2016年3月31日(木)
日限り日記

[眼鏡をなくす]
今のところ忘れ物はするがなくし物をするまでには到っていない。ところが、眼鏡だけは二度なくしている。一度は今から5年ほど前。書斎にいて夜近くのコンビニに買い物に行って、さてふと気がつくとそれまで掛けていた遠近両用の老眼鏡がなくなっていた。1時間以内に起きたことで詳細に行動を覚えていたので、懐中電灯でコンビニへの通り道まで調べたが、遂に行方不明になってしまって、今も出てきていない。
二度目は今回である。今回は、退院してパソコン用の眼鏡を使おうとしたら、いつも置いてある机の上にない。前回使ってから時間が経っているので、追跡するのも難しかったが所詮はパソコン用なので家の外には持ち出さないはずだ。小さな家なので家中くまなく探したが、遂に出てこない。視力検査はものすごく体力を使うので、出来ればやりなおしたくないし、買ってからあまり時間が経っていないほとんど新しい代物なので、使うことが出来ないのも口惜しい。
どこに消えたのだろうか。占い師にでも占ってもらうしかないか。
ところで、眼鏡フレームはどうしてこんなに高いのだろう。最近はZoffとかJinsとかの格安眼鏡店が出てきて、レンズ込み1万円以下とあるが、普通の眼鏡店ではフレーム3、4万円、レンズ込みで7、8万円ぐらいが標準ではないか。チタンという加工しにくい材料を使っているからであろうが、それはZoffでもおなじこと。フレームだけで3万円とは高すぎる。
ファッション商品だから、一個一個にデザイン性があり手作りの味があるというならそれも分かるが、型によっては大量生産の製品もありそうだ。私の感じでは、眼鏡フレームとゴルフクラブ(ドライバー一本5万円)は、製造工程の複雑さから見て、電子製品など他の商品に比べて高すぎると思う(金属やプラスチックなどの素材工学を電子工学よりも下に見る考えはありませんが)。もっとも眼鏡もゴルフクラブもともに安い価格のものがあり、高い製品は機能商品と言うよりも錯覚にうったえる商品(掛けただけでモテるとか持っただけでスコアが良くなるとか)というべきだろう、ときに美術品のような風情を持ったものもあるが。
まあ、眼鏡をなくして八つ当たりの感は否めませんが。


恋の日のお揃いで買ふ花眼鏡
*恋の日=バレンタインデー
*花眼鏡=老眼鏡





2016年3月30日(水)
日限り日記

[個人番号カード]
「個人番号カード」がようやく手に入った。
天気の良い日に取りに行こうとしたが、前日までに予約をしないといけないという。午前の予約は1週間一杯だというので、午後の予約にして区役所に出かけた。区役所では専門の部屋が出来ていたが、その部屋に入る前に暗証番号の説明を受けたり、身分を証明する書類を出さされたりする。身分を証明するカードとして、「住民基本カード」を出したが、もう一種類必要といわれ、「運転免許証」を出した。「住民基本カード」は、今度の「個人番号カード」と引き換えに無効になるのだが、どうしてこれ一種類ではだめなのか不思議に思って質問したが、二種類必要なのだという。「住基カード」は、本当に役に立たないカードだった。今後個人を証明するのに、「個人番号カード」だけではだめで、「運転免許証」が必要だなどということにはならないでしょうね。
さて専用の部屋に入ると窓口が3個所ある。そこに一人ずつ事務員が座っており、その後に一人ずつ別の人がいて、ほかの事務員と合わせて、その部屋には合計9名事務員がいた。そしてカードをもらう人は私一人なのである。私が10分かかってカードをもらっている間も、別の人は入ってこなかった。人手を掛けて、ゆったりと、のんびりとカードは支給された。「運転免許証」を交付されるときの緊迫したような雰囲気とはまるで別の世界だった。
帰って来年3月の確定申告e-taxの電子身分証明カードとして使えるかどうかを試したら、無事使えることが分かった。これで今年改めて電子身分証明の手続きをとらないで済む。個人番号制度はセキュリティ対策に不安な面はあるし、個人のプライバシーにどこまで入ってくるのかといった不安はぬぐい去れないが、制度として出来た以上使わない手はないだろう。国も単に我々の属している集団の一つに過ぎず、絶えず監視する必要はあるが、この集団を信頼しない生活をしても、いいことはないと私は思っている。

