[夏の文学教室」
第53回日本近代文学館 夏の文学教室「文学の明治―時代に触れて」(読売ホール)に出席した。教室は25日から30日まで開かれているが、私が出席したのは29日だった。講師は平田オリザ「変わりゆく日本語、変わらない日本語」、佐伯一麦「小説を書きたかった男、石川啄木」、平野啓一郎「自由意思と「諦観」、鴎外文学の世界」だった。初めは初めの一時間だけ聞くつもりだったが、とても面白かったので結局全部聞いてしまった。
面白かった理由は、講師がみな実に上手に話を進め、論点を少しも外さないと言うことが第一。第二には現役の作家だけに我がことに引き比べての話もあり、生々しい話が聞けたことだ。
一番感動したのは平野啓一郎の話だった。私は鴎外の「高瀬舟」や「阿部一族」などを読んだときには、もっと他に道はなかったのかというどうしようもない焦燥感、欲求不満を感じて、鴎外の世界に就いていけなくなった。平野はそれこそ鴎外の世界観だという。世の中には理不尽でもどうしても逃れられないことがある。鴎外は自分の文学の基本は「諦観」である。逃れられないものは逃れられない。割り切れないものがあるのも人生で、それをそのまま書く、と言っているとのことである。しようがなかったのだと書く鴎外には、人間に対する優しさがある、と平野は言っていた。もう一度鴎外を読み直してみようかなという気持ちにさせられた。
しかし一番驚いたのは、読売ホールの1000人は入ろうかという席がほとんど満員であったことである。しかも、若い聴衆もかなりいた。明治は遠くなかりけり、の感がした。
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