、あまりにもったいない。第一そんな調子では、スポーツを楽しむ鑑賞眼が成長していきません。なあに人生だってスポーツと同じように「遊び」みたいなもの。勝ち負けばかり気にせずに、のんびり人生というゲームをたのしんでいけばいいのです。勝っても楽しい、負けても楽しい。それがスポーツです」。
 人生のところは、私はすでにその域に達しているので心配ない。でもスポーツは別なのですね、勝ち負けにこだわってしまう。石田方式は考え方を変えるしかないのだが、私にはいまさら手遅れかも知れない。スポーツの技術を楽しむなら、大リーグや、プレミアリーグ、ブンデスリーグの放送がある。努力して石田さんの回答のように直せるのなら良いが多分だめでしょう。私が回答者なら、眼を伏せ耳を閉ざし結果を楽しむのもスポーツの楽しみ方ではないか、生のスポーツを見られないというのは、「高所恐怖症」のようなもので、
まあ直らないし、無理して直すまでもないのではないか、と言うことになるでしょう。


動画はダメ静止画で来い
秋桜
 
 
 

2016年8月6日(土)
日限り日記

 [自分の住み跡2]
 旧本籍のあった市役所から戸籍の付票が送られてきた。メモに、「昭和21年よりも古いものは現存しておりません」と書かれていた。
 送られてきた「住んだことのある住所」は9カ所である。昭和21年以前の住所は、出生地と一度の転居だから、容易に思い出すことができる。自分で住民票を移さなかったらしいところが一カ所あるから、生まれてこの方12カ所に住んだことになる。そこの全ての住所が地番と住所と定めた年月日を含めて全て分かったということは、素晴らしい。
 日本の戸籍管理方式に敬意を表したい。



2016年8月3日(水)
日限り日記

 [自分の住み跡]
 家の歴史を書いてきて、さて自分は生まれてこの方、いつからいつまでどこに住んだのかになると、大体は分かるが正確な日付、地番などは心許ない。調べてみると、戸籍の付票で分かるらしい。そこで区役所に聞いて見た。答えはこうだった。ここに本籍を移した後の住所は分かるが、以前の住所は前の本籍地で当たるしかない。戸籍の記録の仕方の改定で、電算化されたあとの記録は明確だが、それ以前が分かるかどうかは、地域の役所ごとに異なる。法的には付票は5年以前の記録は、保存しなくても良いことになっている。
 今のところに戸籍を移したのは3年前で、それ以前は生まれて以来、本籍は一カ所に固定してある。以前戸籍を置いていた市役所に電話で聞いてみたところ、申請があれば探してみる、極力遡ってみるとのこと。
 結果に期待しよう。分からなくてもかまわないことで手間をかけるのは申し訳ないが


山の上に嫁ぎ来し母雲の峰
 



2016年8月1日(月)
日限り日記

[夏の文学教室第二日目]
 昨日に続き読売ホールでの近代文学館主宰の教室に参加した。今日の演題は、松浦寿輝「文学の戦場―透谷、一葉、露伴をめぐって」、小池昌代「音読で聞く、樋口一葉の世界」、橋本治「明治の光」。お目当ては第1時限だったが、面白かったので今日も3時限聞いてしまった。
 松浦寿輝の講演では、文学とは外なる制度や自分のうちに住み着いた制度への戦いである。戦いのないものは新しさがなくつまらない。明治時代は書き言葉がラジカルに変化した時代である(話し言葉はそんなには変わらない)。その過程で古い文体の豊かなものを失った時代でもあった、ということを教えられた。
 小池の講演は、美しい朗読法で樋口一葉の作品を朗読しながら、一葉の擬古文、雅俗折衷文体は今の書き言葉に比べてわかりにくくはあるが、細やかな心の動きを表現が出来ていることを認識させた。
 橋本は、尾崎紅葉が死んで憑き物が落ちたように新しい文体をひっさげた作者が現れたこと(島崎藤村は「破戒」を持って上京してきた)、露伴は美しい擬古文によって作品を書いていたが、けっきょく1900年に入ると言文一致体の文章で書くようになった。新しい文体が成熟するまでには時間がかかる、などと述べた。

 二日間の話を聞いて、書き言葉で革命の起こった明治が、急に昨日のことのように身近に感じられた。
 言文一致体の文章は、絶えず変化する。平田オリザは次の変化は、比較的日本に特有な、男言葉と女言葉の融合ではないか、と言っている。
 女姉妹の私の子供は、中高は女子校に行ったのだが、今では突然男言葉で話したりしている。それをいやだなと思っていたが、次なる言文一致体を彼らはすでに実践し始めているのかも知れない。


苦闘する言文一致明治の夏