春愁や国民番号十二桁


2016年3月29日(火)
日限り日記

[男女問題]
十人ぐらいの席である友人が「自分はもし女性問題を起こさなければもっと出世したはずだったのだが」と言い出した。その男は会社の常務取締役にまでなった男だから、その上というと社長になれたはずだった、と言っているに等しい。すかさず「まだ一部が知られただけだからその程度で済んだので、もし全部ばれていたら君はとても常務の地位はおろか、部長にもなれなかったはずだろう」と混ぜ返す人がいて、言った本人もそれもそうだ、ということになった。
この話を聞いていた者のなかには、ばれなくて助かったなあと、首筋がひやっとした人もいるはずだ。男女関係は他人に知られなかったら特に問題にならないし自分からあえて公にするようなことでもないが、ばれたらたちまち出世のマイナスになるケースが多い。どこまで進んでいるかなど細部は関係ない。独立した人格を持つ男女のゲームであっても、ここぞとばかり理由を付けられて、出世から外される。理由のなかには、これを許していたら組織の風紀が乱れてしまう、などと、評者が急に聖人君子に豹変したような理由も付く。まあ男女問題は、自分に甘く他人に厳しい典型的な事案なのです、多分にやっかみもあるかも知れない。
ところで、妻が出産間近のときに自分も育児休暇を取ると宣言をしておきながら、浮気をしたということで国会議員を辞職した議員がいた。これはとんでもないことだ。話題にもしたくない破廉恥なことだと言っていい。それなら作家乙武洋匡氏のケースはどうだろう。いやとてもこわいはなしで考えたくない。我々の話は、もっと、小さなこぢんまりした人畜無害な話なのですと、急に聖人君子ぶって言っておこう。


よくしなる若き指あり草を摘む


2016年3月28日(月)
日限り日記

[入院費用]
今度の入院で費用はいくらぐらいかかったのだろうか。
私が入院したのは、6人部屋である。大部屋だが、カーテンで仕切ることが出来て、声は聞こえるが姿はお互いが見えない。携帯電話はメールは良いが通話は禁じられているし、テレビはイヤホンで聴くことになっているからうるさいということもない。病気の苦しみなどは聞かれても聞こえても、病院である以上仕方がないことだ。
テレビと簡単な机、ゴミ箱があり、多分専有面積は、病床六尺のベッド二つ半ぐらいだろう。洗面所トイレは共用だが良く掃除が行き届いている。全館暖房。身体にセンサーが付けられていて、看護師センターでモニターされているし、ナースコールボタンもあるので、何かあれば看護師が駆けつけてくれる。
病棟医師、看護師、薬剤師、運動リハビリ士、構音訓練士、看護助手、掃除夫、ゴミ収集人、シーツ交換など様々の職種が同じ階で働いている。
入院後丸二日は絶食だったから、初めての病院食は、多分三つ星レストラン(行ったことはないが)以上に美味しかった。さすがに15日間居ると少し飽きたがそれでも食事が待ち遠しい味だった。同時にカロリー計算からいって日頃少し食事が贅沢に流れていたことを深く反省した。
さてこの三食看護付き15日間の入院生活の費用はいくらだろうか。
私が病院に払った費用は10万円足らずである。まさかと思って、事務方に確かめたぐらいだ。
実際はこのようだった。私にかかった治療費、入院費などの総額は、約70万円。後期高齢者医療保険の個人負担が私は3割だから、負担は21万円。これに対して、高額医療費補助が出て、差し引き10万円弱(規則上は80,100円+α)が私の負担となるというわけだ。保険制度の性格から、年によって支払った保険料が、負担してもらった費用を大きく上回ることもあるが、今年は早くも国(保険機構)に負担していただく額の方が多くなってしまった。
このような手厚い制度はありがたい。日本は素晴らしい国だと思う反面、健康保険財政が赤字で、つまりは後代の付けになっているのは心苦しいとも思う。苦しくてもやはり今恩恵を受ける我々利用者の負担をもっと増やすべきだ(例えば今後期高齢者は一般的には1割である個人負担を2割にするとか)と私は思っている。


退院の夫へ懸けん花吹雪


2016年3月26日(土)
日限り日記

[スマホ電話料金]
総務省が昨年末に示したスマホの電話料金の値下げ問題はその後どうなったのか。今使っているスマホが3年経過したので、そろそろ買い換えようかなと思っている自分の例で調べてみた。ドコモショップの店頭には、今買い換えると負担金0円という看板が躍っている。なかには3月17日までは97千円だった機種が、3月18日からは0円であるという表示もある。よく見ると小さな字で、新規契約に限る、買い換えの場合は別と書いてある。
このS機種に買い換えると、スマホ代金を一括で支払う場合、価格は97千円。ただし利用料金の割引が月2千円強付くので、我が家の場合月々の利用料金は6600円から4600円程度に下がる。
買い換えの場合も0円、という札の書いてあるF機種の場合、スマホの価格は0円だが、月々の利用料金が今より800円上がって7400円になるという。今の私の利用契約は当時の最低額で、このような安い利用料金は今はないからである。ということは年間で約1万円電話料金が上がる。
総務省の問題提起は、今の料金体系は、利用量が多く、頻繁にスマホを買い換える若者に有利で、利用量が少ない人には過大な負担になっているというもの(世代間逆格差)だった。実際私の契約している電話料のパケット量は、月3ギガ(4700円)である。検索でインターネットに接続することに使う私のパケット利用量は、大体月0.4ギガぐらいだから過大な契約になっているのだが、3ギガが最低だから仕方がない。国が果たして私企業の価格体系に口を挟んで良いのか疑問ではあるが、これから日常生活で端末を使う時代が来ることを考えると、もっと広く使いやすい体系(最低ギガ数を下げるとか)にしてはという総務省の提案は納得できるものである。
しかし、ドコモは正面から総務省の提起に向き合わないで、家族二人スマホ二台で合計5ギガが使えるプランを新設した。これにより従来の月13,000円から11,000円になるという。本来は個人単位で安くなる案を検討すべきであると思うが、総務省の提起した問題を巧みに利用している。まさに、上に政策あれば下に対策あり、の模範というべきものだ。
まあ、SIMフリーの電話料金の安い電話会社が選べるようになっているので、利用者は自分で選択する幅が増えてはいる。しかし、メールアドレスを変えなければならないとか、サービスが低下する(危惧かも知れないが)とか、それにはそれで面倒なことが起こる。
結局私が選択したのは、少しくたびれた電池を交換して今のスマホを使い続け、昔の料金体系を利用し続けるという選択だった。妻の携帯と合わせて月々の支払い電話料金は変わらず7800円程度。総務省のせっかくの提案は我が家では泰山鳴動してネズミ一匹も出なかった。


(つちふる)や西太后の(しわぶき)



2016年3月24日(木)
日限り日記

[病牀六尺]
子規は「病牀六尺」に、「病牀六尺、これが我が世界である。しかもこの六尺の病牀が余には広すぎるのである」と書いている。子規の場合は病気のため手を伸ばして畳に触れたり、蒲団の外まで足を伸ばして身体をくつろぐことも出来なかったのだが、たしかに絶対安静の間は、靴下を穿いたり脱いだりすることもままならず、ベッドが広すぎるなあと思ったほどだった。起きられるようになっても、テレビ(見なかったが)と小さなテーブルがあるので、この狭い空間で十分だった。
他人の机の上を見ると、患者のそれまでの人生を垣間見ることが出来るようだった。
若い人は大体は漫画の本が多い。同室の患者にシステムエンジニアが居たが、本人は仕事にくたびれているようだったが、見舞客は、話も様子も若々しくて、声を聞くだけで楽しかった。机の上に何もなくテレビも見ず、ひたすら眠っているか宙を見つめているという老人も居た。この老人は介護施設から送られた人らしく、老人の家の人と介護施設の人の間で激しい口論があった。老人は口論をよそに眠っていた。やがて皆帰り老人の娘一人が残った。その時突然老人は割れるような大きな声で、しかもはっきりと娘に対して説教をした。それまで一言も口をきかず、身体も動かさず、全てを看護師に委ねていたので、私はびっくりした。しかしまたすぐに、老人はいつもの世界に戻っていった。
私が読んだ(持ち込んだ)本の題名を恥ずかしながら挙げておく。「漢文脈と近代日本」「万葉集の発明」「中国古典からの発想」「古代豪族」「文学で読む日本の歴史」「子規随筆」「歴史認識とは何か」「あやかし草子」「レベルアップ中国語(ラジオ中国語講座)」。「あやかし草子」(千早茜)を除いて皆買っておいてまだ読めなかったものばかりなので、あまり新鮮な本ではない。家に居たときよりも読書が捗ったのは、ただただパソコンが手元になかったためである。パソコンは便利だが、世間の情報が手に入りやすいという誘惑に負けてしまい、書斎が落ち着かなくなってしまう。歩くことが許されてからは、「歳時記」を持って窓の外を眺めて俳句を作り、それをベッドに持ち帰って読み返したりしたが、療養句をつくるにはまだ新米の病人でありすぎた。
看護付き老人ホームに住むことも悪くないなと思い始めた頃、退院が決まった。着替えて関係者にお礼を言い、振り返って病牀六尺を見た。もうしばらく娑婆で活躍したいという気持ちがにわかにわき上がった。


日本に大伴家持新春歌

2016年3月21日(月)
日限り日記

[プロ野球の開幕]
プロ野球の開幕も近いが、今年は私は悩んでいる。
実は贔屓チームのことなのだが、私は下関大洋ホエールズ時代、すなわち三原脩監督時代から60年一貫して今のベイスターズを応援してきた。フランチャイズが横浜に変わったのだから、ますますのことである。しかし、今年はどうしようか。
理由はチームや選手のせいではない。球団社長である。
実は去年8月の月刊誌「文藝春秋」誌上に掲載された中畑前監督の「この人の月間日記」に、試合前日に相手チームの監督(楽天大久保監督)と酒を飲んだという話が載っていたので、「真剣勝負をするために相手チーム監督と少なくとも試合前日酒を飲むのは止めて欲しい、前日飲むのは八百長疑惑さえ生む、飲むならシーズンオフにして」と、本名と住所を書いて8月球団社長に投書した(「ようこそ正太郎館へ」・「エッセイ」・「プロ野球監督の真剣勝負」)。しかし、全くなしのつぶてだった。
その後プロ野球ではいろいろ野球賭博問題が発生したが、私は前日対戦するチームの監督同志が酒を飲むなどということは、やはり同じ根の問題だと思っている。いわんこっちゃない、というのが偽らざる気持ちだ。
もっとも、私の提案は一つの意見にすぎないから、通らなくてもかまわない。しかし、建設的な意見(と私は思っている)に対して全くなしのつぶてとは失礼ではないかというのが、私の考えである。そんな失礼な社長のチームならもう応援しないかなと思った次第だ。
でも、社長が返事をくれないからという程度の(ケチな)理由で、ファンを辞めるのは間違っているのかな、私のファン歴に傷がつくのかなと、そちらで悩んでいる。社長は何れ辞めるが、球団は永遠(一応)なのだから。まあ、シーズンが始まれば自ずから決まるでしょう。


鯨吼ゆ南極海のさびしらに

2016年3月19日(土)
日限り日記

[突然の入院]
三月に入った日、急に体調を崩して入院する羽目になった。「日限り日記」と称して、毎日のように近況や所感を書いてきたが、思わぬ事態に長い間「休刊」することになってしまった。この間、ホームページを訪れて下さった方には、申し訳ありませんでした。たいしたことはなく退院することが出来て、こうして文章を書いています。ホームページもなるべく早く元の調子に戻したいと考えていますので、引き続きよろしくご愛読をお願い致します。
今回の入院で私がもっとも印象に残ったのは、男の看護師の活躍だった。私の入院した病棟は、一フロアーに6人部屋が7室、個室が10室の患者52人定員で、看護師は昼勤務8,夕夜勤務4,夜朝勤務3名の合計15名。このうち5名が男性だった。男女全く仕事は同じで、日ごとに担当する患者が決まっており、自然にそうなる場合もあるが、とくに重いものを持つときに助太刀をするということでもない。男の看護師は全員身体が比較的大きく、眼が細くて普段の顔が笑い顔で、話し方が優しいといった、気は優しくて力持ちという共通点があった。とくに身体の自由がきかない高齢者の男性患者は、男性の看護師が好きみたいと、ある女性看護師が言っていた。古い看護師の話では、男性看護師が出来てから職場の雰囲気が明るくなったとのこと。
男性看護師が入院病棟に多くて、外来病棟に少ないのは、外来は夜勤がないので、子ども持ちの女性看護師に向いているからではないかとのこと。
各班ごとに、始業時に引き継ぎを行い、最後に病院の方針を全員で復唱する。そのチームワークのとれた雰囲気と男女混声で復唱する声がとても美しかった。


看護師の一人一人が桃の花


2016年3月1日(火)
日限り日記

[プロムナード]
日経の夕刊に「プロムナード」という欄があって、曜日ごとに違う作者が半年間エッセイを書く。作者は、小説家、エッセイスト、評論家など多彩である。実はこの欄に出て始めて名前を知った人も多いが、どの方も斯界を代表する若手でありベテランである。若手の場合は良くこんな人を見つけてきたなあと感心させられることが多い。
どの方の内容も面白くて外れがない。いやむしろどれもとても充実していると言ってよい。朝刊の私の履歴書の方は、当たり外れが多いというか、大体財界人は自慢話で外れが多いが、それに比べれば「プロムナード」はとても質が高い。
今まで読んだなかでは、これは個人の好みになると思うが、戌井昭人と千早茜が面白かった。戌井は1912年芥川賞候補になった「ひっ」が出色で、それから最近の「のろい男」までずっと読んでいるが、いずれも「ひっ」に及ばない。しかし、「プロムナード」は面白かった。自分で劇団まで持っている独身のバガボンドが本気を出せば誰もかなわない。一方、千早茜はこの随筆で始めて知った。それから処女作とも言うべき「魚神」「あとかた」を読み、いま「あやかし草子」を読んでいる。「魚神」は途中破綻しそうではあったが最後まで面白く読み通せた。
この二人に比べると、今年の芥川賞受賞作家の羽田圭介など、このエッセイのために力を溜めてきた作家のものは、十分に面白いが、まあ戌井、千早に及ばない。私の方でも早くこの二人の面白さから離れて「プロムナード」を楽しまないと、もったいないと思うのだが。


一昔は春一昔は思ひ川